花々の行方3
帰りの電車がくるまで30分ほど時間があるようだった。
僕は駅のホームのベンチに腰を下ろした。視線の先では、あの白い花が揺れていた。ふと、風が凪ぎ、花が静止した瞬間、目の前に缶コーヒーが差し出された。見上げると、そこにいたのは幼馴染の結花だった。
「お疲れ様」と彼女は言った。
異様に白い彼女の肌とか真っ黒なストレートな髪はこの寒空に相応しい気がした。
「寒いね、ここは。もうちょっと北に行けば、青森だもんね。あんたも、よくこんな場所まで来たね」
「気がつかなかったな。あとを付けられてたなんて」
僕は受け取ったコーヒーを手で転がす。まだ、暖かい。
「心配だったから。また、よからぬことに顔つっこんで。断れないの?」
怒ったように言った彼女は、不機嫌な顔で僕の隣に座った。
また、吹き始めた風がさらうようにまたいくつかの白い花びらを舞わせる。それは雪のようにきれいだったけど、雪のよりも儚く思えた。僕と結花は、その行方を見守った。
「あれでよかったのかな」
ポツリと結花が呟いた。
「うん?」
「大樹君の家、本当はなかったでしょう」
「いいんじゃないかな」
僕はコーヒーを飲んでそう答えた。
「あれは、彼が自分の記憶から彼が作り出したものだよ。彼自身の強すぎる無意識の望みが顕現したんだ。だから、あれでよかったんだよ」
「でもさ、わざわざ売り地に連れて行かなくてもよかったんじゃない。お父さんとお母さんが今住んでいる場所に連れて行ったほうがいいと思うけど」
ああ、と僕は頷いた。
「調べたんだよ。大樹くんのこと。そしたら俺、驚いちゃった」
「ん?」
「大樹君が死んだのっていつだと思う?」
「今年の夏に事故にあったんじゃないの」
「八年前」
結花が驚いたように僕を見た。
「八年前の夏に死んだんだ。しかも大樹くんの両親は、離婚してる。母親の方は再婚したらしいけど。会社の先輩って言ったかな。父親のほうは知らないがね」
「だから?」
「うん?」
「両親の新しい家族を見せたくなかった。だから、今の家族の家より、取り壊された家に連れて行ったの?」
それもあるけどな、と僕は言った。結花は首をかしげた。
「大樹くんは帰りたい、って言ったんだ。両親に会いたいとは言わなかった。彼は八年間、自分の記憶の中の大切なものを求め続けていたんだ。それが現実と違うことだって、残念だけど、あるよ」
「それってさ、あんたの優しさ?」
そう言って首をひねった結花は、クスリと笑った。
「それとも単に不器用なの?」
「知らないよ」
僕はコーヒーを飲み干して、離れたごみ箱へ投げてみた。ゆっくりと飛んでいった空き缶は、ゴミ箱のふちにはじかれると花壇ほうまで転がっていった。僕はそれを拾うために立ち上がり、結花はそんな僕を見てクスクスと笑った。
「不器用なあなたに一つだけ忠告させて」
「なんだよ」
缶を捨てて声に振り向く。結花はいつの間にか僕のすぐ後ろに立っていた。僕を見つめるその冷たい視線に驚いていると、とても冷淡な声で彼女は言った。
「もうこんなこと、やめなさいよ」
唐突な言葉に反論しかけたものの、そんな言葉は浮かんでこなかった。
「分かってる」
僕はふてくされたように呟いて、再びベンチに座った。
「私、ずっと聞きたかったの」
結花はうんざりしたように言った。
「あなたを動かしているものは何?正義感?哀れみ?救ったときの優越感?」
「違うよ。そんなんじゃない」
僕はそっぽを向く。
「じゃあ何よ?」
「言ったって分からないよ」
「言わなきゃ分からないよ」
結花は僕の顔を下から覗き込んだ。それは彼女の昔からの癖だった。無垢な表情の中にある澄んだ瞳で見つめられると、僕は押し黙ることも誤魔化すこともできなくなってしまう。
「たとえばさあ。荷物をたくさん背負ってる老人が横断歩道を横切っているとする」と僕は言った。「それを見たら、結花だって助けたくなるだろう。少なくとも、常識的に考えたら、そうするのは正しいことだよな。それとおんなじだよ」
彼女はやっぱり分からないといった顔をした。
「義務感とはちょっと違う。モラルみたいなものなんだ。僕の中じゃ、大樹くんみたいな人を助けるのは常識なんだよ」
「あのさ、わけ分からないよ」
「ああ、なんて言えばいいんだろう」
「言わなくていいよ。きっとあんたは、私じゃ理解できないところにいるのよね。それが少しだけ、悔しいけど」
そうじゃない、と僕は思った。
そうじゃなくて結花の言うとおりに僕は不器用なのだ。もっとうまい方法だってきっとある。それがまだ、僕は知らないだけで。
僕は怖いほど澄み切った空を仰いだ。まだ電車がやってくるまで時間はある。そして、僕の人生にはその何百倍もの時間が。
まだまだ、学ぶことは多い。
ありがとね
僕は不意に、少年の声を聞いた気がした。振り向いた先では、相変わらず名前も知らない白い花が嬉しそうに揺れていた。




