ボロアパートの一室のバレンタイン
ボロアパートの一室のバレンタイン
冬に寒さが去る二週間ほど前の、二月の十四日を僕は徹夜で迎えた。
久々の長編のラストを一気に仕上げたかったので、最終手段として使ったのだ。
何故だか妻も一緒に徹夜に付き合ってくれたのだが、同時に何かを作っていたようである。先ほどから漂ってくる甘い匂いから、なんとなく予想はついていた。
なにせ今日は二月の十四日なのだから・・・。
1
「―――さ~ん♪ちょっと来て下さ~い」
そう妻に呼ばれたのは、お昼を食べ終わり、部屋の片づけをしていたときのことだった。
眠い目を擦りながらキッチンへ行くと、ハートが散りばめられた袋を渡された。
「ありがとう」
僕がそう言うと、妻は、嬉しそうに“そわそわ”しながら抱きついてきた。
抱きしめるのは妻なりの照れ隠しなのかもしれない。そう思うと僕も嬉しくなり、妻に提案してみたりするのだった。
「ひさしぶりに、散歩でもしようか♪」
それに答えるように妻は、よりいっそう強く、僕を抱きしめるのだった。
2
散歩と言いつつ、いろんな場所へ行った。
花見という名目で春に行った公園に、子供たちが寒い中、元気よくサッカーをしている夏祭りのとき来た土手下のグラウンドにも行った。
秋にフリーマーケットで訪れた中学校や、十二月に行われたお祭りの屋台の並んだ商店街を歩いた。
「一年でいろんなことが出来るものだね~」
僕がそう言ったのは、ボロアパートの横にある、公園のベンチに座って、妻と話しているときだった。
「でも、まだまだ色んなことが出来ますよ♪人生は長いですから・・・ね♪」
そう言って僕の冷え切った手を握ってくれた妻の手は、暖かくて、優しくて、二人でこれから歩いていく道を光で照らしてくれる。そんな気がした。
「ですから―――さんは、・た・より・・・・んじゃ・・ですよ?」
妻の声が遠のいていく、すごく眠い。
体を妻のほうへ倒す。耳元で妻の優しい声がした。
「おやすみなさい」
次に目が覚めたとき、僕の目の前には当たり前のように妻の笑顔があって、それから・・・。
3
安らかな眠りなど訪れはしなかった。
目を閉じた瞬間。
僕の心臓は大きく一回“ドクン”と鼓動し、そして壊れた。
動けなかった。
肺から空気が抜け、血が下がっていくのが分かった。
急に寒気が押し寄せてくる。
妻が僕の名前を呼んでいるらしかった。
今にも泣きそうな顔で必死に呼びかけている妻が可哀そうで、僕は申し訳なくなって動かない口を無理やりこじ開け謝った。
「ご・・め・・・・ん」
耐え切れなくなったのか妻は泣き出してしまった。
その後のことは良く覚えていない。
ただ妻が、どこにも行かないでと言う様に強く抱きしめたので、どこにも行きはしないよと言うように、僕も強く抱きしめた。
そのことだけは、何故か覚えていた。
優しい時間に鐘の音が鳴り響く。
終わりが来たと、伝えるように・・・。