うでくらべ 10
「おう、お早う我が友よ、今日もいい朝だな」
既に、日は高く昇りきっていたのだが、ハボックの友人である、ラース グリントには、関係のない事のようである。黒金髪に青い瞳は、二枚目半、といった顔立ちであろうか、人懐こく愛嬌のある笑顔で、男女共からに好かれている人物である。
(こういった、たわいも無い冗談が、私にも、さらり、と出せるようになれば、また、違っていたのだろうか、いや、それも違うな、そのような上辺事、変えたところで、この陰気な性根は変わらないだろう……全く、羨ましい、ニムエという恋人が居ながら、余所の女にも手を付けているのか、まぁ、テンプル騎士は多妻が推奨されてはいるのだがな、優秀な子は、多い方が良いに決まっている……しかし、あの様なものを見せ付けられるとは、私の甲斐性の無さを思い知らされるな)
「いっその事、一度死んで生まれ変わってしまえ、とさえ思うのだ」
「おいよせ、俺を苛むな」
ばしばし、と、肩を叩かれ、ハボックは、ラースと連れ立って歩く。向かう先は稽古場であるのだ。
「ハボックよ、今日は、串刺し王女が来るらしいぞ、ついに、辛島ジュートと会う返事も、聞けるだろう」
「相変わらず、情報通だな……それは、何処から仕入れたものだ? 」
ハボックはラースに、そう聞いた、少々、意地の悪い質問であった。昨日の夜は、ニムエに会って居ない筈なのだ、彼と違い、女に不自由の無い、この友人の、答えに窮し、苦笑いする顔を、見てやろうと思ったのだ。
しかし。
「おぅ、そりゃお前、愛しの天使ちゃんからよ、聞いてくれよ、ニムエのやつ、最近はな、何処で仕入れてきたのか、色々と、試そうとするのよ、俺ぁびっくりよ、昨日なんてな……」
淀みなく続けられる、細々とした痴態の説明は、いかにも生々しく、なまじ相手の顔かたちを知っているだけに、鮮明な映像まで浮かんでしまうのだ。それは、ハボックにとって、非常に迷惑なものであったのだが。
「おい、聞いてんのか? 珍しいな、お前が止めないのは……ははぁ、さては、今日、行くつもりだな? うへへ、何処すんの? 一緒に行こうぜ、そうだ、つる草のドレス亭にしよっか、あすこに、新しくエルフの女が入ったんだってよ、やばくね? 俺っち、エルフはまだ未経験なんよ」
喋り続ける友人の顔を視界に収める事なく、ハボックは考え続けていたのだが。
「いや……そうだな、うむ、お前は、そういった奴だ、一晩に二回も三回も、いやらしく、こなすのだろう……そうだな、そうに違いない」
そう、結論付け、自分を納得させるのだ。
「おぉい、人の事言えんのかよ、お前、女の子に自分が何て呼ばれてるか、知ってるか? 「下鉄騎」だと、俺ぁ、腹抱えてよ、お前の相手したら、次の日まで違和感あるってんだから、ほんと、少し手加減してやれよ」
「……いいえ、手加減は、要らないわ……ね、リリィアドーネ? 」
「私は、何も聞いていない、聞いていないが、手加減はせぬ」
どきり、と肩を跳ねさせたラースは、恐る恐る振り返り、そこに、堕した天使の姿を見たのだった。
「ごめんなさい、もう、悪さはしません……神さま……ニムエさま」
「もう……ほんとに、昨日は変なお店に行ってないんでしょうね? 」
散々に打ち据えられ、ぼろ切れの様に転がるラースと、ため息を吐きながらも、その傷を癒すニムエの横で、ハボックは座り込み、ただ、押し黙っている。流れる汗を拭き取り、じっとり、と湿った手拭いを見つめる姿は、何を考えているものか、他人には想像もつかないのだ。
「ハボック、よいか? 」
なんたる事か、問いかけてくるリリィアドーネにすら、視線を返す事も無い。
訝しむように、彼女は眉根を寄せる。無理からぬ事ではあろう、あれ程に、しつこく催促されていたのだ、こうも無関心なのは、何か、調子が狂うのだ。
「ねこ……んん、辛島殿の事だが、会わせてやらん事もない、だが、知っての通り、彼は、少々特殊な立場であるのだ……決して、他言はせぬように」
約束できるか、との、リリィアドーネの問いに、ようやく、ハボックの視点が定まるのだ。一度、二度、と首を振り、彼は立ち上がる。見つめる彼女からは、しかし、大きな溜め息が零れた。
シファリエル王女に請われ、押し切られる形で、仕方なく、リリィアドーネは承諾したのだが、やはり、乗り気ではない様子である。
(せっかく、堂々と会う理由が出来たというのに……このような話、あの人に、また迷惑をかけてしまう……)
面倒ごとを嫌う御用猫の性格は、リリィアドーネも充分に承知している、このような話を持ちかけて、しわしわ、に、なってしまう男の顔が、彼女には、目に浮かぶようであるのだ。
「私は、いつでも構いません、しかし、可能であれば、立会人抜きで、一対一の真剣勝負をしたいものですが……」
少々興奮してきたようで、ハボックの喋りは、いつもより滑らかである。しかし、輝きばかりは大層なものだが、その、鳶色の眼からは、果たして、彼が何を考えているのか、さっぱり、分からぬのだ。
「ば、馬鹿者! 誰が決闘を認めたか! あくまで会わせるだけだ、テンプル騎士同士で真剣勝負など、そう簡単に許可が下りる訳も無かろう」
リリィアドーネは、再び、大きな溜め息を零す。面倒ごと、どころか、言い方は悪いが、この様な変人を連れて行けば、御用猫が、どんな反応をするのかは、簡単に予想がつくだろう、先ほど思い浮かべた男の顔を、彼女は、更に下方修正する。
(もしかして、きらわれて、しまうのではないか……)
最悪の予想に、彼女は身を震わせる。誠心誠意、後で謝るつもりではあるが、先に、一度会って話をするべきだろう。
結局のところ、なんだかんだと理由を付けて、ただ、会いたいだけなのだが、今のところ彼女は、自身の、その心に気付いた様子は無い。
「……あの、俺っちも、付いて行って、いいですかね? 」
寝そべったままのラースが、よろよろ、と手を挙げる。
「む? 駄目だ、無関係の者は……」
「いや、そいつだけだと心配で……というか、止める奴が居た方が良いと思います、まじで」
「……うん、私も、そう思うよ、リリィアドーネ」
言われてみれば、その通りなのである。今も、何を考えているものか、首を振り、頬を叩いては天井を見上げるハボックに目をやり。
三人は、同時に、ため息を零したのだった。




