5−1 <受難者の正体>
陰鬱な夜が明けた。
結局夜通し付きっきりで旅人の男を看ていたのはベオルで、看ていた感じだともう熱も
ひいてきたし、呼吸もだいぶ穏やかになったので大丈夫だろうと思われ、今は朝食を取る
ためにリビングにいた。
エルゥとロンドも食べ終え、さて旅人の様子を見に行ってみようか、と思い立った時に、
その当人がリビングに下りて来た。
「お、お前さん、目が覚めたかい!」
まだ病み上がりで足元がふらついている彼を支えながら、ベオルが言った。そのまま自
分の席に座らせる。
「…すまない…。どうやら、だいぶ世話になってしまったみたいだ…」
かすれた声で旅人が目を伏せる。
「オレの名前はジェイドだ。礼をしたいのはやまやまだが、あいにくそれほど金は持って
いないんだ…。でも、いつか必ず返すから…」
と言うのをベオルが遮って、
「まあまあ、礼なんていいさ!困った時はお互い様だ。それにお前さんに金が余ってると
はそのナリじゃあ思えねぇしな」
いつものようにガハハと鷹揚に笑うのだった。
「本当に、申し訳ない…」
「いいっていいって!おいセロット!客人の食事を用意してくれ!」
ベオルはキッチンに向かって大声で注文してから、また申し訳なさそうにうつむいてい
るジェイドと名乗った旅人に向き直った。
「ま、とりあえずメシでも食ってくれ!詳しい話はそれからだ。オレはここの薬方屋の店
主のベオル。で、こっちの双子が先客のエルゥとロンドだ。二人ともまだ年若いが、魔法
使いなんだぜ?」
『魔法使い』と聞いてジェイドの顔にも驚きが生まれた。そして双子というのも珍しか
ったのだろう、彼はエルゥとロンドをまじまじと見つめ、その力を確かめでもするかのよ
うだった。
「えーと、ぼくがロンドで、こっちがエルゥだよ!よろしく!」
二人は並んで立っていたが、ロンドが自己紹介して愛想良く笑った。
「ああ、よろしく…」
そこへセロットが野菜スープとパンを運んで来た。ジェイドの前に並べると、ベオルが
紹介する。
「おれの娘のセロットだ」
「セロットです。どうぞ、たいした物じゃないですけど食べて下さい」
軽く微笑みながら、食事を勧めた。
「あ、ああ、オレはジェイド。…ありがとう、いただくよ」
ジェイドはセロットを見て少し戸惑いを覚えた。
明るい大きな瞳と屈託ない笑顔。それは彼がよく知っている少女を思い出させた。彼は
物思いに沈みながら、ゆっくりと食事を始めた。
ジェイドは旅のせいでやつれ、肩まで伸ばしっぱなしの黒髪はボサボサ、無精ひげなど
も生えていたが、ちゃんとすれば少々つり目気味の切れ長の目、細いあご、整った目鼻立
ちは好青年であろうことが見てとれた。その彼がこんなボロボロになるまで旅をしている
なんて、一体どれほどの訳があるのだろうか。
ジェイドの食事が終わり落ち着くと、皆は再び彼の周りに集まり、いよいよ改めて話を
聞くことにする。
ジェイドはこんなに興味を持たれていることに若干不可解さを感じたが、やがて切り出
した。
「オレは、ヴィルカルドという男を探している。神官ふうの格好をしていて、名前よりは
受難者と呼ばれている方が多いかもしれない。この町にそういう男はいないだろうか?」
皆の顔がいっせいに緊張感を帯びた。その変化にジェイドも目を見開き、必死の形相で
「ヤツを知ってるんだな!?どこにいる、教えてくれ!オレはあいつを止めなければ!!」
勢い込んで立ち上がり、ベオルの腕をつかんだ。
「ま、待ってくれ、落ち着け!とにかく落ち着いて座ってくれ!」
「そんなことを言っているヒマはない!!早くしないとこの街が滅びてしまう!!」
「何?」
「ちょっと、今のどういうこと!?」
今度はエルゥ達とセロットも食い付いてきて、このままでは埒が明かなくなるので、ジ
ェイドは一旦座り直し、決心したように顔を上げた。
「分かった。一から話そう。オレの旅の訳を…」
それこそ、エルゥとロンドが聞きたかったものだ。皆は大人しくジェイドの話に耳を傾
けた……。
「オレとヴィルカルドは幼なじみで…、親友だった。海の向こうの大陸の、地方の村で暮
らしていた。暮らしは貧しかったが、オレ達はまっとうに生きてきたつもりだ。だが二年
前に、あいつのたった一人の家族の妹が流行り病にかかってしまい…、医者に診せる金も
なかったが、あいつは薬代を稼ぐために領主の家で働くようになった。…領主の娘もあい
つの妹と同じ病にかかっていてな。ある日、その領主の娘の治療を手伝えば、妹の面倒も
見てやると言われたらしい。だけど…、その手伝いから帰って来てから、あいつは人が変
わってしまったんだ」
「…その治療の手伝いってどういう…?」
セロットが尋ねるが、ジェイドは悲しそうに首を振る。
「分からない。聞いてもあいつは教えてくれなかった。でもだまされたことだけはハッキ
リしている」
「えっ…、じゃあ…」
「ああ。領主の娘も、あいつの妹も、死んでしまったよ」
エルゥはそうだろうな、と思った。権力者の言うことなど自分に都合のいいことばかり
で、あからさまに怪しいではないか。そんな言葉に引っかかるなんて、今のヴィルカルド
の姿とはかけ離れている。
「そうだったの…」
気遣うセロットに一瞥を投げるジェイドの瞳には、苦悩と悲しみと恐れがないまぜにな
ったような、複雑な感情が宿っていた。
「あいつが領主の所から帰って来た日に、領主とその娘が死んだと聞かされた。領主の方
は、獣に引き裂かれたみたいにズタズタになっていたそうだ。それからあいつは急に神官
みたいに振る舞い出したんだ。領主が恐ろしい死に方をしてから、村人達はかなり怯えて
いたからな。あいつは受難というものをやり、人々の恐れを取り除いているのだと言った。
オレはいきなりあいつがこんなことをするようになるなんておかしいと思ったが、始めの
うちは皆心が癒されたように見えたから、それ以上追求しなかったんだ。そんなことを数
日しているうちにあいつの妹も死んでしまい…、でもあいつは涙一粒流さなかった。オレ
はあいつをなじったけど、あいつはオレに早く村を出て行けと言うばかりで、受難をやり
続けた。そしてだんだん人々の様子がおかしくなり、些細なことで争いを始め、ついには
殺し合うまでになってしまったんだ!」
ジェイドは今まさに目の前でその光景が繰り広げられているかのように身を震わせた。
誰も何も言わなかった。この話が本当なら、今まさにこのエラムの町がそうなる寸前で
はないか。すでに町の人々は些細なことで怒りを発したりし出している。近いうちに殺し
合いにまで発展するのだろうか。そう考えると恐ろしさがつのり、言葉を呑むしかできな
かった。
ジェイドは恐怖を振り切り、再び話を続ける。
「オレは村人に襲われ一旦村を離れたが、戻った時には、村は全滅していた…。何もかも
壊され、皆殺されて、ただ一人、ヴィルカルドがいて…、あいつは狂ったように笑ってい
た。オレはようやく悟ったんだ。どういうことかは分からないけど、これはあいつがやっ
たんだって。今までのヴィルカルドはそんな酷いことなんてできるヤツじゃなかったのに
…、あの日からあいつは変わってしまったんだ。それから、あいつは村を出て行き…、オ
レは近くの村に身を寄せていたが、しばらくしてから、町が一つ大虐殺にでも遭ったかの
ようになって全滅したらしいという噂を聞いたんだ。オレはすぐにヴィルカルドの仕業だ
と思った。それでヤツの後を追うことにしたんだ。その旅の間も、何度か村や町が滅びた
跡を通ってきた。数少ない潰れる前の町の様子を知っている人間に話を聞くと、オレの村
と同じだった。人々は皆神官らしき男の受難というものをやっていて…、やがておかしく
なっていったと。あいつはどうしてこんなことを…!!こんな恐ろしいことをやり続けてい
るなら、止めなければならない。…あいつの友として、このオレが…!!」
ジェイドの目からは涙が溢れていて、その姿は痛ましいばかりだ。皆がジェイドの決心
の深さを知った。そこまでの強い思いで、彼はヴィルカルドを追っていたのだと。
「…お前さんの事情はよく分かった。いつもだったら正直信じらんねえ話だが、今は本当
のことなんだろうと思うぜ」
ベオルの言葉に、ジェイドが顔を上げる。
「ヴィルカルドはこの町にいる。そして、今この町は滅びる寸前だ」
「な、なんだって!?もうそんなに受難が進行してしまっているのか!?頼む、オレをあいつ
の所に連れて行ってくれ!手遅れになる前に…!」
ジェイドがベオルの腕につかみかからんばかりに詰め寄った。
その時―――――、
ドクン!
「「!!」」
空気が震えた。
エルゥとロンドが反射的に、まるで身体に何かが突き抜けたかのように身をこわばらせ
た。
「?どうしたの、エルゥ、ロンド」
不思議そうにセロットが尋ねる。べオルとジェイドもいぶかしげに魔法使いを見ていた。
普通の人間には感知しえないが、二人には判る。これは、邪気だ。それも急に、大量に
湧いて出た感じだ。
二人はさっと側の壁に立て掛けてあった杖を取り、
「ここにいろ!」
とエルゥの声を残して戸口に向かう。
「あ、ちょっと待って!」
ロンドは何か思いついたらしく、直前で足を止め、部屋の中央に立った。セロット達は
何が何だか解らない。ただ二人の様子から、ただならぬことが起こったんだろうというこ
とは読み取った。
実はロンドは、この家に世話になった次の日に、リビングの壁四隅に自分の符を張って
おいたのだ。いざという時、こうしてすぐに結界が張れるように。
ロンドはジェイドの食事の際に用意されたコップの水に指を付け、床にエルロンディア
の神紋を描く。それから杖を突き立て、呪文を唱えた。
「『ここは聖なる領域 許可なきものの侵入を禁ず』!」
一瞬、四方の壁が青白く光った。
「これで他の人は入って来れないはずだから、ここから出ないでね!」
ロンドもそう言いながら、黒髪の長いおさげをひるがえしてエルゥの後を追った。
「ちょっとロンド!どういうこと!?」
説明もなく放り出されて、セロット達は気が気じゃない。
「もう何かが起こってるってことなのか?」
ベオルも不安げに辺りを見回す。魔法使いの言うことに背いて部屋を出てまで外の様子
を見る勇気は出なかった。
取り残された三人は何となく部屋の真ん中に身を寄せ合い、「何か」を待つしかなかっ
た。
「ヴィルカルドが…!」
思いつめた表情でジェイドが言いかけた瞬間、
ドン、ドンドン!
と家の壁や扉を乱暴に叩く音が響き、全員ビクッと飛び上がった。どう考えても客が来
たというわけではなさそうだ。
「あ、あれ見て!」
セロットが窓を指差している。見るとそれは、手に棍棒やらハンマーやら何がしかの武
器を持って、この家を破壊しようと力任せに叩きつけている隣人達だった。その背後では
お互いを襲い合っている住人達も見える。
「なんてことだ…!!」
ベオルが信じられないとばかりに声をもらした。
どうやら取り囲まれてしまったようだ。




