第一章 一部
<第一章>
*1年前*
入学式を迎えたその日、私立晴嵐高校の全校生徒に知れ渡った1つの名前があった。
・・・「桧原アリス」。
彼女はその日入学したばかりの1年生だったが、たった1日で3年生にまでその
名前を覚えられた。
理由は彼女が何か問題を起こしたとかそういう訳ではなく、もっと単純明快で実に分かりやすい。
容姿端麗。
誰が見てもそう思えるようなルックスを持っていた。「可憐」というより「綺麗」という形容詞のほうが似合う雰囲気を持つ彼女が存在しているだけで、その場が周囲と違う場所のように見えた。
馬鹿な俺の乏しい語彙力だと彼女の美しさを表現しきれないことが情けない。
とりあえずその以上な程の美しさに、彼女を見た者たちは言葉を失った。そしてその情報は人かたらへと伝わり、ついには全校生徒に知れ渡る結果となったのは言うまでもない。
それだけ綺麗な桧原アリスは、たった一日で全校生徒に知られたように、たった一瞬で異性の好意を自分へと向けた。
彼女自身が特別に何かしたというわけではない。むしろ彼女は何もしていないのに、ただ周りにいた人たちが勝手に桧原アリスを見て、勝手に惚れたというだけ。
学校が始まってすぐ、彼女は複数の男から告白を受けたはずだ。その人数は数え切れないが、彼女がそれらの告白に対して頷いたことは1度もない。ただ失恋者数が増えていくばかりだった。
彼女はあまり人と関わらず、1人で行動することが多い。もしかしたらそれは彼女の意思ではなく、あまりに大人びている彼女を近寄りがたいと思ってしまう周りの人間たちのせいかもしれない。だが、彼女は休み時間あまり教室にいないようだし、遅刻や早退、無断欠席など、学校にいないときだってある。彼女の行動で、周りを近寄らせがたくしているのも事実だ。
だからといって、彼女が嫌われるということも起こらず、男も女もみんな「桧原アリスなら仕方ない」と諦めるようになった。そうやって、彼女は自然と高嶺の花というポジションを手に入れたのである。
そのまま桧原アリスを含めた1年生は進級し、2年生となる。
彼女に恋する者の数はそんなに減っていないだろう。だが、最早孤立した高嶺の花に手を出そうという馬鹿はそうそういなく、告白数はかなり減ったはずだ。多分、ひっそりと影で彼女に片思いを続ける奴らが大半だろう。
俺がこう予想する理由はずばり、俺もそのうちの1人だからだ。
はっきりと「好き」と言っていいのかは分からない。けれど、ついつい気になって目で追いかけてしまう。
周りほど騒ぎはしないけれど、気にならないと言うと嘘になってしまうのが現状だ。
俺と桧原アリスには接点がない。クラスも違えば、委員会が被ることもない、そもそも俺は委員会なんてやってねぇ。
そもそも住んでいるところが違うのだ。彼女みたいな人間が俺みたいな奴を相手するわけがない。
だけど、あの入学式の日に、初めて彼女を見たときに覚えた胸の高鳴りを、今だに忘れることが出来ない。
あのとき、初めて人を綺麗だと思った。何もかもどうでもいいと適当に生きてきた俺が、初めて興味を抱いた。
だが、この1年、話しは愚か目の前に立ったことすらない。
結局自分がヘタレだったということに気付かされて落ち込んで、でもやっぱり彼女の姿を捜してしまうという日々を繰り返している。
*現在 春*
2年に進級してから、1週間ほどが過ぎた今日この頃。
相変わらず不規則な生活を送る俺は、授業で言うと3時間目くらいの朝とも昼とも言えない微妙な時間に登校した。
教師たちから軽い注意を受けるが、1年の付き合いで俺に言っても無駄ということを分かってくれているらしく、あまりしつこくは言ってこない。
「あ、葵ー。ちょっと聞いてよ、マジニュースだって」
教室に入ると、いつもつるんでいる柿坂京弥が声をかけてくる。
昼だろうが何だろうが俺は寝起きなわけで、低血圧のために不機嫌な俺は、やたらにやにやしている友達を見て、無償に腹が立った。
「何を」
「橘の奴いるだろ?あいつ、桧原に告ったらしいぞ」
桧原の名前に、ぴく、と反応する。
去年よく聞いた「だれだれが桧原アリスに告白した」というフレーズに、多少なりとも妙な懐かしさを感じた。
橘という苗字の奴は、この学校に1人しかいない。すぐに同学年の橘悠斗のことだと分かった。
桧原アリスほどではないが、一般に比べたら彼もなかなかに有名なほうだろう。
テニス部エースを務め、基本的に誰にでも優しい、いわゆる爽やか系。生活態度も申し分なく、教師からは勿論周囲からの信頼も厚い。つまりは俺の苦手なタイプの1人。
俺に言えるかどうかはさておき、橘はルックスはそこそこだが、その人格を買われてか女子からの人気が高い。だが、おかしなことで、彼を慕う女子たちはファンクラブのような掟を作り、誰も告白せずに「橘悠斗は私たちみんなのもの」と思い込んでいるらしい。馬鹿にも程があるが、もっと馬鹿なのは橘本人だ。自分の周りにいる女子たちの密かな掟なんか知りもせず、ただいつも一緒にいてくれる女の子たち、と認識しているようだ。わざとなのか、本気で馬鹿なのかは知らない。
そんな橘悠斗が、桧原アリスに告白した。確かにニュースだ。素直に驚いている。
控えめだと思っていたのに、案外大胆なことをするもんだ。
と、少し関心したあと、ちょっとした疑念が生まれる。
「・・・、返事は?」
その疑念を打ち消すために、とりあえずそう質問した。
「何分かりきったこと聞いてんだよ、振ったに決まってんだろ。桧原だぞ?」
理由が理由になっていないことにはすぐに気付くが、それでも納得してしまえるのだから不思議だ。
同時に、ちょっとした疑念が明らかな不安となる。
俺の表情を見て考えていることを悟ったらしく、京弥がけらけらとうるさく笑いだす。
「だよなだよな。俺もついに桧原潰されんの、って思った」
橘親衛隊(?)かなり気性が荒い。
彼女たちのことを知らずに橘に告白した奴らは、ほとんどの確率で彼女たちに排除される。
教師には見えないところで実行する上に、親衛隊の中にはPTA会長の娘もいると聞いたことがある。もし、その事実を教師が知ったとしても、どうにもできないのが現状なのだろう。
堪えるものは耐え抜くが、友達を失うのは確実だ。大抵の者はその圧力に負け、学校に来れなくなるのが落ち。最悪の場合、転校する。
何歳向けの少女マンガに出てくる悪役だよ、といつも鼻で笑っていたが、今まで興味を持たなかったため、特に干渉はしなかった。
だが、そこに桧原アリスが関わってきているのだとしたら、話しは別だ。
「でもさ、あいつらだって桧原に手を出すほど馬鹿じゃねぇんじゃねぇの?そんなことしたら、学校全員を敵に回すようなもんだし」
確かにそれもそうだ、と自分の中で半分無理矢理に言い聞かせる。
でも、心のどこかで感じている嫌な予感が消えない。
「まぁ、お前にとってはどうでもいいことだろうけどな。クラスも違ぇし、俺らには関係ねぇしな」
俺が桧原アリスに恋心を抱いているなど微塵に思ってもいないこいつはそんなことを言うが、こればかりは同意に苦しむ。
けど、関係ないという意見は正しい。そもそも本当に起こるのかさえ分かっていないのだ。立場などを考えて、桧原アリスには手を出せないということもありえる。
いつもの俺だったらどうでもいいと思えるのに、そう思えない自分が妙に気恥ずかしくて。
ただ視線を逸らすことしかできなかった。
そして月日は流れ、桧原アリスが橘悠斗をフッたという噂が流れてから3日が経った。
時々見かける彼女に特に変化は見られない。変な奴らに絡まれてもいないし、外的な支障もない。今まで通り、1人で静かに生活しているようだ。うるさくなるのは、彼女を見た周りくらい。
つまりは、さすがの橘親衛隊も、桧原には手を出せなかった、ってことだろうか。
普通にホッとしている自分がいる。
逆に考えれば、もし橘親衛隊が桧原に手を出していたら、俺はどうしていたんだろう。
親衛隊たちをぶん殴りに行く?何も知らない橘悠斗に告げ口に行く?
・・・何の関係も、ないくせに?
いや、今何を考えたって仕方がない。誰も桧原アリスに干渉しないというのが最善の結論だ。
俺は多くの人とすれ違う廊下で、小さく溜息を吐いた。
昼休みがもうすぐ終わるというのに、生徒たちは全く教室に戻る気配を見せない。まぁ、俺もその1人なわけだし、むしろ教室から遠ざかっているくらいだから、あえて悪くは言わないが。
飯を食った後の授業なんかに出席しても寝るだけだ。どうせ成績を悪くされるなら、その時間を有意義に過ごしたい。気持ち悪い中年のおっさんのうるさい子守唄を聞いて居心地の悪い体勢で寝るより、まだ暖かいと感じられる程度の日の光を浴びてのびのびと夢の世界へ行きたい。
またサボりかー?とふざけた様子で声を掛けてくる友達を適当に受け流しながら、とりあえず上へと伸びる階段を昇る。
階段を昇り少し経つと、小さな風が俺の長めの髪を撫でていくことにふと気付く。屋上のドアの近くであるここなら別におかしくはないが、俺以外の人がこの昼休みギリギリの時間に屋上にいることに驚いた。まさか他の奴に先を越されるなんて。
誰かと一緒に寝るなんていうのは、それはまだ億劫だ。適当な奴なら追い払おうか、と少し物騒なことを考えながら、鍵が壊れ開きっぱなしとなっている屋上のドアを軽く押し開けると、
「ふざけんなッ」
威勢のいい罵声が女の声で響く。
何となく予想がついて、本当に心底面倒だと思って溜息をつきながらその足を引き戻そうとはしない。
できるだけ関わらないようにしよう、と心の中で決めながら、さらに上へと登る梯子を目指すため回り込む。
目に飛び込んできたのは、やはり複数の女子が1人の女子に群がっている状況だった。
だが、
(・・・・・・・、え)
俺は、呼吸を忘れた。
決して穏やかでない表情の女子たちに囲まれている、少女は、
あの、
桧原、アリス。
そのことを認識した瞬間、カァッと自分の顔が熱くなるのを感じた。咄嗟に、向こうの死角となる壁の影に身を潜める。幸い、まだ向こうには気付かれていないようだった。
・・・何で、こんなところに、桧原アリスが?
あの、誰も触れられない高嶺の花が・・・一体、何で・・・。
「あんたのせいで、どれだけ橘くんが傷ついたと思ってるの!!」
「調子乗ってるんでしょ、顔がいいからって!」
「いつまでも知らないフリしてるの!さっさと顔あげなさいよっ!!」
けど、それらの罵声で、一気に現実に引き戻された。
きっと、彼女たちは橘親衛隊だ。
だとすれば、彼女がここにいる理由も、理不尽な罵声を受けている理由も納得がいく。
夢にも思わなかった人物の登場で少しばかり焦ってしまったが、すぐに理解できる状況だ。
橘親衛隊は動いていた。
橘悠斗の告白を断った桧原アリスに対して憎悪を抱いて、そして行動していた。
学校の誰しもが耳に挟み、最枠な状況を思い描き、それでも誰も行動しなかったが。
一体いつから?今まで何をされた?噂が流れて3日間。今回が初めてか?
もし、今回が初めてではないのなら。
今までも、こうして誰にも気づかれないようなところで、後に証拠が残らないようなことを、
されていたのだろうか。
どんな気持ちで、今、彼女は過ごしているんだろう。
こうしている今も、親衛隊の罵声はやまない。
馬鹿げた非難の声を、彼女に浴びせ続けている。
『俺らには関係ねぇし』
そうだ。俺には関係ない。
できるだけ関わらないようにしよう、って思ってたじゃないか。
桧原アリスには干渉しないというのが、最善だって行き着いただろ。
・・・でも。
そもそも、関係の有無は、関係あるのだろうか。
関係ないというのなら、こんなところに隠れてないで、普通に堂々としていればいい。
今こうして、ずっとここで思考を巡らせている理由は?
考えるまでもないだろ。
彼女を傷つける声を鬱陶しく思う理由だって、
同じでいいんじゃないだろうか。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・、うるせぇな」
気付けば、俺は考えるより先に壁から身を出し、そう呟いていた。
即座に反応した親衛隊たちが、一気にこちらへと視線を向ける。その目は怒りで満ちていたが、怯むほどのものでもない。
そして、桧原アリスの視線も、
・・・当然こちらへと向いて。
俺はそのことに気付いてはいたけど、あえて視線を交わすことなく無視をする。
むしろ、目をあわせる勇気なんてヘタレな俺にはない。
「早くどっか行ってくんね?うるさくて寝るに寝れねぇ、さっさと失せろ」
気だるげにそう言い捨てると、自我を取り戻したらしい端にいる女が中央にいる奴に向かって何かを小声で喋っていた。
自意識ではないが、この学年で俺を知らない奴はそうそういない。ただでさえ派手な格好と素行の悪さが原因だ。こういうときは、少しばかりありがたく思えてくる。
「後から来たのはそっちでしょ。普通、そっちが身を引くべきだわ」
桧原アリスに対して一番怒鳴り散らしていたリーダー核と思われる中央の女は、俺に向かってそんなことを言ってくる。
気に入らない。一目につかない、屋上なんかに呼び出して、複数で1人を追い詰めるなんて。
弱い奴のすることだ。生徒全員を敵に回す度胸もないのなら、そもそも桧原アリスに手を出すほうが間違っている。
周囲の奴らが心配げな表情で彼女のほうを見ていたが、そんなの気にしていないようだった。
「テメェの価値観なんて聞いてねぇんだよ。いいか、聞こえてなかったみたいだから、もう1回言ってやる」
ポケットに手を突っ込む。そうでもしないと、今にも女たちに殴りかかってしまいそうだから。
多分今、俺は苛立ちを越えて怒っていた。
桧原アリスに危害を加えたあいつらに、単純に怒っていたのだ。
理由はもう、分かっている。
「・・・、失せろ」
親衛隊たちを睨みながら、呟くように冷淡に言う。
虎の皮を被った兎たちの体がびくりと震え、その表情に恐怖が浮かんだ。
この場の空気に耐え切れなくなったのか、周りにいた女たちが、尚も俺を睨みつけてくる中央の女を必死に引っ張って、屋上から出て行く。あと数秒でもここで立ち往生していたら、俺は無抵抗な女を殴ってしまっていたかもしれない。
無駄に俺にぺこぺことお辞儀しながら、橘親衛隊は屋上から去っていく。
今だに苛立ちが消えない。適当に教室に戻って京弥あたりに八つ当たりするか。
「ありがとう」
そんなことを思っているときに、前方から声が響いた。
先ほど聞いた、誰よりも綺麗に澄んだ声。
俺はつい彼女のほうへ視線を向け、その視界に彼女を捕らえた瞬間、本当に息が詰まるかと思った。
改めて、こんな近くで彼女を見たのは初めてだった。
いつもは遠くからかろうじて見えるのが限界だ。ましてや、声を掛けられるのなんて、夢のまた夢。
しかも、ありがとう、なんて。
さっきの威勢はどこに行ったのか、彼女の視界に俺が映っていることを思うと、妙に恥ずかしくて、しどろもどろしてしまう。
「私を、助けてくれたんでしょ?」
高校生とは思えない大人びた雰囲気に、蹴落とされそうになる。心臓がうるさいくらいに暴れてて、どうにかなりそうだった。
何かを答えないと、と思うものの、声が上ずって上手く言葉が出てこない。
それでも、どうにか平静を保とうと、彼女に分からないくらい小さく深呼吸をする。
「・・・別に、気にしなくていいから」
人見知りな上に無愛想という自分の性格が嫌になる。
俺の突っぱねた物言いに、彼女は嫌な顔1つせず、再度ありがとう、と呟いた。
妙にそう言われるのが照れくさくて。普段、あまり人に言われ慣れてない言葉だからという理由も、少なからずあるのかもしれない。
こんな形で、桧原アリスと喋れるなんて思ってもみなかった。実際、まだ信じられていない。そこに関しては、橘親衛隊に感謝すべきなんだろうか。
と、ふとさっきの橘親衛隊たちを思い出して、再び沸々と苛々が込み上げてくる。
でも、当の本人である桧原アリスには、特に先ほどの出来事を気にしている様子は見られない。
本当に気にしていないように見える彼女に、俺はついつい尋ねてしまう。
「・・・怒ってねぇの?」
怒っている様子は愚か、傷ついている様子すら見られない。
今まで何も起こっていなかったかのように振舞う、いつもと変わらない高嶺の花に違和感さえ覚える。
彼女は俺の質問に対してきょとんとし、数秒経ってからくす、と小さく微笑んだ。
「そうね、あなたのほうが怒ってくれてるみたい」
俺は怒りを抑えているつもりだったが、桧原アリスには伝わってしまっていたらしい。
嬉しいような、ちょっとムカつくような・・・複雑な気分だ。
何故か、彼女は俺のほうへ歩いてきて、何となく身を引きたかったが体が思うように動かなくて。
桧原アリスが近づいてくる。
それだけで、ちゃんと息を吸えているのかさえ分からなくなってくる。今、俺の心臓は正常に機能しているだろうか。
彼女は俺のすぐ隣まで来て、俺が寄りかかっているフェンスに手をかけた。話すのなら、相手のほうを見るべきだが、桧原アリスが俺のほうを向いていないことをいいことに、俺も彼女のほうを向かなかった。視線は交わされることなく、互いに反対方向を向いている。だがそれが逆に丁度良い。
「あなたは、彼女たちがどうして私にあんなことをしたのか、知っているの?」
「今、この学校でそれを知らない奴はいないと思う」
気の抜けた質問に驚きを感じつつ、少しだけ彼女に対する緊張が解れる。本当に少しだ、60分の1くらい。
「そうなの?あの人たち、結構有名人なのね」
いえ、有名人はあなたのほうです、という言葉をどうにか押さえ込む。
本当に、今の今まで嫌がらせを受けていた奴の対応だろうか。そうとは思えない程清々しく、彼女はいつも通りだった。
「知っているなら話は早いかな。私には、あの人たちに怒る要素が1つもないのよ」
自嘲するように笑いながら、彼女は確かにそう言った。
は?と、つい声が漏れそうになる。
嫌がらせをされた奴が、嫌がらせをした奴に怒る要素が1つもない?
「・・・どういうこと?」
素直にそう聞き返すと、やっぱり困ったように笑いながら、どこか憂いを帯びた表情で答えてくれる。
「私ね、分かるの」
何が?
そう言葉で促すよりも早く、桧原アリスは制するように俺の目を見て続けた。
ついつい見つめ返してしまって、視線を逸らすことができなくなりながら、俺は桧原アリスの言葉を待つ。
「好きな人を傷つけた人を恨む気持ち」
俺は自分の息を呑み込んだのを感じた。
微かに笑みを浮かべる彼女は、今まで見てきた中で一番綺麗で。
何を言ったらいいのか、いや、何を考えていいのかさえ、分からなくなった。
「だからね、私にはあの人たちを怒れないんだ。あの人たちが好きな橘くんを、私が傷つけてしまったから」
そんな考え方を、俺はしたことがない。
俺はただのガキだ。傷つけられれば傷つけ返すし、誰かを傷つけていることにも気付かない。この年だったら、ほとんどが俺と一緒なんだと思っていた。
だが、桧原アリスはそうじゃない。きちんと自分が他人を傷つけてしまったという現実を受け止め、そしてそれに報おうとしている。
自分の行動に責任を持って、受けるべき罰に応えようとしている。
誰もがそうするべきだと考え、できていると思い込んで、結局できていないということを当たり前だとしているこの世界の中で、桧原アリスはそれを貫き通している。
・・・純粋に、尊敬できた。そこら辺で偉ぶっている大人たちなんかより、ずっと。
俺たちと、彼女の違いは明白で、だからこそ、近づくことなんて、できない。
隣にいるはずの桧原アリスが、どこか遠い。同じ地面に立っているはずなのに、彼女と俺との間には確かな境界線があって、俺にはその境界線を越えられそうにない。
そんな遠いどこかにいる桧原アリスは、やはり自重気味に笑っていた。
「あ、いけない。もうこんな時間だったのね」
腕時計で時間を確認した桧原アリスは、今度こそ俺の目の前に立って、
「あなた、お名前は?」
と、自重気味でない、満面な笑みを浮かべながら、俺に名前を聞いた。
時間が止まっているように感じた。
風が吹いて、桧原アリスの髪をなでていく。冷たい風は、俺の体の火照りを認識させてくれる。
まだ肌寒い空気の中、俺らの周りにだけ暖かい日の光が届いている。
桧原アリスの周りがきらきらして見える。
うるさい心臓の音で、本当に何も考えられなくなってきている頭で思う。
今の桧原アリスを例えるなら、誰もが迷わずこう答えるだろう。
・・・天使みたいだ、と。
「碓井、葵」
いつの間にか、気が付くと桧原アリスの質問に答えていた。
俺の名前を聞いて、彼女は満足げに笑ってドアのほうへと体を向ける。
「私、桧原アリス。今日は助けてくれてありがとう。それじゃあ、私次の授業に行くね。おやすみなさい、碓井くん」
そう言って、屋上の出入り口に向かって足を踏み出す。数歩進んだところで振り返り、俺のほうへと手を振った。
ばいばい、と口が動いた。距離があって、多分向こうの声が小さかったから、直接声は聞こえなかったけど、彼女はそう言ったのだろう。
さっき俺が言った「寝るに寝れねぇ」という言葉に対しての挨拶なのだろう。
今更になってようやく緊張が解けて、硬直していた体が動く。俺は崩れるようにして、その場に座り込んだ。
桧原アリスといた時間は、きっとそんなに長くない。短くて5分、長くて10分。多分それくらい。
なのに今日一番疲れた。いや、疲れたというより充実していた。一日の中で、一番長い時間だった。
(俺、桧原アリスと話したんだ)
ありがとう、って言われて、大人な考え方に驚いて、名前を聞かれて、ばいばいって手を振られた。
つい昨日・・・いや、数時間前まで、遠くから、それもかなり少ない頻度の割合で、彼女を見ていることしかできなかったのに。この急成長はなんだ、俺にはついていけないぞ。
・・・今もまだ、脈が速い。顔が、熱い。
どうすればいいのか、分からない。
いつも見ている屋上が、何だか違って見える。
おやすみなさい、か。
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、寝れねぇよ・・・)
多分、今夜も。
はい、そらです。
話し書くの遅いんです。下手なくせに。ごめんなさい。
読んでる方は・・・いるのかな・・・。
できれば読んでくださった方はコメントください!アドバイスとかとか。
あれですね・・・臨場感とか出てないですよね・・・苦手です
時間の流れとか・・・何となく、軽くなっちゃうんですよね・・・
抑揚(?)みたいなのつけれるように、これからも頑張ります