表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無効化令嬢の恋と改革  作者: 鴨治玲


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

47/62

46.救済の代償

疑念を抱えたまま、俺は王家の図書室の奥へ向かった。

禁書庫へ続く回廊に近い、普段はほとんど使われない閲覧室。

昼でも薄暗く、古い紙と魔力の残り香が漂っている。


ロイはすでに調べを進めており、数冊の古書を積み上げ、ページをめくる手を止めない。

ハロルドは壁側に立ち、全体を見渡す位置を取っている。

ルカは扉に近い場所に立ち、外の気配を探るように耳を澄ませていた。


「結論から言うわ」

ロイが本を閉じ、静かに口を開いた。

その声音は、いつもより低い。


「ステラに飲まされた液体は、通常の回復薬を偽装して作られている。貧民街で出回っていた薬とほぼ同じ構造。ただし瘴気の濃度だけが異常に振れている――濃度を変えて実験しているかのように」

部屋の空気がわずかに揺れた。

「作った人間には、三つの条件が必要になるわ」


ロイは指を一本ずつ立てる。

「まず、薬草学の専門知識。薬草は少しの差で毒にもなる。ほんのわずかな配合の違いが薬効を反転させることだって珍しくない」

「次に?」

俺が促すと、ロイは一瞬だけ表情を曇らせた。


「瘴気を扱う禁忌知識。本来、瘴気は魔石に定着しない。それを“液体に混ぜる”発想自体が、正規の魔法教育ではありえない」

その言葉に、ハロルドがわずかに眉を寄せた。

ルカは無言のまま、扉の向こうへ視線を向ける。


「そして三つ目」

ロイは、机の上の古い書を指で叩いた。

乾いた音が、やけに大きく響く。

「禁忌に関する文献へのアクセス。この手の記述は、王家の図書館にしか残っていない」


その瞬間、全員が同じことを思ったのが分かった。


――やはり王宮の内部犯行。


「王族か、あるいは――」

ハロルドが低く言葉を継ぐ。

「王族に長く仕え、自由に出入りできる者」

「……使用人、ということか」

俺の呟きに、誰も否定しなかった。


ルカが、そこで初めて口を開く。

「襲撃の実行犯は、学院の卒業生だった。だが、あいつに“方法”を教えた人間がいる」

「根拠は?」

俺が問うと、ルカは淡々と答えた。

「事の始まりは、もっと前だ。ステラの侍女が飲まされたあの時も、貧民街の薬の噂も、冒険者からの情報も……全部、一つの線で繋がっている。――長い年月をかけて、“何かの実験”が続いていたとしか思えない」

皆が頷き、ハロルドが続ける。

「それから、カフス。魔道具として加工されてましたが、あれには王宮工房の刻印が入っていました」

ロイが小さく息を吸った。

「瘴気、薬草学、王宮工房、そしてステラの力を知る者――全部を繋げられる人間は、限られている」


その言葉に、俺の脳裏に浮かんだ顔があった。


兄の部屋に漂っていた薬の匂い。

迷いのない返答。

祈るような、あの視線。


胸の奥が、冷たく締め付けられる。


「……兄の周囲を洗え」

自分でも驚くほど低い声が出た。

「ただし、表立っては動くな。相手が誰であっても、兄に気付かせるわけにはいかない」


「承知しました」

ハロルドが即座に応じる。


ロイが最後に静かに言う。

「もし、これが王家内部の犯行なら――目的は一つじゃないわ」

「分かってる」


ステラ。

兄。

そして、俺自身。


すべてが、同じ線の上に並び始めている。


……逃げ場は、もうない。


かつて王宮を飛び出した自分を思い出しながら、俺は静かに息を吸った。


今度こそ――

逃げずに、向き合う。


***


南の一室には、異様な緊張が満ちていた。


ベッドに横たわる兄ユリウス。

その傍らに俺。

少し距離を置いて、ロイとハロルド。

扉の近くにはルカが立ち、気配を逃さないように目を細めている。


そして――乳母と、従僕。


二人とも膝をついているが、乳母の背筋は異様なほど真っ直ぐだった。

祈りにも似た姿勢。

けれど、その静けさの奥に、何かが軋む気配がある。


「もう、隠す必要はない」

俺が言うと、乳母はゆっくりと顔をあげた。

その目には怯えも動揺もなく、ただ、揺るぎない確信だけが宿っていた。


「あなた様は、すべてお気づきなのでしょう?」

声は穏やかで、まるで子どもに語りかけるようだった。


「貧民街に蔓延した薬、ステラに飲ませた液体、禁忌の知識……」

一つずつ、確認するように言葉を並べる。


「――無効化の力を、再現しようとした理由は何だ」


その問いに、乳母の表情が初めて揺れた。

痛みとも、喜びともつかない、奇妙な歪み。


視線がベッドの上のユリウスに向く。


「……ユリウス様を、お救いするためです」

その声は震えていなかった。

むしろ、祈りが叶ったと告げる者のように澄んでいた。


「ユリウス様のお身体は、もはや通常の回復魔法では支えきれない。ならば……瘴気すら無効化する力があれば、病を打ち消せるかもしれない」


ロイが息を呑む気配がした。


乳母は続ける。

その声は、まるで愛を語るかのように。

「彼女の力は、奇跡です。魔を拒むのではなく、存在そのものを“無かったことにする”。あれを再現できれば……ユリウス様は……」


言葉が震え、唇がかすかに笑みに歪む。

「……また、歩けるのです」

その笑みは、幸福の形をしているのに、どこか壊れていた。


「そのために、他人を犠牲してもいいと?」

俺が問うと、乳母はすぐには答えなかった。

代わりに、静かにルカへ視線を向ける。

「……価値のある命と、そうでない命は、確かに存在します」

その言葉は、残酷なはずなのに、慈しむような声音だった。

「王に連なる血。国を導く器。その未来を守るためなら……他の命は、踏み台になってこそ意味がある」


その瞬間、兄が小さく息を吐いた。

「……だから、止めたかった」

掠れた声だったが、確かに届いた。


乳母が、はっとして振り向く。

「ユリウス様……」


「君は……僕を生かすために、国を壊そうとした」


責める声ではない。

ただ、深い悲しみが滲んでいた。


「それは……僕が、望んだ未来じゃない」

乳母の唇が震える。

その震えは、怒りでも恐怖でもなく――愛が否定された痛みだった。

「……ユリウス様……私は……」

言葉にならない声が漏れる。


俺は、従僕に視線を向けた。

「お前はなぜ、王家の紋章を見せた」

従僕は、深く頭を下げたまま、震える声で答えた。


「……ユリウス様に、頼まれました」


その声に、兄が目を閉じる。

「……彼女を、止めるためだった」


従僕の声は、掠れていた。

「王家が関わっていると匂わせれば……あなた様が動くと思いました。あなた様なら……真相に辿り着けると……」


俺は、唇を噛んだ。

「……結果的に、ステラが狙われた」

「はい……」


従僕の拳が床に触れ、震えた。

「ユリウス様にこれ以上……罪を背負わせたくなかった……!」


沈黙が落ちる。


乳母はゆっくりと立ち上がろうとしたが、ハロルドに制止された。

それでも、乳母は静かに言い切った。


「……私は、間違っていない」

その声は、狂気ではなく――信仰だった。


「ユリウス様が生きるなら、どれほどの犠牲も……正しいのです」


兄は静かに首を横に振った。


「僕は……誰かの命の上に、生きたくはない」


その一言で、乳母の表情が崩れた。

愛が否定された瞬間の、どうしようもない絶望。


「……ユリウス様……」

その声は、泣き声にも祈りにも聞こえた。


「……もう、いい」

兄は俺を見た。

「アレン……ここからは、君の役目だ」


その視線は、すでに“次の王”を見るものだった。


この夜、俺たちは真実にたどり着いた。

そして同時に――、取り返しのつかない終わりが、すぐそこまで来ていることも。


***


王宮の回廊を走る足音が、やけに遠く聞こえた。

胸の奥が冷たく沈む。

いやな予感は、すでに形を持っていた。


――第二王子、危篤。


南の一室。

見慣れたはずの扉が、今日は異様に重い。

内側から開いた扉の前に立っていた侍医は、顔色を失っていた。


「……アレン殿下」

それだけで十分だった。


ベッドに横たわる兄は、驚くほど静かだった。

眠っているようにも見える。

けれど、胸の上下は浅く、かろうじて生きていると分かる程度だ。


俺が近づくと、兄はゆっくりと目を開けた。


「……来たね、アレン」


掠れた声。

それでも、微笑もうとする。


「無理に話さなくていい」

そう言ったのに、兄は首を横に振った。

「……今しか、ない」

その一言で、覚悟が決まった。

兄は、細い息を継ぎながら言葉を紡ぐ。

「……すまなかった。もっと早く、彼女を止めるべきだった。でも……直接、告発すれば……君が、危なかった」

俺は何も言えなかった。

兄はゆっくりと俺を見た。

「アレン……君は、優しすぎる。だから、全部背負おうとする……」

喉が、熱くなる。

「王位を、譲るために……家を出たんだろう?」

兄はすべて分かっていた。

「君は、大事な者を“守る”と言いながら……その実……縛ろうとする……」


胸の奥が痛む。

兄は、かすかに笑った。


「それは……王のやり方じゃない」

その言葉が、深く刺さる。

「王は……選ばせる者だ。……奪わない……縛らない」


兄は震える手で俺の袖を掴んだ。


「アレン……王位は、逃げるための罰じゃない。……君が……選んだ未来の、責任だ」


その瞬間、はっきりと理解した。


俺は――

兄に王位を譲りたかったんじゃない。

「選ばなくていい立場」に、逃げたかっただけだ。


「……俺は」

声が、震える。

「……守りたいと思った」

兄を。ルカを。ステラを。

「でも……それは、俺の不安を消すためだった」


兄は、満足そうに目を細めた。

「……それで、いい」

掴れていた袖の力が、少しずつ弱まる。


「アレン。君は……必ず、王になる」


そう言い残し、兄の呼吸は、静かに止まった。


――苦しむ様子はなかった。

まるで、すべてを渡し終えたかのように。


俺は、兄の手をそっと包む。

「……ありがとう、兄さん」


守られていたのは、俺の方だった。


王位も、

過去も、

そして――

誰かを自分のものにしようとする弱さからも。


兄は、最後の瞬間まで“次の王”であろうとした。

だからこそ、俺は決意する。


ステラも、ルカも――選ぶ。

奪わない。

縛らない。


俺は、逃げない


それが、兄から受け取った、最後の教えだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ