血風剣 迅雷 17
二つに割れた穴羊の群れは、それぞれが背中に草エルフの少年を乗せていた。もちろん、見た目通りの年齢ではあるまい、動物の皮と骨を利用した、合成弓らしき短弓を構え、鞍も無しに穴羊に跨がる彼等は、統制のとれた動きを見せている。
一列縦隊にて、円を描くように、御用猫達を取り囲むと、そのまま並足にて、彼等を二重に包囲するのだ。
「……大した練度だな、これも、お前が仕込んだのか? 」
ほほう、と関心したように、トロネに問い掛けた御用猫であったのだが、返事は、背中側から返ってくる。
「馬鹿言わないで! アタシ達がナローに来てから、まだ、一ヶ月くらいよ、そんな事出来る訳ないだろ! 」
相変わらずに、彼の服を掴んだままのドナは、表情こそ確認出来ぬが、かなり追い詰められているようだ。事態の把握は出来たのだろうが、未だ、それを飲み込めぬ彼女は、次の動きが取れずにいたのである。
「姉さん! お願い、嘘だと言って! これも作戦の内なんでしょ? アタシ達は、どんなに惨めな思いをしたって、盗みだけは、働いてこなかったよね、そう、みんなで、決めたよね! 」
戦災孤児として幼少期を過ごし、泥を啜るように生きて来た彼女達であったのだが、他人に奪われるばかりの人生であっても、いや、だからこそ、他人の物を奪う真似だけはすまいと、そう、誓っていたのだ。
奪うのは、命だけ。
しかし、それは戦いの中での事である、そして、その代償として、自らの命も懸けているのだ。
これは、まさに高潔な生き方であろうと、ドナは、内心にて誇りにすら思っていた。そして、卑しい生まれの自分を、皆を、正しく導いてきた自慢の姉に、確かな、そう、確かな憧れを抱いていたのだ。
「そうだねぇ……でもさ、ドナ、いつまでも、こんな暮らしは出来っこないよ……アタシ達も歳を取るんだ、もうすぐに、色々と、終わりも見えてしまうのさ……ねぇ、ドナ、知ってたかい? 傭兵の仕事が無い間は、アンタ達を食わせる為に、アタシ達が、いったい、何をしていたのかを」
ぎゅう、と御用猫の戦闘服が絞られる。ドナは、彼女は、思い当たったのだ、いや、既に、気付いては、いたのかも知れない。
「……この仕事を終えればね、終わりが見えるんだよ、だけど、それは惨めな終着駅じゃない、皆が、笑って暮らせる、そうさね、幸せな未来さ……ささやかだけどね……それでも、真っ当な、女の幸せだって……アタシは……」
「……姉、さん……」
一瞬だけ、トロネは御用猫から視線を外し、俯いた。それは、歴戦の彼女らしくもない、迂闊な隙であったのだが、しかし、御用猫は動かない。
彼女等には、機会が与えられるべきなのだと、そう、考えたのだ。
「分かっておくれ、ドナ、もう、うんざり、なんだよ……命のやり取りも、見えない明日に震えて眠るのも……薄汚い男に、身体中を舐めまわされるのも……もう、嫌なんだ……」
細く息を吐き出した彼女は、ゆっくりと、顔を上げる。再び妹に晒した、その顔には、確かな意志と、揺らがぬ決意が見てとれるのだ。
「さぁ、おしゃべりは終わりだよ……選びな、ドナ、アタシと一緒に来るか、それとも、ここでお別れか……どちらにしても、そこの男を抑えてもらうよ、そいつは、随分と、厄介そうだからね」
「おや、見逃してくれるんじゃ、無かったのか? 」
御用猫の軽口は、相変わらずである。その、余りの変わりようの無さに、トロネも思わず頬を緩めてしまったようだ。
「ふふ、全く、呆れた男だねぇ……もう、分かってるだろ? ただの時間稼ぎさ……これも分かってるだろうけど、後ろのエルフが呪いを使うより、弓の方が早いからね」
周囲を取り囲む穴羊乗りは、二十騎以上居るだろうか、まさに絶対絶命であり、手練れとはいえ、賞金稼ぎ一人が何をしようと、その運命も、変えられぬだろう。
「まぁ、そうなるかな……おい、ドナよ、どうする? 早く決めろ、お前が決めるのだ……生きるか、死ぬか、二つにひとつ、だ」
遂に御用猫は、彼女の手を、戦闘服から引き剥がす。しかし、振り向いた先には、捨てられた子犬の様な、泣き出しそうな顔をした、一人の女があるだけなのだ。
「……わがんない……だって、あたし……そんな、わかんないよぅ……」
遂に涙を零し始めたドナは、子供の様に首を振るばかりである。荷台に残る少女達も、それにつられたのか、隅で固まり、嗚咽を漏らし始めるのだ。
「おい、しゃん、と、しろ……お前の気持ちを聞いているのだ、もう姉は当てに出来んぞ、後ろの妹分は、お前が守るのだ……どうする、ここで死ぬのか、それとも、生きたいか」
ぐぅ、とドナは息を飲む。両手で顔を覆い、荷台の上に膝をつくと、そのまま左右に頭を振り始めた。
「そうかい、ドナ……なら、ここで……」
「ねぇざんっ! 」
トロネの宣告を遮る様に、ドナは叫んだ。座り込んだままではあった、目を閉じたままではあったのだが、それは、確かに決断であったのだ。
「アタシは、それでも……アタシを裏切りたくない……だから、姉さんには、ついて行けない……だけど、だけど、ペネロープ達は、お願い……連れて行ってあげて……殺さないで……」
「ドナちゃあーん! 」
突然に声をあげたのは、黄雀であった。今まで気配を消していた訳ではあるまいが、大人しくチャムパグンを抱え、怯える無害な少女を演じていたのだが。
「んんんんーぅ! 」
まるで背伸びでもするかの様に、両手を天に広げて、全身に陽光を浴びるのだ。草原に煌めく金髪の少女は、夏の向日葵の如く、真っ直ぐに伸びている。
「ごうかーく! あーんど、完全復活ッ! ありがとチャムちゃん、あとは、きぃに、おまかせおまかせ、だよーぅ! 」
どうやら、時間稼ぎをしていたのは、こちらも同じであったのだ。
にっぱり、と笑う黄雀に、全員が呆気にとられていたであろうか。しかし、彼女が赤いジャケットを脱ぎ捨てると、即座に反応したトロネは、周囲の草エルフ達に攻撃を命じる。
「殺せ! 射掛けろ! 」
二十数本の矢が短弓から放たれ、御用猫達の荷台に浴びせられる。しかし、なんたる事か、その悉くが、空中にて静止し、ぽたり、ぽたり、と力無く地面に散らばってゆく。
「何だ!?呪いか! いや、こんな……くそっ、聞いていないぞ! 」
驚愕に眼を見開くトロネであったが、御用猫も言ってはいないのだ、それも当然であろうか、そもそも、彼とて、黄雀の能力については、何も知らないのだから。
「えす! しー! そーどっ! 」
黄雀の叫びに合わせ、地面から五十センチ程の、白い刃が生えてくる。馬車を取り囲む十数本のそれは、まるで生き物の様に、宙に舞い上がった。
「ひつじちゃんと、馬ちゃんだけは、許してあげる……あとは、ぜんぶぜんぶ、死んでいい奴だよね」
ひゅんひゅん、と湿度の高い空気を切り裂き、白刃が草原を疾走する。その一本一本が、全く別の目標に襲いかかるのだ。
「ぎやっ! 」
溶けかかったバターでも切り分けるかの様に、いとも簡単に、草エルフの華奢な体が二分される。
「うわぁっ! 」
防ごうとも回り込まれ、撃ち墜とそうにも躱される。そして、穴羊の脚でも逃げきれないのだ。
迅雷の狩場は一変し、血霧に淀む屠殺場と化す。
「ちっ! やっぱり誤算だねぇ! 行くよ! 」
見事な引き際にて、トロネは仲間だけを連れ、ナローに向けて馬を走らせるのだ。どうやら、黄雀がドナに遠慮し、彼女の傭兵団を狙っていない事に、いち早く気付いたようである。
「おい待て、トロネ! 逃げんのか! 裏切んのかよ! 」
どうする事も出来ずに、固まってしまっていた角刈りの剣士は、金縛りが解けたかのように、通り過ぎるトロネに呼び掛けるのだが。
「もちろん逃げるさ、アンタ達は盾になりな、どうせ、死んでたんだ、裏切りでもないだろう? 」
「っ! 野郎! ぶっ殺してやる! 」
怒りの余りに、剣を振る男であったのだが、当然に、それは空を切る。片手をあげるトロネは、男に一瞥もくれる事なく。
「失礼だろ、野郎だなんて、あと、背後に気をつけな! 」
「あぁ? ……あ」
彼女の最後の忠告に、果たして気付けたものか。かくり、と下がった視界が、地面を捉えるまで、僅かな時間しか、彼には残されていない。
「お前等、ランゲさんから離れてて良かったな……どうする、降伏するなら、命は取らないぞ? 」
騒ぎに乗じて、馬車の影から接近した御用猫であった。太刀を突き付けられた二人の剣士は、即座に剣を放り投げると、頭の後ろで手を組み、その場に膝をついて、恭順の意を示すのだ。
「きぃちゃん! 逃げる奴以外は殺すな! 貴様ら! 死にたくなければ武器を棄てて、地に伏せろ! 」
御用猫の大喝に、生き残った草エルフ達は、慌てて下羊する。ぎりぎり、の指令をうけ、目の前に、ぴたり、と白刃を突き付けられた者などは、動く事もままならず、穴羊の背なの毛を濡らすのみ、であった。
「ドナ! 迅雷どもを縛り上げて馬車に積み込め! ぐずぐずするなよ! まだ、終わりじゃない! 」
ランゲの拘束を解きながら、御用猫は声を張り上げる。茫然自失、といった態であった彼女であるが、半ば無意識であろう、馬車を降りると、生き残りの草エルフ達を、一箇所に纏め始める。
「す、すまねえ、猫の先生、あんた達は、命の恩人だ」
「お前もだよ」
ぺちん、と禿頭をはたき、御用猫も、剣士二人を手早く縛り上げた。
まだ、この仕事は終わりでは無いのだ。
トロネが、迅雷と繋がっていたのは間違い無いだろう。そして、これが最後の仕事であるかのような、口振りであった。
ならば、空荷のランゲを狙ったのは、示威行動などでは無いだろう。あの冷静で現実的なトロネが、その様に無駄な真似をする筈も無いのだ。
(奴等には、盗品を売り捌く為の伝手がある……仲間に、商人が居るのだ、ならば、ランゲを消すのは、競合相手を、減らすため……)
御用猫は、大きく溜め息を吐く。今回の仕事は、間違い無く、気分の悪い、後味の悪いものになるだろう。
(はぁ、黄雀を連れて来たのは、正解であったなぁ……)
あれだけの殺戮劇を繰り広げた後であるというのに、彼女の笑顔は、普段の通りのものであった。ドナが気落ちする間も与えぬつもりか、彼女にじゃれ付き、少々雑に追い払われている。
しかし、今の御用猫には、それが何とも、有難いものであったのだ。




