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3−3

「…おい、見たか…?」

 セロットの家への帰り道で、エルゥがロンドにささやいた。その声にはいくらかの動揺

がうかがえる。それはロンドも同じだったが。

「うん…。ベオルさんが叩くって言ってたけど、こういうことだったなんて…」

「だいたい、こんなことで病気が治るなんて聞いたことねーぞ」

「魔法を使ってるふうでもなかったしね」

 一発一発は確かにすぐに怪我に結びつくほどのものではないにしろ、それなりの力で叩

かれているのだ。しかもあの大人数で朝からやられていれば、たいした力じゃなくてもア

ザにもなるだろうし打ち身や内出血、切り傷になるはずだ。あの長衣の下をうかがい知る

ことはできなかったが、こんなことを続けていれば本人の体が持たない。しかしヴィルカ

ルドは常に涼しい顔で、微笑みを崩さず、これを毎日続けているのだ。

 癒しの術で今日できた傷を全て完全に治すことは可能だろう。だが、術で治すというの

は本人の治癒能力を高めて治すということで、体力、気力を消耗するものなのだ。ゆえに、

そう毎日毎日強い術をかけられないという性質がある。だから普通は薬と併用してある程

度時間をかけ、本人の体調などを見ながら治してゆくのだ。

 けれども昨日会ったヴィルカルドは怪我などしているように見えなかったし、弱ってい

るようでもなかった。毎日、体力も消耗せずに受難で受けた傷が完治しているとしか思え

ない。

「一体どうなってんだ…?」

 他に考えられることは、ヴィルカルドがすでに「人間ではない」場合だ。

 例えば、彼がかなり邪気が漏れ出てしまっている境界の歪みに接触し、邪気に取り込ま

れ、邪悪な力に支配されるようになってしまった、もしくはその体に悪魔が取り憑いた、

という場合だ。それならば妙な受難にも説明がつくような気がする。

「でも、邪気は感じられなかったよ?」

 ロンドがその説を否定した。

「…そうなんだよなー、だからおかしいんだよ」

 エルゥもどうにも理解できないが、そこは納得せざるをえない。

 そういう邪悪な存在を二人は敏感に嗅ぎ取ることができる。それは本能のようなもので、

二人の邪気を感じる能力に狂いはない。だが、あの受難者からは邪気を感じなかった。彼

の気配は間違いなく人間だが、どこかおかしい。ならば一体、彼は何者なのだろうか?

 仮に彼に本当にすごい力があって、自分の傷も他人の病気もすぐに治せてしまえるとし

よう。

 そんなことをする理由はなんだ?

 受難者はベオルの言っていたとおり、金だのお礼の品だのは全くもらっていなかった。

普通こういうことをする人間は、高額の金を得ようとしたり、権力を求めたりするはずだ。

しかしヴィルカルドは自分を傷付けさせるだけで、そのどちらも要求していない。ただ、

受難を求められるままにしているだけだ。

 本当に人々を癒すために現れた聖人なのだろうか。本人はそう振る舞い、普通の人間達

はそう思い込んでいるようだが、それにしてはあの薄い微笑の下にはそう言い切れない不

気味な何かが潜んでいるような気がした。

 こんなことは二人にとって初めてだった。不可解さが恐怖にも似た感情を湧き上がらせ

る。それに、おかしいことはこれだけじゃなかった。

「邪気を感じなかったっていえば、この町だよ。普通、こんな大きい町なら必ずあるはず

なのに…」

「ああ、この町はおかしなことばかりだ」

 今日半日町を回って分かったことは、全く境界の歪みがないということだった。人が集

まる所なら、大小の差はあれ、必ず境界の歪みが生じているはずなのだ。なのにこのエラ

ムの町は、小さいものすら見当たらなかった。これだけの人が少しも負の感情を抱かない

はずはない。不自然すぎる。

 エルゥは答を求めるように、杖をぎゅっとにぎった。しかし、杖のはるか遠くの先にい

るはずの父には疑問は届かず、エルゥとロンドは答を見つけることができないのだった。


 セロットの家に帰り着くと、中ではセロットもおかしな体験をしたようだった。父ベオ

ルにそのことを話している。

「信じられなかったけど、本当なのよ!」

 とセロットが力を込めて言っていることろに、双子は帰って来た。

「何が本当なんだ?」

 リビングに入る早々エルゥが尋ねると、ベオルが手を上げて迎えてくれた。

「おう、二人ともお帰り。いやぁな、セロットが今日薬の配達に行っただろ?だけど、薬

は置いて来なかったって言うんだ。その理由が…」

「皆病気が治っちゃったから、薬はいらないって言うの!」

 セロットはエルゥたちに初めて魔法を見た、と言った時と同じくらい興奮している。

「どうして病気が治ったの?」

 今度はロンドが聞いた。

「それがね、受難をしたからなんだって!ぜんそくだったランドくんも、リウマチだった

ミシカおばあさんも、皆受難をしたら次の日にはすっかり健康になったって言ってるのよ。

あたしもまさか、とは思ったんだけど、確かに、皆元気そうだった。寝たきりだったタド

ンさんなんか、しゃきしゃき歩いてたのよ!」

「受難をしたから…」

 ロンドの目がわずかにかげったが、親娘は気付かなかった。

「受難ってのはそこまですごいのかい?ミシカばあさんなんか、何年も治療院に通ってて

もなかなか良くならなかったってのに…」

 ベオルは信じられないようだった。うわさはうわさで、大げさに言っているのだろうと

思っていたのだ。だが、皆そんなウソを言う訳がないし、本人がそう言うのなら、本当に

驚くべきことだが、受難で治ったのだろう。

「病気も怪我も、悩みもなくなる受難かー」

 腕組みをして、しみじみベオルがつぶやいた。

「ねえ、二人は受難をしてみたいと思わないの?」

 突然、ロンドが言った。

「え?」

 ベオルとセロットはきょとんとした顔を向ける。エルゥもロンドの意図を図りかねて少

し眉根を寄せた。

「だってさ、どんな病気も怪我も治っちゃって、悩みもなくなる。お金も払わなくていい

し、難しいことをするわけでもない。周りの誰もがそれをやってるなら、皆やりたくなる

んじゃない?」

「ん〜、でもなあ、俺は別に病気でもなんでもない、いたって健康だし、今のところ悩み

なんかねえしなあ…」

「そうね、あたしたちは今のままで充分幸せだもの。受難なんてする必要ないわ」

 それを聞いてロンドはにっこり笑った。

「そっか、よかった!」

 この二人にあんなおかしい受難をさせたくないというのもあったが、それ以上に、この

親娘はロンドの思ったとおりの人間だったというのがうれしかった。

 一方、エルゥは二人の答に意外さを感じていた。人間はみな、自分の不幸だけを嘆き、

常に欲望を持っているものだと思っていた。しかし、この親娘は違う。今あるものを受け

入れ、それに満足し、それ以上は望まない。それが二人にとっては当然のことなのだ。

 そんな人間もいるなんて。

 双子の様子を見てベオルが首をかしげる。

「?おかしなことを聞くんだな?お、そういえば悩みが一つあったぜ。セロットの婿に誰

か来てくれねえかなあ?どうだい、二人のうちどっちか?」

「ちょっとお父さん!」

 セロットは真っ赤になって父に怒ってみせ、父はガハハと笑うのだった。

 

 

 不可解な不安を抱いたまま翌朝を迎え、今日はセロットが言っていた、中央広場で週始

めの市場が開かれる日だった。

 エルゥとロンドは昨日のあの受難の状況から、今日本当に市場がやっているのかどうか

はなはだ疑わしいと思っていたが、セロットが行きたがったので行ってみることにした。

 店の前の職人通りを行く人はみな同じ方向、つまり中央広場へと向かっていて、セロッ

トはやはり市場がちゃんと開かれているのだと思って、エルゥたちを急かしながら広場へ

たどり着き―――――、愕然とした。ちょうど通りと広場の境で、そこから一歩も進めな

い。

 そこに市場はなく、ただ、人で埋め尽くされていた。

「な、なんだこれは…」

 エルゥはそれだけ言うのがやっとだった。

「昨日よりもすごい人だ…!」

 ロンドも困惑していて、セロットは声も出なかった。

 セロットは広場に向かっている人は市場を目指しているのだと思っていたが、それが間

違いだったのだとようやく悟った。彼らは、受難を目指していたのだ。

 この広場に集まった人達は、噴水の前に座っている男を先頭にして、くねくねと何度も

折れ曲がりながら、店を出す隙間もなくぎっしりと並んでいる。町の至る所から来たのだ

ろうと思われるほどの様々な人がおり、大人、子供、職人や商人、農民、教師、聖職者、

自警団や議員であろうと思われる者もいる。自身の店や仕事をほったらかしてここにいる

ことは明白だ。そうしている間にも続々と人は列を成してゆく。

 誰も今日ここで市場が開かれていないことに疑問を持っていないようで、仕事を放棄し

ていることすら気にしておらず、むしろそれよりも受難をすることの方が大事だと信じて

いるようだった。

 今このエラムの町は確実に町としての機能を失っていた。

 あ、とセロットが列を見て何かに気付いたように声を上げた。

「あそこにいるのタドンさんよ。もう元気になったなら受難なんてしなくていいはずなの

に…」 

 確かにその通りだ。受難は一度受ければ苦しみは癒されるはず。ならもうやる必要はな

いはずなのに、いっこうに人が減らないのは何度も何度も受難をやる人間ばかりだからだ。

「おい、見てみろ、あいつ…!!」

 さらにエルゥは噴水前のヴィルカルドを指した。

「えっ!?」

「きゃっ!」

 ロンドとセロットは同時に驚く。

 ヴィルカルドがすでにぼろぼろだったからだ。服はあちこち破れ血がにじみ、顔は腫れ

上がって真っ赤になっている。破れた服からのぞく手足も傷だらけで、左手はどうやら折

れているようだ。それでも彼は辛そうなそぶりも見せず微笑みを絶やさないでいることが、

かえって不気味だった。

 そしてよく聞いていると、受難を受けに来た者の言っていることがどうもおかしい。昨

日までは「病気で辛いから」とか「悲しいことがあって」とか相談に足る話だったが、今

日は「ツイてない事があった」とか「隣の家の子供がうるさい」とか、わざわざ受難を受

けるまでもないことを言いに来ている。それを受難者は追い返すどころかもっともらしい

顔で聞き入れ、いつものように自分を叩かせるのだが、その物も、昨日はただの棒だった

物が、今日は太くてトゲのついた棍棒になり、力加減も思いっきりやらせているのだ。 

 エスカレートしている。一体ヴィルカルドはどういうつもりなのか。このままでは受難

の人々に殴り殺されてしまうだろう。自らそれをさせているとは。

 普通の精神状態では棍棒で人を殴るなんて、倫理観や生理的嫌悪などが働いて簡単に実

行したりできないはずだ。だが、この受難をしている人達はそんなことは全く意に介さず、

すでに痛々しい姿のヴィルカルドに向かって遠慮なく棍棒を振り下ろし、満足して行く。

 こんな光景は今までに見たことがない。

 とうとうセロットが行動した。

「こんなのひどすぎる!これが受難だなんて…、もう黙ってられない!」

「お、おいセロット…!?」

 止めようとするエルゥを無視して、セロットはヴィルカルドの所に駆け寄り、列の一番

前の者との間に入った。

「大丈夫ですか、ヴィルカルド様!?ああなんてひどい傷!」

 セロットが彼の側にひざまづき、山吹色のスカートのポケットからハンカチを出して彼

の口元からにじんでいる血をふき取る。

「おや、あなたは…?」

 とヴィルカルドは彼女と、彼女の背後に追い付いたエルゥとロンドを見て何かを悟った

ようだったが、それを表には出さずにおだやかに言葉を続けた。

「いいのですよ。人々の痛みを我が身に背負うこと、それが私の使命なのですから」

「でも、こんなのはやりすぎじゃないですか!」

「そんなことはありません。私にはこんな怪我何でもないのです。明日になればたちどこ

ろに治っています。私にはそれだけの力があるのです」

「そんな……!」

 セロットがさらに反論しようとした時、列の方から誰かが言った。

「ちょっと、あんたどきなさいよ!こっちは二時間も待ってるんだからね!?割り込みは許

さないよ!」 

「そうだそうだ!受難者様は怪我なんかすぐ治っちまうんだからいいんだよ!」

「邪魔をするな!」

 一人が言うと、他の者も次々に非難の声を上げ、ヴィルカルドを助けるつもりだったセ

ロットは、並んでいる者達にとっては完全に悪人になっていた。

「ちょっと、みんな、どうして…!?」

 皆の剣幕にセロットはひるみ、うろたえた。皆どうしてしまったんだろう。

「さ、解ったでしょう?」

 ヴィルカルドがセロットに念を押すように笑ってみせると、セロットは恐怖を宿した目

で皆を見ながら立ち上がり、ゆっくりとあとずさる。

 ヴィルカルドはセロットとエルゥ、ロンドを見据えたまま、あくまでもやわらかいもの

ごしで告げた。

「あなたがたも受難をしますか?ただし、順番は守ってもらいますがね」

 セロットはなぜかその微笑みが、ものすごく恐ろしいものに見えた。このままここにい

るのは危険だと、心の奥が警告している気がした。

「い、行こう、エルゥ、ロンド」

 二人の手を取って、早足で元来た道を戻って行くのだった。


「もうここまで来れば大丈夫だよ」

 ロンドの提案で、ようやくセロットは速度を落とし、二人の手を離した。

 職人通りの半ばで三人は立ち止まる。店の主人や手伝いの者、客も誰もが受難に行って

しまったのだろう、閉まっている店ばかりで、開いていても店番さえいない有様だ。町の

中心部以外は閑散としていた。

「ごめんね、いきなり引っ張っちゃって。でも、何だかあそこにいたくなくて…。すごく

怖かった…」

 ロンドは解るよ、とうなずく。

「無理ないよ。あんなのどう見たっておかしいもの」

「おまえはもうあそこに行かない方がいいな」

 もちろんエルゥに言われるまでもなく、セロットはそうするつもりだった。





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