8-5 暗殺者の戦い
吊り橋を見たとき、渡るなら全員が渡りきった後だと直感が告げた。荷物と一緒に渡るなんて絶対いやだし、いざというときサウザランド側へ逃げられる位置にいたかったからだ。
幸いにしてリーダーであるディオンの提案によって俺の要望は満たされた。あいかわらず不気味なキースと一緒だが、それぐらいはまぁ許容範囲と言えよう。何が目的にしてもこちらと関わるようなことはあるまい。触らぬ神に祟りなし、というやつだ。
そして荷物はユックリと吊り橋を渡っていった。下手にそっちを注意していて巻き込まれるのはごめんだ。何も見ていないとばかりに後方警戒を続けたる
そして案の定というか、聞こえて来た悲鳴と怒号。ある意味予想通りとは言えそれに巻き込まれなくて良かったという安堵もあった。
振り返った俺の目に見えたのは宙を舞う荷馬車。それは岸の反対側へと飛んでいった。常識外れの状況だが、コッチに来なくて良かったとだけ思っておこう。
そして意外な事に、キースがロープを使って下にいる誰かを引き上げている。無駄のなく素早い対応。見た目と違って実はコイツいい奴なのでは? なんて思ってもみた。
最初に引き上げられたのはリーブ。大きなキズはないが、あちこち打ち身があるだろうし、肩で息をしていた。リリーが抱きかかえるようにして介抱しているので、俺は水筒を取り出すと彼に手渡しす。
しかし驚いたことにそれを受け取ったのはクーナだった。彼女自身もその事に驚いている。受け取った水筒が傾き中身がこぼれているがそれすら気がついていない。
そのクーナが岸の方に視線を向けた。そっちにはキースがいる。俺もそっちを見ようと思ったが、得体の知れない何かを感じて向くことが出来なかった。そして次の瞬間辺りが闇に閉ざされる。
俺は何かを考えるより速く身を伏せた。強い殺気が周囲に溢れていて、それだけで殺されそうだ。とにかくここから逃げ出したかったが、下手に動いたら殺される気がしてジリジリとしか動けなかった。
何かが背中の上を通り過ぎた。触れるだけでやばい何か。伏せていて良かった。
「バカな。おまえじゃ無い!」
これはキースの声か? どこか焦っているように思えた。と言うことはまだ終わっていないって事だ。どうする? ここはジッとしている方がいいのか。
俺は必死に頭を働かせた。選択を間違ったら俺は死ぬことになる。
そうか判った。キース、あいつは暗殺者だ。金で雇われた殺し屋。そして狙いはクーナ。暗殺者は目標を殺すためになら自分の命も惜しまないという。さらにその姿を見た者は誰もいない。なぜなら姿を見た者を全て抹殺するから。そして俺はキースの姿を見てしまっている。
やばい、このままでは俺も殺される。ここに残っていたらダメだ。クーナに気を取られている内にここから逃げるんだ。
俺は僅かの時間でここまでのことを把握し、今後のことを決心した。つもりだった。
「この技。あなたは…、わたしの…、お母さんを…、殺した」
この一言が俺の決心を台無しにした。
声のトーンが変わっているし、震えるように絞り出したその声は、いつものあの暖かさが微塵も無かった。だが俺がその声を聞き間違えるはずもない。紛れもなくリリーの声だった。
俺はリリーを捨てて逃げることなんて出来ない。さっき必死になって考えていたとき、リリーのことが頭から抜けていたことが嘘のようだ。
キースはリリーの一言で、目標をリリーに変えた。二人の強い意思を表すかのように強い突風が吹き付ける。普通ならよろける程の強い風だったが、俺は地べたに這いつくばっていたので問題ない。
この強い風で闇の殆どがなくなっていた。これはありがたい。あの闇の中では俺に出来ることは殆ど無かった。しかしこれなら何か出来ることがあるはずだ。
キースは暗殺者。リリーが叶う相手ではない。どんな理由があっても戦ったら一瞬で殺されてしまう。だがここには俺もいるし、確認はしていないが、リーブやクーナだっている。全員で掛かれば勝機が見えるはず。しかし情けないことにさっきまでの恐怖で体が震えているせいか、俺は立ち上がることさえ困難な状態だった。
そんな俺が見たのは、俺の考えていた事と全く違う情景だった。
怒りでどこかのネジが飛んだのか、リリーの速度は俺の知っているそれを遙かに超えていた。暗殺者であるキースと比べて何ら遜色がない。
それと同時に気がつく。リリーの動きは速いけれど、いつもの戦い方と同じであると。さらにその動きとキースの動きは酷似していた。
そこに一つの仮説がたった。だがまだ確証がない。
キースに蹴っ飛ばされたリリーがコッチにふっ飛んで来た。咄嗟に体全体で受け止める。リリーは迷わず立ち上がりそのままキースに突撃していった。
リリーの肩越しにキースの顔が見えた。さっきの攻防で被っていたフードが切れたのだ。その顔を見て、俺は仮説の確証を得た。
だとしたらこの戦いを止めなくてはならない。急げ、急ぐんだ。
俺は必死の思いで立ち上がり、リリーを追いかける。トップスピードのリリーの速度はは追いつくどころかあっという間に離されてしまう。
その後の一瞬にどれだけの攻防があったのか。二人はお互いにはじけ飛んだ。そしてキースの胸にナイフが一本刺さっているのが見えた。
倒れるのを耐えたリリーは小剣を両手にもちかえて振り上げる。とどめを刺すつもりなのだろう。俺はやっとリリーに追いつき、そのままの勢いで後ろから抱きかかえる。そして彼女の動きを止めることが出来た。
「やめろ。それをやっちゃあいけない」
「離して、この人はわたしのお母さんを殺した人なの」
リリーはまだ判っていない。自分が何をしているのかを。だから俺は叫んだ。
「落ち着くんだ。とにかく落ち着いて俺の言うことを聞いてくれ」
「だめよ。わたしはお母さんの敵をとるんだ」
「いいから聞けっ! こいつはたぶんおまえの父親だ」
リリーが俺の言葉に反応した。全身から噴き出していた殺気が収まっていく。俺は声のトーンを落としてリリーに囁いた。
「あいつをよく見てみろ。何か感じないか?」
「でも、なんで?」
リリーに合わせるようにキースの殺気も無くなっていた。正確なところは判らないが、キースは戦いの最中でそのことに気がついたんだろう。そして最後の一瞬で剣先が鈍った。そしてその一瞬が勝負を決めたのだ。
なんだかんだ言ってリリーは戦闘の素人。瞬間的に凄い動きをしたとしても戦闘のプロには勝てない。リリーが勝てたこと。それが全てだ。
リリーが胸のペンダントを確認している。あれは俺も一度見せてもらったことがある。ちょっとした仕掛けがあってそれをいじると二つに割れて中に描いてある絵が見られるようになる。リリーに見せてもらったとき俺がその事に気づき、仕掛けを作動させた。もちろん中身も確認してある。
キースの顔はその絵と似ているし、何よりリリーと似ている。親子なのだから当然だろう。そして幸か不幸か、リリーは父親の才能を受け継いでいたと言うことか。
二人は短い間だがシッカリと抱き合っていた。
「……お父さん……」
その言葉を最後にキースの腕がだらりと落ちる。ナイフの一撃が致命的だったのだろう。なんとか助けたかったが間に合わなかったのだ。
俺はリリーに何も言えなかった。
全てが終わったことを悟ったのか、遙か下方を流れる川の音だけが静かに流れていた。