同たぬき 7
嶋村ナリアキラ、という老人は、結論から言えば、化け物であった。
「違います」
ばしん、と竹刀で小手を叩かれ、リチャードが木剣を取り落す。その隙に背後から襲い掛かったサクラであったのだが、くるり、と身を躱され、フィオーレにぶつかりそうになった所を、狸のような短い足に背なを蹴られて、派手に転倒するのだ。
「これも違う……あなた達は、基礎は出来ているのです、あと、何が違うのかは、自身で考えなさいよ、こうだ、と教えられた様な剣など、実戦では通用しないのです、違う! 」
少々姑息にも、説教中に低く飛び付いて、古狸の足を狙ったリチャード少年であったのだが、その一撃は、容易く回避されてしまうのだ。しかし、その攻撃は囮であったのか、彼は倒れる振りをしながらも、転げ回る勢いを利用し、もう一度、水面蹴りを放つ。
「違います、違いますが、悪くはありませんね……しかし、これは、一対一ではありませんよ、もっと状況を考えて、最適な行動を取れるように、考えなさいな」
あの贅肉で、どうしてこれ程に軽やかなのか。ひらり、ひらり、と舞う様に、老剣士は三人の若者を指導していたのだ。
「とうっ」
その掛け声は、何とも力の抜けたものであったのだが。嶋村老の一撃は、竹刀といえども、身体の芯に響くような重さである。
脳天に飯綱を落とされたリチャード少年は、目が眩んだところに、喉の下を突かれて、遂に崩れ落ちたのだ。
「嶋村さま、ご指導、ありがとう御座いました」
地面に正座する三人は、揃って深々と頭を下げる。やはり、加減はされていたものか、三人ともに、目立った怪我はない。
もしもこれが、田ノ上老相手であるならば、今頃は足腰も立たぬ程に叩きのめされていたであろう。真の強さは死の淵でこそ手に入ると、苛烈な稽古を行い、悪鬼羅刹と弟子達に恐れられた「石火」のヒョーエとは違い、どうやら嶋村老は、理知的な剣を目指していたようだ。
「いやいや、ふう、私も、久し振りに身体を動かしまして、すっきり、とした心持ちでありますよ、数年前ならば、もう少し、上手く教えてあげられたのですがねぇ」
「いいえ! とんでもない! 嶋村先生との稽古は、すごく、勉強になりました! 一手一手、考えさせられるばかりなのです、私は、今まで、感覚で剣を振っていたのだと、それ程に雑な剣であったと、気付きました、昨日は、なにか、たぬきみたいなお爺ちゃんだと、侮っていましたので、ごめんなさい、でも、感激です! 」
なにやら、褒めているのかどうなのか、微妙に失礼なサクラの発言にも、嶋村老は腹を立てた様子も無く。ただ、その和かな狸顔に、びっしょり、と張り付いた汗を拭き拭き、笑顔を浮かべるばかりなのである。
「ふん、だらしのない奴め、その様子では、ちょいと一本、という訳にもいかんだろうな……おい、辛島よ、仕方が無いから、お前が行け」
「何でそうなる」
中庭の端で、ゆっこに型を教えていた御用猫は、露骨に嫌そうな顔を見せるのだ。
「こいつの腹を絞る為だ、この三人では、準備運動にもならんであろう? お前が行け、ついでに、その、野良猫じみた汚い剣も矯正してもらうがいい」
「い、や、ど、す」
ゆっこを胸に抱え上げ、全身を左右に振ると、少女は手足を伸ばして、きゃいきゃい、と遠心力を楽しんでいた。
「あはは、アドルパス、今日は、もう、勘弁してくださいよ、久し振りの運動だと言うのは、嘘では無いのですからね……それに、ゴヨウさんの剣は、とても良い……素振りを見れば分かりますよ、何とも、格、のある剣ではないですか、素晴らしく練り上げられています、いや、実によい……まるで、在りし日の、我が師の剣を、見ているようなのですからね」
「ええっ、嶋村先生も、野良猫に剣技を教わったので……いたた、ちょっと、やめてください、ゴヨウさん! 引っ張らないで! 」
サクラの髪を吊り上げる御用猫に、皆が笑顔を見せる。どうやら、稽古は此処までとなりそうであった。
皆は一度汗を流し、客間に集合していた。アルタソマイダスとリリィアドーネは、既に登城している、アドルパスの方は非番を取り、今から嶋村老を自宅に案内するそうだ。
「フィオーレは昼から仕事だっけ……なら、今日はどうするかなぁ、とりあえず、マルティエで何か食おうか」
「脇差しは? どうするのですか、ゴヨウさんが雑に扱うから、随分と傷んでいるのでしょう? 研ぎに出すのではないのですか? 」
少女の言葉に、フィオーレが、ぴくり、と肩を動かした。しかし、これは、女同士の、牽制や妨害の類いではないだろう。サクラという真っ直ぐな少女には、その様な邪念など存在しないのだから。
「それは、フィオーレが非番の時に行きますよ、慌てる事もありませんしね、それに、彼女からの紹介が無ければ、僕一人では、相手にもされないでしょうから……ね? 」
リチャード少年は、行水したての濡れた髪を光らせ、にっこりと、フィオーレに笑いかけた。しかし、それを向けられた彼女の方は、サクラの手前、にやける事も出来ずに、引きつった赤い笑顔を返すしかないのである。
御用猫は、生温かく、そのやり取りを見つめていたのだ。彼自身は、もう見馴れてしまったとはいえ、なんと、絵になる美少年ではあるだろうか、花吹団では、未だに、彼の復帰を望む声もあるというのだが、それも、納得のゆく話であろう。
皆に別れを告げ、三人はマルティエを目指す事にした、しかし、先頭を歩くサクラといえば、少々不機嫌な様子である。口を尖らせ、ぶつぶつ、と男達のだらし無さについて、文句を言っていたのだが、ふと、御用猫の方に目を向け、そのくちばしから、思い出したかのように不平を零し始める。
「……よくよく考えてみれば、リチャードだけに脇差しをあげるのは、不公平です、なんでですか、ずるいです、私にもください」
「なんだいきなり、卑しい奴め、サクラには首飾りと、それに簪も、やっただろう……そういや、昨日着けてたな、似合ってたぞ」
「っ! 何で、その日に言わないのですか! おかしいでしょう! 目の前で、あれ程、主張したのに! 何も言わないから! 寂しい思いを、したのですよ! 」
ばしばし、と肩を叩く少女の、その、余りの力強さに、御用猫は顔を顰める。
「あたた、やめろ、可愛いって言ってるだろう」
「これは利息分です! 」
何やら、良く分からない理屈ではあったのだが、いくらか気を良くした少女は、ふんこふんこ、と鼻を鳴らしながらも、足取りを軽くしていたのだ。
(相変わらず、簡単な女だ)
御用猫は、もう何度目かも覚えていない、サクラの将来に対する不安を覚えた。彼女の母親には、男を見る目はあるのだと、そう伝えていたのだが、これは、発言を撤回せねばなるまいか、などと考える。
「まぁ、しかし、本当ならば、成人祝いに、親父の「へしきり丸」を譲るとかいう話だったのだがな」
「……何ですかそれ、聞いてません」
ぐりっ、と首を巡らせ、少女が、再び、口を尖らせるのだ。じっとり、とした視線を向けられた御用猫は、迂闊な発言であったかと、自らを戒める。
「いえ、大先生の道場を継ぎたい、と思っていたのは、その、こうなる前でしたので……身に余るお話ではありましたが、へしきり丸は、これから産まれるティーナさんの子供に、継がせるのが筋でしょう」
「……それは、ええ、そうですね……でも、男の子でしょうか、女の子でしょうか……何だか、わくわくします」
再び笑顔を取り戻したサクラなのである。しかし、なんとも、くるくる、と機嫌のよく変わる女であろうか。御用猫は苦笑するのだが、彼女の、その素直さは、やはり、彼の好む所でもあるのだ。
「まぁ、そんな訳でな、俺が死んだら、この太刀をやろうと思ってな……手付けがわりに、脇差しをな」
「……何ですか! それもずるいです! 私には? 何か無いのですか、何かください」
「チャムかお前は……その刀に、名前付けてやったろう……もう一度、言っとくが、人前で迂闊に抜くんじゃ無いぞ? 念の為」
少し、声を落とすと、珍しくも、御用猫は真面目な表情を見せた。素直に頷くサクラの方も、言い付けは守っているのだろう、肩から下げた打刀に、何か、愛おしそうに指を走らせる。
サクラの、豪奢な造りの愛刀は、小柄な彼女の為に、母方の祖父が買い与えた、小振りな打刀であったのだが、世界樹に傷を付けた際に、少量ではあるが、森の銀を浴びていた。
森の銀で鍍金されたとも言えるであろうか、その刀は、以前よりも軽く、強度も増しているようなのだ。見た目には分からぬが、魔力を感じ取ることに長けた者ならば、違和感を覚えるかも知れない。
御用猫は、チャムパグンに頼んで鞘に呪いをかけさせ、外に魔力が漏れぬように偽装していた。値の付けられぬ程に価値のある、森の銀なのだ、そうだと知られれば、どのような面倒ごとがあるか、知れたものでは無いだろう。
「大丈夫です、この、小桜丸は、滅多な事では抜きません、それに、これを使う程の相手は、中々居ないのです、そこらの破落戸無頼漢、今の私には、素手で充分な相手なのですから」
ふんこふんこ、と、再び鼻を鳴らし、その、多少は膨らみ始めた薄い胸を、反り返るほどに突き出す少女は、御用猫とリチャードに顔を見合わせるには、充分な増長ぶりであったのだ。
「まぁ、良いが……お前、ほんと、調子に乗るなよ? ただでさえ危なっかしいんだからな、前にした約束、ちゃんと覚えてるんだろうな? 」
「当然です、無理はしません、私が居なくなったら、ゴヨウさんなんて、三日で干からびてしまうのですからね、分かっていますとも」
「うわぁ殴りたい」
何でですか、と彼の肩を、ぺちぺち、と叩きながらも、充分に納得したものか、彼女の機嫌は、すっかりと、良くなっていたのだ。
三人は、笑いながらマルティエを目指して歩き続けるのであったが、しかし、あと数歩も行かぬ内に、再びサクラが噴火する事になろうとは。
全くに、今の御用猫には、知る由もなかったのである。




