異世界に転移した主人公は、戦闘能力ゼロながら家事スキルだけは超一流。瀕死のところをドラゴン族に拾われ、料理・掃除・育児で彼らの生活を支えドラゴンたちの心を癒し、やがて世界の災厄を解決する。
プロローグ:火竜の少女と、鍋を持った男
世界が滅びるとき、誰がそれを止めるのか。
剣を持つ英雄か。魔法を操る賢者か。神の使いか。──いや、鍋を持った家政夫だった。
「……ここは、どこだ?」
男は、目を覚ますなりそう呟いた。
名をユウト。年齢二十八。職業・家政夫。
異世界転移者としては、あまりにも地味すぎる肩書きだった。
周囲は岩肌むき出しの荒野。空は紫がかった夕焼けに染まり、風は硫黄の匂いを運んでくる。
見知らぬ土地。見知らぬ空。見知らぬ匂い。
そして、見知らぬ──巨大な爪。
「おい、人間。生きてるか?」
声の主は、少女だった。
──いや、少女の姿をした“火竜族”だった。
赤い鱗に覆われた腕。瞳は金色に輝き、背中には折りたたまれた翼。
彼女の名はリュミナ。火竜族の若き戦士であり、里の問題児でもある。
「……えっと、どちら様?」
「リュミナだ。火竜族の里の者だ。お前、空から落ちてきたぞ。生きてるのが不思議なくらいだ」
「そりゃどうも。俺、ユウト。家政夫です」
「かせいふ?」
リュミナは首を傾げた。
その仕草は人間の少女のようだが、地面にめり込んだ岩を素手で引き抜くあたり、やはりドラゴンである。
「掃除したり、料理したり、洗濯したり……まあ、家のことを全部やる職業です」
「戦えないのか?」
「まったく」
「魔法は?」
「使えません」
「……役立たずじゃないか」
「そう言われると思った」
ユウトは苦笑した。
だが、リュミナはしばらく黙った後、ぽつりと呟いた。
「……まあいい。うちの里、今ちょうど掃除係が逃げたところだ」
「え?」
「ついてこい。鍋くらい持てるなら、使い道はあるだろ」
こうして、ユウトは火竜族の里へと連れて行かれることになった。
剣も魔法も持たぬ男が、鍋と雑巾で世界を救う物語が、今始まる──。
* * *
火竜族の里は、火山の裾野に広がる岩と炎の集落だった。
石造りの家々は溶岩の熱を利用した暖房機能を備え、空には火竜たちが優雅に舞っている。
人間の文明とは異なる、力と炎の文化。だが、どこか懐かしい“暮らし”の匂いがした。
「ここが火竜族の里。あんたが住むなら、あの空き家を使っていい」
リュミナが指差したのは、半壊した石の小屋だった。
屋根は崩れ、壁には煤がこびりついている。
──なるほど、掃除係が逃げた理由がわかった。
「……まずは掃除からですね」
「それができるなら、歓迎するよ。うちの里、戦うことは得意でも、片付けは苦手でね」
リュミナは肩をすくめた。
火竜族は戦闘種族。炎を操り、空を飛び、魔物を焼き払う。
だが、料理は焦げるし、掃除は爆発するし、洗濯は干す前に燃える。
「家事って、そんなに難しいですか?」
「うちの連中にとっては、魔王を倒すより難しいね」
ユウトは思わず笑った。
だが、内心では少しだけ胸が高鳴っていた。
──この世界には、家事が必要とされている。
「じゃあ、俺の出番ですね。まずは掃除から始めましょう」
「よし。じゃあ、あんたの腕前、見せてもらおうか」
こうして、ユウトの“家政夫としての異世界生活”が始まった。
鍋と雑巾を武器に、最強種族の里で奮闘する日々。
それはやがて、世界の運命を変える物語へと繋がっていく──。
火竜族の里は、火山の裾野に広がる岩と炎の集落だった。
石造りの家々は溶岩の熱を利用した暖房機能を備え、空には火竜たちが優雅に舞っている。
人間の文明とは異なる、力と炎の文化。だが、どこか懐かしい“暮らし”の匂いがした。
「ここが火竜族の里。あんたが住むなら、あの空き家を使っていい」
リュミナが指差したのは、半壊した石の小屋だった。
屋根は崩れ、壁には煤がこびりついている。
──なるほど、掃除係が逃げた理由がわかった。
「……まずは掃除からですね」
「それができるなら、歓迎するよ。うちの里、戦うことは得意でも、片付けは苦手でね」
リュミナは肩をすくめた。
火竜族は戦闘種族。炎を操り、空を飛び、魔物を焼き払う。
だが、料理は焦げるし、掃除は爆発するし、洗濯は干す前に燃える。
「家事って、そんなに難しいですか?」
「うちの連中にとっては、魔王を倒すより難しいね」
ユウトは思わず笑った。
だが、内心では少しだけ胸が高鳴っていた。
──この世界には、家事が必要とされている。
* * *
翌朝。ユウトは雑巾と箒を手に、里の倉庫へと向かった。
リュミナの案内によれば、そこは「物資が詰まってるけど誰も触りたがらない場所」らしい。
「ここが倉庫。中には食料、武器、古代の魔道具……いろいろあるけど、全部ホコリまみれ」
「なるほど。じゃあ、まずは通路の確保からですね」
ユウトは倉庫の扉を開けた。
──そこは、まるで“戦場”だった。
積み上げられた木箱。崩れかけた棚。床には謎の液体が広がり、天井からは蜘蛛の巣が垂れている。
空気は重く、湿っていて、何かが腐ったような匂いがした。
「……これは、なかなかの強敵ですね」
「強敵?」
「ええ。掃除の敵です」
ユウトは雑巾を握り直した。
まずは床の液体を拭き取り、通路を確保。次に棚を整理し、箱を分類。
その手際は、まるで戦術家のようだった。
「……すごい。あんた、戦えるじゃないか」
「戦ってるのはホコリとカビですけどね」
リュミナは目を丸くした。
火竜族にとって、掃除は“力でねじ伏せるもの”だった。
だが、ユウトは違った。観察し、順序を立て、丁寧に処理していく。
「家事って、戦いなんですね」
「ええ。相手は無言で襲ってきますから」
ユウトは笑った。
その笑顔に、リュミナはふと胸がざわついた。
──この男は、何かが違う。
* * *
掃除を終えた倉庫は、見違えるほど清潔になっていた。
棚は整い、物資は分類され、空気は澄んでいる。
火竜族の長老・グラウスが視察に訪れ、驚きの声を上げた。
「これは……まるで、神殿のようだ」
「神殿は言い過ぎですけど、まあ、使いやすくはなったかと」
「人間よ。お前、何者だ?」
「家政夫です」
「……なるほど。家政夫か。よくわからんが、気に入った」
グラウスは頷き、ユウトの肩を叩いた。
その手は岩のように重かったが、どこか温かかった。
「お前のような者が、里に必要だったのかもしれん」
その言葉に、ユウトは少しだけ目を細めた。
──家事は、心をつなぐ魔法だ。
それは、どんな種族にも通じるものなのかもしれない。
こうして、ユウトは火竜族の里に“家政夫”として迎え入れられた。
鍋と雑巾を武器に、最強種族の暮らしを支える日々が始まる。
そしてそれは、やがて世界の運命を変える物語へと繋がっていく──。
第1話「焦げた鍋と焦げた心」
火竜族の里の朝は、熱い。
物理的にも、精神的にも。
空には火竜たちが飛び交い、地上では炎の訓練が行われている。
火山の熱を利用した温泉が湯気を立て、岩肌の家々は朝の光を反射して赤く輝いていた。
ユウトは、そんな熱気の中で鍋を持っていた。
──鍋を持って、困っていた。
「……火が、強すぎるんですよね」
目の前のかまどは、火竜族仕様だった。
火竜が直接火を吹いて加熱するため、温度調整という概念が存在しない。
鍋はすでに底が黒く焦げ、何かが炭になりかけている。
「リュミナさん、ちょっと火を弱めてもらえますか?」
「弱めるって、どうやるんだ?」
「えっと……火を吹く量を減らすとか……」
「そんな器用なこと、できるわけないだろ!」
リュミナは不満げに腕を組んだ。
彼女は火竜族の中でも特に“火力”が強く、訓練ではいつも的を燃やしすぎて怒られているらしい。
「そもそも、料理なんて戦闘じゃないんだから、火力は控えめでいいんですよ」
「戦闘じゃないなら、なんで鍋を焦がす必要があるんだ?」
「焦がしてないです。焦げたんです。事故です」
「……ふん。人間の言い訳は、焦げ臭いな」
ユウトは苦笑した。
リュミナは勝気で不器用。火竜族の誇りを背負っているが、家事にはまるで向いていない。
だが、彼女の火力は“心の焦り”の表れでもあると、ユウトは感じていた。
「じゃあ、こうしましょう。火を使わずに、石焼きで調理してみます」
「石焼き?」
「ええ。火山石を熱して、その余熱で食材を焼くんです。火を直接使わないので、焦げにくい」
「そんな方法があるのか……」
リュミナは目を丸くした。
火竜族にとって、火は誇りであり、力であり、存在意義だった。
だが、それを“使わない”という発想は、彼女にとって新鮮だった。
「料理って、火を使うだけじゃないんですよ。熱をどう伝えるかが大事なんです」
「……熱を、伝える」
リュミナはその言葉を繰り返した。
それは、料理の話でありながら、どこか心に響く言葉だった。
* * *
ユウトは火山石を集め、かまどの代わりに並べた。
その上に薄く切った肉と野菜を置き、じわじわと焼いていく。
焦げ目がつき、香ばしい匂いが漂い始める。
「……うまそうだな」
リュミナがぽつりと呟いた。
彼女は料理に興味があるわけではない。
だが、ユウトの手際と、漂う匂いに、何かが揺さぶられているようだった。
「よかったら、味見してみます?」
「……食べるだけなら、できる」
リュミナは肉を一切れつまみ、口に運んだ。
噛んだ瞬間、目を見開いた。
「……うまい。なんだこれ、肉なのに、優しい味がする」
「火を通しすぎないことで、旨味が残るんです。火竜族の火力だと、どうしても焼きすぎちゃうので」
「……火力が強すぎると、旨味が消えるのか」
「ええ。火って、使い方次第なんですよ」
リュミナは黙った。
彼女の火は、いつも“強すぎる”と言われてきた。
訓練では的を燃やしすぎ、仲間からは距離を置かれ、里の長老には「制御できない火は災厄だ」とまで言われた。
「……火を、弱くする方法って、あるのか?」
「ありますよ。火を見つめることです」
「見つめる?」
「火って、感情に反応するんです。怒ってるときは強くなるし、落ち着いてるときは穏やかになる。だから、火を見つめて、自分の気持ちを整えるんです」
「……そんなこと、できるのか?」
「できます。料理って、そういうものですから」
リュミナは、しばらく黙っていた。
そして、もう一切れ肉を口に運び、静かに呟いた。
「……あんた、変な人間だな」
「よく言われます」
「でも、嫌いじゃない」
ユウトは笑った。
焦げた鍋の中に、少しだけ“心の火種”が灯った気がした。
昼下がりの火竜族の里は、静かだった。
空を飛ぶ竜たちも訓練を終え、岩の家々に戻っている。
だが、ユウトの前には、まだ“戦場”が広がっていた。
「……鍋、また焦げましたね」
「うるさい。あたしの火力は、これが最低なんだ」
リュミナは不機嫌そうに腕を組んだ。
火を吹く量を減らすように言われてから、何度も挑戦している。
だが、鍋は毎回、黒く焦げる。
「火を弱めるって、どうすればいいんだよ。あたし、火竜族なんだぞ?」
「火竜族でも、火を見つめることはできますよ」
「見つめるって、何だよ。火は吹くもんだろ?」
「違います。火は、心の鏡です」
ユウトは、焦げた鍋を水に浸けながら言った。
「怒ってるときは火が荒れる。焦ってるときは火が暴れる。落ち着いてるときは、火も穏やかになる」
「……そんなの、精神論じゃないか」
「料理って、精神論なんですよ。食べる人のことを考えて、火を調整する。それが料理です」
リュミナは黙った。
彼女の火は、いつも“強すぎる”と言われてきた。
訓練では的を燃やしすぎ、仲間からは距離を置かれ、里の長老には「制御できない火は災厄だ」とまで言われた。
「……あたしの火は、誰かを傷つけるだけなんだ」
「そんなこと、ありませんよ」
ユウトは、鍋を拭きながら言った。
「火は、使い方次第です。料理にも使えるし、暖房にも使える。誰かを傷つける火も、誰かを癒す火になる」
「癒す火……」
リュミナは、かまどの火を見つめた。
その炎は、ゆらゆらと揺れている。
彼女の心も、揺れていた。
「……じゃあ、もう一回、やってみる」
「はい。今度は、火を見つめながら吹いてみてください」
リュミナは深呼吸し、目を閉じた。
そして、ゆっくりと火を吹いた。
炎は、いつもより穏やかだった。
鍋の底に、焦げ目はつかなかった。
肉は、じっくりと焼けていた。
「……できた」
リュミナは、目を見開いた。
彼女の火が、初めて“料理”になった瞬間だった。
「すごいですよ、リュミナさん。これなら、料理もできます」
「……あたしの火が、誰かの役に立つなんて」
リュミナは、鍋を見つめた。
その中には、焦げた心ではなく、温かい料理があった。
「……あんた、変な人間だな」
「よく言われます」
「でも、嫌いじゃない」
ユウトは笑った。
焦げた鍋の中に、少しだけ“心の火種”が灯った気がした。
* * *
その夜、里では小さな宴が開かれた。
ユウトの作った料理を囲み、火竜族たちが集まる。
リュミナは、少しだけ誇らしげだった。
「この肉、あたしが焼いたんだ」
「へえ、リュミナが? 焦げてないじゃん!」
「うるさいな。あたしだって、やればできるんだよ」
ユウトは、少し離れた場所でその様子を見ていた。
火竜族の少女が、自分の火を誇れるようになった。
それは、家事がもたらした小さな奇跡だった。
──家事は、心をつなぐ魔法だ。
それは、どんな種族にも通じるものなのかもしれない。
そして、ユウトは思った。
この里には、まだまだ“焦げた心”がある。
それを、少しずつ癒していくのが、自分の役目なのかもしれない。
第2話「掃除は戦いだ!」
火竜族の里には、誰も近づきたがらない場所がある。
それが、中央倉庫──通称“魔窟”だった。
「ここが……倉庫?」
ユウトは、岩の扉の前で立ち尽くしていた。
扉には煤がこびりつき、取っ手は溶けかけている。
周囲には焦げた木箱、割れた瓶、そして謎の液体が染み込んだ地面。
「うん。ここ、誰も掃除したがらないんだよね」
案内役のリュミナが、気まずそうに言った。
「前に掃除係が入ったけど、三分で逃げた。『これは戦場だ』って叫びながら」
「……なるほど。じゃあ、俺の出番ですね」
ユウトは雑巾と箒を握り直した。
火竜族の家事は、常に“戦い”だった。
だが、彼はそれを“戦略”で乗り越える。
「まずは敵の布陣を確認しましょう」
「敵?」
「ホコリ、カビ、腐敗臭、そして……謎の液体。これらが敵です」
リュミナは目を丸くした。
「……あんた、家事を戦術で語るの、変わってるよ」
「よく言われます」
ユウトは倉庫の扉を開けた。
中は、まさに“魔窟”だった。
棚は崩れかけ、物資は無秩序に積まれ、床には何かが蠢いている。
空気は重く、湿っていて、鼻を突く匂いが漂っていた。
「……これは、なかなかの強敵ですね」
「やめるなら今のうちだよ?」
「いえ。むしろ燃えてきました」
ユウトは、まず通路の確保から始めた。
物資を分類し、棚を補強し、床を拭き、天井の蜘蛛の巣を払い落とす。
その手際は、まるで軍師のようだった。
「……すごい。あんた、戦えるじゃないか」
「戦ってるのはホコリとカビですけどね」
リュミナは感心したように頷いた。
火竜族にとって、掃除は“力でねじ伏せるもの”だった。
だが、ユウトは違った。観察し、順序を立て、丁寧に処理していく。
「家事って、戦いなんですね」
「ええ。相手は無言で襲ってきますから」
* * *
そのとき、倉庫の奥から重い足音が響いた。
現れたのは、火竜族の長老──グラウスだった。
「人間よ。何をしている?」
声は低く、岩を砕くような響き。
グラウスは全身を土色の鱗で覆い、背中には巨大な角が生えている。
火竜族の中でも最古参であり、伝統主義者として知られていた。
「掃除をしています。倉庫が使いづらい状態だったので」
「掃除など、戦士のすることではない」
「家事は、戦士の武器にもなりますよ」
「戯言だ。火竜族は炎で語る。雑巾で語る者など、聞いたことがない」
ユウトは、グラウスの言葉に動じなかった。
彼は、鍋と雑巾で世界を救う男だ。
長老の威圧にも、屈しない。
「では、見ていてください。雑巾で語る者の戦いを」
グラウスは腕を組み、黙って見守った。
ユウトは、崩れかけた棚を補強し、物資を分類し、床を磨き上げた。
その動きは、無駄がなく、静かで、力強かった。
「……これは」
グラウスが、ぽつりと呟いた。
「まるで、神殿のようだ」
「神殿は言い過ぎですけど、まあ、使いやすくはなったかと」
「人間よ。お前、何者だ?」
「家政夫です」
「……よくわからんが、気に入った」
グラウスは頷き、ユウトの肩を叩いた。
その手は岩のように重かったが、どこか温かかった。
「お前のような者が、里に必要だったのかもしれん」
その言葉に、ユウトは少しだけ目を細めた。
──家事は、心をつなぐ魔法だ。
それは、どんな種族にも通じるものなのかもしれない。
倉庫の掃除が終わった頃、夕陽が火山の稜線を染めていた。
ユウトは雑巾を絞りながら、グラウスの視線を感じていた。
長老は黙ったまま、整然と並んだ棚を見つめている。
「……お前の手際、見事だった」
「ありがとうございます。掃除は、段取りが命ですから」
「段取り……か。戦も、そうだったな」
グラウスは、ぽつりと呟いた。
その声には、どこか遠い記憶を辿るような響きがあった。
「昔、あの倉庫は兵站の要だった。魔物との戦争の頃だ。物資を詰め込み、仲間が命を懸けて運んだ」
「それで、掃除を嫌うようになったんですか?」
「……ああ。あそこに積まれた箱のひとつひとつに、仲間の命が詰まっていた。掃除なんて、触れるのが怖かった」
ユウトは、静かに雑巾を畳んだ。
掃除とは、ただ汚れを落とすだけではない。
そこにある“記憶”や“感情”に触れる行為でもある。
「でも、汚れたままでは、誰も近づけません。記憶も、閉じ込められたままになります」
「……そうだな。お前が拭いたことで、あの頃のことを思い出した。仲間の声が、聞こえた気がした」
グラウスは、棚のひとつに手を置いた。
その手は、岩のように硬く、そして震えていた。
「人間よ。お前の掃除は、ただの家事ではない。心を動かす力がある」
「家事は、心をつなぐ魔法ですから」
ユウトは、微笑んだ。
その笑顔に、グラウスはしばらく黙った後、深く頷いた。
「……お前を、里の“家政顧問”に任命する。文句は言わせん」
「え、そんな役職あるんですか?」
「今作った」
リュミナが吹き出した。
「グラウスが認めるなんて、すごいじゃん。あたしなんて、火を吹きすぎて三回怒られたのに」
「それは火力の問題です」
「うるさい」
ユウトは笑った。
火竜族の里に、少しずつ“変化”が訪れている。
それは、雑巾と箒がもたらした、小さな革命だった。
* * *
その夜、ユウトは自分の小屋で日記をつけていた。
──異世界転移から三日目。掃除で長老の心を動かす。
──家事は、文化を越える。
「……次は、洗濯かな」
彼は、窓の外を見た。
火竜族の空は、赤く燃えていた。
だが、その炎は、どこか優しくなっている気がした。
第3話「火を吹くドラゴンと火を通す料理」
火竜族の里に、ひときわ元気な声が響いていた。
「ユウトー! 今日の料理、俺にもやらせてくれよ!」
声の主はフェルノ。火竜族の少年で、年齢は六十歳──人間換算で十二歳ほど。
赤い鱗に覆われた小柄な体に、くるくると動く金色の瞳。
火竜族の中でも特に火力が強く、訓練では的を燃やしすぎてよく怒られている。
「フェルノくん、昨日も鍋を溶かしかけたでしょう?」
「だってさ、火を吹くと気持ちいいんだもん!」
「気持ちよさで料理しないでください」
ユウトは苦笑しながら、かまどの前に立った。
火竜族のかまどは、火を吹いて加熱する方式。
温度調整という概念が存在しないため、料理は常に“焦げるか爆発するか”の二択だった。
「でもさ、俺、火を吹くの得意なんだぜ? 訓練でも一番火力あるって言われてるし!」
「火力があるのは素晴らしいことです。でも、料理に必要なのは“火加減”なんですよ」
「火加減……?」
フェルノは首を傾げた。
その仕草は無邪気で、どこか切実だった。
「火って、強ければいいってもんじゃないんです。食材に合わせて、じっくり火を通す。それが料理です」
「でも、俺の火って、勝手に強くなるんだよ。怒ってなくても、焦ってなくても、ドバーッて出ちゃう」
ユウトは、フェルノの言葉に少しだけ考え込んだ。
火竜族の火は、感情に反応する。
怒り、焦り、興奮──それらが火力に直結する。
「じゃあ、今日は“火を通す練習”をしましょう。料理を通じて、火加減を覚えるんです」
「できるかな……」
「できます。火を見つめて、自分の気持ちを整えるんです」
フェルノは、かまどの前に立った。
ユウトが用意したのは、厚切りの肉と野菜。
火山石の上に並べ、フェルノが火を吹いて加熱する。
「よし……いくぞ……!」
フェルノは深呼吸し、火を吹いた。
──ボンッ!
石が赤く染まり、肉が一瞬で焦げた。
ユウトは、すかさず鍋を引き下げた。
「フェルノくん、ちょっと強すぎましたね」
「うわっ、ごめん! 俺、またやっちゃった!」
「大丈夫です。火を吹く前に、心を落ち着ける練習をしましょう」
ユウトは、フェルノの肩に手を置いた。
その手は、温かく、柔らかかった。
「火って、気持ちに正直なんです。だから、火を通すには、まず自分の気持ちを通すことが大事なんです」
「気持ちを……通す?」
「ええ。料理って、食べる人のことを考える行為です。誰かのために火を使うとき、火は優しくなるんです」
フェルノは、かまどの火を見つめた。
その炎は、ゆらゆらと揺れている。
彼の心も、揺れていた。
「……俺、火を使うのが怖かったんだ」
「怖かった?」
「訓練で、仲間の盾を燃やしちゃってさ。それ以来、火を吹くとみんな避けるんだ。俺、嫌われてるのかなって……」
ユウトは、静かに頷いた。
火竜族の火は、力であり、誇りであり、時に孤独を生む。
「でも、料理なら、誰かを喜ばせることができます。火を使って、誰かを笑顔にできるんです」
「……俺の火で、誰かが笑うなら、やってみたい」
フェルノは、もう一度かまどの前に立った。
今度は、深く息を吸い、ゆっくりと火を吹いた。
炎は、穏やかだった。
肉は、じっくりと焼けていた。
焦げ目はつかず、香ばしい匂いが漂った。
「……できた!」
フェルノは、目を見開いた。
彼の火が、初めて“料理”になった瞬間だった。
夕暮れの里に、香ばしい匂いが漂っていた。
火山石の上で焼かれた肉と野菜が、じっくりと火を通され、黄金色に輝いている。
フェルノは、焼き上がった料理を皿に盛りながら、そわそわと周囲を見渡していた。
「……これ、俺が焼いたんだよな」
「ええ。火加減も完璧でしたよ」
ユウトは微笑みながら、皿を並べていく。
リュミナが通りかかり、匂いに釣られて足を止めた。
「ん? いい匂い……って、フェルノが焼いたの?」
「うん! 俺、火を見つめて、気持ちを整えてから吹いたんだ!」
「へえ、あんたにしては珍しく慎重だったんだね」
「うるさいな! でも、ほんとにうまくいったんだって!」
リュミナは一切れつまみ、口に運んだ。
噛んだ瞬間、目を見開いた。
「……うまっ。なにこれ、外は香ばしくて、中はジューシー。フェルノ、あんた天才?」
「えへへ……そうかな?」
フェルノは、照れくさそうに頭を掻いた。
その様子を見て、ユウトは静かに頷いた。
──火が、誰かを笑顔にした。
それは、フェルノにとって初めての体験だった。
「フェルノくん、火って、誰かを傷つけるだけじゃないんですよ。こうして、誰かを喜ばせることもできる」
「うん……俺、ちょっとだけ、自分の火が好きになったかも」
その言葉に、ユウトは少しだけ目を細めた。
火竜族の火は、力であり、誇りであり、時に孤独を生む。
だが、家事を通じて、その火が“絆”になることもある。
* * *
その夜、里では小さな食事会が開かれた。
フェルノの料理を囲み、火竜族の若者たちが集まる。
彼は、少しだけ胸を張っていた。
「これ、俺が焼いたんだ。火加減、頑張ったんだぜ」
「へえ、フェルノが? 焦げてないじゃん!」
「うるさいな! 俺だって、やればできるんだよ!」
ユウトは、少し離れた場所でその様子を見ていた。
少年の火が、誰かの笑顔を生んだ。
それは、家事がもたらした小さな奇跡だった。
──家事は、心をつなぐ魔法だ。
それは、どんな種族にも通じるものなのかもしれない。
そして、ユウトは思った。
この里には、まだまだ“火を持て余している”者がいる。
それを、少しずつ整えていくのが、自分の役目なのかもしれない。
第4話「洗濯と心のシミ抜き」
火竜族の里に、風が吹いた。
それは、火山の熱を冷ますような、涼やかな風だった。
「今日は、洗濯日和ですね」
ユウトは、岩の小屋の裏に干された布を見上げながら呟いた。
火竜族の洗濯事情は、ひどいものだった。
洗剤の概念はなく、干す前に火で乾かすため、布は焦げ、色は褪せ、匂いは残る。
「……あんた、洗濯もできるのか?」
声をかけてきたのは、ミレア。水竜族の女性で、火竜族の里に外交使節として滞在している。
青銀色の鱗に包まれた優美な姿。瞳は深海のように静かで、言葉は少なめ。
彼女は、火竜族の粗雑な洗濯に眉をひそめていた。
「洗濯は、衣類の命を守る行為です。火で乾かすのは、ちょっと乱暴ですね」
「水竜族では、月光干しが主流だ。水で洗い、月の光で乾かす。時間はかかるが、布は長持ちする」
「それは……風情がありますね」
ユウトは、ミレアの言葉に目を細めた。
彼女の話し方は、どこか詩的だった。
水竜族は、火竜族とは対照的に、静と繊細を重んじる種族らしい。
「でも、火竜族の里では、月光干しは難しいですね。火山の噴煙で、夜空が曇ることが多い」
「だからこそ、洗濯に工夫が必要だ。あたしは、火竜族の布を洗うたびに、心がざらつく」
「心が……ざらつく?」
「布には、記憶が染み込む。汗、血、涙──それらを洗い流すのが、洗濯だ。だが、火竜族の布は、洗っても匂いが残る。まるで、過去がこびりついているようだ」
ユウトは、ミレアの言葉に静かに頷いた。
──洗濯は、記憶の浄化でもある。
それは、彼が家政夫として感じていたことでもあった。
「じゃあ、今日は一緒に洗濯しましょう。火竜族式じゃなく、ユウト式で」
「ユウト式?」
「ええ。水と石鹸と、少しの手間。そして、心を込めること」
ミレアは、少しだけ目を見開いた。
そして、静かに頷いた。
「……いいだろう。あたしの心も、少し洗いたい」
* * *
ユウトは、里の裏手にある湧き水の泉へと向かった。
そこは、火竜族が“飲み水”として使うだけの場所だったが、水竜族にとっては“聖域”でもあるらしい。
「この水、冷たいですね」
「火竜族には不評だ。冷たすぎて、体が縮こまるらしい」
「でも、洗濯には最適です」
ユウトは、布を水に浸け、石鹸を泡立てた。
ミレアは、その様子をじっと見つめていた。
「……泡が、布の記憶を包んでいるようだ」
「そうですね。汚れって、記憶の一部ですから」
「じゃあ、洗い流すことで、過去を手放すこともできるのか?」
「ええ。でも、完全には消えません。少しだけ、軽くなるだけです」
ミレアは、静かに布を撫でた。
その手は、優しく、そして震えていた。
「この布……あたしの母が使っていたものだ。亡くなってから、ずっと洗えなかった」
「じゃあ、今日は一緒に洗いましょう。母の記憶を、少しだけ軽くするために」
ミレアは、目を閉じた。
そして、布を水に浸けた。
水面に、泡が広がった。
それは、まるで記憶がほどけていくようだった。
水面に広がる泡は、まるで記憶の断片だった。
ミレアは、母の布をそっと撫でながら、静かに語り始めた。
「母は、水竜族の中でも特に穏やかな人だった。言葉は少なく、手先が器用で、洗濯が好きだった」
ユウトは、泡をすくいながら耳を傾けた。
ミレアの声は、泉の水のように澄んでいた。
「幼い頃、母と一緒に布を洗った。あたしが汚した服を、母が笑いながら洗ってくれた。『汚れは、遊んだ証』って言って」
「素敵な言葉ですね」
「でも、母が亡くなってから、あたしは洗濯ができなくなった。布に触れると、涙が出そうになるから」
ユウトは、そっと布を持ち上げた。
水を絞り、風に当てる。
その動作は、まるで儀式のようだった。
「でも、今日こうして一緒に洗えてよかったです。ミレアさんの記憶が、少しだけ軽くなったなら」
「……軽くなったかどうかは、わからない。でも、布が風に揺れているのを見て、母が笑っている気がした」
ミレアは、干された布を見上げた。
夕陽が差し込み、布は金色に染まっていた。
「ユウト。あんたの家事は、ただの作業じゃない。心に触れる力がある」
「家事は、心をつなぐ魔法ですから」
ユウトは、微笑んだ。
その笑顔に、ミレアはしばらく黙った後、ぽつりと呟いた。
「……あたし、火竜族の里に来てよかったかもしれない」
「そう思ってもらえたなら、洗濯の甲斐がありました」
* * *
その夜、ユウトは小屋の前に干された布を見上げていた。
風に揺れる布は、まるで誰かの記憶を語っているようだった。
「……洗濯って、奥が深いな」
彼は、日記にこう記した。
──異世界転移から四日目。洗濯で記憶に触れる。
──家事は、感情の浄化でもある。
第5話「家事スキルで里の祭りを救え!」
火竜族の里に、祭りの季節がやってきた。
年に一度、火山の神に感謝を捧げる“焔祭”──それは、火竜族にとって最も重要な行事であり、最も混乱する日でもあった。
「ユウトー! 助けてくれー!」
朝から叫び声が響く。
叫んでいるのは、祭りの実行委員──火竜族の青年カリュス。風竜族との混血で、軽薄な性格と口の軽さで知られている。
「どうしたんですか?」
「祭りの準備が、ぜんっぜん進んでないんだよ! 料理班は鍋を焦がすし、装飾班は布を燃やすし、演舞班はステージを崩した!」
「……それは、なかなかの惨状ですね」
ユウトは、岩の広場を見渡した。
そこには、焦げた鍋、破れた布、崩れた石舞台──まさに“祭り前の戦場”が広がっていた。
「で、俺に何を?」
「全部、なんとかしてくれ!」
「……家政夫にできる範囲で、頑張ります」
ユウトは、雑巾とメモ帳を取り出した。
まずは状況の把握。次に優先順位の整理。そして、段取りの構築。
彼の家事スキルは、もはや“戦術”の域に達していた。
「まず、料理班は火加減の指導が必要ですね。フェルノくん、君が教えてあげてください」
「えっ、俺が?」
「君は火加減を覚えたばかりです。教えることで、さらに理解が深まりますよ」
「……わかった! 俺、やってみる!」
フェルノは鍋を抱えて走っていった。
次に、装飾班。布の扱いが荒く、火竜族の“火の癖”が災いしている。
「リュミナさん、布の設置は水竜族のミレアさんに任せましょう。あなたは火を使わない作業に集中してください」
「えー、あたし、飾り付けしたかったのに」
「布を燃やすのが趣味なら、別の機会にどうぞ」
「うるさい!」
リュミナは不満げに腕を組んだが、指示には従った。
ミレアは静かに布を整え、月光干しの技術を応用して、炎の装飾を美しく仕上げていく。
「……さすがですね、ミレアさん」
「布は、語る。火竜族の祭りなら、炎の舞を布に織り込むべきだ」
「詩的ですね」
最後に、演舞班。ステージは崩れかけ、演者たちは混乱していた。
「グラウスさん、ステージの補強をお願いします。土竜族の力で、安定した基礎を作ってください」
「ふむ。人間よ、お前の指示は的確だ。まるで戦場の軍師のようだな」
「家事は、戦場ですから」
ユウトは、メモ帳にチェックを入れた。
料理、装飾、演舞──すべての班が動き始めた。
祭りの準備は、ようやく“段取り”の中に収まりつつあった。
* * *
夕方、広場には活気が戻っていた。
鍋は香ばしく、布は美しく、ステージは堂々と立っている。
火竜族たちは、ユウトの手腕に驚き、そして感謝していた。
「ユウト、あんたって……家政夫っていうより、祭りの司令官だな」
「それはちょっと言い過ぎです」
「でも、あんたがいなかったら、祭りは崩壊してたよ」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、段取りの魔法だ。
それは、混乱を整え、心を繋ぐ力になる。
夜が訪れ、火竜族の里は焔に包まれた。
祭りの始まりを告げる鐘が鳴り、広場には赤と金の装飾が揺れている。
空には火竜たちが舞い、地上では演舞が始まった。
ユウトは、広場の端で鍋をかき混ぜていた。
料理班の補佐として、火加減の最終調整を任されている。
フェルノが隣で火を吹き、鍋の底をじっくりと温めていた。
「ユウト、これでいい?」
「うん、完璧です。火加減、ばっちりですね」
「へへっ、俺、もう火加減マスターかも!」
ユウトは笑いながら、皿に料理を盛った。
香ばしい匂いが広がり、火竜族たちが次々と列を作る。
「これ、フェルノが焼いたの? うまそう!」
「火竜族の料理って、こんなに優しい味だったんだな」
フェルノは、照れくさそうに頭を掻いた。
その姿は、少しだけ誇らしげだった。
* * *
ステージでは、演舞が最高潮を迎えていた。
火竜族の若者たちが炎を操り、空中で舞い、地上で火花を散らす。
その下では、グラウスが土の力でステージを支え、リュミナが炎の演出を調整していた。
「リュミナ、火が強すぎるぞ!」
「わかってるって! 今、調整してる!」
「お前が調整って言うと、爆発するんだが!」
「うるさい!」
ユウトは、遠くからそのやり取りを見ていた。
火竜族の祭りは、混沌と熱気の塊だった。
だが、その中に、確かに“秩序”が生まれていた。
──家事は、段取りの魔法だ。
それは、混乱を整え、心を繋ぐ力になる。
* * *
祭りの終盤、火竜族の長老グラウスが壇上に立った。
彼は、里の者たちに向かって、重々しい声で語り始めた。
「今年の焔祭は、例年になく整っていた。料理は香ばしく、装飾は美しく、演舞は見事だった」
火竜族たちがざわめく。
グラウスが褒めるなど、滅多にないことだった。
「その陰には、一人の人間の働きがあった。ユウト──お前の家事は、戦士の力にも勝る」
ユウトは、広場の端で頭を下げた。
拍手が起こり、火竜族たちが彼を囲む。
「ユウト、すげえじゃん!」
「家政夫って、こんなに頼れるんだな!」
「来年も頼むぞ!」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、裏方の魔法だ。
それは、誰かの笑顔を支える力になる。
* * *
その夜、ユウトは小屋の前で焔を見上げていた。
空には、火竜たちが舞い、星が瞬いている。
「……祭りって、いいですね」
彼は、日記にこう記した。
──異世界転移から五日目。祭りを家事で支える。
──家事は、段取りと絆の魔法。
第6話「料理対決!ドラゴンvs人間」
火竜族の里に、突如として“料理対決”の火蓋が切られた。
きっかけは、ユウトが作った“ふわとろ卵の岩焼き”だった。
「な、なんだこの食感……! 外は香ばしく、中はとろける……!」
叫んだのは、料理好きの火竜族──バルゴ。
筋骨隆々の青年で、戦士としても一流だが、料理に関しては“こだわりが強すぎる”ことで有名だった。
「人間よ……貴様、料理で俺を感動させたな」
「ありがとうございます。卵は火加減が命ですから」
「ならば、勝負だ! 料理で、どちらが真の“火竜の味”を知っているか!」
「ええと……勝負って、何を基準に?」
「味だ! 魂だ! そして、火だ!」
ユウトは、少しだけ頭を抱えた。
火竜族の料理は、基本“焼く”か“燃やす”かの二択。
繊細な味付けや、食感の調整などは“軟弱”とされがちだった。
「じゃあ、テーマを決めましょう。『母の味』でどうですか?」
「母の味……?」
バルゴは、目を見開いた。
その言葉は、彼の心に何かを刺したようだった。
「……よかろう。母は、俺に“岩焼き肉”を作ってくれた。あれが、俺の原点だ」
「では、僕は“卵と野菜の包み焼き”で勝負します。母がよく作ってくれた料理です」
こうして、火竜族の広場に即席の“料理対決ステージ”が設けられた。
観客は、火竜族の若者たち。審査員は、長老グラウス、水竜族のミレア、そしてリュミナ。
「なんであたしが審査員なの?」
「火竜族代表ですから」
「うるさい!」
* * *
バルゴは、岩を割って即席の焼き台を作り、分厚い肉を豪快に焼き始めた。
火力は強く、炎が舞い、肉はジュウジュウと音を立てる。
「これが、火竜の魂だ!」
観客から歓声が上がる。
その迫力は、まさに“炎の演舞”だった。
一方、ユウトは火山石を並べ、卵と野菜を丁寧に包み、じっくりと火を通していく。
火力は控えめ。だが、香りは優しく、色合いは美しい。
「料理って、記憶を呼び起こすものなんです。だから、母の味には“優しさ”が必要なんです」
リュミナは、ユウトの言葉に少しだけ目を細めた。
──優しさ。火竜族の文化には、あまり馴染みのない概念だった。
「でも、火竜族にも、母はいる。優しさを知らないわけじゃない」
ミレアが、静かに呟いた。
その言葉は、広場の空気を少しだけ変えた。
* * *
料理が完成し、審査が始まった。
バルゴの岩焼き肉は、豪快で力強く、火竜族らしい味だった。
ユウトの包み焼きは、繊細で優しく、記憶をくすぐる味だった。
「……これは、難しいな」
グラウスが唸る。
リュミナは、黙って両方を食べ、ぽつりと呟いた。
「どっちも、母の味だと思う」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──料理は、火だけじゃない。記憶と、心と、絆が味になる。
審査の空気は、静かだった。
火竜族の祭りとは思えないほど、誰もが黙って料理の余韻に浸っていた。
「……どっちが勝ちかなんて、決められないよ」
リュミナがぽつりと呟いた。
「バルゴの肉は、火竜族の誇りって感じがした。でも、ユウトの包み焼きは……なんか、懐かしくて泣きそうになった」
「料理に、涙は不要だ」
バルゴが腕を組んで言った。
だが、その声はどこか震えていた。
「……母が亡くなった時、あの岩焼き肉を思い出して、泣いた。火竜族の戦士として、それは恥だと思ってた」
「でも、恥じゃないですよ」
ユウトは、静かに言った。
「料理って、記憶を呼び起こすものです。誰かのために作った料理は、心に残る。それが、味の記憶です」
バルゴは、しばらく黙っていた。
そして、皿の上の包み焼きをもう一口食べた。
「……この味、母が作ってくれた“野菜の蒸し焼き”に似てる。あいつ、肉ばっかりじゃなくて、こういうのも作ってたな」
「じゃあ、勝負は引き分けですね」
「いや、勝ち負けはどうでもいい。お前の料理は、俺の記憶を揺らした。だから、俺の負けだ」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──料理は、火だけじゃない。記憶と、心と、絆が味になる。
* * *
その夜、バルゴはユウトの小屋を訪れた。
手には、分厚い肉と、火山石で作った焼き台。
「ユウト。今度、一緒に料理しようぜ。火竜族の味を、もっと深く知りたい」
「もちろんです。火を通すだけじゃなく、心も通しましょう」
「……お前、ほんとに家政夫か?」
「よく言われます」
バルゴは、豪快に笑った。
その笑い声は、火竜族の里に響き渡った。
* * *
ユウトは、日記にこう記した。
──異世界転移から六日目。料理で記憶に触れる。
──家事は、味の記憶を呼び起こす魔法。
第7話「家事は外交の第一歩」
火竜族の里に、珍しい来訪者が現れた。
風竜族、水竜族、土竜族──三種族の代表が、火竜族との定期交流のために集まったのだ。
「外交って、もっと堅苦しいものかと思ってました」
ユウトは、広場の端でテーブルを拭きながら呟いた。
火竜族の交流会は、戦闘訓練と宴会がセットになった“熱気の祭典”だった。
だが、今回は違った。各種族が文化を持ち寄り、互いの暮らしを紹介し合う“生活交流会”が企画されていた。
「ユウト、あんたも参加してよ。家事って、立派な文化だろ?」
リュミナが声をかけてきた。
「風竜族は空中洗濯術、水竜族は月光料理、土竜族は地熱保存食。あんたの“人間式家事”も見せてやんなよ」
「……それ、文化というより、生活の知恵ですね」
「だからこそ、外交になるんだよ。種族が違っても、暮らしはある。暮らしがあれば、家事がある」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、言葉を越える魔法だ。
それは、種族間の壁を越えて、心をつなぐ力になる。
* * *
交流会の会場は、火竜族の広場。
風竜族は空中に干した布を舞わせ、水竜族は泉のそばで料理を披露し、土竜族は地熱を使った保存食を展示していた。
「これは、風竜族の“空干し術”です。布を空中で回転させ、風圧で水分を飛ばします」
「すごい……でも、火竜族がやったら布が燃えそうですね」
「その通り。だから、火竜族には向かない。だが、技術は共有できる」
風竜族の青年が、爽やかに笑った。
彼らは、空を舞うことに長けており、洗濯物を“空で干す”という発想を持っていた。
一方、水竜族のミレアは、月光料理を披露していた。
「これは、月光で熟成させた魚の蒸し物。火を使わず、時間と水で味を引き出す」
「……火竜族には、真似できないですね」
「だが、火を使う種族だからこそ、冷たい料理の価値がわかる」
ミレアの言葉に、火竜族の若者たちが頷いた。
火竜族は熱を誇るが、冷たさに憧れることもある。
それは、文化の“補完”だった。
そして、土竜族の代表は、地熱保存食を披露した。
「これは、地熱で干した根菜と、岩塩で漬けた肉。保存性が高く、戦時にも使える」
「保存食って、火竜族にはあまり馴染みがないですね。すぐ食べちゃうから」
「だからこそ、学ぶ価値がある。文化は、足りないものを補うためにある」
ユウトは、各種族の展示を見ながら、静かに考えていた。
──家事は、文化の交差点だ。
それは、種族の違いを越えて、暮らしをつなぐ力になる。
* * *
そして、ユウトの番が来た。
彼は、火山石の上に鍋を置き、卵と野菜を包み焼きにした。
火加減は控えめ。香りは優しく、色合いは美しい。
「これは、“人間式家事”の一例です。火を通すだけでなく、気持ちを通す料理です」
風竜族、水竜族、土竜族──皆が静かに見守っていた。
そして、料理を口に運んだ瞬間、表情が変わった。
「……優しい味だ」
「火を使っているのに、冷静さがある」
「保存はできないが、記憶に残る味だ」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、外交の第一歩だ。
それは、言葉よりも深く、心に届く力になる。
ユウトの料理が広場に並ぶと、各種族の代表たちは静かに皿を手に取った。
卵と野菜の包み焼き──火竜族の火山石を使い、風竜族の空干し技術で水分を調整し、水竜族の塩で味を整え、土竜族の根菜を加えた“多種族融合料理”だった。
「……これは、どの種族の味でもない。だが、どの種族にも馴染む」
グラウスがぽつりと呟いた。
「人間よ。お前の料理は、火竜族の誇りを損なわず、他種族の知恵を受け入れている。これは、文化の交差点だ」
「ありがとうございます。家事は、誰かの暮らしに寄り添うものですから」
風竜族の青年が頷いた。
「空干し術を応用してくれたのは嬉しい。風竜族の技術が、火竜族の里で生きるとは思わなかった」
水竜族のミレアは、静かに皿を置いた。
「塩の使い方が繊細だ。水竜族の味覚を理解している。あんたの料理は、心を洗う」
土竜族の代表は、根菜を噛みしめながら言った。
「保存食は、戦のためだけじゃない。暮らしの中で、記憶を残すためにもある。お前は、それを知っている」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、文化の翻訳だ。
それは、言葉を越えて、心を伝える力になる。
* * *
交流会の終盤、各種族の代表が火竜族の長老グラウスの前に並んだ。
そして、正式に“家事交流協定”が結ばれた。
「火竜族は、他種族の家事技術を受け入れ、暮らしの質を高めることを誓う」
「風竜族は、空干し術を共有し、洗濯文化の発展に協力する」
「水竜族は、月光料理の知識を開放し、味覚の多様性を広げる」
「土竜族は、保存食の技術を伝え、災害時の備えを支援する」
そして──
「人間代表ユウトは、家政顧問として、各種族の家事文化の橋渡しを担う」
広場に拍手が起こった。
火竜族、水竜族、風竜族、土竜族──すべての種族が、ユウトに敬意を示した。
「ユウト、あんた……外交官じゃん」
リュミナが呆れたように笑った。
「家政夫から外交官って、どんな出世だよ」
「雑巾と鍋で世界を繋ぐ。それが僕の仕事です」
ユウトは、少しだけ照れくさそうに笑った。
その笑顔は、火竜族の焔よりも、温かかった。
* * *
その夜、ユウトは日記にこう記した。
──異世界転移から七日目。家事が外交になる。
──家事は、文化の架け橋。
第8話「掃除と記憶の迷宮」
火竜族の里の北端に、誰も近づかない場所がある。
それが、旧神殿──かつて火竜族が神と交信していたとされる、岩の迷宮だった。
「ここ、掃除するんですか?」
ユウトは、煤けた石の門を見上げながら呟いた。
門には古代文字が刻まれ、風化した装飾が崩れかけている。
空気は重く、湿っていて、何かが沈黙しているようだった。
「うん。グラウスが言ってた。『神殿の埃が、記憶を閉じ込めている』って」
リュミナが隣で腕を組んだ。
「昔、火竜族が神と交信してた場所。でも、ある時から誰も入らなくなった。理由は……誰も知らない」
「じゃあ、掃除してみましょう。埃って、記憶を覆うものですから」
ユウトは、雑巾と箒を握り直した。
火竜族の家事は、常に“戦い”だった。
だが、今回は“記憶との対話”だった。
* * *
神殿の内部は、迷宮のようだった。
岩の通路が入り組み、壁には古代の絵が描かれている。
だが、すべてが埃に覆われ、色も形も曖昧だった。
「……ここ、誰かが住んでたのかな」
ユウトは、崩れかけた寝台を見つけた。
布は朽ち、枕は石。だが、そこには確かに“暮らしの痕跡”があった。
「火竜族の神官が住んでたらしい。でも、名前も記録も残ってない。まるで、忘れられた存在みたいだ」
「じゃあ、掃除して思い出しましょう。埃を払えば、記憶が顔を出すかもしれません」
ユウトは、壁の絵を丁寧に拭き始めた。
煤を落とすと、炎を操る竜の姿が現れた。
その竜は、何かを守るように翼を広げていた。
「……これ、火竜族の“守りの姿勢”ですね」
「守り? 火竜族って、攻める種族じゃないの?」
「でも、誰かを守るために火を使うこともある。料理も、掃除も、そうです」
リュミナは、しばらく黙っていた。
そして、壁の絵に手を伸ばした。
「……この絵、母が昔描いてたのに似てる」
「じゃあ、ここにいた神官は、誰かの母だったのかもしれませんね」
ユウトは、絵の下に刻まれた文字を拭いた。
そこには、かすれた文字が浮かび上がった。
──“火は、記憶を守る。埃は、忘却の衣。”
「……火竜族って、こんな詩的な言葉を残してたんですね」
「知らなかった。誰も教えてくれなかった」
「じゃあ、掃除して、教えてあげましょう。火竜族の記憶を、もう一度」
ユウトは、通路の奥へと進んだ。
そこには、さらに深い“記憶の迷宮”が広がっていた。
神殿の奥へ進むにつれ、空気はさらに重くなった。
壁は黒ずみ、床には厚く積もった灰。
ユウトは、雑巾を絞りながら、慎重に一歩ずつ進んだ。
「……ここ、誰も入ったことないんじゃないかな」
リュミナが呟いた。
彼女の声にも、いつもの勢いはなかった。
火竜族の誇りを背負う彼女でさえ、この空間には“畏れ”を感じていた。
「でも、誰かがここにいたんですよ。埃が語ってます」
ユウトは、壁の一角を拭いた。
すると、そこに浮かび上がったのは──一枚の絵。
炎に包まれた竜が、涙を流している姿だった。
「……泣いてる?」
「ええ。火竜族の絵で、涙が描かれるのは珍しいですね」
「火竜族は、泣かない種族だって言われてる。火は誇りで、涙は弱さだって」
「でも、涙は記憶を洗うものです。火と水が交わる場所に、心がある」
ユウトは、絵の下に刻まれた文字を拭いた。
そこには、こう書かれていた。
──“火は、守るために燃える。涙は、忘れないために流れる。”
リュミナは、しばらく黙っていた。
そして、絵に手を伸ばした。
「……この絵、母が描いてたものに似てる。あたしが小さい頃、寝る前に見せてくれた」
「じゃあ、ここにいた神官は、あなたの母かもしれませんね」
「母は、神殿に仕えてた。でも、ある日突然いなくなった。誰も理由を教えてくれなかった」
ユウトは、絵の隣にある石碑を拭いた。
そこには、火竜族の古語でこう刻まれていた。
──“名を持たぬ者よ、火を灯し、涙を流し、記憶を守れ。”
「……母は、名を捨てて、記憶を守ってたのか」
リュミナの声が震えた。
彼女は、絵の前に膝をつき、そっと手を合わせた。
「母は、火竜族の誇りを守るために、ここにいた。誰にも知られず、誰にも語られず」
「でも、今こうして掃除したことで、記憶が顔を出しました。埃を払えば、忘却は剥がれます」
ユウトは、最後の雑巾を絞り、石碑の上を丁寧に拭いた。
すると、石の奥から微かな光が漏れた。
「……これは?」
「記憶の封印が、解けたんだ」
光は、神殿の天井へと昇り、壁の絵を照らした。
炎に包まれた竜が、涙を流しながら微笑んでいる。
その姿は、まるで“火と水の調和”だった。
「母は、火竜族の誇りと、優しさを両方持ってたんだ」
「ええ。火は、誰かを傷つけるだけじゃない。誰かを守るためにも燃える」
リュミナは、立ち上がった。
その瞳には、涙が浮かんでいた。
だが、それは弱さではなく、記憶を受け入れた証だった。
「ユウト。あんたの掃除、ただの家事じゃないね」
「よく言われます」
「でも、あたしは言うよ。あんたの掃除は、記憶を解放する魔法だ」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、記憶の鍵だ。
それは、忘れられた心を呼び起こす力になる。
* * *
その夜、ユウトは日記にこう記した。
──異世界転移から八日目。掃除で記憶を解放する。
──家事は、忘却を剥がす魔法。
第9話「家事と命の境界線」
火竜族の里に、緊急の鐘が鳴り響いた。
それは、戦闘訓練中の事故を知らせる合図だった。
「ユウト! 来てくれ!」
リュミナが血相を変えて走ってきた。
「訓練場で、フェルノが……魔物の反撃を受けて、動けなくなってる!」
「医療班は?」
「今向かってるけど、間に合うかわかんない! あんた、応急処置できる?」
ユウトは、すぐに雑巾と水筒、清潔な布を持って走り出した。
彼の家事道具は、戦場でも“命を守る道具”になる。
* * *
訓練場では、フェルノが倒れていた。
胸に深い裂傷、呼吸は浅く、顔は青ざめている。
周囲には焦げた岩と、魔物の残骸。
「フェルノくん、聞こえますか?」
「……ユウト……俺、火を……暴走させて……」
「今は話さなくていい。まず、体を整えましょう」
ユウトは、裂傷の周囲を清潔な布で覆い、出血を抑えた。
次に、体温を保つために火竜族用の保温布をかけ、水分を少しずつ口に含ませる。
「呼吸が浅い……でも、意識はある。なら、希望はあります」
リュミナが隣で震えていた。
「……あたし、何もできない。火竜族なのに、火しか使えない」
「火は力です。でも、暮らしには“整える力”も必要です」
ユウトは、フェルノの体の下に柔らかい布を敷き、岩の角を避けるように位置を調整した。
それは、ただの寝床の工夫だったが、フェルノの呼吸が少しだけ安定した。
「……ユウト、これって……家事なの?」
「ええ。家事は、命を支える準備です。清潔、温度、水分、姿勢──それらが整えば、体は回復しやすくなります」
リュミナは、涙を浮かべながら頷いた。
「火竜族は、戦うことばかり教わってきた。でも、あんたは……守ることを教えてくれる」
ユウトは、フェルノの額の汗を拭いた。
その手は、優しく、確かだった。
「命は、戦うだけじゃ守れません。暮らしの中に、命を支える力があります」
* * *
医療班が到着するまでの三十分、ユウトはフェルノの体を守り続けた。
その間、彼が使ったのは──雑巾、布、水、そして“段取り”だった。
医療班の隊長は、ユウトの処置を見て驚いた。
「……これは、医療じゃない。でも、命を繋いでいる」
「家事です。暮らしの延長に、命がありますから」
フェルノは、微かに笑った。
「ユウト……俺、火を使うだけじゃなくて、暮らしも守れるようになりたい」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、命の境界線を支える力だ。
それは、戦闘でも医療でもない、第三の“守り”だった。
フェルノは、医療班の治療を受けながら、静かに眠っていた。
ユウトが整えた寝床の上で、呼吸は安定し、顔色も少しずつ戻ってきている。
「……命、繋がったな」
リュミナがぽつりと呟いた。
彼女の声には、安堵と驚きが混ざっていた。
「ユウト。あんた、医者じゃないのに、なんでこんなことできるの?」
「家事は、命を支える準備です。暮らしを整えることは、体を整えることでもあります」
「でも、火竜族はそんなこと教わらなかった。火を使え、戦え、守れ──それだけだった」
「火を使うことと、火を整えることは違います。暮らしの中で火を使うには、優しさと段取りが必要なんです」
リュミナは、フェルノの寝顔を見つめながら、静かに頷いた。
「……あたし、火を吹くことしか知らなかった。でも、火を通すことも、守ることなんだね」
* * *
その日の夕方、フェルノは目を覚ました。
「……ユウト……俺、生きてる?」
「ええ。ちゃんと生きてますよ。火竜族の誇りですから」
フェルノは、少しだけ笑った。
「俺、火を暴走させて、仲間を危険に晒した。でも、あんたが……火じゃなくて、布で俺を守ってくれた」
「火も布も、使い方次第です。命を守る道具になります」
フェルノは、布団の端を握りしめた。
「俺、火竜族として強くなりたい。でも、あんたみたいに、誰かを守れる強さが欲しい」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、命を守る力だ。
それは、戦闘でも医療でもない、暮らしの中にある“第三の守り”だった。
* * *
翌日、火竜族の若者たちがユウトの小屋を訪れた。
「ユウトさん、あんたの“命を守る家事”って、教えてもらえますか?」
「俺たち、火を使うことしか知らなかった。でも、フェルノを見て、暮らしの力を知った」
「戦うだけじゃなく、支える力が欲しいんです」
ユウトは、雑巾を手に取りながら微笑んだ。
「じゃあ、まずは布団の干し方から始めましょう。命を守るには、寝床が大事ですから」
若者たちは、真剣な顔で頷いた。
火竜族の文化に、“暮らしの力”が芽吹き始めていた。
* * *
その夜、ユウトは日記にこう記した。
──異世界転移から九日目。家事が命を支える力になる。
──家事は、戦闘と医療の隙間を埋める“第三の守り”。
第10話「料理は記憶を呼び起こす」
火竜族の里に、一体のドラゴンが運び込まれた。
その鱗は黒く煤け、瞳は虚ろで、言葉を発することもできなかった。
「名前は……セリオ。風竜族の出身らしいけど、記憶がほとんどないみたい」
リュミナが報告書を手に、ユウトの小屋を訪れた。
「魔物との戦闘で負傷して、火竜族の境界で倒れてた。意識はあるけど、過去のことを何も覚えてない」
「記憶喪失……ですか」
ユウトは、少しだけ考え込んだ。
記憶を失った者に、何ができるか──それは、医療でも魔法でもない。
だが、彼には“家事”があった。
「じゃあ、まずは食事を作りましょう。味覚は、記憶に繋がる感覚ですから」
「え、食べさせるだけで記憶が戻るの?」
「戻るとは限りません。でも、何かを思い出すきっかけにはなるかもしれません」
* * *
ユウトは、セリオのために料理を作り始めた。
選んだのは、風竜族の伝統料理──“風干し魚の香草蒸し”。
火竜族の里では珍しい食材だが、ミレアが協力してくれた。
「風竜族は、香りを重んじる。記憶も、香りに宿ることがある」
ミレアは、静かに魚を並べながら言った。
「セリオが何者かはわからない。でも、あんたの料理なら、何かを揺らせるかもしれない」
ユウトは、香草を刻み、蒸気で包み込むように火を通した。
香りは、風のように広がり、里の空気を柔らかく染めていく。
「……できました。セリオさん、食べてみてください」
セリオは、ゆっくりと皿に手を伸ばした。
指先は震え、瞳はまだ曇っていた。
だが、ひと口食べた瞬間──彼の瞳が、わずかに揺れた。
「……この味……」
声は、かすれていた。
だが、確かに“言葉”だった。
「覚えてる……気がする。誰かが……俺に、これを作ってくれた」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──料理は、記憶の鍵だ。
それは、失われた過去を揺らす力になる。
* * *
セリオは、皿を見つめながら、ぽつりぽつりと語り始めた。
「風の里……高い塔……誰かが、俺を呼んでた……」
断片的な記憶が、香りと味に引き寄せられるように浮かび上がる。
ユウトは、静かに聞きながら、次の料理の準備を始めた。
「じゃあ、次は“風竜の根菜スープ”を作りましょう。記憶は、重ねていくものですから」
セリオは、スープの香りに目を細めていた。
風竜族の根菜──空気を含んだ軽い食感と、ほのかな甘み。
それは、彼の記憶の奥に眠っていた“誰かの手”を呼び起こす。
「……この味、昔……誰かが、俺に作ってくれた」
「どんな人でしたか?」
ユウトの問いに、セリオはしばらく黙っていた。
そして、ぽつりと呟いた。
「……姉さん、だったと思う。俺が風の塔で訓練してた頃、よく作ってくれた。『食べることは、飛ぶことより大事』って」
「いい言葉ですね」
「でも、俺……その記憶、ずっと忘れてた。戦って、傷ついて、気づいたら何も思い出せなくなってた」
ユウトは、静かにスープを注ぎ足した。
「記憶は、無理に思い出すものじゃありません。香りや味が、自然に引き出してくれるんです」
セリオは、スプーンを握りしめた。
その手は、震えていた。
だが、瞳には確かな光が宿っていた。
「……俺、帰りたい。風の塔に。姉さんに、もう一度会いたい」
「じゃあ、まずは体を整えましょう。帰るには、暮らしを整えることが必要です」
* * *
その日から、セリオはユウトの小屋で暮らすことになった。
朝は掃除、昼は料理、夜は洗濯──風竜族の暮らしに近いリズムを取り戻すための“家事療法”だった。
「……これ、俺が昔やってたことに似てる。姉さんと一緒に、布を干してた」
「記憶は、手の動きにも宿ります。家事は、記憶の再生装置ですから」
セリオは、少しずつ言葉を取り戻し、表情を取り戻し、そして“自分”を取り戻していった。
* * *
一週間後、セリオは風竜族の使者に付き添われて、風の塔へと帰っていった。
別れ際、彼はユウトに一冊の古いレシピ帳を手渡した。
「姉さんが書いてたもの。あんたの料理が、俺をここまで連れてきてくれた。だから、これを託すよ」
ユウトは、ページをめくった。
そこには、風竜族の言葉でこう記されていた。
──“料理は、風のように記憶を運ぶ。誰かのために火を使うとき、心は帰る場所を思い出す。”
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、帰る場所を示す力だ。
それは、記憶を呼び起こし、絆を繋ぎ直す魔法だった。
* * *
その夜、ユウトは日記にこう記した。
──異世界転移から十日目。料理で記憶を取り戻す。
──家事は、心の帰巣本能。
第11話「家事で育てるドラゴンの卵」
火竜族の里の一角に、静かなため息が漏れていた。
それは、夫婦のドラゴン──グレンとミーナが抱える“卵”に向けられたものだった。
「……もう三ヶ月だ。普通なら、そろそろ殻が揺れる頃なのに」
グレンが、岩の寝台に置かれた卵を見つめながら呟いた。
卵は、火竜族特有の赤褐色で、表面に微かな紋様が浮かんでいる。
だが、動きはなく、温もりも弱い。
「ミーナ、温度は足りてるか?」
「十分よ。火竜族の標準温度で保ってる。でも……この子、反応しないの」
ユウトは、そっと卵に近づいた。
「触ってもいいですか?」
「……あんた、家政夫なんだろ? 卵に何ができるっていうの?」
「家事は、命を育てる準備です。卵も、暮らしの一部ですから」
ユウトは、卵に手を添えた。
表面は冷たく、火竜族の卵にしては異常だった。
彼は、すぐに布を取り出し、卵を包み込んだ。
「まず、温度の再調整ですね。火だけじゃなく、布の保温力も使いましょう」
「布で? 火竜族の卵は、炎で育てるんだぞ」
「炎は外からの熱です。でも、命は内側から育ちます。だから、包み込む温もりが必要なんです」
ミーナは、少しだけ目を見開いた。
「……それ、あたしの母が言ってた。『卵は火で焼くんじゃない、抱いて育てるんだ』って」
「じゃあ、抱いてみましょう。火竜族の誇りを、優しさで包むんです」
* * *
ユウトは、卵のために“育卵環境”を整え始めた。
火山石の寝台に、保温布を敷き、湿度を調整するために水竜族の蒸気石を設置。
さらに、風竜族の空気循環術を応用して、空気の流れを柔らかく整えた。
「これ、家事っていうより……育児じゃないか?」
「家事は、育児の基礎です。命を迎える準備は、すべて暮らしの中にあります」
グレンは、卵を抱きながらぽつりと呟いた。
「……俺、戦士だから、卵を育てるなんて苦手だった。でも、こうして抱いてると……なんか、守りたくなる」
「それが、命を育てる第一歩です」
ユウトは、卵の表面に布を重ねながら、静かに語った。
「火竜族の卵は、炎だけじゃなく、心の温度で育ちます。だから、家事が必要なんです」
ミーナは、卵に頬を寄せた。
「……この子、少しだけ温かくなった気がする」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、命を迎える儀式だ。
それは、火でも水でもなく、“暮らしの温度”で育まれる。
卵は、静かに布の中で眠っていた。
火竜族の標準温度よりも少し低めに調整された環境。
湿度は安定し、空気は柔らかく、寝台は微かに揺れている。
「……あたし、ずっと火力ばかり気にしてた。強く、熱く、燃やすことばかり」
ミーナが、卵を抱きながら呟いた。
「でも、ユウトのやり方は違う。包む、整える、待つ……それが、命を育てるってことなんだね」
「火は、力です。でも、命には“温度”が必要です。家事は、その温度を整える技術です」
グレンは、卵の表面をそっと撫でた。
「……この子、少しだけ動いた気がする」
ユウトは、卵に耳を近づけた。
──コツン。
微かな音が、殻の内側から響いた。
「……動いてます。命が、応えてます」
ミーナは、涙を浮かべながら頷いた。
「この子、あたしたちの声を聞いてる。火じゃなくて、暮らしの中の声を」
* * *
翌朝、卵が震えた。
殻に細かな亀裂が入り、内側から光が漏れた。
グレンとミーナは、息を呑んで見守った。
「……生まれる」
ユウトは、布を少しだけめくり、温度を調整した。
「焦らず、急がず。命は、段取りを守って育ちます」
──パリッ。
殻が割れ、赤く柔らかな鱗が覗いた。
小さな火竜の子が、ゆっくりと首をもたげた。
「……生まれた……!」
ミーナが、声を震わせながら抱き上げた。
グレンは、そっと手を添え、子竜の背を支えた。
「ありがとう、ユウト。あんたがいなかったら、この子は……」
「家事は、命を迎える準備です。僕は、ただその段取りを整えただけです」
子竜は、くるりと首を回し、ユウトの顔を見た。
その瞳は、まだ幼く、だが確かに“命の光”を宿していた。
* * *
その夜、里では小さな祝宴が開かれた。
火竜族の若者たちが集まり、卵の孵化を祝う。
ユウトは、静かに料理を並べながら、子竜の寝床を整えていた。
「ユウト、あんたって……命の助産師みたいだな」
リュミナが笑いながら言った。
「火竜族の文化に、“家事で育てる”って章を追加しなきゃね」
「それはちょっと照れますね」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、命の芽吹きを支える力だ。
それは、火でも魔法でもなく、“暮らしの温度”で育まれる。
* * *
その夜、ユウトは日記にこう記した。
──異世界転移から十一日目。家事で命が生まれる。
──家事は、命の温床。
第12話「家事は戦場でも役に立つ」
火竜族の里に、緊急警報が鳴り響いた。
空が赤く染まり、遠くの山脈から魔物の群れが接近しているという報せだった。
「全戦士、迎撃準備! 非戦闘員は避難所へ!」
グラウスの咆哮が里に響く。
火竜族の若者たちは武器を手に走り出し、空を飛ぶ者、地を駆ける者が次々と布陣を整えていく。
ユウトは、鍋を抱えて立ち尽くしていた。
「……戦場に、家事の出番はあるのか?」
リュミナが駆け寄ってきた。
「ユウト! 避難所の設営、あんたに任せる! あんたの段取り力、今こそ使うときだ!」
「了解です。まずは場所の確保と物資の整理ですね」
* * *
避難所は、里の中央広場に設けられた。
岩を積み上げて風除けを作り、布を張って簡易の屋根を設置。
ユウトは、火竜族の寝具を分類し、子供用・高齢者用・負傷者用に分けて配置した。
「水竜族から蒸気石を借りて、湿度を安定させましょう。火竜族は乾燥に強いけど、子供は喉を痛めやすい」
「食料は? 炊き出しできる?」
「火山石を使えば、簡易かまどが作れます。火竜族の火力を調整して、焦がさないように指導します」
「……あんた、戦場の司令官みたいだな」
「家事は、戦場の裏側を支える技術ですから」
ユウトは、物資の在庫を確認しながら、必要なものをリスト化していく。
「布、食料、水、寝具、薬草──優先順位は、命を守る順です」
* * *
魔物の群れが接近する中、避難所には次々と非戦闘員が集まってきた。
子供たちは怯え、年老いた竜は咳き込み、妊婦のドラゴンは不安げに腹を抱えていた。
「ユウトさん、あたし……怖い……」
フェルノの妹が泣きながら布団にしがみつく。
ユウトは、そっと膝をつき、彼女の手を握った。
「怖いときこそ、暮らしを整えましょう。布団を整え、食事を作り、火を灯す。それが、心を守る第一歩です」
彼は、鍋に湯を沸かし、香草を入れてスープを作り始めた。
その香りは、避難所の空気を柔らかく染めていく。
「……あったかい匂い……」
「それが、家事の力です」
* * *
戦場の裏側で、ユウトは静かに“暮らしの砦”を築いていた。
火竜族の戦士たちは、彼の段取りに従って物資を運び、傷ついた仲間を避難所へと運び込む。
「ユウト、あんたの指示がなかったら、避難所は混乱してたよ」
「家事は、混乱を整える技術です。戦場でも、暮らしは続いていますから」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、戦場の静かな盾だ。
それは、命を守るための“もうひとつの戦い”だった。
戦場は、火と咆哮に包まれていた。
魔物の群れは、空と地を這い、火竜族の戦士たちは炎を纏って応戦していた。
だが、戦線の裏側──避難所では、もうひとつの戦いが続いていた。
「負傷者、搬送完了! ユウト、こっちの寝床、空いてるか?」
「すぐに整えます。頭部外傷なら、低めの枕と静かな環境を」
ユウトは、布団の位置を調整し、湿度を安定させるために蒸気石を近くに置いた。
火竜族の体温に合わせた寝具の配置は、彼の“家事的段取り”によるものだった。
「水、少しずつ飲ませて。火竜族は脱水しやすいから」
「了解!」
若き戦士たちが、ユウトの指示に従って動いていた。
彼らは、戦場では剣を振るう者たちだったが、今は鍋を運び、布を敷き、命を支える者になっていた。
「ユウトさん、あんた……戦士じゃないのに、なんでこんなに冷静なんだ?」
「家事は、混乱の中でこそ力を発揮します。暮らしを整えることは、心を整えることですから」
* * *
避難所の一角では、子供たちが怯えていた。
ユウトは、鍋の蓋を開け、香草スープの香りを広げた。
「この匂い……なんか、安心する」
「火竜族の伝統料理です。香りには、心を落ち着ける力があります」
彼は、スープを小さな器に分け、子供たちに手渡していく。
その手は、戦場の剣よりも、確かに命を守っていた。
「ユウト、あんたの料理、戦場の盾だな」
リュミナが、血のついた腕を拭きながら言った。
「戦ってる最中、あの匂いが届いてきて……なんか、帰れる気がした」
「それが、家事の力です。暮らしの記憶が、心を繋ぎます」
* * *
戦闘が終わった頃、避難所には静かな空気が流れていた。
負傷者は安定し、子供たちは眠り、戦士たちは鍋を囲んでいた。
「ユウト、あんたがいなかったら、俺たち……混乱してた」
「戦場の裏側を支えるのも、戦いのひとつです」
グラウスが、鍋を見つめながら言った。
「火竜族は、火で戦う。だが、暮らしを守る火もある。お前は、それを教えてくれた」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、戦場の静かな盾だ。
それは、命を守るための“もうひとつの戦い”だった。
* * *
その夜、ユウトは日記にこう記した。
──異世界転移から十二日目。戦場で家事が命を守る。
──家事は、混乱の中の秩序。
第13話「家事で治す病」
火竜族の里に、異変が起きた。
最初は、咳をする者が増えただけだった。
だが、三日目には発熱、倦怠感、食欲不振──そして、倒れる者が続出した。
「これは……感染症だな」
グラウスが眉をひそめる。
「火竜族は炎に強いが、病には脆い。特に、空気を介するものには弱い」
「医療班は?」
「手一杯だ。薬草の在庫も限られている。治癒魔法も、全員には回らん」
ユウトは、静かに立ち上がった。
「じゃあ、僕の出番ですね」
「家政夫に何ができる?」
「病を直接治すことはできません。でも、回復しやすい環境を整えることはできます」
* * *
ユウトは、まず“空気の流れ”を整えた。
火竜族の住居は密閉型が多く、湿度と熱がこもりやすい。
彼は風竜族の空気循環術を応用し、通気口を設け、空気の流れを可視化した。
「空気が滞ると、病原が溜まります。まずは、風を通しましょう」
次に、寝具の洗浄。
火竜族は布団を“焼いて殺菌”する習慣があったが、それでは繊維が傷み、逆に菌が残ることもある。
「水竜族の洗浄法を使いましょう。石鹸と湧き水で、繊維の奥まで洗います」
リュミナが布団を干しながら呟いた。
「……あたし、布団って“寝るための岩”くらいにしか思ってなかった」
「寝具は、命を休める場所です。清潔さが、回復力に直結します」
* * *
次に、食事。
火竜族の料理は高火力・高脂肪が基本だが、病中には不向き。
ユウトは、消化に優しく、栄養価の高い“回復食”を提案した。
「根菜の蒸し煮、香草スープ、火竜米のお粥──これなら、胃に負担をかけず、体力を補えます」
「でも、火竜族は味が濃くないと食べないぞ?」
「香りで満足感を補いましょう。火竜族は嗅覚が鋭いですから」
ユウトは、香草を刻み、蒸気で香りを立たせる。
その匂いは、病室の空気を柔らかく染めていった。
「……なんか、食べられそうな気がする」
「それが、家事の力です。食欲は、香りから始まります」
* * *
最後に、心のケア。
病に倒れた火竜族は、戦えない自分を“恥”と感じる者が多かった。
ユウトは、彼らの寝床を整え、静かな音楽を流し、日記を書くことを勧めた。
「暮らしの中に、回復のリズムを作りましょう。戦えない時間も、命の一部です」
グラウスは、寝床に横たわる若者を見つめながら呟いた。
「……お前の家事は、病を癒す風だな」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、病の隙間に入り込む力だ。
それは、医療とは違う“暮らしの治癒”だった。
ユウトの手によって整えられた病室は、静かで、清潔で、温かかった。
空気は循環し、湿度は安定し、寝具は柔らかく香りを帯びていた。
火竜族の患者たちは、少しずつ表情を取り戻していた。
「……咳が、昨日より軽くなった気がする」
「布団が気持ちよくて、眠れた。こんなに寝たの、久しぶりだ」
「スープの匂いだけで、食欲が湧いた。あんた、魔法でも使ってるのか?」
ユウトは、鍋をかき混ぜながら微笑んだ。
「魔法は使えません。でも、家事には“暮らしの魔法”があります」
* * *
火竜族の医療班の隊長──ラザンが病室を訪れた。
彼は、患者たちの回復ぶりを見て、目を見開いた。
「……これは、治癒魔法の効果じゃない。環境と食事、そして……心の安定」
「家事です。暮らしを整えることで、体は回復しやすくなります」
ラザンは、ユウトの手元を見つめた。
「お前の鍋は、薬草より効くかもしれん。火竜族の医療に、家事を組み込むべきかもしれんな」
「それは、ちょっと照れますね」
* * *
その日、ユウトは“家事療法”の講習を開いた。
対象は、医療班の補助員と、患者の家族たち。
彼は、寝具の洗い方、空気の流し方、食事の組み立て方を丁寧に教えた。
「病気は、体だけじゃなく、暮らしにも影響します。だから、治すには“生活の再構築”が必要です」
「火竜族は、戦って治すことばかり考えてた。でも、暮らしを整えるって……こんなに効果があるんだな」
「家事は、戦わない治癒です。静かに、確かに、命を支えます」
* * *
数日後、患者の多くが回復し始めた。
咳は止まり、熱は下がり、食欲が戻り、笑顔が増えた。
火竜族の里には、静かな感謝の空気が流れていた。
「ユウト、あんたの鍋と布団が、俺たちを救ったよ」
「家事は、命の隙間を埋める力です。医療と戦闘の間にある、もうひとつの守りです」
グラウスは、病室の壁に新たな言葉を刻んだ。
──“火竜族の暮らしに、家事の章を加える。命を守る技術として、後世に伝える。”
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、病を癒す風だ。
それは、静かに、確かに、命を支える力だった。
* * *
その夜、ユウトは日記にこう記した。
──異世界転移から十三日目。病を家事で癒す。
──家事は、静かな治癒魔法。
第14話「家事と教育」
火竜族の里に、新しい風が吹いていた。
それは、ユウトが提案した“暮らしの教室”──子供ドラゴンたちに家事を教える場の開設だった。
「えー! 家事なんて、戦えないやつがやるもんだろ!」
「火を吹けるようになったほうがカッコいいじゃん!」
「鍋より剣がいい!」
広場に集まった子供たちは、口々に不満を漏らしていた。
だが、ユウトは笑顔で鍋を掲げた。
「じゃあ、まずは“火を使う”授業から始めましょう。鍋でね」
「……火を使うの?」
「もちろん。火竜族の誇りは火です。でも、火は“燃やす”だけじゃなく、“温める”こともできます」
* * *
ユウトは、火竜族の子供たちに“火加減”の授業を始めた。
鍋に水を入れ、根菜を刻み、火竜族の子供たちに火を吹かせる。
「強すぎると焦げます。弱すぎると煮えません。火は、命と同じで、調整が必要です」
「……火って、そんなに繊細なの?」
「ええ。料理は、火との対話です。戦いじゃなく、会話なんです」
子供たちは、少しずつ火の使い方に興味を持ち始めた。
強火で焦がした根菜を見て、悔しそうに唸る者。
弱火で煮えないスープに首をかしげる者。
そして、ちょうどよく煮えたスープに歓声を上げる者。
「できた! 俺の火、ちょうどよかった!」
「すごい! あたしのスープ、甘い!」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、火竜族の誇りを“暮らし”に変える力だ。
それは、戦いではなく、育てる技術だった。
* * *
次は、掃除の授業。
火竜族の住居は岩と灰に囲まれており、掃除は“戦い”と見なされていた。
ユウトは、雑巾と箒を手に、子供たちにこう言った。
「掃除は、場所を整えるだけじゃありません。心を整える時間でもあります」
「心を……整える?」
「ええ。汚れを見つけて、拭く。それは、自分の中の乱れを見つけて、整えることに似ています」
子供たちは、最初は面倒くさそうにしていたが、次第に“汚れを見つけるゲーム”のように楽しみ始めた。
「ここ、黒い! 俺が拭く!」
「この隙間、灰が溜まってる!」
「見て! ピカピカになった!」
ユウトは、掃除の終わった広場を見渡しながら呟いた。
「火竜族の子供たちが、火だけじゃなく、暮らしを整える力を持ち始めている」
リュミナが笑いながら言った。
「ユウト、あんた……教育者じゃん」
「家事は、教育の入り口です。暮らしを通じて、命の扱い方を学ぶんです」
暮らしの教室は、次第に“遊び場”から“学びの場”へと変化していった。
子供ドラゴンたちは、火を使う料理、汚れを見つける掃除、布を畳む整頓などを通じて、少しずつ“暮らしの技術”を身につけていった。
「ユウト先生! この鍋、焦げてないよ!」
「俺、布団の角までピシッと畳めた!」
「掃除したら、空気が気持ちよくなった!」
ユウトは、子供たちの声に耳を傾けながら、静かに頷いた。
「家事は、結果だけじゃなく、過程が大事です。誰かと協力して、丁寧に進めることが、心を育てます」
* * *
ある日、教室で“共同炊事”の授業が行われた。
子供たちは班に分かれ、火を調整する係、食材を切る係、盛り付ける係に分担された。
「火、強すぎる! 弱めて!」
「こっちの根菜、まだ硬いよ!」
「盛り付け、バランス悪い! 色合い考えて!」
最初は喧嘩もあった。
だが、ユウトは止めなかった。
「家事は、衝突の中で協力を学ぶ場です。意見を出し合い、譲り合い、工夫することが、教育です」
やがて、班ごとに完成した料理が並び、子供たちは互いの皿を見比べた。
「こっちの班、色がきれい!」
「俺たちのは、味が濃いけど、香りがいい!」
「次は、混ぜてみようよ!」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、協力の訓練だ。
それは、火竜族の“個”を“群”へと育てる力だった。
* * *
教室の成果は、里の大人たちにも波及していた。
子供たちが自分の寝床を整え、親の手伝いをし、食事の準備をするようになったのだ。
「うちの子が、布団を畳んでくれたんだ。初めてだよ」
「掃除の時間になると、自分から雑巾持ってくる。何があったんだ?」
「料理を手伝ってくれて、味見までしてくれる。火竜族にこんな文化、あったか?」
グラウスは、暮らしの教室を視察しながら呟いた。
「……火竜族の教育に、家事を加えるべきかもしれんな」
ユウトは、鍋を拭きながら答えた。
「家事は、生きる力の訓練です。火を使うだけじゃなく、火を整える力を育てることが、教育です」
* * *
その日、暮らしの教室の壁に新たな言葉が刻まれた。
──“火竜族の教育に、家事の章を加える。協力・思いやり・自立を育む技術として、後世に伝える。”
子供たちは、その言葉の前で並び、誇らしげに雑巾を掲げた。
「ユウト先生、次は“洗濯”教えて!」
「俺、火で乾かすの、うまくなりたい!」
「布団の干し方、もっと知りたい!」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、教育の根になる力だ。
それは、火竜族の未来を育てる“暮らしの種”だった。
* * *
その夜、ユウトは日記にこう記した。
──異世界転移から十四日目。家事が教育になる。
──家事は、生きる力の訓練。
第15話「家事で作る“家族”」
火竜族の里に、一人の少女ドラゴンが保護された。
名はティア。年齢は推定八歳。両親は魔物の襲撃で失い、遠方の集落から一人で逃げてきたという。
「……話さない。誰にも触れようとしない。食事も、最低限しか口にしない」
リュミナが報告書を手に、ユウトの小屋を訪れた。
「グラウスが言ってた。あんたに預けてみようって。家事で、心をほぐせるかもしれないって」
ユウトは、静かに頷いた。
「暮らしは、心の器です。まずは、器を整えてみましょう」
* * *
ティアは、ユウトの小屋の隅に座っていた。
膝を抱え、視線は床。声は出さず、動きも最小限。
ユウトは、無理に話しかけず、まず“空間”を整えた。
「この布団、ふかふかですよ。干したてです。よかったら、座ってみてください」
ティアは、ちらりと布団を見たが、動かなかった。
ユウトは、次に“香り”を整えた。
火竜族の子供が好む甘い香草──リュミナに教わった“幼竜の記憶香”を焚いた。
「この匂い、懐かしいって言われることが多いんです。もし、少しでも気持ちが動いたら、それで十分です」
ティアは、微かに鼻を動かした。
だが、まだ言葉はなかった。
* * *
ユウトは、次に“食事”を整えた。
火竜族の子供向けに、柔らかく、甘く、香りの良い“根菜の蜜煮”を作った。
皿をそっとティアの前に置く。
「食べなくてもいいですよ。でも、ここにあるってことだけ、覚えておいてください」
ティアは、しばらく皿を見つめていた。
そして、誰にも見られていないと思った瞬間──指先で、蜜煮をひとつつまんだ。
「……甘い」
初めての言葉だった。
ユウトは、驚いた様子を見せず、静かに鍋をかき混ぜ続けた。
「甘いものは、心をほどく鍵です。よかったら、もうひとつどうぞ」
ティアは、もうひとつ、そしてもうひとつと、蜜煮を口に運んだ。
その瞳には、微かな光が宿り始めていた。
* * *
その夜、ユウトはティアの寝床を整えた。
布団は干したて、枕は低め、香りは柔らかく、空気は静か。
彼は、そっと声をかけた。
「ここは、あなたの場所です。誰にも奪われません。眠れなくても、横になるだけでいいんです」
ティアは、しばらく黙っていた。
そして、布団にそっと身を沈めた。
「……あったかい」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、家族の形を作る力だ。
それは、血縁ではなく、暮らしの積み重ねで育まれる。
翌朝、ユウトが目を覚ますと、台所に小さな背中があった。
ティアが、鍋の蓋をそっと開けていた。
「……昨日の、甘いやつ……もうない?」
「ありますよ。温め直しましょうか?」
ティアは、こくりと頷いた。
その仕草は、まだ怯えを含んでいたが、確かに“暮らしの一部”になり始めていた。
* * *
それから数日、ティアは少しずつユウトの家事に参加するようになった。
最初は、皿を並べるだけ。次は、布団を畳む手伝い。やがて、掃除の雑巾を持つようになった。
「ここ、黒い。拭いていい?」
「もちろん。汚れを見つけるの、上手ですね」
「……前に、母さんが言ってた。『灰は、火竜族の涙だから、ちゃんと拭いてあげなさい』って」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──記憶が、暮らしの中で蘇る。
それは、家事が“心の再生装置”である証だった。
* * *
ある日、ティアが料理に挑戦した。
ユウトの指導のもと、根菜を刻み、火加減を調整し、香草を散らす。
「火、強すぎると焦げるんだよね?」
「ええ。火は、優しく使うと、味が深くなります」
「……父さんは、火を強く使う人だった。でも、母さんは、弱火で煮るのが好きだった」
ティアは、鍋を見つめながら呟いた。
「……あたし、母さんに似てるのかな」
「似てますね。火を整えるのが、上手です」
料理が完成すると、ティアは皿を並べ、ユウトに差し出した。
「食べて。あたしが作ったの」
ユウトは、ひと口食べて、微笑んだ。
「優しい味ですね。誰かを思って作った味です」
ティアは、少しだけ照れくさそうに笑った。
その笑顔は、火竜族の炎よりも、温かかった。
* * *
その夜、ティアは自分の布団を整えた。
枕の位置、布団の角、香草の配置──すべて、自分で決めた。
「ユウト、これでいい?」
「完璧です。あなたの“暮らし”ですね」
「……あたし、ここにいてもいい?」
「もちろん。ここは、あなたの家です」
ティアは、布団に身を沈めながら呟いた。
「……家って、火があるだけじゃダメなんだね。布団があって、ご飯があって、誰かがいて……それで、家族になるんだね」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、家族の形を作る力だ。
それは、血縁ではなく、暮らしの積み重ねで育まれる。
* * *
その夜、ユウトは日記にこう記した。
──異世界転移から十五日目。家事で家族が生まれる。
──家事は、絆の器。
第16話「家事と死」
火竜族の里の奥、静かな岩室に、老ドラゴン・ゼルファは横たわっていた。
彼は、かつて火竜族の戦士長として名を馳せた存在。だが今は、炎を灯す力も尽きかけ、静かに余命を過ごしていた。
「……ユウト。来てくれたか」
ゼルファの声は、岩を擦るように低く、かすれていた。
「グラウスが言っていた。お前の家事は、命を支える力だと。ならば、死にも寄り添えるか?」
ユウトは、静かに頷いた。
「家事は、生きるための準備です。そして、死を迎えるための整えでもあります」
* * *
ユウトは、まずゼルファの寝床を整えた。
火竜族の体温に合わせた保温布、湿度を安定させる蒸気石、呼吸を楽にするための枕の角度。
それは、医療ではなく、“暮らしの最終章”を整える作業だった。
「……この布団、柔らかいな。昔、妻が干してくれた布団に似ている」
「干し方に、火竜族の流儀を取り入れました。香草も、記憶を穏やかにするものを選んでいます」
ゼルファは、目を閉じながら微かに笑った。
「お前の家事は、戦士の誇りを傷つけない。それでいて、心をほどく」
* * *
次に、ユウトは“空間”を整えた。
岩室の壁を拭き、灰を払い、静かな音楽を流す。
火竜族の伝統では、死を迎える者に“静寂と香り”を贈る習慣がある。
「この音楽……風竜族のものか?」
「ええ。風竜族の“帰還の調べ”です。魂が風に乗って帰るという祈りの曲です」
「……悪くない。火竜族は、死を戦いの終わりと捉えるが……こうして迎える死も、悪くない」
ユウトは、香草を焚きながら呟いた。
「死は、暮らしの終わりです。だからこそ、暮らしの技術で整えるべきです」
* * *
ゼルファは、少しずつ話すようになった。
「……俺は、戦ってばかりだった。火を吹き、命を奪い、守ることに必死だった」
「でも、守ることは、整えることでもあります」
「そうだな。お前の布団が、俺の命を整えてくれる。火竜族の誇りを、穏やかに包んでくれる」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、死に寄り添う力だ。
それは、命の終わりを“暮らしの静けさ”で包む技術だった。
ゼルファの呼吸は、少しずつ浅くなっていた。
だが、岩室の空気は穏やかで、香草の香りが静かに漂っていた。
ユウトは、鍋の火を弱め、湯気が静かに立ち上るのを見守っていた。
「……ユウト。お前の火は、優しいな」
ゼルファが、かすれた声で呟いた。
「俺は、火を武器にしてきた。だが、お前は、火を布団に変え、鍋に変え、命に変えた」
「火は、使い方次第です。暮らしの中では、守るための火になります」
ゼルファは、目を閉じたまま、微かに笑った。
「……妻が、よく言っていた。『火は、命を包む布にもなる』と。あの言葉を、今ようやく理解できた」
ユウトは、寝床の布を整え、ゼルファの体を優しく包み込んだ。
「眠る前に、体を整えるのは、家事の基本です。最後の眠りも、同じです」
* * *
火竜族の死の儀式は、炎で魂を送り出す“火葬の舞”が中心だった。
だが、ゼルファはユウトにこう言った。
「俺の死は、暮らしの中で迎えたい。戦場ではなく、布団の中で。火ではなく、香りの中で」
ユウトは、静かに頷いた。
「では、最後の食事を作りましょう。命を見送るための、祈りの料理です」
彼は、根菜と香草を蒸し、火竜族の伝統に風竜族の“帰還の味”を加えた。
ゼルファは、ひと口だけ食べて、目を閉じた。
「……懐かしい。あの頃の味だ。妻と、子と、暮らした日々の……」
その言葉を最後に、ゼルファは静かに息を吐いた。
炎もなく、叫びもなく、ただ布団の中で、暮らしの中で、命を終えた。
* * *
翌日、火竜族の里では静かな葬儀が行われた。
グラウスは、ゼルファの寝床を見つめながら言った。
「……火竜族の死に、家事が加わった。これは、文化の転換だ」
リュミナが、布団を畳みながら呟いた。
「ユウトの布団が、ゼルファの魂を包んだ。火じゃなくても、送れるんだね」
ユウトは、寝床の跡を丁寧に拭きながら答えた。
「命の終わりも、暮らしの一部です。だから、家事で整えることができます」
* * *
その日、火竜族の儀式書に新たな章が加えられた。
──“火竜族の死に、家事の章を加える。命の終わりを整える技術として、後世に伝える。”
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、死に寄り添う力だ。
それは、命の終わりを静かに包み、記憶を残す技術だった。
* * *
その夜、ユウトは日記にこう記した。
──異世界転移から十六日目。家事で命を見送る。
──家事は、死の儀式。
第17話「家事と裏切り」
火竜族の里の空気が、少しずつざわつき始めていた。
原因は、若き戦士・ガルドの変化だった。
彼は、かつて訓練場で最も火力を誇った者。だが最近は、口数が減り、視線は鋭く、誰とも距離を置いていた。
「……あいつ、ユウトに嫉妬してるんだろ」
「家政夫が英雄扱いされてるのが、気に食わないんだよ」
「でも、ユウトは命を守ってる。それを見て、ガルドは……」
里の若者たちの間で、そんな声が囁かれていた。
* * *
ある夜、物資庫が荒らされた。
食料、布、香草──ユウトが管理していた“暮らしの備蓄”が、何者かによって持ち去られた。
「……これは、内部の者の仕業だな」
グラウスが唸る。
「火竜族の結界を抜けるには、里の構造を知っていなければ無理だ」
ユウトは、物資の記録を確認しながら呟いた。
「持ち去られたのは、戦闘用の備品ではありません。暮らしの道具です。つまり、目的は……生活の再構築」
「……逃げた者が、別の場所で暮らそうとしている?」
「ええ。そして、それを可能にするだけの知識を持っている者……」
リュミナが、静かに言った。
「ガルドだ。あいつ、ユウトの家事講習に何度も顔を出してた。文句言いながら、手順を覚えてた」
* * *
ユウトは、ガルドの旧居を訪れた。
そこには、焦げた鍋、乱れた布団、そして──一枚の紙が残されていた。
──“俺は、火竜族の誇りを失った。暮らしに逃げた者として、ここを去る。”
ユウトは、紙を手に取り、静かに目を閉じた。
「……暮らしに逃げた、か。違います。暮らしは、逃げ場ではなく、帰る場所です」
* * *
その夜、ユウトは鍋を火にかけた。
香草は、ガルドが好んでいたもの。根菜は、彼が切り方を覚えたもの。
そして、火加減は──彼が一度だけ完璧に調整した記憶の再現だった。
「……ガルド。あなたの火は、誰かを傷つけるためじゃなく、誰かを温めるために使えたはずです」
ユウトは、鍋の湯気を見つめながら呟いた。
──家事は、裏切りすら包み込む力だ。
それは、記憶を呼び起こし、心を揺らす“暮らしの記憶装置”だった。
夜の里に、香草の香りが静かに広がっていた。
ユウトが火竜族の広場で炊いていた鍋──それは、かつてガルドが「これなら食える」と言った唯一の料理だった。
「……あの香り……」
岩陰に潜んでいたガルドが、鼻を動かした。
彼は、里を離れたはずだった。だが、香りが記憶を呼び起こす。
鍋の湯気、布団の温もり、掃除の手順──ユウトの家事が、彼の心に刻まれていた。
「……なんで、こんなに……懐かしいんだよ……」
* * *
ユウトは、鍋を囲むように布を敷き、空の器を並べていた。
「誰かが戻ってくるかもしれない。だから、席は空けておきます」
リュミナが隣で呟いた。
「……あんた、ガルドのこと、信じてるの?」
「信じるというより、覚えているんです。彼が布団を畳んだ日、鍋をかき混ぜた日、雑巾を絞った日──それが、彼の“暮らしの記憶”です」
「……家事って、そんなに深いのか」
「ええ。裏切りすら、包み込む力があります」
* * *
そのとき、広場の端に影が現れた。
ガルドだった。
彼は、ゆっくりと歩き、鍋の前に立った。
「……あの香り、俺が覚えてる。あんたが作ってくれた、あの時の……」
ユウトは、器を差し出した。
「どうぞ。あなたの席です」
ガルドは、器を受け取り、鍋から一杯すくった。
ひと口食べると、肩の力が抜けた。
「……俺、あんたに嫉妬してた。火竜族の誇りを、家事で奪われた気がしてた」
「家事は、奪うものではありません。整えるものです」
「でも、あんたの家事が、俺の心を整えてくれた。あの布団、あの鍋、あの掃除──全部、俺の中に残ってた」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、裏切りをほどく力だ。
それは、記憶を呼び起こし、心を揺らす“暮らしの再生装置”だった。
* * *
ガルドは、物資庫から持ち出した道具をすべて返却した。
そして、広場の掃除を申し出た。
「俺、もう一度やり直したい。火を使うだけじゃなく、火を整える暮らしを」
グラウスは、しばらく黙っていた。
そして、静かに頷いた。
「火竜族の誇りは、戦うことだけじゃない。暮らしを守ることも、誇りだ」
* * *
その日、火竜族の記録書に新たな章が加えられた。
──“火竜族の裏切りに、家事の章を加える。記憶をほどき、心を整える技術として、後世に伝える。”
ユウトは、鍋を拭きながら呟いた。
「家事は、心の再起動です。誰かを傷つけた者にも、帰る場所を示す力があります」
* * *
その夜、ユウトは日記にこう記した。
──異世界転移から十七日目。家事で裏切りがほどける。
──家事は、記憶の再起動。
第18話「世界崩壊と家事の力」
空が裂けた。
火竜族の里の上空に、黒い亀裂が走った。
風が逆巻き、地が震え、空間そのものが軋むような音を立てていた。
「……世界の崩壊が始まった」
グラウスの声は、かつてないほど低かった。
「古代の予言が現実になった。災厄の核が目覚めた。火竜族だけでは、もう止められん」
リュミナが拳を握りしめる。
「でも、戦うしかない。火竜族の誇りにかけて──」
「待ってください」
ユウトが、静かに声を上げた。
「戦う前に、暮らしを整えましょう。混乱の中でこそ、秩序が必要です」
「……暮らし? 世界が崩れてるんだぞ!」
「だからこそです。暮らしは、命の基盤です。崩壊の中でも、鍋を火にかけ、布団を整え、空気を澄ませる。それが、心を守る第一歩です」
* * *
ユウトは、避難所の再構築を始めた。
火竜族の広場に、風竜族の空気循環術を応用した通気幕を張り、水竜族の蒸気石で湿度を安定させ、土竜族の岩布で寝床を強化した。
「空が裂けても、空気は流れる。地が揺れても、布団は敷ける。暮らしは、崩壊に抗う技術です」
子供たちが、ユウトの指示で雑巾を絞り、布を張り、鍋を運ぶ。
その姿は、戦士ではなく、“暮らしの守り手”だった。
「ユウト先生、鍋の火、弱めたほうがいい?」
「ええ。混乱の中では、香りが強すぎると不安を煽ります。優しい香りで、心を落ち着けましょう」
* * *
火竜族の戦士たちは、戦線の準備をしながら、ユウトの避難所を見つめていた。
そこには、鍋の湯気、布団の温もり、掃除された床──“暮らしの秩序”があった。
「……あの空間、崩壊の中でも揺らいでない」
「火竜族の誇りは、戦うことだけじゃない。守ることも、整えることも、誇りだ」
グラウスは、避難所の中心に立ち、静かに言った。
「ユウト。お前の家事が、火竜族の心を繋いでいる。崩壊の中で、希望を灯している」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、世界の崩壊に抗う力だ。
それは、混乱の中で秩序を生み、絶望の中で絆を育てる技術だった。
災厄の核──黒炎の渦が、里の空を覆い始めていた。
空間が歪み、時間が揺らぎ、火竜族の炎さえも吸い込まれるように沈黙していた。
「……火が、効かない……」
リュミナが拳を握りしめる。
「火竜族の誇りが、通じない……!」
戦士たちは、剣を構えながらも動けずにいた。
恐怖ではない。虚無だった。
世界が崩れる音に、心が沈黙していた。
* * *
そのとき、広場から香りが立ち上った。
ユウトが炊いていた鍋──根菜と香草の蒸し煮。
火竜族の子供たちが、布団を並べ、湯を沸かし、器を配っていた。
「ユウト先生、火が弱まってるけど、まだ煮える?」
「ええ。火が弱いときこそ、根菜の甘みが引き出されます」
「じゃあ、焦らず煮よう。ゆっくり、丁寧に」
その言葉が、広場に響いた。
戦士たちは、鍋の香りに振り向いた。
そして、ひとり、またひとりと、器を手に取った。
「……この匂い、懐かしい。母が作ってくれた味だ」
「火が通らなくても、香りがある。それだけで、心が戻る」
「俺たち、火竜族だった。暮らしの中で、火を使ってた」
* * *
ユウトは、鍋の前に立ち、静かに語った。
「火竜族の誇りは、戦うことだけではありません。誰かのために火を灯すこと──それが、暮らしの誇りです」
「鍋を煮る火、布団を干す火、香草を焚く火──それらは、命を守る火です」
「世界が崩れても、暮らしは残ります。鍋を囲み、布団を並べ、掃除をして、火を灯す──それが、希望の形です」
グラウスが、静かに頷いた。
「ユウト。お前の火は、戦士の炎ではない。だが、心を燃やす炎だ」
リュミナが、剣を構え直した。
「火竜族、再編成! 暮らしを守るために、戦う!」
戦士たちが立ち上がった。
鍋の香りを背に、布団の温もりを胸に、火を灯して前へ進む。
* * *
災厄の核に向かって、火竜族が進軍を開始した。
だが、その中心には、ユウトの鍋があった。
それは、戦場の盾であり、心の灯火だった。
「ユウト、あんたの家事が、世界の崩壊に抗ってる」
「暮らしは、世界の基盤です。だから、崩れても、整え直せばいい」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、世界の崩壊に抗う炎だ。
それは、絶望の中で希望を煮込み、命を繋ぐ“暮らしの魔法”だった。
* * *
その夜、ユウトは日記にこう記した。
──異世界転移から十八日目。家事が世界の崩壊に抗う。
──家事は、希望の灯火。
第19話「家事は世界を救う」
災厄の核──黒炎の渦は、世界の構造そのものを蝕んでいた。
空は裂け、地は沈み、時間は歪み、魔力は乱れ、種族間の連携は崩壊寸前だった。
「風竜族、空間制御不能! 水竜族、蒸気供給限界! 土竜族、岩層崩壊!」
各族の報告が、火竜族の里に集まっていた。
グラウスは拳を握り、リュミナは歯を食いしばる。
だが、ユウトは静かに鍋をかき混ぜていた。
「……ユウト、あんた、何してるんだ。世界が終わるかもしれないんだぞ」
「だからこそ、鍋を煮ます。暮らしを整えることで、命の秩序を取り戻すんです」
「秩序? こんな混乱の中で?」
「ええ。家事は、混乱の中でこそ力を発揮します。鍋を煮る、布団を敷く、空気を流す──それが、命を繋ぐ技術です」
* * *
ユウトは、各族の代表を集めた。
風竜族には空気の流れを、土竜族には寝床の安定を、水竜族には湿度の調整を、火竜族には火加減の管理を依頼した。
「これは、戦闘ではありません。暮らしの再構築です。各族の力を、家事に転用します」
「……我々の力を、鍋に?」
「鍋は、命の縮図です。空気、火、水、土──すべてが揃って、初めて命が煮えます」
風竜族の長老が、静かに頷いた。
「……空気の流れを、鍋の蓋に合わせよう。蒸気が逃げすぎないように」
水竜族の巫女が、湧き水を注ぎながら言った。
「湿度を、根菜の呼吸に合わせて調整する。命が柔らかくなるように」
土竜族の職人が、岩布を敷きながら呟いた。
「寝床の傾斜を、鍋の底に合わせる。熱が均等に伝わるように」
火竜族の若者が、火加減を見つめながら言った。
「火を、誰かのために使う。戦うためじゃなく、煮るために」
* * *
ユウトは、鍋の中心に立ち、各族の力を束ねた。
「暮らしは、命の交差点です。だから、家事は世界を繋ぐ技術です」
鍋が煮え、香りが立ち、空気が澄み、湿度が安定し、岩布が温もりを伝える。
その瞬間、災厄の核が、微かに揺らいだ。
「……世界が、応えてる……!」
リュミナが叫ぶ。
「ユウトの鍋が、世界の構造に干渉してる!」
グラウスが呟く。
「家事が、世界を救う……そんなことが……!」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、世界を繋ぐ力だ。
それは、命の構造を整え、種族の力を束ねる“暮らしの方程式”だった。
鍋の中心に、世界が集まっていた。
風竜族の空気、火竜族の炎、水竜族の蒸気、土竜族の岩布──それらが、ユウトの段取りによって一つに束ねられていた。
「空気、安定。蒸気、均衡。火力、調整完了。岩布、熱伝導良好」
各族の代表が、暮らしの報告を行う。
それは、戦況報告ではなく、“命の煮え具合”の確認だった。
「……鍋が、世界の構造を模している。空間の歪みが、鍋の蓋の振動と一致している」
「蒸気の流れが、魔力の乱れと同期している。つまり、鍋の調整が、世界の再構築に繋がっている」
ユウトは、鍋の湯気を見つめながら呟いた。
「暮らしは、命の縮図です。だから、家事は世界の方程式を解く鍵になる」
* * *
災厄の核が、鍋の中心に反応を示した。
黒炎が揺らぎ、渦が緩み、空間の裂け目が微かに閉じ始めた。
「……鍋の火力を、もう少し弱めて。香草の香りを、風竜族の旋律に合わせて調整して」
「了解。火竜族、火力を第三段階に移行。風竜族、香りの流れを旋律に同期」
「水竜族、湯気の粒子を魔力の波長に合わせて分散。土竜族、岩布の傾斜を空間の歪みに合わせて再配置」
鍋が、世界の再構築装置となっていた。
ユウトは、鍋の縁に手を添え、静かに語った。
「鍋は、命を煮る器です。だから、世界の命も、ここで煮直せる。家事は、世界を救う技術です」
* * *
災厄の核が、鍋の中心に吸い込まれた。
黒炎は、香草の香りに包まれ、渦は湯気に溶け、裂け目は布団の温もりに癒された。
「……世界が、煮えた……」
リュミナが呟いた。
「鍋の中で、命が整った。火竜族の火が、誰かを傷つけるためじゃなく、誰かを守るために使われた」
グラウスが、鍋の蓋をそっと閉じた。
「これが、世界の再構築だ。戦いではなく、暮らしによる再生」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、世界を煮直す力だ。
それは、命の構造を整え、種族の力を束ねる“暮らしの魔法陣”だった。
* * *
その日、火竜族の記録書に新たな章が加えられた。
──“火竜族の世界救済に、家事の章を加える。命の構造を整える技術として、後世に伝える。”
各族の記録にも、同様の章が加えられた。
──“暮らしは、世界の方程式。家事は、命の再構築技術。”
ユウトは、鍋を拭きながら呟いた。
「家事は、世界を救う力です。誰かのために火を灯すこと──それが、命の再生です」
* * *
その夜、ユウトは日記にこう記した。
──異世界転移から十九日目。家事が世界を煮直す。
──家事は、命の再構築魔法。
第20話「家事と帰還」
世界は、静かに息を吹き返していた。
災厄の核は鍋の中で煮解かれ、空の裂け目は閉じ、地の震えは止まり、魔力の流れは穏やかになった。
火竜族の里には、香草の香りが漂い、子供たちの笑い声が戻っていた。
鍋は煮え、布団は干され、掃除された床に陽光が差し込んでいた。
「……世界、救っちゃったな」
リュミナが、湯気の立つ器を手に呟いた。
「家事で、世界を煮直すなんて。あんた、何者なんだよ」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
「ただの家政夫です。暮らしを整えるのが、僕の仕事ですから」
* * *
その夜、風竜族の使者が訪れた。
彼は、古代の転移魔法陣の再起動に成功したという報せを持っていた。
「ユウト殿。あなたが元いた世界へ戻る手段が、整いました」
「……帰れるんですか」
「ええ。ただし、選択はあなたに委ねられます。戻れば、こちらの記憶は失われる可能性があります」
火竜族の里に、静かな波紋が広がった。
グラウスは拳を握り、リュミナは目を伏せ、ティアは布団を抱きしめた。
「……ユウトがいなくなったら、鍋は誰が煮るんだよ」
「布団の干し方、まだ教わってないのに……」
「掃除の順番、あたし、覚えきれてない……」
ユウトは、鍋を火から下ろしながら答えた。
「家事は、誰にでもできます。僕がいなくても、暮らしは続きます」
「でも、あんたがいたから、暮らしが“誇り”になったんだ」
* * *
ユウトは、里の広場に立ち、空を見上げた。
転移魔法陣が、静かに光を放っていた。
その光は、元の世界への“帰還”を示していた。
「……帰るべきか、残るべきか」
彼は、鍋の蓋を開け、湯気を見つめた。
その香りは、火竜族の暮らしの記憶だった。
掃除の雑巾、干した布団、香草の束──それらが、彼の心を揺らしていた。
「暮らしは、場所じゃない。誰かと整える時間だ」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、帰る場所を作る技術だ。
それは、世界を越えて、命を繋ぐ“暮らしの旅路”だった
転移魔法陣が、静かに輝いていた。
その光は、ユウトが元いた世界への“帰還”を示していた。
だが、火竜族の里には、もう一つの光があった──暮らしの灯火だ。
鍋の湯気、干された布団、掃除された床、香草の香り──それらが、ユウトの選択を揺らしていた。
「……帰るべきか、残るべきか」
ユウトは、鍋の蓋を開け、湯気を見つめた。
その香りは、火竜族の暮らしの記憶だった。
ティアが畳んだ布団、ガルドが整えた掃除道具、リュミナが調整した火加減──それらが、彼の心を包んでいた。
「暮らしは、誰かと整える時間です。場所ではなく、関係です」
グラウスが、静かに言った。
「お前がいなくても、暮らしは続く。だが、お前がいたから、暮らしが誇りになった」
リュミナが、器を差し出した。
「最後の一杯、あんたの鍋で食べたい」
ティアが、布団を抱きしめながら呟いた。
「ユウトがいなくなったら、あたしの“家族”が減っちゃう」
ユウトは、鍋を火から下ろし、器に注いだ。
「じゃあ、最後の一杯──“帰る前の味”を作ります」
* * *
その夜、里の広場には静かな祝宴が開かれた。
鍋を囲み、布団を並べ、香草の香りが漂う中、火竜族の者たちはユウトの帰還を見送る準備をしていた。
「ユウト先生、掃除の順番、忘れないからね!」
「鍋の火加減、俺が引き継ぐ!」
「布団の干し方、あたしが教える!」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
──家事は、命を繋ぐ技術だ。
それは、誰かに受け継がれ、暮らしの中で生き続ける。
* * *
転移魔法陣の前に立ち、ユウトは最後の選択をした。
「帰ります。僕の暮らしは、元の世界にもあります。そこでも、誰かの命を整えたい」
グラウスは頷いた。
「お前の火は、世界を越えて届く。だから、誇りを持って帰れ」
リュミナは、鍋の蓋をそっと閉じた。
「いつか、また煮よう。あんたの火で」
ティアは、布団を差し出した。
「これ、あたしが干したの。持ってって。あたしの“暮らし”の一部だから」
ユウトは、布団を抱きしめ、魔法陣に足を踏み入れた。
光が彼を包み、空間が揺らぎ、世界が変わる。
* * *
──異世界転移から二十日目。家事で世界を救い、帰還する。
──家事は、命の旅路。
鍋と布団と香りを武器に、最強種族の暮らしを支えた日々。
それはやがて、次なる物語へと繋がっていく──。
* * *
そして、ユウトが去った後──火竜族の里には、新たな風が吹いていた。
ティアが鍋を煮ていた。ガルドが掃除をしていた。リュミナが布団を干していた。
暮らしは、続いていた。
その中心には、ユウトが残した“段取りの書”があった。
──“暮らしは、命の方程式。家事は、世界を整える魔法。”
そして、風竜族の空に、新たな裂け目が生まれようとしていた──
だが、今度は、暮らしの力を知る者たちがいた。




