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続続・御用猫  作者: 露瀬
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同たぬき 17

 嶋村ナリアキラが、田ノ上道場を訪れたのは、練習生達が全て帰宅した、夕暮れ時の事であった。全てを承知していたのは、田ノ上道場の面々と、アザレだけであり、シアン サバーカは、突然の出来事に目を剥いたのである。


 無言にて、ぺこり、と頭を下げた古狸に対して、しかし、黒狸の方は、何事かを言いかけたのであるが、両者の間に割り入った、リチャード少年の差し出す、ふた振りの木剣を目にとめると、黙ってそれに従い、互いに向かい合ったのだ。


「ねぇ、猫ちゃん、猫ちゃんは、みんなと、近くで見ないの? 」


「んー? 」


 屋外稽古場にて対峙する、二匹の狸剣士を遠目に捉え、御用猫は、縁側に腰掛け、ひと足早い晩酌を楽しんでいた。膝の上には、水着少女を抱えている為に、少々視界は悪いのであるが、そもそも彼に、この勝負を見届ける気など、さらさら無いのである。


「……見なくても分かるよ、それより、重いから退いてくんない? 」


「やだの助」


 ぱたぱた、と膝から先を上下させ、ご機嫌な少女ではあるのだが、黒雀やチャムパグンと違い、抱えたままに酒を嗜むには、少々、肉付きが良過ぎる彼女なのである。ふわり、ふわり、と揺れる金髪は、先程から御用猫の鼻をくすぐり、その度に彼は、首を曲げて、それを避けねばならなかったのだ。


「……お前、本当は、チャムが化けてるんじゃ無いだろうな? 」


 彼女がずり落ちぬように、その胴に巻き付けた左手を、ぐにぐに、と蠢かせ、僅かも弛んだ様子の無い、脇腹の肉を揉みほぐしながら、御用猫は少女の肩越しに、狸同士の果し合いを横目で眺めるのだ。かつかつ、と打ち合いは始まっていたのだが、しかし、シアン老の腕前は、下手をすれば、リチャード以下であろう、端から、勝負になるはずも無い。


「いゃん、猫ちゃんのえっち、うふふー、どうだかねー、でもでも、そういえば、なんでなんで、猫ちゃんは、きぃの事、なんにも聞かないの? ひょっとして、好みじゃ無かった? やっぱ、くろちゃんとか、サクラちゃんみたいな、ぺんぺんが好きなの? 」


「それこそ、聞かなくても分かるだろ……まぁ、好みかどうかは、置いとくとして、お前の事は気に入ったよ、いや、なかなかに出来る女だ、目の保養にもなるしな」


「うぅん、お目が高し! その調子で、庇ってね、多分、後で怒られちゃうから」


 にぱり、と笑う水着少女は、御用猫の猪口を奪い取ると、中に残った清酒を舐め取るのだが。


「うーん……お酒は、あんまり、あんまりかも……」


 何とも微妙な表情を見せた。


「ま、人それぞれだ……我慢してまで、飲むもんじゃないだろ」


「でも、あっちは、我慢してるみたいだよ」


 少女の言う、あっち、が、何を指しているのかは、分からなかったのだが、御用猫は、こきり、と首を一度鳴らすと。


「そりゃ、我慢以上の、何かが、あるのさ」


 野良猫には、分からない。


 分からないのだが、おそらくは、そうであろうと、理解は出来たのだ。





「あっ! 」


 思わず声を上げたのは、サクラである。しかし、彼女の叫びも、当然であるだろう、いかにも大振りな、シアン老の掬い上げに、木剣を弾かれた嶋村老は、その場に跪くと、地に着く程に、頭を垂れたのだから。


「はぁはぁ、やった! みたか! こいつめ! こうしてくれる!こうしてくれる! 」


 土下座のような格好の嶋村老、その背中に、何度も何度も、シアン老は、木剣を打ち付けるのだ。思わず飛び出しかけたサクラの肩を、リチャードとハルヒコが、同時に押さえる。


「分かったか! 分からぬか! 娘の気持ちを、分からぬか! 分からぬであろう! この、儂の気持ちを! 」


 ばしばし、と嶋村老の背中には、雨あられと、木剣が降り注ぐのだが、その一発一発には、まるで力が込められていないのだ。リチャード達がサクラを押さえたのも、それを見抜いていたからであろう。


 腰の曲がった老婆が、杖で息子を打ち据えるような、叱るような、泣くような折檻は、なにやら哀しげでもあり、事実、シアン老の両目からも、滂沱の如く、涙が溢れていたのだ。


「儂は、お前の事を、兄とも思い、尊敬していたのだ、娘がお前を好いていると気付いた時には、驚きよりも、驚きよりも……嬉しく、おも、い……」


 遂に、シアン老は、振り上げた木剣を、降ろすことが出来なくなった。しかし、それは、彼の体力が尽きたからではなく、言いたい事を言い尽くしたからでもない。


「お父様……もう、もうやめてください……」


 小さく蹲る古狸に、我が娘が覆い被さり、泣きながらに、その背中を晒していたから、なのである。


「私が、私が悪いのです、お父様の勧めに浮つき、ナリアキ様に気持も伝えず、こちらからも聞こうとしなかったのです、臆病な私が悪いのです、怖かったのです……だから、この契りは、もう……無かったことに……うぅっ、しま、す」


 遂に、アザレは、元亭主の背中に縋り、声を上げて泣き始めた。それは、この婚姻関係が終わりを迎えたから、というよりも、その言葉を、終わりを告げる、その言葉を、嶋村老が、遂に遮ることが無かったから、なのである。


 娘の涙を目にして、忿怒の形相を見せるシアン老であったのだが、それ以上は、何も出来ぬのか、ただ、木剣を地面に叩きつけると、娘を乱暴に、嶋村老から引き剥がす。


「待って……」


 叫ぼうとしたのは、サクラであったのだが、その口はリチャード少年によって塞がれる。同時に手を伸ばそうとしたハルヒコは、ほう、と、こころの内で感心するのだ。


(私よりも、早いとは……ふふ、なんと、良く分かって、いるものだな)


 その理由に気付かず、怒りを覚えたサクラは、きっ、と少年を睨むのであるが、稽古場を見る彼の視線が、三人に向けるその瞳が、あまりに優しいものであった為に、再び、成り行きを見守る事に決めたようだ。


「……待って、くださいまし」


 嶋村老が、今日、初めて、その口を開く。むくり、と身体を起こした老剣士は、正座して背筋を伸ばすと、シアン老とアザレに向き直った。


 その、丸々とした身体は、狸の置物のようで、この緊張した場には、少々、そぐわぬものであろうが。振り返る親娘は、その眼の中に、真剣な光を見たのだろう、二人して同様に、地面に正座すると、黙って向かい合うのだ。


「この度は、私の所為で、お二人に、ずいぶんと、ご迷惑をおかけしてしまいました……これは、謝って済むものではありません」


 再び土下座する嶋村老であったのだが、その声音には、明確な意思が込められており、謝罪というよりも、決意表明の様な力強さを感じるだろう。


「これは、私の臆病さが招いた結果……なんとも情けない……ふふ、昨日などは、子供に説教されてしまいました……」


 僅かに、表情を緩めた嶋村老であったのだが、すぐにその頬を引き締めると、アザレに向かい、正面から視線を合わせるのだ。


「アザレさん、最後に一つだけ、言いたい事が、あるのです……聞いて頂けますか? 」


 未だ、涙の止まらぬ彼女であったのだが、元亭主の、真っ直ぐに向けられた瞳には、何か抗い難い力を感じ、ごくり、と一度、唾を飲み込むと、涙を拭い、ゆっくりと頷いた。


 嶋村老は、その、古狸にも似た、愛嬌たっぷりの顔に、これまた、愛嬌たっぷりの笑顔を浮かべると、両手を伸ばし、アザレの、細く、白い手を握り締め。


「私は、貴女を愛しております、こんな、情けない老人で申し訳ないのですが……私と、結婚しては、頂けませぬか」


 言われたアザレは、やはり、理解出来なかったのだろう。ずいぶんと長い時間、ぼんやりと、身じろぎひとつ、しなかったのであるが。


「わたしも……わたじも、おしたいしておりました……ずっと……」


 再び溢れ出た、涙ではあったのだが。


 先程までとは、まるで違う温かさ、であったのだ。




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