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無効化令嬢の恋と改革  作者: 鴨治玲


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54.選ぶ者、選ばれない者

「どうして――ステラを行かせるんだ!」

執務室に戻った途端、抑えきれずに声を荒げていた。

アレンは、わずかに眉を寄せただけでため息をつく。

「あいつの意志でもある」

「だからって、危険すぎる……!」

一歩、机に詰め寄る。

胸の奥がざわついて、言葉より先に体が動いた。

「俺が行く。前に立つのは俺でいい。彼女を止めてくれ」

「それはできない」

即答だった。

「あいつの力だけが、封印の状態を読める。研究師団も魔法師団も、全員そう判断している」

「……もし、ステラが行かないと言えば?」

一瞬の沈黙。

アレンは視線を外し、窓の外――薄く揺れる灯りを見た。

「無理強いはしない。危険な任務だ。拒否する権利はある」

そして、淡々と続ける。

「無効化は、この国にとっても有益だしな」

――有益。

その言葉が、耳に刺さった。

ステラを、盤上の一駒のように語る口調。

理屈では理解できる。

だが、胸のどこかがひどく冷えた。

「……もういい」

吐き捨てるように言って、執務室を出る。


廊下の角を曲がった先――そこに、彼女がいた。


出立の準備だろう。

腕に抱えた資料と、いつもより固い表情。

俺に気づくと、ステラは足を止めた。

次の瞬間、俺は彼女の手首を掴んでいた。

驚いたように目を見開く彼女を、そのまま近くの部屋へ引き入れる。

扉を閉め、壁際に追い詰める形で向き合う。

掴んだ手は、離さない。


「……ルカ様」

「行くな」

短く、強く。

願いではなく、衝動に近かった。

「危険すぎる。君が行かないと言えば、アレンは許す」

「それは、できません」

即答だった。

その揺るぎなさが、胸に刺さる。

「――俺が代わりに行く」

声が低く落ちる。

喉の奥が熱くて、言葉がうまく形にならない。

「頼む。君は、ここにいてくれ」

「……どうしてですか」

問い返す声は、静かだった。

「危ないだろ!」

思わず声が荒れる。

「君に何かあったら――」

言い切る前に遮られる。

「どうして、今さらそんなことを言うんですか」

その一言で、胸の奥が冷えた。

はっとする。

彼女を突き放したのは、他でもない俺だ。

縛るなと、自由でいろと、言った。

それなのに――今さら。

「私は、ルカ様にとって何なんですか?」

静かな声だった。

責めるでもなく、泣き落とすでもない。

ただ、確かめるような問い。

「あなたの中で、私は……」

ほんの一瞬、沈黙が落ちた。

「何もできない、守られるだけの子供なんですか?」

彼女の瞳に涙が滲む。

けれど、零れ落ちることはない。

その強さが、余計に――痛い。

「……私の力を、信じてくれたのは、嘘だったんですか?」

――違う。

そうじゃない。

だが、言葉が追いつかない。

掴んでいた手首が、そっと振りほどかれる。

その感触が、ひどく冷たかった。

「私は行きます」

彼女は、まっすぐにこちらを見る。

「誰かに決められたからじゃない。自分で選んだんです」

そう言い残して、ステラは背を向けた。


扉が閉まる音が、やけに大きく響く。


――俺は、ただ。

君を失いたくないだけなのに。


喉の奥で呟いた本音は、彼女に届くことなく、部屋の暗がりに沈んでいった。



******



部屋を出た途端、足が震えた。

歩こうとしても、前に進めない。

胸の奥が、ぎゅっと掴まれたまま、呼吸の仕方を忘れてしまったみたいだった。


ちょっとしたことで涙がこぼれそうになる。

――だめ。

ここで泣いたら、全部が崩れてしまう。


私は唇を噛んで、俯いたまま歩き出した。

視界が滲んで、廊下の灯りが歪む。

「……ステラ?」

名前を呼ばれた瞬間、心臓が跳ねた。


この声――

顔を上げるより早く、私は踵を返していた。


見られたくない。

今の顔も、弱さも。


駆けだそうとした拍子に、足がもつれる。


「っ……!」

身体が前に傾く。

床に倒れる、そう思った瞬間――


腕を掴まれ、強く引き寄せられた。

「危ない!」

衝撃の代わりに、温かい感触があった。

顔が、誰かの胸に埋まる。


その瞬間、胸の奥で押し込めていたものが一気に揺らいだ。

ルカ様の言葉の痛みも、任務への恐怖も、自分で選んだはずなのに揺れてしまう心も――


「……大丈夫?」

ジェームズ様だった。

支えられたまま、私は顔を上げられない。

涙が、止まらなかった。

「……見ないで、ください……」

声が震える。

彼は何も言わず、ただ私を抱き寄せた。

逃げ場を塞ぐでもなく、けれど離すこともなく。

「見ないわけ、いかないだろ」

静かな声だった。

「君が、こんな風になるなんて……」

腕が、そっと背中に回された。

「……泣いていい」

その一言で、堰が切れた。

「……っ……」

声を殺そうとしても、涙は止まらない。

彼は、何も言わずに抱きしめ続けてくれた。


しばらくして、ようやく呼吸が落ち着いた頃。

「……ステラ」

名前を呼ぶ声が、少しだけためらっていた。

「今、言うつもりはなかったんだけど」

少しだけ、苦笑を含んだ声。

「こんな時に言えば、君を困らせるってわかってる。でも……言わなかったら、きっと後悔する」

抱きしめる腕に、わずかに力がこもる。


「君を愛している」


胸の奥が、きゅっと鳴った。


「ずっとだ。君が誰を想っているかも、どれだけ苦しんでいるかも、全部わかった上で」

彼は、少しだけ距離を取って、私の顔を見た。

逃げられない距離。

でも、追い詰めるような目ではなかった。

「それでも、君が欲しい」

真っ直ぐな視線。

「綺麗な言葉だけで済ませるつもりはない。守りたいとか、支えたいとか……もちろんそう思うけど」

一度、視線が揺れる。

弱さを隠しきれない、ほんの一瞬。

「それ以上に、君の隣に立ちたい。君がどんな選択をしても、その重さを一緒に背負いたいんだ」

「……ジェームズ様……」

「今すぐ答えはいらない」

彼は、そう言って微笑んだ。

どこか痛みを含んだ、やさしい笑み。

「君がどこへ行くとしても、戻ってくる場所に、僕がいてもいいなら」

もう一度、そっと抱きしめられる。

「それだけで、十分だ」

その腕の中は、温かくて、優しくて――

だからこそ、胸が痛かった。


私は何も言えなかった。

ただ、彼の胸元に額を預けて、その鼓動を覚えるように聞いていた。



******



廊下の曲がり角で、足が止まった。


本当は、追いかけるつもりなんてなかった。

あれ以上、彼女を追い詰める資格はない。

それでも――気づけば、体が勝手に動いていた。


視界の先に、二人がいた。

ジェームズが、彼女を抱きとめていた。

彼女の額が、彼の胸に触れているのが見えた。


……ああ。

思考が、そこで途切れた。

声は聞こえない。

だが、彼女の肩が小さく震えているのが、遠目にもわかった。


泣いている。


とっさに身を引き、柱の陰に半身を隠す。

覗くつもりじゃないのに、目が離れなかった。


ジェームズの腕が、彼女の背に回る。

ためらいのない動き。

守るようでいて、逃がさない抱き方。


胸の奥で、何かが静かに軋んだ。


俺は、彼女に触れることを避けた。

触れれば、縋ってしまうから。

手を伸ばせば、引き留めてしまうから。


だから、言葉で突き放した。

彼女の自由のためだと、言い聞かせて。


それなのに。

彼は、迷いなく抱きしめている。


卑怯だ、と思うと同時に、正しい、とも思った。

彼女は今、ああやって支えられるべきだった。


俺じゃない、誰かに。


ジェームズが何かを言う。

彼女の肩が、わずかに強く揺れた。


二人を包む空気が変わる。


――遅かったんだ。俺が。


息を吸うと、胸が痛む。

吐くと、何かが削れていく。


彼女は拒まなかった。

抱きしめ返しもしないが、突き放しもしない。

その距離が、何より残酷だった。


喉の奥で、声がひっかかった。

呼べば、彼女は振り向くだろう。

もしかしたら、困った顔で、それでも――俺を見るかもしれない。


だが、今、それをしてしまえば。


俺はもう、「彼女の幸せを願う男」ではいられなくなる。


拳を、強く握りしめた。

選ばせると、誓った。

彼女の人生を、俺の恐れで縛らないと。

だったら。

この光景も、彼女が選び取る未来の一部なら――

俺は、背を向けるべきだ。


足音を殺して、来た道を戻る。

振り返らない。


振り返ったら、きっと――

全部、壊してしまうから。


遠ざかるにつれて、胸の奥がじわじわと痛みだす。

それでも、歩みは止めなかった。


彼女の隣に立つ未来を、どこかで夢見ていたのに。


それでも、今は。

彼女が泣かずにいられる場所が、俺の腕の中じゃないなら――


それを、受け入れるしかなかった。


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