プロローグ
Liar regret
<プロローグ>
*3年前 廃ビルの屋上*
桧原アリスは、街の片隅にある廃ビルの屋上にいた。
正確に言えば、屋上の柵の向こう側に。
彼女の一歩先に床はなく、少し身を乗り出して見れば遥か下にアスファルトが見える。
つまりは、今から死のうとしている人が来るような場所だ。現にアリスはここから飛び降りようとしている。
ただし今は街をただ呆然と見下ろしているだけだ。街は普通に観見たらきれい、と呟いてしまうほどきらびやかな夜景を映しだしていたが、アリスは何も感じていない。
迷いはない。恐怖もない。淡々と流れる無意味な最期の時間を、適当に過ごしているだけ。
風に揺れてなびく髪も、寒さに凍える肌も、だんだん冷たくなっていく指先も。全てがどうでもよかった。
気が向いたらここから落ちようと思っている。幸い時間は十分にあるし、好きな時に落ちれる。そう思うと喜ばしくさえ感じた。
死にたいと思った理由はアリス自身分かっていない。
ただ、何となく思い立った。
・・・もう、いいや。
・・・死んでしまおう。
そういう生きていれば誰もが1度は思うが、大抵は実行しないことを。
ほとんどの人には、死にたいと思っても引き止めてくれる何かがある。例えば家族だったり、友人であったり、恋人であったり。人でなくても構わない。仕事など、自分がしなければならないことでもいい。だが、アリスにはそういったものが何一つなかった。
だから自分の気まぐれに従って、目に入った1番高いところまで来た。今だってやめる気は一切ない。
このあとはきっと、風か何かに押されてふわりと宙に浮くだけだ。重力に身を任せればいいだけ。何も難しいことはない。
ふと空を見上げた。街の電灯の明るさに、星は一つも見えない。月でさえ、見つけられない状態だった。曇っているだけかもしれないが、そんなのアリスには関係ない。
今日は、月が見えないな、とアリスは頭の中で呟いた。
すると、背後から、
「ねぇ、チョコレート食べない?」
と、果てしなく場違いな、陽気な声が聞こえた。
予想もしてなかったアクシデントに、アリスの体がびくりと跳ねる。中性的な印象を受けるその声は、寒さで赤くなったアリスの耳に痛いくらいによく響いた。
反射的に振り返り、視界に入ってきたのは全く知らない男の子だった。年代は同じくらいに見える。
ただ、アリスはその少年を見て、つい動きが止まってしまった。
それは、彼があまりに綺麗だったから。
アリスが見てきた中で一番、美しかったから。
具体的に何が、とは表現できない。ただ、アリスには彼を構成する全ての事象が綺麗に見えた。
確かにルックスが嘘みたいに整っているのも、その理由の一つだろう。だが、それだけではないことな一目で分かる。
例えば聖者のような。いや、最早人の枠を越え、妖精や天使のような雰囲気も醸し出している。見方を変えれば、悪魔にだって見えてきた。
とにかくそれ程の、一度見た者の記憶に一生刻まれ続けるような美しさを持った少年がとこにいた。
つい、死のうとしていた自分の前に天使が現れたのかと思った。または死神が迎えに来たのかと。
だが、先程の発言からして彼は人間らしい。
ここまでの思考を巡らせている間、アリスは彼をずっと見つめてしまっていた。
自分を見つめてくる屋上の淵に立つ女の子を不思議に思ったのか、少し戸惑い気味に彼は首を傾げ、
「・・・聞こえてる?」
とアリスに向かって聞いた。
その言葉で我に返ったアリスは、今までの自分の行為を思い返し、羞恥に頬を赤く染めた。
仮にも初対面の人を何も言わずに見つめてしまうなんて失礼だ。
そして、ここまできて何も言わないというのも、相手を不快にさせてしまうかもしれない。
何か言わなければ、と考えるほど、何を言っていいのか分からなくなる。
「あ、いや・・・その、えっと・・・っ」
恥ずかしさと不安と戸惑いと。その他もろもろの感情に苛まれ、アリスはつい挙動不審になってしまう。
そして、あまりに慌て過ぎたアリスは掴んでいた柵から手を離して、少年から距離を取ろうと後ろへ下がるような素振りを見せる。
アリスは綺麗すぎる少年を前に頭の中が真っ白になって、すっかり忘れてしまっていた。
自分が高さ8階のビルの屋上の淵にいることに。
足が何かを踏むことはなかった。
少し離れたところにいる少年の顔が固まったのが見えた。
口から小さく声が漏れたのを感じた。
それと同時に。
体が浮遊感に包まれた。
落ちた、と一瞬で悟る。
目の前に空が広がり、うるさかった雑音が遠くに聞こえる。
何故かそのときだけ、時間が遅くなった。
そしてアリスは咄嗟に手を上に伸ばした。
自分でも自分の行動の意味がわからない。
ついさっきまでこうなることを望んでいたのだ。いつ落ちても構わないと本気で思っていた。
だけど今、死にたくないと思っている自分がいる。助かろうと上に手を伸ばした自分がいる。
落ちる直前まで見ていた、あの綺麗な少年の顔が頭から離れない。
もう一度見たい。声を聞きたい。
願わくば、もっとちゃんと話しをして、あの子のことを知りたい。
そう、死より強く願っている。
助かりたい、と脳が必死に叫んでいる。伸ばした手は空に浮いたままだ。たとえもし何かをつかんだとしても、自分の体重を支えられるほどの力は自分にはない。
無意味な行動だってことは分かっている。
それでもアリスは手を引かなかった。
助かりたかったから。
あの子の問いかけに、答えたかったから。
もうダメだ、とアリスが目をつぶったそのとき、
ガクン、とアリスの垂直落下が制止する。何らかの力がアリスに加わり、重力に逆らっている。
違和感を感じたアリスが目を開き、最初に見えたのはコンクリートの壁だった。足は宙に浮き、呼吸が乱れている。
何が起こったのか、理解できなかった。
ただ、心臓の異常なほどに早い鼓動だけを理解していた。
そして、冷たかった手に何か温もりを感じる。痛いほどに力強く握られていることが分かる。
「何だよ、もう・・・驚かせんなよ・・・」
真上から、声がする。
ため息混じりの声は、
確かに天使のような少年の声。
アリスは恐る恐る顔を上げた。
柵から身を乗り出し、今にも落ちそうになりながらも必死に自分の手を掴む少年の姿があった。さっきは全く気づかなかったが、イヤフォンをしていたらしい。アリスを助けるために焦ったらしく、右のイヤフォンが取れてだらりと垂れていた。
あの細身な体に女といえど人一人を支えるほどの力があるとは思えなかった。
けど現実に、少年はアリスを支えている。焦りと安心が混ざったような、何とも言えない表情を浮かべながら、アリスを見つめている。
「大丈夫?落ちてはないから怪我はしてないと思うけど」
冷や汗を浮かべつつ尚且つアリスを安心させらように笑いながら、少年はアリスにそう語りかけた。
何故、彼が自分を助けたのかは分からない。だが、答えがなんであれ、助けられたことに嬉しさを感じている。
彼の質問に答えようとするも、上手く声が出ない。それでも彼はアリスの顔を見て全てを悟ったように安堵した。
より一層強く手を引かれ、体を支えられて柵を飛び越えさせられる。安全地帯に辿り着くものの、足に力が入らずその場に座り込んでしまう。
少年は一仕事終えたようにため息をついたあと、アリスとの視線を合わせるようにしゃがんだ。あまりの近さにアリスは身を引くが、頬に手を添えられ半ば強制的に止められてしまう。
「・・・あのさ、」
アリスを見つめたまま、彼は口を開いた。
困ったように笑いながら・・・今までで一番優しい声色でアリスはさに語りかける。
「泣くくらいなら、あんなところに行かないでよ」
その言葉で初めて自分が泣いていることに気づいた。
アリスの目からは何粒もの涙が流れ、頬を濡らしていた。少年はそんなアリスの涙を拭ってくれていたのだ。
涙の理由は本人さえ分かっていない。初めて感じた死への恐怖か、それとも助かったことへの喜びか。
ただアリスは、涙を止めることができずにいた。
「君、死にたかったの?」
何の躊躇いもなく聞かれたその内容を、必死に考える。
死のうとした理由だってない。ただの気まぐれで、もう死んでしまおうと思った。
迷いも恐れもなかった。たが、今は違う。あの浮遊感を二度と味わいたくない。
ということは、本当に死にたかったわけではないらしい。
答えに行き着いたものの、どう伝えればいいのか迷ったアリスは、つい俯きながら首を横に振る。
「そっか」
あっさりとした反応だったが、彼は心底安心したように胸を撫で下ろし、アリスに向かって笑って見せた。
胸が高鳴ったのを感じた。
「じゃあ、何がしたかったの?」
そんなこと、自分だって知りたい、とアリスは心の中で思う。
死のうと思って、その直前に彼に出会って、死にたくないと思った。
自分だって、自分の行動の意味がわからない。
ただ一つ、思い当たる節はあった。
それは今日この頃の話ではなく、アリスが物心ついたときからの願望だった。
その願望が果たされないことはとっくの昔に気づいている。だから最近は諦めていたし、改めて実感することもなかった。
だが、ついさっき。少年の姿を見たときに。アリスは久しぶりにその願いを抱いた。
もしかしたら、淡い期待を抱いてしまったのかもしれない。
彼が天使に見えたから。
天使なら、私の願いを叶えてくれるかもしれないと。
そんなことあるはずない、とは分かっている。
この少年は人間だし、この願いが果たされることもない。ちゃんと分かっている。
が、その願望を今彼に伝えようとしている。
いつものアリスなら、ここで何かを答えることはしなかっただろう。命の恩人とは言え、会ってまだ10分ほどの名前も知らない少年に自分の願いを言うなど、絶対にしない人間だった。
それでも口を開こうとしている。
この人なら受け止めてくれると思った。笑わないでくれると思えた。
死ぬ間際に出会った人だからか、自分を助けてくれたからか・・・いや、もうこの際理由なんて。
彼が天使だと思えたからで、それでいい。
「・・・私は、」
声が出る。体の震えは止まっていない。だけど声は出る。伝えられる。
自分の目から一筋の涙が流れた。
それをきっかけに、アリスは目の前にいる少年に、告げた。
「私は誰かに、・・・愛されたい」
そしてその祈りを聞いた少年は、
少し経つと、アリスを引き寄せ、抱きしめた。
今だ泣き続ける1人の少女に彼は小さく囁く。
「なら、俺が愛してあげようか」
冷たい夜のことだった。
はい、初めまして、こんばんわー
そらです
えっと・・・まずは、こんな私の作品を読んでくれて本当にありがとうございます。
今作品は、完全趣味です。
だから周りの方々と全く作風が違うみたいで・・・恥ずかしい限りです←
できれば続きもまた読んでくれたらな、と思っています。
下手な超初心者ですが、温かい目で、飽きずに呆れずに、お付き合いください。