薔薇髑髏 14
ぐいっ、と両腕を天に伸ばし、御用猫は大きく、のび、を、する。少し翳った空の上には、初夏の太陽がぎらついている筈であろうが、今はその熱気も雲に遮られ、ただ、心地良く吹き抜ける風が、寝起きの野良猫の頬を、優しく撫でるばかりである。
「いやぁ、よく寝た、爽快爽快……さて、腹も減ったし、マルティエ行くか」
「若先生……やはり、僕には、ああいったお店は、向いているとも思えません……やはり、次からは、お一人で……」
言葉通り、気分良さげな御用猫とは正反対に、リチャード少年の方は、何やら足取りも重く、憔悴の表情である。目の下の隈と、少しばかり、やつれたようにも見える頬は、昨夜の激闘が、どれ程に過酷であったかを、如実に物語っているだろう。
「なんだ、だらしのない、自分から言ったことであろう、何事も経験ですから、とか」
「いえ、確かに、言いはしましたが……当初の想定とは、随分違った展開であったといいますか……その」
「そら、みたことか……ふふ、忠告はした筈だぞ、クロスルージュにはな、魔物が棲んでいるとな」
何とも、ばつの悪そうに、眉根の辺りを揉みほぐす少年を見て、御用猫は、再び笑いを零す。先ほど見送りするスイレンは、彼女にしては珍しく、随分と不満げな顔つきであったのだ。
(しかし、少しばかり、悪い事をした気もするな……今度、埋め合わせをしておこう)
彼は、遊ぶ為の方便とも思えるだろう言い訳を、脳内で構築しながら、マルティエを目指して歩を進めていたのだが。ふと、その歩みを緩めると、正面を向いたままに、言葉を発し始める。
「……みつばちか? 珍しいな、何かあったのか」
「申し訳ありません、猫の先生に対する愛情が、抑えきれずに、漏れ出してしまっていたようです」
ぬるり、と彼の隣に、くノ一が現れる。今日のみつばちは、若草色をした裾の短い袖無しワンピースに、黒のスパッツという出で立ちであった、随分と少女じみた服装であったのだが、これは、いつぞやに聞いた、マルティエから貰ったとかいう、お下がりの服であろう。
もっとも、胴回りはともかく、身長には差のある二人なのだ、マルティエが着ていた時には、もう少し脚は隠れていたのであろう。しかし、何処と無く、黒雀を彷彿とさせる格好である、黒髪同士、並べてみれば、姉妹にも見えようか。
「薔薇髑髏に、動きがありました……東町にある金貸しの家から、借用書を残らず盗み出したそうです」
「盗みだと? あの、髑髏騎士が、か? 」
御用猫は足を止め、目を閉じて顎に手をやる。ちら、と彼が予想していた事は、どうやら、的外れであったようだ。
「若先生、薔薇髑髏が盗みを働いたとなれば、賞金を掛けられ、国からも手配される事になりますが……」
同じく足を止めたリチャード少年も、何処か、納得のゆかぬ顔付きである。
「そうだな、奴は今迄、殺しても罪にならぬ相手を狙っていた……高利貸しなどが殺された事もあるそうだが、その際は、薔薇も犯行声明も残しておらぬ……まぁ、これは、手口が同じ、というだけではあるがな……どちらにせよ、中々に、知恵の回る奴だと思っていたのだが」
「それについては、薔薇と共に証文を、騎士団詰所に投げ込んだそうです、法外な金利でありましたし、盗みでは無く、告発として処理されるかと……」
「成る程な」
それを聞いて納得したものか、師弟は同時に頷いた。その余りの同調ぶりに、みつばちも、思わず笑みを零しそうになる。
「ですが、どうにも、違和感は拭えません……若先生、薔薇髑髏の仕事ぶり、極端に過ぎるとは、思えませんか」
「そうだな……殺す相手と殺さぬ相手、どこで線を引いているものか……みつばち、済まないが、薔薇髑髏の関与していると思われる事件、洗い直してみてくれ」
どうやら、リチャード少年も、御用猫と同じ疑念を抱いているようである。もしも、薔薇髑髏の正体が「雲帝」のラキガ二であったならば、血を見る事なく、悪党を許すであろうか。
「了解致しました、被害者が生きているものと、殺されているもの、遡って調べてみます……しかし、リチャード様、今日はまた、随分と冴えていらっしゃる御様子……やはり、あれですか、一皮向けたと、そういう事ですか、自信が漲っちゃっておられますか、大人の階段を昇ると、こういった効果もあるのですね、目から鱗です、なので先生、抱いてください、はよはよ」
「ひどい誤解です! 」
御用猫にしがみつこうとした、黒髪の志能便を引き剥がし、少年は珍しくも慌てふためくのだ。もしも、この話が広まってしまえば、どれ程に、彼の敬愛する師が迷惑を被るものか、容易に想像できるのだから。
実のところ、リチャード少年がクロスルージュに同行したのは、単なる社会勉強であった。勿論、誘われたのも事実であるのだが、少年としては、風俗店の実情と、普段の御用猫の行動が、気になっていただけの話であり、昨夜などは、諦めずに何度も襲い来る人喰い虎から、一晩中、彼の師を守るために戦っていたのだ。
リチャード少年は、昨夜の一部始終を、身振り手振りまで交えて、懇切丁寧に説明したのだが、この、何とも無表情なくノ一には、どれ程に通じているものか。
「なるほど、理解致しました、サクラ様とフィオーレ様には、内緒にしておいてあげます」
「絶対に、理解していませんよね? 」
涙目の少年は、御用猫に向け、助けを求めてくる。その、余りの必死な様子に、御用猫は頬を緩めるのだ。
(全く、仕方のない奴め……だから、早くに捨てておけ、と言ったものを)
とはいえ、後で面倒ごとになるのも、御免であるのだ。それに、話が拗れる前に誤解を解いておく事は、御用猫自身の、身の保全にも繋がるであろう。
なので、御用猫は、相変わらずに無表情な志能便に目をやり、柔らかく笑ってみせる。
「ところで、みつばちよ……今日の服は、また、マルティエから貰ったものか? 中々、似合っているじゃないか、可愛いぞ」
投げられた言葉に反応して、ぴたり、と固まったくノ一であったのだが、次の瞬間には、予備動作も無しに、ぴょいん、と御用猫に飛び付いてくるのである。
「ようやく、ようやく理解して頂けましたか、正直、変装以外で、こうした格好をするのは不安でありましたが、頑張りました、どうですか、可愛いでしょう、見惚れたでしょう、もう、お風呂には入りましたので、ご飯食べたら私にしましょう」
「よしよし、理解してるとも、その辺りが、そこな童貞との違いなのだぞ、分かったか? 」
「分かりました、リチャード様は童貞です、宝の持ち腐れなのです、そうだ、さんじょうに相手をさせましょう、奴ならば口も固いですし、房中術の練習にも、丁度良いかと」
「それは駄目」
「なんだとちくしょう、それは、どういった了見だ」
首筋に齧り付かれ、悲鳴を上げる師匠を見ながら、リチャード少年は、大きく溜め息を吐き出した。
とはいえ、彼の名誉は守られたであろうか。
それが、名誉と言えるのならば。




