同たぬき 10
「ぐぅ……おのれ、そう簡単に、事は運ばぬか」
「でしょうとも、でしょうとも、なのですよ、先程、日頃の行いがどうとか、聞こえた気もするのです、ゴヨウさん、これは、やはり、そうなのでしょうとも! ……あ、いえ、アザレさん、お父様とは、私が必ず引き合わせますので、ご安心くださいね……良いですか、ゴヨウさん、これは、ゴヨウさんの日頃の行いが招いた結果、なのですからね、からね」
歯噛みする御用猫の周囲を、ぐるぐる、と回りながらに、サクラは、その人差し指を、ぴっぴっ、と振り、どこか得意げな表情なのである。
「サクラちゃんは、少しちょっと、意地が悪いよね」
「ほがっ? 」
サクラの後ろを付いて回りつつ、水着少女が、自らの下唇を、ぷるぷる、と弄びながら、そう指摘するのだ。途端に逆回転を始める二人を尻目に、御用猫は、アザレに向かい、軽く頭を下げ、申し訳無さそうに顎を摩る。
「済まない、アザレさん、どうやら、留守のようだ……しまったな、久し振りに会った二人であるし、そのまま、余所の友人に会いに行くことも、充分にあり得る話であった」
「いえ、御用猫さんの所為ではありませんよ、むしろ父は、私を探しに出たのかも知れません、ならば、悪いのは、はぐれてしまった私なのです……でも、居場所が分かっただけで、安心いたしました、言伝だけ残しておけば、明日にでも会えるでしょう」
ううむ、と御用猫は、感心するのだ。なんと、出来た女であろうか、今も彼の周りを走り回る少女とは、大違いなのである。
「仕方ない、果報は寝て待つとするか……サクラもいい加減にしろよ、バターになっても、知らないからな」
少女二人の回転に合わせ、御用猫は身体を捻ると、両人共に、小脇に抱え上げるのだ。腰の細さは、似たようなものであったのだが、やはり、水着少女の方からは、みっちり、とした、肉置きの感触が伝わってくる。
(うん、アザレは、リチャードに任せておくか……仕事でないなら、気を遣う事も無かろうし……クロスルージュに……いや、久し振りに、づるこの……)
「あはは、いゃん、猫ちゃん、くすぐったいよー」
少々、けしからぬ段取りを考えているうちに、手が動いてしまったものか、水着少女が、腹を揉まれて嬌声をあげるのだ。
「おっと悪い、無意識だった……なぁ、リチャード」
「お断りします」
なんたる即答か、この少年、おそらくは、既に彼の脳内を読んでいたのであろう、こうなれば、もう笑うしかない御用猫なのである。少女二人を地面に降ろし、なぜ揉んだのか、そして、なぜ揉まないのか、と、サクラのしつこい追求を受けながらも、マルティエに戻るべく、皆は再び、南町を目指すのだ。
「……でも、クロスロードに父の友人が居ると、聞いてはいたのですが、まさか、あの「電光石火」だとは、思いもよりませんでした」
「それをいうなら、此方こそ、思いもよらなかったよ……なんとまぁ、世間は狭いものだ……しかし、いざ、探すとなると、すれ違ったりも、するのだがな」
くすくす、と笑い合う二人に、何か思うところがあったものか、ぐい、と、サクラが会話に割り込んでくる。
「そういえば、アザレさんは何故、クロスロードにいらしたのですか? やはり、お父様の付き添いですか? 嶋村先生はお年ですが、なんとも矍鑠としていらっしゃいますし、アドルパス様ともゆっくり旧交を深めたいでしょうから、しばらくはのんびりとされたい筈なのです、なので宜しければ……」
「……嶋村、先生? 」
ぴたり、とアザレの足が止まる。
御用猫としては、彼女に旅の理由を、無理に聞くつもりも無かったのである。しかし、この、空気の読めぬ少女が聞いてしまったのであれば、仕方がないであろうか、などと、内心、頷きもしていたのだが。
(む、この反応、なんだ? )
見た目には、色香を纏いつつも、少々陰気な彼女であるのだが、普段は、まことに饒舌で、良く笑う女であるのだ。そう、知ってしまえば、中々に愛嬌のある女性とも、思えてくるだろう。
しかし、今の彼女は、何か、幽霊が襖をすり抜け現れたかのように、すっ、と、サクラに顔を近付け、その顔を凝視しているのだ。勝気な少女も、その、異様な圧力に、一歩二歩、と後退りをする。
「サクラさん、いま、なんと……」
空気の抜けるような、細い、しかし、古井戸から漏れ出るように、深い声。
「え、あ、あの、アザレさん? 」
「……なんだ貴様は! 俺を誰だと思っている! 」
気圧される少女を救ったのは、何やら、聞き覚えのある声であり、そちらに目を向けた彼らの目が捉えたのは、やはり、予想通りの人物であった。
ただ、皆の予想と違っていたのは。
「……お父様! 」
声を漏らしたアザレの視線の先に居た、固太りの老剣士。白髪の目立つ黒金髪に、日焼けした黒い肌、筋肉質な身体は、今も鍛え続けている証左であろうか。
確かに、狸に良く似た丸顔ではあるのだが。
その老剣士が、嶋村老とは、似ても似つかぬ男である事、なのであった。




