血風剣 迅雷 21
「遅いぞドナ、きりきり歩けよ」
「揺らすんじゃねーでごぜーますよ、ワイわ繊細なんやで」
「あははー、ドナちゃんは、大変大変だ」
照りつける太陽の元、ナローを旅立った御用猫一行は、一路クロスロードを目指していた。温度こそ高かったものの、最近は乾燥している、この草原には、なんとも爽やかに、心地よい風が通り抜けているのだ、彼女にとっては、それが救いであろうか。
「ちょっと、そろそろ、休憩じゃないの……もう二時間は、経ってるはずなんだけど……」
卑しいエルフを背負うドナは、その顔にも、流石に疲労の色が、濃くなり始めているのだ。同行している妹分達も、最初こそ、彼女に気を遣い、心配や応援する声も聞こえていたのだが、今となっては、そちらに目を向ける事も無く、御用猫や黄雀達と、楽しげに談笑する始末なのである。
あれから、名誉騎士の名を利用した御用猫は、少々強引に、トロネ達の減刑を領主に認めさせてしまったのだ。突然現れた有名人に、熱狂した領民達が、声を上げて彼の後押しをした為に、ベリルも首を縦に振るしか無かった様である。
もっとも、ナローの領主は、筋道を立てて説明してみれば、何とも話の分かる男であり、また、情けも深いようであった。彼はトロネ達の身柄と共に、これまでの経緯を纏めた、さらなる減刑の嘆願書まで、麒麟騎士に預けたのである。
(館に、三日も滞在させられたのには、少々、参ったがな……しかし、草エルフの男衆まで、面倒をみると言うのだ、中々に、名君であるのかも知れないな)
長閑であるとはいえ、そこは大都市のナローである。やはり、領主には、それなりに有能だと認められる人物が、据えられているのだろうか。
ランゲの方も、ベリルに協力し、コンドゥからの紹介で、草エルフの男衆を、積極的に商店に雇い入れると約束していたのだ。領主との繋がりを得る機会でもあろうし、多少の下心も感じたのだが、恐ろしげな見た目に反して、根は真面目な男なのである、再び草エルフの野盗が組織されぬように、尽力してくれるであろう。
「まぁ……そうだな、落とし所としては、こんなものか……少なくとも、気分は、悪く無いのだ」
「……アタシは、最悪の、気分よ」
荒く息を吐き出すドナに向け、御用猫は、笑いながら、休憩を提案する。クシーの実妹であるという、金髪の少女、ペネロープが、日除けの呪い傘を張り、その下に彼等は座り込んだ。
クロスロードへと続く街道は、早速にナローとの大規模な交易を再開し、今日も何台馬車を見たものか、覚え切れぬ程である。水筒から乳酒を二、三口吸い込み、御用猫は、それを、白い生き物の上に寝そべる、黄雀に手渡すのだ。
「きぃちゃんよ、どうだ? 穴ひつじの寝心地は」
「モコタンは、ふかふか、だよーぅ、おひさまの匂いがするよ、もこもこだし、もこもこ、だよ」
御用猫は、チャムパグンに頼み、穴羊を一匹、捕獲させていた。これは、再び調子を崩した、黄雀を運搬する為である。
卑しいエルフの呪いにて、快復したかに見えた彼女であったのだが、どうやら、それには対価を払う必要があったようで、黄雀は今も、普段の倍の痛みに、耐えているそうである。御用猫が抱えて歩いても良かったのであるが、折角、ナローまで来たのだから、これを手土産にと、彼は考えたのだ。
「いつの間に名前を付けたんだ……きぃちゃん、あまり情が移ると、後で食べにくいぞ? 」
「なんで! 」
地面に猫座りする穴羊のベッドから、がば、と起き上がった黄雀は、転がり落ちるように、御用猫に縋り付くのだ。
「なんでなんで! モコタンを食べちゃ、だめだよう! こんなに可愛いのに! やだやだ、猫ちゃん、お願い! 」
「いや、食べる為に、連れて帰ってるんだけど……」
「やぁだぁ! たべないたべないよぅ! 」
じたじた、と子供の様に暴れる黄雀は、放っておけば、何時迄も喚き続けそうな、反抗ぶりである。
「……ねぇ、アタシも、お肉は好きだけどさ……てっきり、この子は、飼うつもりなんだと思ってたし、今更殺すのは、ちょっとさぁ」
他の者も、同意見であるのか、何か言いたげな視線を、御用猫に集めてくるのだ。
「……まぁ、俺は良いけど……どうする、おチャムさんよ、皆は、ああ言ってるが」
「けっ、甘っちょろい奴らでごぜーますよ、牛や豚は喜んで食う癖に、偽善者どもめ、反吐が出ますわ……でも、別に構わねーでごぜーますよ? 結局、気分の問題ですからね、飯は美味しく、気持ち良く食うもんですわ、ワハハ」
御用猫の膝の上で、少々、乱暴な意見を返す卑しいエルフであったのだが、他の者から反応が返ってこないところをみるに、これは念話であったのだろう。
(ふうん、こいつなりに、気を遣ったのか? まぁ、確かに、そうかも知れんな)
穴羊の肉に興味はあるが、黄雀の涙を見ながらでは、味も分からぬであろう。飯は美味しく気分良く、とは、なんと、至言であるだろうか。
「きぃちゃん、その代わり、ちゃんと面倒を見るのだぞ? ……まぁ、田ノ上道場の草むしりには、丁度良いだろうか」
「やった、ありがと猫ちゃん! すきすきー! 」
水着少女に、のしかかられた卑しいエルフが、潰れた蛙の様な鳴き声を上げる。ぐりぐり、と顔を擦り付ける黄雀の頭を撫でていると、ふと、ドナの視線が、こちらに向けられている事に気付くのだ。
「なんだ、ドナも撫でて欲しいのか? 仕方の無い奴め、甘えん坊さんめ、ほら、こっち来い」
「ち、違うわよ! 変態! いやらしい……アタシは、ただ、ちょっと、言いたい事があるっ……て、いうか」
いったい何事であろうか、しばし、もごもご、と口籠っていたドナであるのだが、意を決したものか、息を大きく吸い込むと、足を揃えて座り直し、御用猫に向けて、頭を下げるのだ。
「辛島ジュート、さん、今回の、あの、これ、は、どれだけ感謝しても、その、足りないと、思います、けど、その……ちゃんと、お礼を言わせて下さい……ありがとう、ございます」
なんとも、辿々しいものではあったのだが、彼女は、御用猫に対して、心からの、感謝を伝えるつもりであるようだ。
「きぃちゃんも、チャムさんも、ありがとう、皆んなのおかげで、姉さん達は、助かりました……ありがとう……ありがとう」
ドナの謝辞に合わせ、慌てて座り直した妹分達も、口々に感謝の言葉を並べ始める。恐らくは、まともな教育も受けてこなかったであろう少女達であるが、彼女達は、不器用なれど、いや、なればこそ真っ直ぐに、その想いを伝えてくるのだ。
(ふふ、そうだな、メルクリィの教会を手伝って貰おうか、あちらも女手は足りないのだ、むさ苦しいゲコニス達だけでは、困る事も多いと聞くし、これは、うん、丁度良いかも知れない)
北町ならば、開拓地のトロネ達にも、面会し易いだろうか。子供達と一緒に、読み書きを教わるのも良いだろう。
「よしよし、確かに受け取った……だがな、そんなに、恩義を感じる事も無いのだぞ、俺が貸した分は、きちんと、ドナに返して貰うのだ……ふふ、その、身体で、な」
態とらしく嫌らしい笑みを浮かべると、御用猫は彼女を見詰める、今は傷も戻してあるのだ、野良猫の卑しい冗談も、多少は許されるはずであろう。ぐぅ、と短く息を吐き出すドナは、しかし、少しだけ頬を染めると、俯いて肩を震わせるのだ。
てっきり、火の付いた様に怒り始めると思っていた御用猫である。その反応は、少々意外なものであったのだが、この真面目な女は、色々と真に受けてしまっているのだろうか。
(まぁ、面白いから、放っておこうかな)
期待してるぞ、と声をかけると、妹分達から、きゃいきゃい、と何か楽しげにも思える悲鳴が上がるのだ。
「ドナちゃんドナちゃん、ドナドナちゃん、あれだよ、今だよ、教えてあげたでしょ」
「ふぐぅっ」
御用猫の脇から、にょきり、と顔を伸ばし、黄雀がドナをけしかける。何やら、悪い笑みを浮かべているだろうか。
「うっ、うぐぅ……ふうぅ……ご、ごっ……」
真っ赤になって震える彼女は、何度も荒い息を吐き出し、何かと戦っている様子であったのだが。遂に顔を上げると、潤んだ瞳にて、御用猫の方を上目遣いに見やるのだ。
「せ……精いっぱい、ご奉仕、させて、いただきます……ご、ご、ご主人様……」
「おいよせ、やめろ」
早めに聞けて良かったと、御用猫は安堵する。
もしも、クロスロードで言われたならば、間違い無く、血の雨が降るであろうから。
葡萄酒流るる女の身体
開いて啜る悪い男
許しはせぬぞと野良猫の
酒の代わりに赤い爪
御用、御用の、御用猫




