同たぬき 8
「なぁーん、居た居たぁー! みっけみっけ」
人混みの中ですら、良く通る高い声。しかし、ここは大都市クロスロードである、時折あがる誰かの叫びに、いちいち反応していては、歩く事も儘ならぬであろう。
なので、普段ならば気にも留めぬ、その声であったのだが。
「猫ちゃーん、まってまって、こっちこっち、ちょっとちょっと! 」
猫、などと言う名前は、流石のクロスロードでも、そうは聞かないであろう。御用猫達三人は、道脇に移動して足を止めると、その声の発生源を探すべく、首を巡らせたのであるが。
「ほがぁっ!?」
来年には成人となるサクラであったのだが、その驚声は、少々、はしたなくもあり、その表情は、少々、子供じみた、ものであったのだ。しかし、今回に限っては、彼女を揶揄うわけにもいかぬであろう、何故ならば、隣に立つリチャードすらも、駆け寄る人物を目にした途端に、その目を丸く見開いたのであるから。
「もはぁー、やっと見つけたよー、もうもうー、顔に傷が無いから、わっかんなかったよー……あれ、アザレちゃん? おや? あ、いた、ちょっと待って……おーい、こっちこっち、はやくはやくー! 」
ぴょこぴょこ、と小さく飛び跳ねるのは、十五、六歳程であろうか、まだ年若い少女であった。緩く波打つ少し濃い目の金髪は、後頭部の辺りで縛られ、彼女の動きに合わせて、上下に揺れている。
「ほう」
しかし、揺れていたのは、馬尾の如き髪の毛だけではないのだ。顎に手をやる御用猫が、感心した様に見つめているのは、前を開いた赤い半袖のジャケットの下にて、たわわに実る、ふたつの果実。
「な、な、なななな」
昔のみつばちや、ティーナとて、露出の多い格好をしていた事はあるのだが、彼女が着ていたのは、まさしく水着そのものであり、しかも、乳房だけを覆い隠す程度の、例え、開放的なオラン女性と言えども、人目にさらすのには、少々勇気が必要であろう代物だったのだ。
「あー、猫ちゃん? このね、お姉さんね、迷子になったみたいでさー、探すの、手伝ってあげようよ、きぃは、そういうの苦手でさー」
「何でもかんでも、拾ってくるんじゃありません、ちゃんと面倒みるって、約束したでしょう? 」
「あああ……はわわわわ……」
子供でも叱るように、御用猫は水着少女を諭すのだが、言われた彼女は、口を尖らせ、彼の身体にしがみ付くのだ。下半身の方も、布の面積は非常に少なく、腰履きにしたホットパンツの上からは、水着の紐が、見えてしまっている。
「えー! やだやだ、お願いお願い、今度だけ、だって、かわいそうだもん、ねぇねぇ、ねえったらー」
「……はぁ、仕方のない奴め、ここまで連れて来たのに、追い返すのは、流石に心が痛むからな……しかし、本当に今回だけだぞ? 」
「やった! ありがと、猫ちゃん、大好きだよ! 」
「ふ、ふ、ふぅっ! 」
付け根から晒した脚を、御用猫に絡み付けると、水着少女は、にっぱり、と口を開いて笑顔を見せる。これ程に肌を見せているのだが、全体的な印象としては、色気よりも、溌剌とした快活さの方が強く感じるだろうか。
(あぁ、なるほど、ひまわりの花か)
彼女を例えるに、最適な答えを見つけ、御用猫は満足気に頷くのであったが。
「ふんがぁーっ!!」
遂に理性を無くしたサクラに飛び掛かられ、御用猫は、大通りに押し倒されたのであった。
「あの、何か、その、申し訳ありません……」
昼食どきを過ぎたマルティエにて、顔中に痣と歯型を付けた御用猫、その対面に座るのは、長い黒金髪の女性であった。彼女の表情は、最初から何か沈んだものであり、隣に座る水着少女とは、なんとも対照的である。
「あぁ、良い良い、そうかしこまるなよ、こんなものは、何時もの事さ……日常の茶飯どきだ」
猪口を傾ける御用猫は、冗談交じりに片手を振るのだが、彼の爪先は、未だに、隣に座るサクラの踵にて、ぐりぐり、と踏みにじられたまま、なのである。
反対側にも、似たような感触はあったのだが、まさかに、リチャード少年の仕業ではあるまいと、彼は思考を逃避させる。
「いえ、ですが、私が父とはぐれてしまったばかりに、皆様にご迷惑を……ラゾニアの田舎者とはいえ、お恥ずかしい限りなのです」
「ねぇねぇアザレちゃん、ラゾニアって、どこどこ? 」
「知らないのかよ、そのくらい聞いてから連れて来いよ……西方都市のひとつだよ、結構大きい方だな」
「へー、それで、西方都市って、どこ? 」
「……クロスロードのむこう、ずっと西の国ですよ」
その場の全員が、かくり、と肩を落とす中、アザレと呼ばれた女性が、苦笑まじりに、少女に答えを返す。三十路を少し越えた程であろうか、この女は、少々影のある面つきではあったのだが、それは色香に変換できるものであるのか、店内に残る男性客は、彼女と水着少女に、等分の視線を走らせていたのだ。
「……知らないと言えば! ゴヨウさん! 誰ですか! 誰なのですか! この……あぁもう! 卑猥です! はれんちだとかで言い表せません! 誰なのですか、この裸の女性は! いえ、分かってはいるのです、どうせ、いかがわしいお店の女の人なのでしょうね! いやらしい、あぁいやらしい! はしたない! 」
「えぇ、違うよ、きぃ、えっちくないよ、健全だし、動きやすいし、動きやすいもの」
「いたた、よせ、すっぽんの類か! ……こいつは、きぃちゃんだそうだ」
御用猫の服を避け、手首の辺りに齧り付くサクラは、些かの手心も加えた様子は無い。額を押して引き剥がしたものの、かちかち、と歯を鳴らし、再び喰らいつく隙を伺っている。
「だそうだ、とは何ですか、名前も知らずに遊んでいたのですか、最低です! あぁ、そうですか、胸だけが目当てですか、最低の最低ですね! 」
「いや、だって初対面だし」
「そうだよー、猫ちゃんには、さっきのさっき、会ったばっかだよ」
んん、と眉根を寄せると、サクラはしばし、動きを止める。腕を組んで首を傾げ、何事か考えている様子であるのだ。
「……ちょっと、何言ってるのか、分かりません」
「まぁ、それは置いとこう……悪いな、アザレさん、だっけ? とりあえず、話を進めとこうか、親父さんとはぐれてしまったんだっけ? クロスロードは慣れないと歩き難いだろうからな、俺もそうだったし、良く分かるよ……まぁ、多少の金は頂くが、相場だから安心してくれ、見つかるまでは、ここの二階に泊まると良いから」
固まったままのサクラを放置し、御用猫は、先に段取りを付ける事にした。水着少女の正体には、おおよその心当たりもあるのだ、今はアザレの方を先に片付けてしまわねば、クロスロードには変人しかいないのだと、国に戻ってから喧伝されかねないだろう。
「何から何まで、お世話になります、もちろん、お礼はさせて頂きますので、お言葉に甘えて、しばらくご厄介に……ああ、そうだ、失礼しました、私ったら、まだ、名乗りもせずに……」
地味な旅姿の女は、ほぅ、と溜め息をひとつ。口元に当てた白い指先は、彼女の色気を引き立たせるように、艶めかしい動きを見せ、男性客からも、ほぅ、と溜め息を零させる。
「嶋村アザレと申します、どうか、宜しくお願い致します」
ゆるり、と軽く頭を下げた女性は、初めて、その顔に僅かな笑みを浮かべたのだが。
対面に座る三人が、えっ、と声を漏らしたのを見とめると、不思議そうに、小首を傾げるのであった。




