5−4
ヴィルカルドはちらとロンドの後ろにいるセロットに目を留めた。しかし攻撃を止めた
わけではない。
「あたしたちが何をしたっていうの!?確かに、あなたが領主様にだまされたことや、妹さ
んの病気には同情するわ!でもそんなのこの町の人達には知りようがなかった!あなたを
信じてすがってきた人達に、どうしてこんなひどいことができるの!?もう止めてよ!充分
でしょう!?」
「そうだ、ヴィルカルド!もう関係ない人々を巻き込むのは止めるんだ!!」
ジェイドも一緒に訴える。この少女の言うことなら彼に届くかもしれない、という望み
を込めて。
しかし、そのジェイドの望みはあっさりと打ち砕かれた。
「そうだね、君やこの町の人間、いやほとんどの人間には関わりのないことだ。だけどね、
お嬢さん。口ではそういうふうに奇麗事を言っていても、人間とは醜いものだと私は知っ
ているんだよ。だからこの世界は醜いのだ。私は世界を浄化しているのだよ――――」
と最後まで言い終わらないうちに、エルゥがヴィルカルドに飛び掛ってきた。
「お前のくだらないごたくなんか聞きたくねー!!」
頭を思い切り殴りつける。ヴィルカルドの頭があらぬ方向に曲がり、身体が傾ぐ。が、
すぐに首は元のように真っ直ぐ向き、どんよりした目でエルゥをにらんだ。
「エルゥ、上!!」
ロンドの声にハッとすると、エルゥの頭上からルルド神の巨大な拳が突き下ろされる!
エルゥは間一髪、杖を上げてそれを受け止めた。
「ぐうっ!」
その衝撃で周りの地面にひびが入り、砂塵が舞い上がる。
何とか防いだが、エルゥの身体は一段地面に沈み、拳はそのままエルゥを押しつぶそう
としているようで、その体勢から動けなくなってしまった。
「エルゥ!」
「だ、大丈夫だ…!!」
ロンドも声をかけるので精一杯、何とかしたくても、今は結界を上掛けして保っている
ような状態で、もはや一杯一杯なのだった。
「ジャマはさせぬ…!!あと町1つ分の邪気で境界を広げれば、我は人の世界に具現できる
のだ…!!」
ヴィルカルドの口を借りて、悪神ルルドが言った。
「なんだって?」
恐怖に顔を引きつらせてベオルがおののいた。今でさえこんな恐ろしいことになってい
るのに、この強大な力を持った悪神が完全にこちらの世界に現れてしまったら、世界はど
うなってしまうのか。
「そんなこと、させるか!」
とエルゥが吼えても、この状況ではまるで説得力がない。
エルゥを押さえつける拳にさらにグッと力が入り、エルゥは片ひざを付かされてしまっ
た。その見た目はただの細い棒にしか見えない物でなぜ防げるのかはベオル達には皆目解
らなかったが、分が悪いのは一目瞭然だった。
「くっ…!!」
「エ、エルゥ…!!」
セロットが絶望のにじむ声をもらす。
結界の周りも不気味な触手に囲まれ、じわじわと侵食されつつある。ここでエルゥとロ
ンドが倒れたら、セロット達は確実に殺されるだろう。たとえどうにかしてこの場を切り
抜けたとしても、あの邪神とヴィルカルドを倒さない限り、どのみち人類は滅ぼされてし
まうに違いない。
ロンドもどうすればいいのか必死に考えていた。このままでは時間の問題だった。エル
ゥとロンド、二人が等しく思っていたことは、
『力が足りない』
ということだった。
結界の中の誰もが死を覚悟し始めた時、苦しみに耐えながらも、エルゥに一つの考えが
浮かんだ。けれどもこれはセロットに頼る方法で、彼女を危険にさらしてしまう。
だが――――。
エルゥは意を決した。肩越しに、何とか首を回して結界を見る。
「セロット、よく聞いてくれ…!!」
「え?なに!?」
セロットは苦痛の中からしぼり出すエルゥの声をよく聞こうと、戸惑いながらも彼の方
に身を寄せた。立て続けに怖ろしい目に遭っていて、恐怖感が麻痺してきたのかもしれな
い。
「オレ達が最初に会った、あの森の中の寂れた遺跡、分かるな?」
「え、ええ…。あんたと薬草採りに行って、キレイに掃除したわよね?」
セロットはエルゥの意図が解らないまま答える。
「そう、そこだ…」
そこまで聞いた時、ロンドにもエルゥの言わんとしていることが解った。そして即座に
その考えに同意する。
「あそこは、神殿なんだ。オレ達の…、エルロンディア神の神殿なんだ。だから、あそこ
に行って、祈ってくれ…!!」
そう、もうそれしか方法はない。人々の信仰心が力となる彼らは、祈りを受ければ、一
時的でも力が得られるはずだ。邪悪を祓う、『エルロンディア神』としての力を。
「え?、でも…」
セロットは訳が解らなかった。エルゥはとうとう、神頼みにすがろうと言うのだろうか。
祈ったところでこの状況が今すぐどうにかなるとでも言うのだろうか?
「頼む…!力が、足りねーんだ!おまえが祈ってくれれば、たぶん…!」
「お願いだ、セロット!あいつを倒すにはもうそれしかない!ぼく達を信じて!!」
ロンドも結界を支えながら真剣な眼差しでセロットを見た。
セロットは唇をかみ思案していたようだったが、やがて力強くうなずいた。
「解ったわ、行く。行って、祈ればいいのね?」
そこに、ベオルが割って入った。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!森の廃墟だろ!?それならおれも知ってる!セロットを危な
い目に遭わす訳にはいかねぇ、おれが行く!」
「でも、お父さんよりあたしの方が足が速いし、あそこまでの道に慣れてる。あたしの方
が適任よ」
「しかしだな…!!」
さらに食い下がる父に、セロットはそれ以上有無を言わせなかった。
「大丈夫、お父さん。心配してくれてありがとう。でも、エルゥもロンドも力を尽くして
くれてる。あたし、これでみんなを助けられるなら喜んで行くわ」
「セロット…!!」
父は言葉を飲み込むしかなかった。
「いい?セロット。もうぼく達には時間がない」
ロンドが声をかける。セロットはロンドに向き直った。
「キミが通り抜けるすき間を一瞬だけ開ける。合図をしたら全力で駆けて行くんだ。その
まま振り向かずに神殿跡まで行って、エルロンディアに祈ってほしい。このお符を持って
いれば、そこの触手や邪気はキミに触れられないはずだ」
「分かった」
セロットはロンドから符を受け取って、大事そうに胸元に握り締めた。
「ぼく達とエルロンディアを信じて!!絶対にキミ達を護ってみせる!」
ロンドは元気付けるようにニコッと笑った。その笑顔で、なぜかセロットは心が軽くな
り、落ち着いた気がした。エルゥとロンドなら信じられる。ならエルロンディア神も信じ
られる。きっと助けてくれる。
「うん。大丈夫。…行くわ」
セロットはいつでも走れる態勢をとり、ロンドの合図を待つ。
「今だ、走って!!」
目の前に切れ目ができたようだったが、しっかり確認する前にセロットはそこを走り抜
けた。結界を取り巻いていた黒い触手が案の定彼女の足に巻きつこうとしたが、符の効果
か、彼女の肌に触れる寸前に焼き弾かれた。
セロットはそのまま、町中をわき目も振らず走り、森へと向かったのだった。
「…?」
ヴィルカルドも結界から出て行くセロットを認めたが、特に追うことはしなかった。
「何かコソコソ話していたかと思ったら…、小娘一人を逃がす算段だったとはな。ここで
逃げたとしても、やがて全て壊されるまでの間生き延びるだけだというのに。全く、人と
いうものは愚かだ。他人のことは平気で傷付けるくせに、自分が傷付けられようとすると
全て他人の所為にして見苦しく足掻く。自分勝手なことだ」
吐き捨てるように言うヴィルカルドにロンドが反論しようとした一瞬早く、エルゥが口
を開いた。
「…おまえの言う通りかもしれねえ…」
えっ、とロンドは驚いた。エルゥは元々人間に好意的ではなかったが、とうとうヴィル
カルドに同調してしまったというのか?
しかし、そうではなかった。
「確かに、人間は愚かで、自分勝手で、弱くて、すぐに誘惑に流されて、悪事を働くよう
なヤツらばかりだ。だけど、だから殺してしまえばいいというのは間違ってる。そうじゃ
ないんだ。あいつらは弱いからこそ、神に祈り、正しく生きようとしている。ベオルやセ
ロットのように、今あるものだけを受け入れ、日々を懸命に生きている者達もいる。神は、
人間達を導き、拠り所にならなければならないんだ…!!」
「エルゥ…!!」
ロンドはなんだかうれしかった。まさかエルゥの口からそんな言葉が聞けるなんて。そ
して、その言葉の最後の方は、自分に向けての言葉のような気がした。
「そうだ、ヴィルカルド、お前も知っているだろう?オレ達はそうやって、助け合って生
きてきたじゃないか」
ジェイドがまたヴィルカルドに語りかけた。諭すような、やわらかな声音だった。
ヴィルカルドはわずかに眉根を寄せる。ジェイドは続けた。
「愚かだろうが何だろうが、愛する人には生きていて欲しい。お前にだって解るはずだ。
お前と、お前の妹と、オレは、そうやって生きてきたじゃないか」
「フッ…」
ヴィルカルドは薄く笑った。
「そうだ。あの頃の私は、バカ正直で、愚かにもまだ神を信じていた。妹のために、私は
どんな苦労でも引き受けた。誠実に生きてきたつもりだ。貧しくとも盗みをしたことなど
なかったし、神にも毎日祈っていた。そうだろう?ジェイド」
芝居がかった仕草で、ヴィルカルドは両手を広げ、ジェイドを見る。
ジェイドは辛そうな面持ちで小さくうなずく。
「そうだ、そのとおりだ…」
「それなのに現実はどうだ!?」
急にヴィルカルドの表情が恐ろしいものに変わった。
「私は何も悪いことなどしていない!!なのに妹の病は治らず、私はいいように利用され、
命を奪われた!!これが心正しく生きた者への仕打ちなのか!?世界は元々不平等なんだ!!金
持ちがいればスラムがあるように、永遠になくなりはしない!それでも一生懸命生きてい
れば、いつかは救われる!?ふざけるな!!何度踏みにじられようが懸命に生きていれば、誰
かが見ていて助けてくれるとでもいうのか!?私は死んでも救われなかった!神などいやし
ない!誰も見てなどいやしないんだ!!」
「――――オレが見ている!!」
悲痛なまでのヴィルカルドの叫びに応えたのは、エルゥだった。皆がエルゥを見た。
場が静まり返り、時が止まったかのようであったが、やがてのろのろとエルゥが話すの
と同時に、動き出した。
「オレが、見ている…!!今回みたいに、遅すぎたり、人々が待てなくなったり、してるか
もしれないけど…、必ず、見に行くから…!!」
ロンドもエルゥと同じ気持ちだった。今、二人の心は繋がっていた。
杖で巨人の拳を支えている間から、エルゥは真っ直ぐヴィルカルドを見つめる。ヴィル
カルドはふいに、この少年の魔法使いの瞳に、ただの人ではあり得ない畏れのようなもの
を感じた。
「君達は…、一体何者…?」
ヴィルカルドがわずかにうろたえると、悪神の声がヴィルカルドののどを借りて声を発
した。
「惑わされるな、ヴィルカルドよ!憐れなお前の声を聞き届けたのは誰だ!?神など無力だ!
世界を憎むのだ!!」
エルゥを押しつぶそうとする拳にさらに力がこもり、ヴィルカルドの表情が再び憎しみ
に歪もうとしたその時、エルゥとロンドの身体が光を発した!
「な、なんだ!?」
エルゥ達以外は、突然の現象に驚き手をかざす。
エルゥとロンドは身内に力が満ちていくのが分かった。セロットが神殿にたどり着き、
祈っているのだ。セロットの声が聞こえる。皆を助けてくれと、純粋な祈りが伝わってく
る。
「〜〜〜、うらあ!!」
気合いと共に、エルゥが拳を押し返す。ヴィルカルドはその勢いで後ろに倒れた。
エルゥとロンドは二人並んで毅然と立ち、ヴィルカルドを見据えた。いつの間にかベオ
ルとジェイドの周りの結界は解除されていたが、結界を蝕んでいた黒い触手も消滅してい
た。
「「我が名を畏れよ!!」」
双子が声をそろえて呼ばわった。特に大声だったわけではないが、なぜか頭に響くよう
な、朗々とした声だった。二人は完全にシンクロしていた。彼らの頬にある神紋が消え、
代わりに額に目が重なったかのような、エルロンディアの完全な神紋が現れ、輝きを増し
た。
「「我は暗闇の監視者、邪悪を退ける者、エルロンディアなり!!我が役目を果たすため、
力を行使する!!」」
エルゥとロンドは杖を前に突き出し交差させ、呪文を唱和する。
「「『現世に仇なす暗闇よ エルロンディアの名において滅す 大いなる光は我が手にあ
り』!!」」
杖の中に封じられていた神としての力が解放され、ヴィルカルドを飲み込むような光の
柱が立ち昇った。それは天高くそびえ、その中で悪神ルルドの腕ははもだえのたうち、散
り散りにちぎれるように消滅していった。それと共にヴィルカルドの胸の境界の歪みもだ
んだん小さくなり、光の柱が消えると同時になくなった。
ベオルとジェイドは口もきけず、それを見守っていた。二人の目にはこの少年の姿をし
た双子の魔法使いが、今までとは全く違う、別人のように見えた。そう、その口調はまる
で厳格な神そのもののようで尊厳があり、後ろ姿には神々しいものさえ感じる。まさか、
本当に彼らは――――?と思わされてしまう。
エルゥとロンドは、横たわっているヴィルカルドの側に歩み寄った。もはや彼は何もす
る力もなく、その肉体はすでにミイラのように朽ちかけているのだった。
「すまない…」
エルゥが小さく言い、ロンドが先を引き取った。
「こんな形でしかあなたを救うことができなくて…」
しなびた体のヴィルカルドの目には、もう憎しみも悲しみも残ってはいなかった。本来
ならすでに死んでいるのだ。それを悪神の力で命を繋ぎ止めていたにすぎない。だからそ
の悪神が滅びれば、彼もまた死体に戻る。
「君達は…、神、なのか…?」
弱々しく彼は尋ねた。
「まあな。今は人に忘れられて、こんな姿になっちまってるけどな」
「エルロンディアっていうんだ」
「そう、か…。さっきの言葉……、信じて、いいんだな…?」
「ああ。必ず、オレ達が見に行く」
エルゥとロンドは同時に力強くうなずいた。
「…エルロンディア神……」
その名を拠り所とするかのように、ヴィルカルドは繰り返した。
「ヴィルカルド!!」
ジェイドが駆け寄って来た。ヴィルカルドの姿を見て、一瞬ひるむ。今までの姿から一
転、まるで死体なのだから無理もない。
「ジェイド…、私のことは、忘れてくれ…。私は、お前の親友の資格などない……」
自嘲気味に告げるヴィルカルドに、ジェイドは涙を流しながら首を振った。
「そんなことない…!!お前はずっと、オレの親友だ。そして、お前の妹にとっても、良き
兄だった…!」
「妹…」
昔のことを思い出すかのように、ヴィルカルドはつぶやいた。
ああ、大事な大事な、たった一人の家族。かわいい彼の妹。全ては彼女のためにしたこ
とだったのに。どこから狂ってしまったのだろう。もう、ヴィルカルドにはその答も、そ
の理由も、無意味だった。
「そうだ。彼女はずっと、お前に申し訳ないと言っていたよ。最期に、『ありがとう』と
伝えて欲しいと――――」
干からびていたはずのヴィルカルドの頬に、涙が一筋流れた。
「…ああ…、私は、最期に、お前とエルロンディア神のおかげで救われたのだな……」
虚ろだった彼の目が、しっかりとジェイドを見る。
「ありがとう――――」
ヴィルカルドの肉体から、かろうじて残っていた命の欠片が消えていくのが分かった。
彼の身体は端からほろほろと壊れてゆき、砂山が崩れるように崩れ、風にさらわれていく
……。
「ヴィルカルド……」
ジェイドはその場に座り込み、親友のために静かに泣くのだった―――――。




