5-2 思い出の中
今日もさわやかな朝がやってきた。
庭師の息子である僕は、父の後を追って大きな庭を歩く。贅を凝らした数々の調度品、地方にしか無いような珍しい花や木々。
ここは大貴族のお屋敷。僕たち家族はお屋敷の庭師として雇われていた。王都にもお屋敷を構えているらしいが、仕事の都合か旦那様はこちらで過ごすことが多かった。
僕は庭師の息子だし、貴族の難しい話には興味が無かった。ただ、時折旦那様の元を尋ねてくる冒険者の方々とはよくおしゃべりをした。彼らが引き連れてくる馬の世話を僕が引き受けていたためでもある。
旦那様はとても聡明で優しいお方で、そんな僕のことを見て見ぬ振りをしてくれていた。本来ならお客様である冒険者の方々と話をするなどとんでもないことだからだ。
冒険者の方々は様々な場所へ赴き、困っている人を助けたり、醜悪なモンスターと戦ったりするのだ。僕はそんな強くて優しい冒険者にあこがれていた。
だから、薪割りをやったり、庭を走ったりして体を鍛えてみた。
その日も、いつものように王都から戻ってきた旦那様を迎える。四頭立て馬車のドアが開き、そこから降りてきたのは白い天使だった。
僕にはそれが本当に天使に見えた。黒くつややかな髪がふわりと流れる。白いドレスに赤い靴。大きな瞳をキラキラさせながらニッコリ微笑んでいる。
背後に降り立った旦那様に声をかけ、物珍しそうにキョロキョロと見回している。その視線が僕を見つける。そしてこちらに走ってきた。
「こんにちは。初めましてよろしくね」
僕はどう答えれば良いのか判らなかった。心臓がドキドキして声が出ない。
「お父様が言っていたわ。わたしと同じぐらいの男の子がいるって。貴方がそうなんでしょ。ねぇ、お友達になりましょう」
喉がカラカラで、やっぱり声が出なかった。僕は何も言えず俯くしか無かった。
「リーブくんは、困っているようだよ。一応我々は雇い主になるのだからね」
「そんなの知らないわ。ねぇ、お父様なんて気にしなくていいからお屋敷を案内してよ」
彼女は僕の手を取ると、屋敷に向かって賭けだした。手を引かれるまま、僕も一緒に走り出す。視線をあげて顔を見ると、そこには満面の笑顔があった。
その後どこをどのように案内したかは覚えていない。屋敷の中だけで無く庭の隅々まで彼女が納得するまで延々と案内を続けていった。
次の日から朝の日課に鏡を見て服装を整えると言う作業が加わる。パパッと整える従来のやり方では無い。小さな汚れや乱れが無いよう隅々まで点検するのだ。もちろんそれは彼女がいるときだけだった。
それから彼女は毎年夏になるとお屋敷に来るようになった。それ以外にも王都での生活に支障が無い程度にたびたび現れる。彼女はどんなことにも興味を持ち、さらにあらゆる事に才能を示した。木登りも、駆けっこも、馬術も、そしてケンカも。最初は見よう見まねでそれを始めるのだが、すぐに僕よりも上手くなってしまう。
本当の天才というのは誰かに教わるなんてしない。体が勝手にそれをこなしてしまう物だと僕は知ることとなった。けれど悔しいとは思わない。むしろそれが嬉しかった。さらに彼女が退屈しないよう、置いて行かれるようなことが無いように自身の能力向上を続けることとなる。
気が強くて自由だけど優しい。よくあるイジメとかを見つけると迷わず走って行って手を出す。怪我をしてほしくないから僕は止めに入るのだけど、それを聞いてくれることなんて無い。
そこら辺の大人にだって負けないぐらいケンカも強くなっていたから、まぁ勝つのだけど、服は破けて顔は泥だらけ。間に入った僕もそれは一緒だ。
その後はメイド長に思いっきり怒られる。もちろん僕も一緒。でも彼女は決して謝ったりしない。罰として夕飯抜きになったなんて何度もある。
そういう時は、決まって庭の端にある木に登ってふてくされてる。みんなから危険だから登らないでと何度も注意しているけど、彼女は聞く気が無い。見晴らしが良くて、時折吹いてくる風が心地よい、そこは彼女のお気に入りの場所だった。
「わたし悪いことなんかしていないもん」
「旦那様もメイド長も、貴方が危ないことをして怪我をしないか心配しているんです」
「でも悪くないもん」
僕は木を登って、彼女の横に座る。隠し持っていたパンをそっと差し出した。
「ありがと」
そう言って彼女はそれを受け取る。そうとうお腹が空いていたのだろう。あっという間にそれは無くなった。
「僕も一緒に謝ります。だから戻りましょう」
「あなた、わたしが食べ物に釣られると思っているでしょ」
「……」
「まぁ、いいわ。ここは釣られてあげます」
そう言うと彼女は笑った。
僕は思う。さっきまでの顔よりも、今の笑顔が何倍もすてきだ。これからもずっとこの笑顔を見ていたい。そう思った。