薔薇髑髏 20
びちっ、と何かの弾けるような音を、オコセットは耳にした。首の後ろを通過したのは、彼の雇い主である「男爵」ヘイロンの護衛頭、ラリーの頭部であろう。
なまじ、腕が良かった為に、中途半端に回避したものか、ラリーの首は半ばまで切断され、残りの肉と皮は、髑髏騎士の振るう長剣の、勢いだけで引き千切られたのだ。
(あぁ、これは、本当に……割に合わぬ)
オコセットは距離を取り、右手の長剣を前に突き出す、これは、防御の構えであろう。しかしながら、彼は決して怖じけた訳でもないのだ、自分の仕事は、あくまでヘイロンの護衛であり、今は、雇い主の逃げ果せる時間を稼ぐ事が第一だと、そう考えているに過ぎない。
我ながら、損な性格だと、オコセットは、やや自嘲気味に、口の端に笑みを浮かべた。目の前の騎士は、剣先に残る血脂を一振りに、悠々と間合いを詰めてくる、全身から発せられるのは、己に対する、絶対の自信。
「割に、合わんなぁっ! 」
距離が詰まった所を見計らい、彼は自らの血液を、目潰し代わりに投げつける。脇腹を押さえた左手の平に、どろり、と溢れる己が血を、密かに溜め込んでいたのだ。
髑髏騎士は、長剣の柄を持ち上げ、オコセットの血弾を受け止める。大した反応ではあるだろうが、それは重々承知の上であった、彼の狙いは、姿勢を崩した相手への、渾身の片手突き。
(なにっ? )
しかし、オコセットの鋭い突きは、いとも容易く、跳ね上げられてしまったのだ。恐らくは、全て読まれていたものだろう。
しかし、彼が驚きの表情を見せたのは、全力の突きを防がれたからでは無い。目の前の男が、先程までは、ロンダヌス流派の技を見せていた髑髏騎士が、今度はクロスロードの剣術を、遣って見せたからであったのだ。
「飛燕剣っ!?」
オコセットの突きを打ち払うのが、一段目、そして、振り抜いた瞬間には、肘を畳んで二撃目が、既に準備されていたのだ。高速の二段斬り払い、これは、クロスロードの正規剣術である、シャイニングソードの技であった。
ごりっ、と耳の裏に響いたのは、自身の骨が断たれる音であろう。咄嗟に差し出した左手は、肘の少し先にて、切断されていた。
「……見事」
初めて、髑髏騎士が口を開いた。
その言葉は、心からの賞賛であり、オコセットは何か、悪い気もしなかったのだが。
(うわ、どちらも止血が出来ん……参ったな)
左脇腹の傷も、浅くは無いのだ、左手を無くした状態では、応急処置も、逃走すら叶わないだろう。北方の開拓村出身であった彼は、立身出世を夢見ていた、という訳でも無かったのであるが、いざ、死というものが眼前に迫ってみれば、何とも、やり残しの多い人生であったと、我が事ながら、呆れた様な後悔に、囚われていたのだ。
「悪運は、強い方だと思ってたんだがなぁ……」
オコセットは、流れの傭兵である。腕と頭の回転には、少々、自信を持っていたのだが、特定の口入屋に属する事なく、自由気ままに、自分好みの仕事だけを受けていた。
半ば専属として、ふくろうに雇われていたものの、闇討ちの仕事を受けた事は無く、仕事内容は、専ら、こうした護衛であった。彼の腕を惜しんだふくろうは、何かと仕事の世話をして、オコセットを手元に置こうとした程である。
「悪運とは、いつか尽きるものだ……さて、そろそろ地獄に堕ちろ、貴様の様な悪人には、相応しい末路と言えるだろう」
「違いねぇ……なら、先に行って、待ってるぜ」
苦痛に顔を顰めながらも、オコセットの口にした冗談は、しかし、髑髏騎士の逆鱗に触れるものであったようだ。仮面越しにも分かる程の怒りが、彼に向けられたのだが、しゃれこうべを模した仮面から覗く、灰色の瞳には、なんら光を感じる事も無い。
すい、と持ち上げられた長剣は、オコセットの人生に、終わりを知らせるものであった。
その筈であったのだが。
「その剣! 振り下ろすこと、罷りならぬ! 」
息を切らし現れたのは、三人の男女であった。
「ラキガニ ハヤステ! おのれ、影武者とは、姑息な真似をする! しかし、貴様の不在証明は既に崩れた、世間を騒がす薔薇髑髏、シャルロッテ殿下の名のもとに処罰する、神妙に縛に就け! 」
腰の細剣を抜き払うのは、テンプル騎士、リリィアドーネ グラムハスル。リチャード少年とフィオーレは、倒れたオコセットを手当てする為、大きく回り込んだ。
「ふん、囲まれたか……酒番衆まで駆り出したのか? 何とも、大袈裟な事だ」
ぐい、と仮面を脱ぎ捨て「雲帝」のラキガニ ハヤステは、その素顔を晒す。
「言っておくぞ、テンプル騎士ども、私には、何の落ち度も無い筈だ……陛下の命とあれば、従うのにやぶさかでは無いが……貴様らの、その、上から目線は、少々、気に障る」
「ふざけた事を! 「六帝」ともあろう者が、辻斬りの真似事などと、許される筈があるものか! 」
リリィアドーネの言葉には、明確な怒りが込められていた。しかし、その矛先は、ラキガニ自身に向けられたものでは無く、あくまで、彼の行いに、その無法について、咎めているのである。
これは、彼女の真っ直ぐさ、純粋さの証左でもあったのだが。しかし、それこそが、ラキガニには許せぬ事であったのだ。
「貴様らテンプル騎士は! そうやって綺麗事を述べておれば、上から他人を見下しておれば良いのだ、なんと気楽な仕事であろうか! 俺を見ろ! 見ているのか! 不快だ! 能力も、正義も、信念理念、情熱、全て! 全てにおいて! 俺の方が上であるというのに! 産まれた国、ただ、それだけの違いが! それがどれ程の! 」
ばさり、と黒のマントを放り投げ、ラキガニは長剣を構える。その下に着込んだ白い服は、どこか、テンプル騎士の制服に、似ているだろうか。
「既に、この国に未練など無し……テンプル騎士の首は、良い手土産になろうか」
「……その言葉、クロスロードに叛逆の意思ありと、そう、見なされるぞ」
細剣を左手で構え、ぐぐっ、と身を縮めるリリィアドーネは、既に戦闘態勢である。
「嬢ちゃん、そいつは、シャイニングソードと、ロンダヌス正統剣術も遣うぞ、混ぜてくる、調子を取らせるな」
リチャードに応急処置を受けたオコセットが、リリィアドーネに助言する。彼の手首は、フィオーレが回収していた、腕の良い呪術師の所へ、早めに連れて行けば、繋ぎ直す事も可能であろう。
「リチャード、わたくし達も助勢しましょう、これは決闘ではありませんわ」
切断面をハンカチで覆い、それを持ち主に戻した後で、フィオーレも抜剣する。普段は冷静な彼女も、こうした場合は、ゴリラめいた闘争心が表に出てくるのだろう、その美しい顔には、挑戦的な笑みさえ浮かんでいるだろうか。
しかし、リチャード少年は彼女の肩を押さえ、首を左右に振るのだ。
「今の僕達では、リリィ様の足手纏いになってしまいます、駄目です」
「な! 何故ですの? 相手は「雲帝」のラキガニ、リリィ様を信じてはおりますが、わたくし達にも、出来ることは……」
「ええ、勿論あります、だから、少し時間をください……フィオーレ、僕の事も、少しは信じてくださいね」
にこり、と、そう少年に微笑まれてしまっては、フィオーレには、どうする事も出来ないのだ。
「おいで、くるぶし……」
リチャード少年の囁きに応え、彼の影から、丸餅の様な生き物が現れた。大きさが変わらぬという事は、まだ魔力を注いではいないのだろう。
「おわっ」
当然ながら、唐突に現れた子犬を見て、オコセットは声をあげる。初見であれば、驚くのも無理はない。
(こ、この餓鬼……まさか、召喚術? こんな、大型の使い魔なんて…… )
護衛の仕事を好んだ彼は、呪術師の守りも、飽きる程に経験していた。しかし、殆どの術士は、精々が蛙か昆虫、良くて小鳥程度の使い魔しか持たぬのだ。
犬猫などの使い魔と契約するのは、ほんのひと握り、一流の呪術師のみである。この少年は、かなりの力量であろうと、オコセットは予想する、そう言われてみれば、止血の呪いも、なんと見事であったろうか。
テンプル騎士の従者ならば、それも分かる話であろうかと、オコセットは、ひとり納得し、ラキガニと対峙する騎士に視線を戻す。
互いに、未だ動く気配は見せていないのだが、こうして端から眺めれば、成る程、両者共に、自分より遥かに上の遣い手であると、即座に理解できるのだ。
じくじく、と痛む左腕から意識を逸らし、オコセットは、小声にて、金髪の美少年に声をかける。
「なぁ、坊主、俺にも出来る事があるか? 協力するぞ、何でも言ってくれ」
彼は、悪運の強い方である。
しかしながら、自ら進んで動かねば、それを引き寄せられぬであろうことも、充分に理解していたのだ。




