同たぬき 9
「いやぁ、しかし、今回は楽な仕事であったな……いつもこうなら、もう少し働く気にも、なるのだがなぁ」
アドルパス邸に向かう御用猫は、まことに上機嫌であったのだ。しかし、正確に言えば、今回の、それ、は仕事とは呼べぬであろうか。
案内するだけで金は取れぬと、御用猫は、アザレからの謝礼を断っていた。もちろん、彼女の方は、それでは済まぬと首を振り、結局、昼食の代金を支払う形で、話を収めていたのだ。
「いえ、これも、御用猫さんの、日頃の行いでしょう、その賜物なのです、私の夫も、常日頃から……そう言っ、て……」
そこまで口にして、彼女は視線を落とすと、少しだけ歩みを緩めて、なんとも艶のある息を吐き出した。見た目だけは、幸薄そうなアザレであったのだが、意外にも、口数は多い。
その女が、今はこうして、おし黙り、辛そうな表情を見せている。死別か、それとも生き別れか、夫に関しての、止む事なき事情があるのだろう。
「……まぁ、これも何かの縁だろう、困り事ならば、力になるぞ? もちろん、こちらは、別料金だがな」
何でも無さそうに、そう告げた御用猫であったのだが、これは、何かを察したものであろうか。しかし、次の瞬間には、その尻が、すぱん、と景気の良い音を鳴らすのだ。
「また、ゴヨウさんは! いつもいつも、お金の話ばかりして、困っている人が居るなら、助けてあげるのは当然でしょう」
「何だと、ふざけるな、こっちは生活がかかってんだよ、お貴族様とは違うのだ、というか、お前の食った分は俺が払ってるんだぞ? 返せよ、吐き出せ、どうせ、育たないのだからな」
「何ですか、どこの事ですか、そもそも、いつも格好つけて、私が払おうとしても止めるくせに! 」
器用にも、歩きながら掴み合いを始めた二人に、アザレは苦笑を漏らすのだ。
「何だか、楽しそうですね、皆さんは、いつも、ああ、なのですか? 」
「ふふ、そうですね、基本的には……ですがアザレさん、困り事があるならば、若先生にお任せすれば、間違い無いのは本当なのです……差し出がましいようですが、貴女の悩みは、お父上とはぐれた事では無いのでしょう? このクロスロードは、思うよりも広く、深いのです、何をするにも、二人だけでは、手が足りぬかと」
「そそ、アザレちゃん、お任せお任せ、だよ、きぃも手伝うし、何でも言ってよーぅ」
ぴょこぴょこ、と、せわしなく動き回りながら、水着少女も言葉を繋ぐのだ。しかし、何とも落ち着きなく、物珍しそうに周囲を見回す彼女には、そういった期待は、かけられそうにも無いのである。
「きぃさん! あまり跳ね回らないで下さい! 何がとは言いたくありませんが、色々と、はれんちです! せめて前を閉めなさい! 」
御用猫の袖を引きながら、ぐりっ、と顔を向けたサクラは、水着少女に、本日五度目の注意をするのだ。先程から、すれ違う男達は皆、彼女に視線を奪われている様子であり、余所見をしたせいで、何かにぶつかった者も、一人や二人では無いのだ。多少の嫉妬や、やっかみを差し引いたとて、サクラの小言も、仕方のない事だとは、言えるであろうか。
「うーん、でも、動きにくいし、暑いし、投げにくいしぃ、それに……」
ととっ、と彼女は前に進み出ると、御用猫の空いた腕を取り、自らの胸に挟み込む。
「こうするとね、猫ちゃんが喜ぶからって、おーちゃんが言ってたの」
むふーっ、と、口角を上げ、水着少女は御用猫を見上げるのだ。着替えるのも億劫であった為、上物の夏服を着たままの彼である。
薄手の生地を通して伝わる少女の柔らかさは、はち切れんばかりの弾力であり、それ、が未だ成長中である事を、彼に教えているのだ。
「うん、喜んだ……奴もたまには、良い事言うなぁ」
「鼻の下を、伸ばしてんじゃ、ありません! 何ですか、そんなに好きですか、分かりました、えぇ、分かりましたとも! そんなもの簡単です! やろうと思えば、私にだって出来るのですからね! 」
すぱん、と再び男の尻を鳴らしつつも、そこは、負けず嫌いなサクラである。今まで引いていた御用猫の腕を抱き締め、何やら乱暴に、自らの薄い胸に押し付けていたのだが。
勢いでの事とはいえ、普段の彼女からは、到底考えられぬ、はしたない行為なのである。後で我に返れば、赤面してのたうち回るに違いないのだ。
なので、これは、彼女の為である。
(……そっとしておいてやろう)
下手につつけば、彼女の心に傷を残すであろうと、御用猫は無視を決め込んだのだ。これは、まごう事なき親切心からの行動であり、彼なりの優しさであったのだ。
がぶり。
しかし、それが相手に伝わるかどうかは、また、別の話ではあるだろう。サクラの本気の噛み付きに、御用猫は悲鳴を上げる。
「……間違い、は、無い……の、ですよね? 」
アザレの言葉には、不安の色が、多分に含まれていたであろうか。
「……はい、いいえ……いや、はい……おそらくは……きっと」
答えるリチャード少年の言葉には、不安の色こそ、含まれていないのだが。
頬にやる手だけでは抑えきれぬ、羞恥の念が、その言葉を揺らがせていたのであった。




