5−2
「くっ…!!」
外に出たエルゥとロンドは、二人とも同じように頭を抑えてうめいた。
まるで脳髄に突き刺さるかのような強烈な邪気だ。
「どこにどうやって隠してたかは知らないが、もう隠す必要がなくなったってことか?」
「ここまで強いのは今まで感じたことがないよ。位は低いけど、悪神クラスだね」
「ああ…、急ごう」
二人は邪気の導くままに走り出した。――――中央広場に向かって。
「ジェイドの話を聞いたろ?」
走りながらエルゥが問う。
「うん。これは受難の最終段階だね。人々が殺し合いを始める前にヴィルカルドを止めな
いと!」
「もう疑いようがない。あいつは邪気に憑かれてる。きっと領主の家に手伝いに行った日
に…、あいつは人ではなくなってしまったんだ」
「もしかしたら、始めはその領主の方にとり憑いていたのかも。でも、ヴィルカルドはだ
まされたことに気付いて領主を殺してしまって…」
「なるほど。奴らが宿主を変えるのはよくあることだ。それでヴィルカルドを操って村や
町を潰して来たのか」
二人が考えを整理している最中、また空気が震えた。
「「!!」」
また邪気が感覚に突き刺さる。
今度は、町の様子が変だ。
あちこちから物を壊すような音が聞こえてきたり、奇声を発する声も聞こえる。
「これは…!!」
エルゥとロンドは目を見張った。
人々が斧だの包丁だのを持って、大人も子供も、男だろうが女だろうが関係なく、誰も
が手近にいる人間に切りかかったり殴りかかったりしているのだ!
「キああアアぁ!!」
訳の分からない声を発しながら、中年のかっぷくのいい女性がエルゥに襲い掛かってき
た。エルゥはその出刃包丁を杖で受け止め、突き倒す。人間相手では手加減をしなければ
ならないが、この状況ではそんな加減はできなかった。
「エルゥ、大丈夫!?」
「ああ、それよりもヤバイぞ、これは!」
「うん、行こう!」
二人はまた何人かの住人達をかわしながら、とうとう広場に足を踏み入れた。一歩入っ
た瞬間、空気が変わった気がした。
中央の噴水の前には――――、ヴィルカルドが、いた。
いつもと変わらないように見える。だが、その顔には皮肉めいた笑みを浮かべ、今まで
の優しさは微塵も感じられない。
「おまえ…、やっぱりただの人間じゃなかったんだな」
エルゥが言うと、ヴィルカルドも
「あなたがたもやはりただの人間じゃないんですよね」
と返してきた。見抜かれていたが不思議ではない。一番最初にヴィルカルドを見た時、
彼は意味ありげにエルゥのことを見ていたのだから。
「これがあなたの目的?こうやって人々を狂わせ、町を全滅させることが?」
ロンドの質問に、受難者はクッと笑い声をもらした。
「私の目的?私は何も人の害になるようなことはしていない。自ら鞭打たれ、痛みを引き
受けてきただけだ。それはあなたがたも見ていたはずだが?」
「だから、それが変な術で、人を傷付けても何とも思わなくさせたんだろ!?」
「変な術とは心外だね。私はただ人間の本性を解放してやっただけだ。人間とは、残酷で
自分勝手な生き物なのだよ。誰かがやっていいと許可すれば、どんな酷いことだってでき
るのだ。許可するのが聖職者なら、なおさらその残虐な行為に勝手に正当性を持たせる。
…ほら、あなたがたの後ろにいる人間どもは皆そうだ」
ハッとエルゥとロンドが振り向くと、理性を失った人が三人、ゆらり、ゆらりと歩いて
来る。一人はあの、聖職者通りでスリの小男ともめていた大男で、手に鎌を持っていた。
もう一人は若い女性で、髪を振り乱しながらナイフを持ち、隣は町の有力者らしき商人の
男で、細身の剣を持っていた。皆口々にぶつぶつと何かをつぶやいている。
「あいつがおれを裏切ったんだ…。許せねえ…。許せねぇよ…」
「あの女が憎らしい…!あたしからあの人を奪ったあの女が…!」
「わしの金は誰にも渡さん…渡さんぞお…」
そんなことを言いながら受難者の方に目をギラつかせ、近付いて行く。
「受難者様よう…、あんたの腕を斬らせてくれ…!」
「あたしは腹を…!!」
「わしは首がいい…」
エルゥとロンドはゾッとした。彼らはヴィルカルドを殺す気だ。
「おい、おまえら何を…!!」
止めようとするエルゥを遮って、受難者が彼らに告げる。
「私は受難者です。あなたがたの苦しみを私に預けなさい。私はどんな傷を負っても平気
なのですから」
男達はすぐに反応し、さっきまでとはまるで違う素早い動きで、いっせいに受難者へと
向かった。
「ちょ、何言って…!?」
「殺されたいのか!?」
ロンドとエルゥが彼らを止める間もなく、男達はヴィルカルドを襲った。
それはあまりに一瞬のできごとで…、双子は動けないままだった。
ヴィルカルドの身体は切り裂かれ…、噴水の前には大きな血だまりができ、ヴィルカル
ドが倒れている。腕は落とされ、腹は割かれて内臓が飛び出し、首はかろうじて皮一枚で
繋がっているくらいだ。これでは完全に死んだだろう。
今度は三人がお互いに殺し合いを始めたので、エルゥとロンドがどうにか彼らを気絶さ
せた。それから、半信半疑ながらもヴィルカルドの死体の側に行ってみる。
「…バカなヤツだ。自分で仕組んでおきながら殺されるよう仕向けるなんて…」
エルゥが死体を見下ろしながら言うが、その後ろで隠れるようにしながら見ていたロン
ドが異を唱える。
「でも、おかしくない?今までも他の町でこうしてきたんなら、ヴィルカルドは最初の村
で死んでるはずでしょ?」
「…確かに、そうだな。けど、現にヤツはこうして殺されて…」
再び視線をヴィルカルドに戻した時、また空気が震えた!
「これは…!?」
やはり、ヴィルカルドは死んでいないのだ。
脈打つ空気に合わせて、邪気が集まってきていた。町中の邪気がここへ流れてきている
ようだった。
「邪気が…、ヴィルカルドの中に!」
エルゥとロンドが見ている前で、どす黒い煙のようなものは、まだ死んでいるはずのヴ
ィルカルドの中へ吸い込まれていった。
切り離されたヴィルカルドの腕の先で、指がピクリと動く。虫のような動きで元の腕へ
這って行き、血だまりの中の臓物がもごもごと蠢きながら、本来あるべき場所へと収まっ
てゆく。傷口の皮膚や肉、神経線維が触手のように伸び、くっつき合い、傷が塞がった。
流れ出ていた血までもが、体内に戻っていった。
そしてヴィルカルドは、よろりと立ち上がった。
「…!!」
エルゥとロンドは、ようやくこの『敵』の恐ろしさを悟った。もはやこれは『人間』が
相手できるものではない。エルゥ達の仕事だ。
「…私の言う通りだっただろう?彼らは自分の欲望で、簡単に私を殺してしまった。ちょ
っと背中を押してやれば、平気で殺し合いさえする。存在する価値なんてないと思わない
か?」
彼独特の皮肉めいた笑いで、めんどくさそうに破れた長衣のほこりを払った。
「そんなことないよ!この殺し合いはあなたが悪意でしくんだんじゃないか!真理を説き
正しい方へ導けば、人はちゃんと善良になるよ!」
ロンドが反論した。彼はきっと本当にそう思っているのだろう。ヴィルカルドは無表情
にロンドを見返した。
『人は存在する価値があるのか?』
それはエルゥも常々思っていたことで、どちらかといえば否定的だった。でも、このヴ
ィルカルドのようなやり方は違う。うまく言えないけど、こんなひどい殺され方で抹殺さ
れなければならないとは思えない。
「とにかく、おまえのやり方は気に入らねー。人間でもないようだし、遠慮なくオレの仕
事をさせてもらうぜ!」
言うが早いか、エルゥはヴィルカルドに突進した。大きくジャンプし、杖をヴィルカル
ドの肩めがけて力いっぱい振り下ろした!
「!!」
ゴリ、と鎖骨が砕ける音がしたが、皮膚の下でボコボコと骨が動き、すぐに再生してし
まったようだった。
「ちっ、やっぱり普通の攻撃じゃだめか」
「無駄なことを」
エルゥはすぐさま次の行動に移り、呪文を唱え始めた。それに気付いたヴィルカルドは
それを阻止しようとするが、ロンドも黙って見てはいなかった。
「『悪しき影は 光に縛られん』!」
いつの間にかヴィルカルドの背後に回っていて、足元に伸びた影を杖で突く。するとヴ
ィルカルドは身体が急に固まり、動けなくなった。
「!」
そこにエルゥの呪文が炸裂する。
「『聖なる炎よ 邪悪を焼き尽くせ』!!」
エルゥの杖から炎がほとばしり出て、ヴィルカルドに直撃した。
敵の動きをロンドが封じ、エルゥが攻撃する。何も言わなくとも、エルゥとロンドの息
はぴったりだった。
二人は炎に包まれている受難者から改めて距離を取った。いつもならこれでたいていの
魔物は倒せるが…、彼の場合は格が違うと解っていた。どれだけダメージを与えられてい
るのか、と思ったが、腕を一振りして炎を消したヴィルカルドは焦げ一つない、全くの無
傷だった。
「君達は変わった攻撃をするね。ちょっと驚いたよ。でももう私には効かない。君達には
私も本気を出してもよさそうだ。せっかく邪気も集めたことだしね」
ヴィルカルドが腕を上げ何かの攻撃をしようとした時、エルゥ達の背後から声が聞こえ
た。
「やめてくれ、ヴィルカルド!!」




