中国の歴史は何年? ~定義の曖昧さについて
ある日、ネット上の何かの記事を読んだ友人のAというヤツがこんな事を言った。
「中国四千年の歴史なんていうが、あれは嘘だ。本当は六十三年程しかない。あいつらは大嘘つきなんだ」
それを聞いた瞬間、僕は「うーん」と唸り、軽く頭を抱えた。
さて、どこから説明しよう?
Aが根本から話を分かっていないのは明らかだったからだ。それで、取り敢えずはこんな事を言ってみた。
「どちらも嘘じゃないよ。四千年というのも本当だし、六十三年というのも本当。いや、どちらも嘘じゃないし、本当でもないってのが正しいのかもしれない」
それにAは多少は気を悪くしたような、それでいて少し自信ないような表情を浮かべた。情報源が中途半端だという自覚が、彼にもあるのだろう。
「なんだよ、それ?」
と、訊いて来たので、僕はこう言ってみた。
「どちらも定義を変えれば正しいって事だよ。“社会の同一性”を、どう定義するかって話だから。
ある定義を採用すれば四千年だろうし、別の定義を採用すれば、六十三年。因みに、六十三年って定義は、旧中国と現中国を分けて捉えた場合の年数だね」
それにAはしばらく黙った。それから思い付いたようにこう言った。
「でも、どっちが妥当かってのはあるだろうよ」
「ま、あるだろうね。ただ、どうやって妥当かを判断すれば良いかが分からない。何かを定義するのって難しいのが普通なんだよ。
でもって、定義が難しいからこそ判断が曖昧になってしまって、色々な人が自分にとって都合の良い解釈を採用する訳だ。
この場合なら、中国の自慢をしたい人は、四千年の定義を採用し、中国を馬鹿にしたい人は、六十三年の定義を採用する。ただそれだけの話なんだな。どっちもどっちだって僕は思うよ。
一応断っておくと、“中国四千年の歴史”ってのは、一般的な表現でよく使われているから、こう言った場合でも、別に自慢したい訳じゃないのかもしれない」
それを聞くと、友人は何も返さなくなった。僕は更に説明を付け足す。
「似たようなこの手の話題は、他にも色々とあるんだ。例えば“東京は世界一の規模を持つ都市かどうか?”とかね。
純粋に地理として区画されている東京都なら、これは間違っている。でも、首都圏… つまり、県境を超えた範囲も都市“東京”とみなすのなら、その可能性が出てくる。ただ、これだと何処までを東京に含めるのか?って問題が出て来るけどね。
世界一の規模になるまで、都市“東京”の定義を拡張すれば世界一だけど、果たしてこれって正当なのかな?」
……ただの自慢の為に、この手の“定義の曖昧さ”が都合良く使われるくらいなら、大して問題はないかもしれない。
でも、場合によっては、これは深刻な問題を生む。その代表例が憲法や法律の解釈。
宗教の定義が曖昧である為、神道は習俗だとし、憲法にある“政教分離原則”をほぼ無視して神道は実質、国教にも等しい扱いとなっているし、よく話題になっている自衛隊の扱いだってこの類だ。
そして、2013年12月に法案が可決された特定秘密保護法の対象とする情報に対しても、この“定義の曖昧さ”が都合良く使われる危険性がある。
官僚や政治家は今までに、原発関連や薬害問題のような人の生死に関わる情報を、自らのミスや不正がばれるのを恐れて隠蔽し続けて来た。
そういった情報を、定義の曖昧さを利用して、官僚がこれからこの特定秘密保護法の対象にしてしまう危険性はかなり高い。
定義の曖昧さ。
その危険性を、もっと多くの人が知るべき時代になっているのじゃないかと思う。