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無効化令嬢の恋と改革  作者: 鴨治玲


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49.揺らぐ距離

ガラス越しに見える二人の姿は、思っていたよりも穏やかだった。

言葉を交わし、時折、ふっと肩の力を抜くように笑う。


声は届かない。それでも、あの空気だけはわかる。

張り詰めていたものが、静かにほどけていく気配。


アレンとステラの距離は、近くも遠くもなかった。

昔のように肩を並べるわけでもなく、かといって避け合うような緊張もない。

必要な分だけ、手を伸ばせる距離。


――今の二人にとっての、ちょうどいい場所。


やがて扉が開き、執務室に風が流れ込んだ。


「待たせたな」


アレンの声は軽い。

最近の、張り詰めた響きはもうなかった。

続いてステラが姿を見せる。

その表情は落ち着いていて、迷いは見えない。


執務室の空気が、ふっと和らいだ。


長机を囲むように、アレンとステラ、ロイ、ハロルドが腰を下ろす。

窓辺にいたジェットがステラの足にすり寄ると、彼女は小さく笑って黒猫を抱き上げ、膝に乗せた。

ジェットは満足そうに喉を鳴らし、そのまま丸くなる。


――昔に戻ったみたいだ。


まだステラが学院に入学する前。

無効化の力を修得するために、あの家に集まっていた頃のような時間が、今ここに流れている。


ただ、ひとつだけ違う。


俺は、部屋の端に立っている。

全体を見渡せ、かつ殿下(アレン)を即座に守れる位置。


もう、あの頃のように――、

何の気負いもなく、彼女の隣に座ることはできない。


「なんか、懐かしいな」

アレンが目を細めながら言った。

それに応じるように、ロイとハロルド、そしてステラも微笑んだ。


「お前もこっち来いよ」

「そうはいかないよ。一応、護衛なんだから」

軽く返したつもりだった。

だが、その瞬間、ステラの視線がこちらに向く。

驚き――いや、何かを測るような揺れが一瞬だけ走った。


「どうしました?」

問いかけると、彼女は一瞬ためらい、それからわずかに困ったような表情を浮かべた。

「……いえ、ルカ様、殿下に対しては、昔と変わらないんだなって…」

胸の奥が、かすかに揺れる。

「それは……」

「この場だけだよ」

言葉に詰まった俺の代わりに、アレンが口を挟んだ。

「他の奴がいる時は、口調が全然違う。よくそんな切り替えられるなって、感心するよ」

「ていうか、お前も」

アレンはステラを指さす。

「殿下はやめろ。ここでは、昔みたいに呼べ」

「……アレン様」

「よし。ルカもな。ここではステラに対しても今まで通りでいい」

「…わかった」


口調を変えたのは、自分の立場をわきまえたかったからだ。

昔のまま接してしまえば、きっと――

心の距離まで、戻ってしまいそうで。


「ね、ステラ。相談があるんだけど」

ロイが場の空気を切り替えるように切り出した。

「なんですか?」

「公爵補佐の仕事が忙しいのは重々承知している。そのうえで、なんだけど……」

遠慮がちに言葉を選ぶロイに、ステラは先を読むように微笑んだ。

「ロイ様、私の力、魔法師団のお役に立てませんか?」

ロイの目がわずかに開かれ、すぐにその成長を確かめるように目を細めた。

「……ありがとう。実はね、公爵閣下にはすでに話は通してあるの。あなたの力を魔法師団に借りたいって」

「私がお役に立てるなら、是非」

「それじゃ、さっそく魔法師団に来てもらってもいい?」

「はい」


二人が並んで、執務室を出ていく。


魔法師団――。


さっき、ステラの隣にいた男も、あの制服を着ていた。


胸の奥に、まず小さな違和感が落ちる。

それが、じわりとざらつきに変わる。


こんな感情を、抱いてはいけない。


俺は――

彼女が誰を選ぼうと、彼女の幸せだけを願うと決めている。


そう……決めているはずなのに。



******



ステラの背中が角を曲がって消える。

残された空気だけが、胸にまとわりついた。


「怖い顔」

笑いを含んだ声が、やけに耳についた。

視線を向けると、そこにいたのは騎士団の制服を纏った女――学院時代の同級生、ベティ・ランプリングだった。


「君か、ベティ」

「久しぶり。猫ちゃん、取られちゃったね」

軽口に返す気力もなく、肩をすくめる。

さっきまで隣にいたステラは、自然な足取りで別の方向へ向かっていった。

騎士団の制服を着た男の元へ。


――ああ、あの顔。


久しぶりに見た。

あんな風に和らいだ表情。


胸の奥に、ひどく懐かしい痛みが走る。


思い出すのは、あの時だ。

師から手紙を受け取った時の、あの嬉しそうな横顔。

だからずっと、彼女の想い人はロイ・マクラウド――

無効化を教えた師であり、彼女を導いた存在だと思っていた。


だが、魔法師団に入団してから、その考えは揺らぎ始めた。

ロイ隊長に、何気なく尋ねたことがある。

――あのブローチは、あなたが?

少し考えるそぶりを見せてから、彼は言った。

「私からじゃないけどね」

それ以上は、うまくはぐらかされてしまった。


だが、今ならわかる。

いや、わかってしまった。


「……彼は誰だ」

自分でも驚くほど低い声が出た。

ステラたちが消えた廊下の先から、視線を離せない。

「おや、うちの有名人を知らないとは」

「男の顔は覚えが悪くてな」

「相変わらず最低だな。そのセリフ、猫ちゃんに聞かせてやりたいよ」

「……やめろ」

ベティはからかうように笑いながら、一瞬だけ俺の表情を確かめる。


「ルカ・ヘイル隊長。平民出身で、宮廷騎士団二番隊隊長。アレン殿下付きの騎士だよ」

平民出身――その言葉が、胸の奥にひっかかる。

「平民で、殿下付き?」

「反発はあったらしい。でも、あの人は騎士団長級の実力者だ。殿下とは知り合いで、強い希望で通ったって話」

「殿下の希望……」


殿下の知り合い。

その言葉が、静かに落ちていく。


だから、公爵令嬢(ステラ)とも知り合いだった?

いや――それだけで、あんな距離感になるはずがない。

並んで歩く背中。

言葉を交わさなくても通じ合っているような、あの間。


「噂の“待ち人”って、彼女のことなんだろうね」

「噂?」

「知らない?王宮の侍女たちの間じゃ有名だよ」

ベティは、楽しそうに囁く。

「平民出身なのに異例の早さで隊長就任。殿下の信頼も厚くて顔もいい。なのにずっと独り身。理由は――待ってる人がいるから、だって」

「……それが、ステラだと?」

「断言はしない。でもね」

ベティは初めて、からかいを抜いた目をした。

「初めて見たよ。あんな優しい顔を誰かにむける隊長」


言葉が、胸の奥に静かに沈んでいく。


俺たちは、もう姿の見えない廊下の先を見つめたまま立ち尽くしていた。

風だけが、二人の残した温度を運んでいくようだった。


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