1−2
二人は街道を歩いていた。
ちょうど馬車がすれ違える程度の道幅で、両脇は森になっている。人通りはほとんどな
く、一台の馬車と一人の行商人とすれ違っただけだった。
エルゥは元気なく歩いていたが、ロンドは鼻歌まじりにあたりの景色を楽しみながら
(森しかないのにどこが楽しいのかエルゥには皆目見当もつかなかった)進んでいた。
もうだいぶ歩いた気がするな、と思って、エルゥが言った。
「なあ、あとどれくらいで町に着くんだ?」
「えっとねぇ〜」
とロンドは肩掛けカバンから、端がヨレヨレになって使い込んだ地図を取り出した。折
りたたまれたそれを広げて、現在地を確認する。
「さっきこの分かれ道を過ぎたから〜、たぶんあと一時間くらい歩けば見えてくると思う
よ!」
「あと一時間…」
聞いたところで、ヤル気は出なかった。よけい歩くことにうんざりしただけだ。
野宿の場所を出てからずっと歩きづめで、休憩は一時間前に三十分ほど取った。水を飲
んだだけでは、空腹感は到底おさまらない。
「あーハラ減ったなあー」
こうなるともうグチしか出てこなかった。
「がんばって歩かないと、夕食もそれだけ遅くなるよ!ほらほらエルゥ!」
ロンドはなんとかエルゥをはげまして速度を上げさせようとするが、何の効果もなかっ
た。
「せめて空飛べるとか、空間転移ができればなあー」
エルゥは不満そうに空を見上げる。
そうすればもっと早く世界を回れるのに。
だが父神ルーは、エルゥとロンドに必要以上の力を与えなかった。境界の歪みを直した
り魔物を退治する時は強力な力も使えるが、それ以外の力はほとんど使えないようになっ
ていた。
また父に対してイラッとする。
「父さんはちゃんと見てるんだから、あんまりモンク言わない方がいいよお?」
ロンドの忠告に、エルゥはムリヤリ苛立ちを飲み込んだ。
父の不興を買って、ずっとこのままでいろなんて言われたりしたら困る。それよりはお
となしく言うことを聞いてることにして、何とか早めに元に戻れるようにした方がいいか
もしれない。
ということで、エルゥはまたむっつりと歩くのだった。
それからしばらく歩いただろうか。エルゥは時すら考えるのがめんどくさかったのでど
れくらい経ったのか分からなかったが、ふとロンドが立ち止まった。
でもエルゥはそれに気付かず先に行く。
「ちょっと、エルゥ待って!」
その声でようやく隣にロンドがいないことに気が付き、振り返るエルゥ。
「?どうした?ションベンか?」
「違うよ!!」
ロンドはエルゥの問いを即行で否定してから、静かに、と指を口に当てて、どこか遠く
の音を聞くような仕草をした。
「ねえ、なんか声が聞こえない?」
「ん〜?」
エルゥも半信半疑、かったるそうに耳をすます。
すると、どこからか助けて、と若い女の声が聞こえた。
二人は顔を見合わせ、
「行こう」
同時に走り出した。
声は森の中からで、こっちに近づいている。何かに追われているのか、切羽詰った感じ
だ。
「いた!」
二人の目の前に、必死に走ってくる少女が見えた。どうやら魔物に追われているようだ。
彼女が二人に気付いた時、地面から出た木の根につまづいて転んだ。そこに魔物が突進
してくる。元は猪だったが、身体が異様に大きく、牙も太く長く変形し、体毛が針金のト
ゲのように逆立っていた。これは間違いなく境界の歪みから出た邪気の影響で変化したも
のだ。
魔物が少女に喰らいつこうと大きく口を開ける。口の中は鋭くとがった牙がずらりと並
び、血を待っていた。
少女が思わず目をつぶったその瞬間、魔物は見えない壁にぶつかったかのように弾かれ
た。草の上を勢いよく転がってゆく。
少女の前には、長い三つ編みの人物が杖を構えて立っていた。
「間に合ったー!大丈夫?」
ロンドが肩越しに少女を見て、にっこり笑った。
少女は何が起こったのか解らず、目を丸くしながらも小さくうなずいた。
「『聖なる炎よ 邪悪を焼き尽くせ』!!」
背後から声がしたかと思うと、再び起き上がろうとしていた魔物が突然炎に包まれ、燃
え上がった。
魔物は凄まじい叫び声を上げる。その声があまりにもおぞましくて、少女は思わず顔を
しかめた。
炎はだんだんと弱まり魔物は真っ黒に燃え尽きて、消し炭すらも残さず消えてしまった。
あんなに激しい炎だったのに、他の草や木などは全く燃えてなどいない。
これは魔法だ、と少女は思った。見るのは初めてだったが、こんなことができるのは魔
法以外にありえない。とすると、目の前にいる少年は魔法使い?
「この近くに歪みがあるのかもしれないな。」
そう言いながら、少年と同じ顔、同じ格好の人間がもう一人現れたので、一瞬少女は驚
いてしまった。彼らは双子なのだ、と納得する。
「もう安心だよ。立てる?」
ロンドが微笑みながら手を差し出した。
「え、ええ…、大丈夫。ありがとう」
少女はロンドの手を借りて立ち上がり、服に付いた土をはたいた。
「あたしはセロット。この先の、エラムの町の薬方屋の娘よ。助けてくれてホントにあり
がとう!」
改めて二人に向き合った少女は、自己紹介した。
歳はエルゥ達と同じくらいで、明るい茶色の髪の毛をふんわりと肩にたらしている。パ
ッチリと大きな緑の瞳が印象的で、かわいらしい少女だ。
ゆったりめの若草色の上着と、簡素な形で山吹色のワンピースがよく似合っている。
「どういたしまして。無事でよかった。ぼくはロンド。こっちはエルゥだよ」
ロンドがにこやかに言うのを、セロットは間違えないようにうなずきながら聞いていた。
エルゥはセロットを横目に、無愛想にしている。
「あんたたち、本当にそっくりねえ。びっくりしちゃった!それに、さっき魔物を燃やし
たのは魔法でしょ?あんたたちは魔法使いなの?」
「まあ、そんなところ」
あいまいにロンドは笑った。
魔法使いというのは、この世界では簡単になれるものではない。ちょっとした占いやま
じないなら多少の才能があれば特に難しいものでもないが、実践的な、魔物を倒すといっ
た術は精神のコントロールから知識、修行が必要なのだ。なので彼らのように年若い魔法
使いというのは実はかなり珍しい。
エルゥが口を開いた。
「それよりも、さっきのヤツに襲われたあたりに案内してくれないか?」
その近くにきっと境界の歪みがあるはずだ。
「…うん、いいけど…。こっちよ」
セロットは彼らが何をするつもりなのかは解らなかったが、二人の先に立って森の中を
戻って行く。エルゥ達は周りに気を配りながら後に続いた。
数分歩いた所で、セロットが立ち止まった。先に少し開けた所があって、何かの廃墟が
ある。
「このあたりよ。いつもはこのへんに店で使う薬草を摘みに来るんだけど、急にあの魔物
が襲って来て…」
ロンドはきょろきょろと何かを探しているようだ。エルゥも近くを歩き回っている。
セロットが不思議に思っていると、ロンドが何かを見つけたようだった。
「あった。これだよ」
とその視線の先にあった物は、ぼろぼろになった人形だった。
木に釘で打ち付けられていて、人形といってもわらで作った人の形をしただけの物だ。
手の平より少し大きめで、あちこちに刃物で切りつけたような痕や、尖った物で刺したよ
うな痕があった。よく見ると、腹部に人の髪の毛らしきものが埋め込まれている。
これをやった人物は、相当この髪の毛の持ち主に恨みがあるらしい。
「うわー、禍々しい人形だねー」
ロンドはいつもの調子で言ったが、二人の後ろからその人形を見たセロットはぞっとし
た。
セロットにはもちろん見えていないが、エルゥとロンドにはしっかりとこの人形にわだ
かまる黒いもやのような影が見えていた。邪気が出ている。
人のいる所には、暗い感情が溜まる場所がある。そういう所は闇黒界との境が薄くなっ
て、繋がりが出来てしまう。それが境界の歪みだ。
この人形のように恨みや憎しみのこもったものは、より歪みが出来やすい。歪みからは
闇黒界からの邪気がもれ出し、邪気に触れた生物に悪影響をもたらすのだ。動物は凶暴に
なり、奇形、魔物になってしまう。植物もよく育たなくなり、毒性のないものが毒を持っ
たりする。
「おまえはあまり近付かない方がいい」
エルゥが言って、セロットを後ろに押した。
セロットはもちろんこんな物に近付きたくなかったので、言われるままおとなしく一歩
下がった。
邪気は当然人間にも悪影響を与えるのだ。急に暴力的になったり、逆に無気力になった
りし、やがて人の心を失くして狂死してしまう。
この歪みはまだ小さなものなので完全に闇黒界とは繋がっていないが、歪みが広がり境
界が開いてしまうと、人間世界に悪意しか持たない悪神が現れ、人を滅ぼし、この世界を
破壊し尽くそうとするだろう。
そうならないように、エルゥとロンドは歪みを修復しているのだ。幸い、今のところは
悪神が出るほどの大きな歪みには出遭っていない。
「この程度なら符でいいかな」
ロンドは袖の中から一枚の紙切れを取り出した。何やら二つの目が合わさったような模
様(たぶん神紋)と、複雑な文字のようなものが書いてあった。魔法のアイテムなのだろう
とセロットは解釈する。
その符にふっと息を吹きかけてから人形に当て、呪文を唱える。
「『エルロンディアの名において 邪なるものよ 退け』!封!」
すると符はボッと描かれていた神紋の形の炎になって、人形ごと一瞬にして燃えたかと
思うと、跡形もなく消えた。
「よし!これで大丈夫!もう魔物に襲われないと思うよ!」
「そ、そう…、よかった」
ロンドの言葉に、セロットはほっとしたようだ。少し疲れたように微笑む。
「ねえ、あそこでちょっと休まない?あんたたちの話も聞きたいし」
とセロットがいつも薬草を採りに来るという廃墟を指差し、三人は廃墟に向かった。
そこは、何かの遺跡のようだった。柱は崩れ壁もなく、正面に台のような物がかろうじ
て残っているだけだ。敷石のすき間からは雑草が生えており、あちこちに瓦礫や石が転が
っていた。
三人は段になっている所に、セロットを真ん中にして座った。
「じゃ、改めて、あたしはセロット。よろしくね」
「オレはエルゥ」
「ぼくはロンドだよ」
セロットは二人を交互に見ながら、続ける。
「あたし、魔法って初めて見たわ!さっきの人形を燃やしたのも魔法でしょ!?魔法って長
年修行しないと使えないって聞いてたけど、あんたたちあたしと同じくらいなのに、その
若さで魔法使いだなんて、すごいわね!」
「はは……」
エルゥは力なく笑った。本当は彼女よりはるかに年上なのだが、そんなことは言えやし
ない。
「二人は旅をしてるの?」
「うん、そうだよ。世界中を旅してるんだ」
「両親はどこにいるの?心配してない?」
「ん〜、両親は遠くにいるけど…、そんなには心配してないみたいだね。あはは」
などとセロットの質問ロンドが答えている間に、エルゥは何気なくそばにあった石版の
かけらを手に取って見た。
「あーーーーーっ!!!!」
エルゥの大声でロンドとセロットは驚き、エルゥに振り向く。
「どうしたの、エルゥ。急に大声出して…」
「おい、ロンド、これ見ろ、コレ!!」
「何?…あーーーーーっ!!!」
エルゥに突き出された石版を見て、ロンドも大声を上げた。セロットも石版を見てみた
が、なぜそんなに大声を出すようなことなのか解らない。
その手より大きい石版のかけらには、欠けてはいるが、ロンドがさっき出した符に描い
てあったのと同じ模様が描いてあった。神紋ならセロットも服の内側に刺繍してある。大
地の女神ルーシアンと医術の神メルビレの神紋だ。そうして信仰している神の加護を願う
のだが、この石版に描かれている神紋は見たこともない。だいたい、この廃墟のことなど
気にも留めたことがなかった。
「そうか、ここって神殿の跡だったんだ!!」
「このあたりなら、もしかしたらぼくらのこと知ってる人間もいるかもしれないね!」
二人はなんだか興奮して、盛り上がっている。
「ねえ、あんたたち、どうしたの?これが何だっていうのよ?」
訳の解らないセロットが二人に口を挟むと、ロンドが嬉しそうに聞いてきた。
「キミはここが神殿跡だって知ってたの?」
「え?神殿?ここがそうなの?気が付かなかった…」
「じゃあ、エルロンディア神は知ってる!?」
「エルロンディア?ああ、あんたたちの名前、それをもじったのね」
「『暗闇の監視者』!」
「『邪悪を退ける者』!」
二人が期待を込めた目で同じ顔をしてセロットを見つめるが、セロットは
「ううん、知らない」
ふるふると首をふるのだった。
「…そっかー…」
「なんだー…。はあ…、やっぱりなー、そんなわけないよなー…。今までだって誰もいな
かったんだから…」
二人は、特にエルゥは、見るからにがっかりしたようだった。
「あんたたちの顔にあるの、もしかしてそのエルロンディアって神様の神紋なの?」
「うん、まあそうだね」
「どうりで、見たことない神紋だなあって思ってたの。エルロンディアってよっぽど古い
神様なんじゃない?」
「そうだな」
なんせ古すぎて忘れられてしまったほどだ。
ショックのあまり、二人の返事に元気がない。セロットは自分がそんなに悪いことを言
ってしまったのかと思った。話が続かない。
「でも、ま、仕方ないよ!知らないって言われるのはいつものことだし、神殿の遺跡が見
つかっただけでもすごいことだよ!」
ロンドはかなり前向きにエルゥに言った。セロットはホッとする。
「おまえ立ち直り早いな…」
エルゥはもう少し立ち直りに時間がかかりそうだ。
「ね、ねえ、あんたたち、エラムの町に寄るんなら、ウチに来ない?助けてくれたお礼に
泊めてあげるわよ!」
「えっ、本当?」
セロットの提案に、ロンドの顔がパッと明るくなった。
その時、ぐぐううぅ〜っとくぐもった音が響く。
「…なに?今の音」
「あはは、エルゥのお腹の音だよ」
セロットとロンドがエルゥの方を見ると、エルゥは照れたような怒った顔を真っ赤にし
ていた。
「しょ、しょうがないだろ!?昨日の夜から何も食べてないんだから!!」
その言い訳がなんだかおかしくて、セロットはぷっと吹き出した。
「そっか、お腹が空いてるのね。じゃあ、早くウチに帰ろうか」
セロットにつられて、ロンドもクスクス笑い出す。
「ありがとう!行こう、エルゥ!」
「分かってるよ!コラ、おまえら笑うな!」
こうして三人は、エラムの町に行くのだった。




