3−2
その日の夕食の席でセロットが受難者のことを話題にすると、ベオルも知っているよう
だった。
「おお、俺もうわさだけは聞いたぜ。ヴィルカルドっていう神官のことだろ?なんでもす
ぐに怪我や病気を治しちまうっていう…」
「…すぐに?」
エルゥとロンドが反応を示した。
「ああ。そういう話だぜ?店に来た客が言ってたんだけどよ、受難ってのは、自分の悪い
所、例えば腕を怪我していたとしたら、その受難者の腕を叩くんだそうだ。そうすっと次
の日には治ってるんだとよ!しかも、金はいっさい受け取らない」
「そうなんだ!すごいわねー!」
セロットが驚きの声を上げる。確かに、話だけ聞くとそれはすごい。金も受け取らず人
々の病を治していくだなんて、まさに聖人だ。
「受難者を叩くって…、それだけ?」
今度はロンドが聞いた。
「まあ、聞いた話だとそれしか言ってなかったな。その客も離れて見てただけらしいから、
もしかしたら何か術をかけていたのかもしれないが。にしても、すごく並んでるんだろ?」
「そうよ、今日もすごかったんだから!治療院に入りきらなくて、道にまでずっと並んで
たもの!」
「その調子で受難されたら、薬なんか必要なくなってウチの店も商売上がったりだなあ!」
ベオルは冗談交じりにわっはっは、と豪快に笑い、セロットもつられて笑う。しかし、
エルゥとロンドには全く笑えなかった。
「さて、セロット、明日はまた店を手伝ってくれよ?」
「うん、分かった。あんたたちは?明日はどうするの?」
「そうだねー、午前中は店を手伝わせてもらうよ!タダでお世話になるのも悪いしね」
ロンドが愛想良く言うと、ベオルとセロットは喜んだ。
「おお、それは助かる!じゃあ明日はよろしくな!」
そうして夜は更けていったが、エルゥとロンドの心には何か得体の知れない不安が大き
くなろうとしていた。
「受難者ヴィルカルドか…」
ベッドの上で、エルゥがつぶやいた。それをロンドが聞きつけ、
「明日、午後からもう少し町を調べてみよう」
と提案する。もちろん、エルゥに異存はなかった。
翌日、朝からエルゥはセロットと、あのエルロンディアの神殿の廃墟があった森へ薬草
を採りに出かけ、ロンドはベオルの手伝いをした。
店と続きになっている作業部屋で、ロンドはセロットが昨日採ってきた薬草を種類別に
分け、干す物は束にして外の陽の当たる場所に吊るし、すりつぶすものは鉢に入れてすり
つぶす、という役割を与えられた。
ベオルはその隣で年季の入った調合ノートを確認しながら、細かい重さまで量れる天秤
を使って、あっちから葉を量っては鉢に入れてすりつぶし、こっちから粉を量ってはまた
鉢に入れて混ぜたり、火であぶったり、水を加えて練ったり、という作業をして、用途に
合わせて粉薬や塗り薬や飲み薬を作っていた。昔から伝わるやり方だ。
「おいロンド、そこの根っこを一本取ってくれ」
ベオルに言われ、ロンドは天井からいくつもぶら下がっている草や根っこの中から、言
われたものを取って渡した。
「はい。これはアキリスの根の干したやつだね」
「おう」
とベオルは手を休めずに応える。
「アキリスの根は生だと毒だからな。誰でも知ってるこった」
「うん、でもね、生のをすり下ろしたものは逆に毒消しになるんだよ」
「なに?」
ベオルはまさか、と顔を上げた。
「本当か?そんなことは聞いたことがない」
ロンドはやはりにこにこと笑っている。
「そうだね、ほとんど知られてないみたいだからね。えーとね、そのまま食べるんじゃな
くて、レニンの汁を混ぜるといいんだよ」
「ほほー、それは知らなかったなあ!それも魔法使いの知識かい?」
「え、うん、まあね」
ベオルは心底感心したようで、調合ノートにそれを書き付けている。もっと詳しく、量
はどのくらいがいいのかなどロンドに聞いていた。
ベオルのように薬を専門としているわけでもないロンドの言ったことを頭から否定せず
に、信じてくれたことがロンドにはうれしかった。もちろん調合のことはウソではない。
ずっと昔、神界で医術の神メルビレに直接聞いたのだから。そうベオルに説明できるはず
もないが。
「お前さんは見た目は子供だが、全く不思議だなあ。魔法使いってのは何でも知ってるの
かい?」
ベオルの言葉に、ロンドは軽く笑った。
「まさか!ぼくたちだって知らないことばっかりだよ。魔法で何でもできるわけでもない
し。ぼくができるのは、魔除けの呪文を唱えたり、敵の攻撃から身を護ったりすることだ
けさ」
「なあセロット、これは?」
エルゥは手にしたキノコ(エルゥ的には食べられると思った)をセロットに見せる。
「ダメ。それは毒キノコ」
「ああ〜?もー違いが分かんねえよ」
うんざりしたようにエルゥはキノコを放り投げた。
「しょうがないなあ。ホラ、これが食べられるヤツ!形と匂いね」
セロットが腰に付けた袋からキノコを出して見せる。
「うー、こーいうのはロンドの方が向いてるんだよ」
「ぐずぐず言わない!もう少し探してみて!」
セロットはぴしゃりと言い放つと、自分は薬草を探すためにさらに森の奥へと入って行
った。
「おい、あんま奥まで行くと危ないぞ!」
エルゥはセロットの後を追い、再びキノコや山菜探しをするのだった。
やがて袋がいっぱいになると、二人は少し休むことにした。例の廃墟の所まで来て、段
に腰を下ろす。
「ふう。おかげで、今日はいつもよりたくさん採れたわ!」
とセロットは満足げに言ったが、実際エルゥが採るのは間違ったものばかりで、そんな
にはかどったとは思えない。
「別に、お世辞言わなくたっていいんだぜ。オレはおまえの手をわずらわせただけだから
な」
そういう自覚はあるのか、エルゥはふてくされたようにひじをついて手にあごを乗せて
いた。
「そんなことないよ!いつも一人じゃこんなに採れないもの!それに、楽しかったし」
エルゥがセロットの方を見ると、セロットは緑の大きな瞳を輝かせていて、エルゥにも
それがウソではないと分かった。
「……」
エルゥは人間を信用していない。でもこういう屈託のない笑顔を見ると、その気持ちも
揺らいでしまう。人間が嫌いでも、人間がいなければエルゥは生きていけないのだ。
エルゥはふとこの廃墟を見回し、立ち上がった。
「?どうしたの、エルゥ?」
「ここを片付けたいんだ。手伝ってくれるか?」
エルゥは手近な瓦礫を持ち上げ、石畳の外に転がす。
セロットもエルゥの意図を解ってくれ、崩れた石をどかし始めた。
「これ、けっこう重いわね。エルゥ、魔法でこういうの何とかならないの?」
エルロンディアであったなら、こんなことは確かになんてことはないのだが…、
「…ああ、オレの魔法は、物を壊すだけだ」
今はこうやって地道に自分で運ぶしかできない。
邪魔な瓦礫などを全部どかして、雑草を抜き、掃き清めた。元からそんなに広い神殿で
はなかったようだが、何となくそれっぽくなった。段の上には崩れて低くなった祭壇。そ
こに、最初に来た時に見つけたエルロンディアの神紋が彫られてある石版を立てかけた。
崩れた神殿に崩れた神紋。
まるで今の自分そのものだ、とエルゥは思った。
何年も旅してきて初めて見つけた自分の神殿だ。たとえ廃墟となっていようとも、綺麗
にしておきたかった。ロンドに言ったら、少しは喜ぶだろうか。
「うん、キレイになったらずいぶんマシになったわね!」
セロットはほこりをはたいて、変わった神殿跡を一望した。
「なあ、セロット」
「なに?」
「気が向いたらでいいから、時々ここをきれいにしておいてくれないか…?」
そのエルゥの顔が少し悲しげで思いつめたようだったので、セロットは断れるはずはな
かった。
「ねえ、ここの神様…、エルロンディアだっけ?って、何の神様なの?」
セロットが尋ね、エルゥは神紋の石版を見つめながら、一拍の間の後答えた。
「魔物や人に災いをなす悪しきものから人々を護る…」
はずだった。だがエルロンディアがちょっと(と彼自身は思っている)神界で寝ている間
に人々はそれを彼に求めなくなり、今はもっぱら、その役目は正義と戦いの神ガリオンと
最高神ルーに割り当てられていた。
エルゥは改めて自分の役目を思い返す。果たして自分は、それをやることができるのだ
ろうか、と。
午後からは、セロットは毎週行っているというお得意さんへの薬の配達へ行き、エルゥ
とロンドは再び町へ境界の歪みを見つけるために繰り出した。
昨日セロットにだいたいの町の造りを教わっていたので、今日は昨日見なかった所を見
回ることにする。酒場や宿屋のある通りや質素な家が並ぶ通り、議会用の大きな建物があ
る通りや、小ぎれいで馬車が駆けてゆく裕福そうな屋敷のある通りなど、夕方になるまで
歩いて、最終的に中央の広場まで戻ってきた。そして、昨日とは全く違う有様に驚愕する。
広場の半分が、人でひしめいていたからだ。
「な、なんだこりゃあ!?」
「いつの間にこんなことに…!?」
エルゥとロンドは思わず声を上げずにはいられなかった。
年寄りも若い女性も、普段ならまだ働いているであろう男も、身なりのいいこの町の議
員だと思われる男も、町のあらゆる人がそこにいた。よく見ると、噴水の前あたりから一
列になって、くねくねと折れ曲がりながら並んでいる。
一体この人たちは何を求めているのか。
列の一番前の人間と向き合っている、噴水の前にいるのは…、受難者ヴィルカルドだっ
た。
「あいつだ…!」
とエルゥが言い、ロンドはこの列の意味を理解した。
「そうか、これは受難の列なんだ…!こんなにたくさんの人が受難をしたがってるなんて
…!!」
二人はもっとよく受難を見るために、噴水の方へ近付いた。
ヴィルカルドは小さな椅子に座って、目の前にひざまづく老婆の話を聞いているようだ
った。老婆は悲しみにくれながら、とぎれとぎれに語っている。
「わ、わたしは40年前に夫に先立たれまして…、女手一つで、息子を育てました。ですが、
そのたった一人の息子も、先日事故でこの世を去ってしまったのです…!!もう悲しくて悲
しくて、わたしはもう生きていく気力がございません…。おお、受難者様…!!」
受難者は昨日と同じ薄い微笑みを浮かべながら、泣き崩れる老婆の手を優しくにぎりし
めた。その時、エルゥとロンドは昨日折られた彼の指が自由に動き、完治しているのを見
た。
「それは本当にお気の毒なことでした。さぞ悲しいでしょう。つらいことを、よく話して
くれました。けれども、もう嘆くことはありませんよ。貴女の悲しみは必ず癒されるでし
ょう」
「はい…、受難者様…!お願いします…!!」
「さあ、私をこれで打ちなさい」
ヴィルカルドは老婆の顔を上げさせ、その手に木刀のような棒を持たせた。
「貴女が痛いのはどこですか?苦しいのはどこですか?」
「心が…、心が苦しいのです、受難者様」
「ならば、私の胸を、それで突きなさい」
その言葉はエルゥとロンドを少なからず驚かせたが、お互い黙って、受難をそのまま見
続ける。
ヴィルカルドは手を下げ、胸を見せた。
老婆は一瞬受難者の言うとおりにすることをためらった。普通はそうだろう。いくらや
られる本人がいいと言っても、人を叩いたりすることに抵抗感があるはずだ。だが老婆は、
彼女の前に並んでいた数々の人間も同じことをやっていたのを見ていたし、ヴィルカルド
が「さあ」と背筋を伸ばして促すので、思い切って棒をにぎりしめ、ドスッと彼の胸を突
いた。
ヴィルカルドはその勢いで少し身を傾けたが、顔には苦痛のカケラも見せず、再びおだ
やかな声で老婆に語りかける。
「さあ、これで貴女の痛みは私が引き受けました。貴女は癒されるでしょう」
「ああ、ありがとうございます、ありがとうございます…!!」
老婆は何度も頭を下げながら、帰って行った。
どうやら、これが受難らしい。そのあとの二、三人も見てみたが、ほとんどやることは
同じで、病気や怪我を治したい者はその箇所と同じヴィルカルドの体を、悲しみや悩みを
癒したい者は彼の胸を、棒で打ったり突いたりしているのだった。
そして広場に夕闇が落ち視界が悪くなってきた頃、ヴィルカルドはおもむろに立ち上が
り、まだ途切れもせず減りもしない列に向かって聞こえるように言った。
「皆さん、聞いて下さい。まだ受難を受けておられない方々には大変申し訳ありませんが、
今日はもう日が暮れてまいりましたので、これで終わりにしたいと思います。また明日、
ここにお越し下さい」
並んでいる人々からは残念がる声が聞こえたが、みなは大人しく、ぞろぞろと散って行
く。
だいたいの人が引いた後、受難者は始めから気付いていたかのようにエルゥとロンドに
意味ありげな一瞥を投げかけ、若干、体のあちこちを痛そうにしながら去って行った。そ
れをエルゥとロンドは、複雑な表情で見送ったのだった……。




