ボロアパートの一室の七夕
ボロアパートの一室の七夕
「それ、どうしたの?」
そう僕が妻に言ったのは夕方近くのことだった。
妻が笹を持って帰ってきたのだ。
僕の質問に、このアパートの右隣の家の人がどうぞ、って渡してくれた。と、返した妻は荷物を置いて財布を鞄から取り出し、それだけを持って何も言わずに笑顔で出かけていった。
少しして汗だくで戻ってきた妻は靴を脱ぎ捨て、ドタドタと急ぎ足で扇風機の前まで来ると、風量を強にして思いっきり涼みだした。
「あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛~」
我々は、と続きそうな声を出す妻の手には、近くの文房具屋の名前の書かれた袋が握られていた。
僕がその袋の中身を聞いた。折り紙♪、とこれからお祭りでもあるみたいな楽しそうな声で妻は答えた。
部屋の隅にあるカレンダーで日付を確認する。今日は七月七日・・・か。最近のだらけた生活により、すっかり日付の感覚がなくなっていた僕。
そういえばと、思い出した。
「たしか・・・」
そう言いながら回し忘れていた回覧板を、その場に座ったまま手を伸ばし仕事机から取ると開いて確認する。
扇風機で宇宙人になりきっている妻に開いた回覧板を見せ、言った。
「近所の神社で七夕祭りだってさ。行ってみる?」
「いく~♪」
楽しそうだ。
それからすぐに出かける準備をするのかと思いきや、妻は色とりどりの折り紙をハサミで縦長に切ると、そのうちの一枚と黒色のマジックを渡してきた。
願い事を書けということらしい。
僕が壁に立てかけてある折りたたみ式の丸いテーブルを出すと、向かい側に妻が座って僕の手元をニコニコ笑顔で見つめていた。
「見ちゃダメだよ。願いが叶わなくなる。」
そう言うと僕はくるっと座ったまま方向転換して仕事机でささっと書いてしまう。そしてその紙を半分に折るとのりで袋とじにした。
その一連の作業を呆然と見ていた妻は、僕が作業を追えた瞬間に、ずるいっ!と子供のようにむくれてそういった。
その顔が可笑しくてつい笑みがこぼれてしまう。それを狙っていたかのように妻も微笑んだ。それから妻も願い事を僕に見られないように書き袋とじにすると、願い事の書かれていない部分に穴を空け、紐を通し貰ってきた笹にくくりつける。
たった二つだけの短冊が笹と共に風に吹かれて揺れていた。
「それじゃ準備して行こうか!」
「はい♪」
本当に楽しそうだ。
1
神社に着くとそれほどの規模ではないお祭りのはずなのだが、子供たちやその親たちで意外と賑わっていた。
神社の中央には何本もの笹が備え付けられており、数えるのも面倒なほどの短冊で飾られていた。
その下では脚立に乗ったおじさんたちが子供たちから短冊を受け取り笹にくくりつける作業をしていた。
よく見れば、僕たちから見て笹の後ろ側に専用の台が設けられており、子供たちがそれを机代わりになにやら書いているようだった。
近くまで行って見ると短冊に願い事を書いているのがわかった。
子供たちの願いごとは自分のことばかりなものばかりであるが、時には誰かの幸せを願うものや、親の病気の完治のことがあったりと、見てて飽きない。
そんな中に一つだけ明らかに大人が書いたように見える短冊が・・・。
「―――さんも書きませんか?」
妻だった。
何をやっているのやらとツッコミたいが、妻に何を言っても無駄だなと思うと、そんな気は起きない。
「さっき家で書いたでしょ?願い事は一つだけしか叶わない。」
そういった途端、周りの子供たちから
「「えーっ!?」」と、一斉に言われた。
「大丈夫ですよ~このお兄さんの言ってることは嘘ですからねぇ~願い事は、願っただけ叶うものです。ただし!願いが叶うことを信じないとダメですよ?」
妻の話をまじまじと聞く子供たちを見て僕は、差別だ!と心の中で訴えた。
そんな心の叫びが聞こえたのか妻は僕の傍まで来ると頬にキスをし、笑顔でこう言った。
「願い事は、いっぱいあったほうが楽しいです。」
僕は子供たちの黄色い声を浴びながらも無言で台の上の何も書かれていない短冊を取ると、こう書いた。
“僕と―――に子供という名の幸せを”
僕はそう書いた短冊を誰にも見られないようにおじさんに渡した。おじさんは書いてあることを見てニヤリと笑いながら「ガンバレよっ!」と、一言くれた。もちろん余計なお世話だと心の中で返した。
それから僕は妻の元へと戻り、お祭りを回ろう、と言う。それに頷いて答える妻の左手と僕の右手を繋ぎ歩き出す。
「家の短冊にはなんて書いたの?」
そう僕が聞く。
それに妻は答える。
「秘密です♪」
夕暮れ時の神社に風が吹く、その風を受けて僕は思う。
家の笹もこの風に吹かれて揺れているだろうか?そして僕の願いは風に乗って、天へと届くのだろうか?・・・と。