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無効化令嬢の恋と改革  作者: 鴨治玲


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45.真実の気配

王宮の南に面した一室の扉を、そっと指先で叩いた。

冬を迎える前の冷たい空気が廊下に満ちていて、ノックの音が澄んで響く。

すぐに内側から従僕が顔を覗かせ、俺だと分かると深く一礼して扉を大きく開いた。

その動きに合わせるように、室内にいた者たちが静かに身を引く。

侍医は器具を片付け、乳母は兄の枕元にそっと布をかけ直し、誰とも目を合わせないまま、一礼して部屋を出ていった。


俺とすれ違う瞬間、衣擦れの音だけが淡く残り、扉の向こうへ消えていく足音が、やけに規則正しく響いた。

扉が閉まると、部屋には兄と俺の二人だけが残った。

薬草の匂いが静かに満ちている。

空気はどこか乾いていて、息を吸うたびに胸の奥がざらつく。


ベッドに横たわる兄――第二王子ユリウスは、前に見た時よりさらに痩せていた。

薄い毛布越しでも骨ばった輪郭がわかり、その細い手を見た瞬間、胸の奥に古い痛みがよぎる。


――十五年前。

第一王子レオンが突然亡くなった日の、あの冷たい空気。

王宮中が混乱し、王妃が泣き崩れ、臣下たちが声を潜めて継承の話を始めた。

あの日から、王家の“空白”はずっと埋まらないままだ。

もしレオンが生きていれば、ユリウスが健康であれば――

俺が継承順位を気にする必要など、本来なかった。


ユリウスは体調のいい日には公務にも出ていた。

俺が学院にいる間も、何度も公の場に立っていたと聞く。

――だから、次の王は兄がなるべきだと、ずっと思っていた。


それは、継承から目を逸らすための都合のいい理由だったのかもしれない。

けれど、その逃避の先で出会った人たちが、今の俺を形作っている。



兄が起き上がろうとする気配に、思わず声が出る。

「そのままでいいよ」

傍によると、兄は枕に身を預けたまま、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。

「今日は、少し顔色がいいみたいだね」

「うん。いつもより暖かいからかな」


窓の外には淡い陽光が差し込んでいるが、その光はどこか弱々しい。

季節が確かに冬へ傾いていることを告げていた。


兄は幼い頃から体が弱く、宮廷の喧騒よりも、この静かな南の部屋で過ごす時間の方が長かった。

俺がまだ小さかった頃、王妃の視線を避けて庭の隅に隠れていた時、そっと声をかけてくれたのも、手を引いて部屋に招いてくれたのも、この兄だった。

その優しさだけは、どんな季節が巡っても変わらない。


しばらく他愛のない話を続けた。

宮中行事のこと、最近読んだ本のこと、王宮の噂話。

兄は相槌を打ちながら、時折、窓の外へ視線を流す。

淡い光が兄の横顔を照らし、その影が細く揺れた。

やがて、兄の呼吸が少し重くなってきたのに気づき、俺は席を立つ。


「また来るよ」

「うん」

短い返事。


扉に向かおうとした背中に、かすかな声が届いた。

「……アレン」

振り返ると、兄は枕に身を預けたまま、じっとこちらを見つめていた。

何かを言おうとして、言葉を探すように唇がわずかに動く。


だが次の瞬間、力を抜くように微笑んだ。


「…なんでもない」

その笑みは、いつもと同じ形をしているはずなのに。

胸の奥に、小さな棘のような不安を残して、俺は部屋を後にした。


扉が静かに閉まり、廊下の空気が戻る。

だが、胸の奥に小さな引っ掛かりは消えない。

理由はわからない。ただ、何かを置き忘れたような、落ち着かない感覚だけが尾を引く。


見張りの兵。

控えていた従僕。

侍医と乳母の姿。

どれも見慣れたはずなのに――


……匂いが、強い。


兄の部屋から流れ出てきた薬草の香りが、廊下まで薄く漂ってくる。

いつもの薬の匂いとは違う。

鼻の奥にざらりとした刺激が残り、喉の内側が渇くような、微妙な違和感。


「……処方、変えたのか?」


何気なく口にした言葉に、従僕が即座に首を振った。

「いえ。いつもと同じでございます」


早すぎる返答。

迷いがないのではなく、迷う余地を与えないような声音だった。


信じたい。

兄の世話をしてきた者たちを。

ここにいる誰かを疑う理由なんて、本来あるはずがない。


それでも、兄の顔が脳裏に浮かぶ。

少しだけ、顔色が良すぎた。

病が軽くなったというより、どこか“整えられている”ような印象。


――考えすぎだ。

そう、言い聞かせる。

季節が変われば体調も揺れる。薬が増えることだってある。


だが。


「……アレン」


部屋を出る間際、兄が俺を呼び止めた声。

言いかけて、飲み込んだあの沈黙。


あれは、躊躇じゃない。

言えば、俺を巻き込むと分かっている者の、重い沈黙だ。


俺に、知らせたくないことがある


それが兄自身の為なのか。

それとも――他の誰かの為なのか。


乳母がこちらを見て、深く頭を下げた。

その表情は、祈るようで、同時に何かを隠しているようにも見えた。


忠誠。

執着。

あるいは、そのどちらでもない別の感情。


今はわからない。


俺はゆっくりと息を吐き、廊下の先へ歩き出した。

まだ、確かなものは何ひとつ掴めていない。


けれど。


――見過ごすな。


胸に残ったこの違和感だけは、決して無視してはいけない気がした。


それが王子としての直感なのか。

ただの弟としての不安なのか――


答えは、まだ先にある。


***


地下の取調室は、昼でも薄暗い。

石壁に染みついた冷気と、湿った空気が肺の奥に重く沈む。


「吐かねぇなら、吊るして足に釘打ちつけて、そこに蝋をたらしましょう」


低く、感情の抜け落ちた声。

隣に立つルカは、淡々と――まるで作業工程を確認するように言った。


一瞬、部屋の空気が凍る。


ルカがこういうことを言い出すのは、初めてじゃない。

だが今回は、冗談でも脅しでもないと、ここにいる全員が理解していた。


それは拷問だ。

しかも彼なら、躊躇なく実行する。


ステラを襲った犯人を前にして、ルカの目は異様なほど冷えていた。

“処理すべき対象”を見下ろす、目だ。


鎖に繋がれた男――ミックは、俯いたまま肩を震わせた。

学院では補佐役として振舞いながら、役員の女子を脅し、意のままにしていたという男。

今はその面影もなく、疲労と恐怖が顔に張り付いている。


「いい加減話さないと、本当にこいつ、やっちまうよ?」

牽制のつもりで、ルカに視線を向ける。

だが彼は何も言わず、ただ一歩、静かに前に出た。

その動きだけで、十分すぎる圧があった。

「……っ」

ミックが小さく息を呑む。

顔を上げられないまま、鎖がかすかに鳴った。


「お前が、ステラを狙った理由を話せ」

俺の言葉に、ミックは唇を震わせ、乾いた笑いを漏らした。


「理由なんて……決まってますよ」

掠れた声。

だがその奥には、恨みと惨めさが絡みついていた。


「平民なんかを王宮学院に入れるなんて話がなければ、俺は今頃、領主だった。それをあの女が邪魔をした。生徒会にいられなくなって…親からも失望されて…あいつがいなければ俺は…!」


最後まで言い切る前に、ルカが動いた。

一歩で間合いを詰め、襟首を掴み上げる。

拳が沈む鈍い音が響き、ミックの頭が揺れた。


二発、三発。

歯がぶつかる乾いた音に、ロイが一瞬だけ目を逸らす。


「そこまでにしろ」


短く、強く言う。

ルカは舌打ちし、まだ殴り足りないと顔に書きながらも、掴んでいた襟首を放した。


床に崩れ落ちたミックを見下ろし、俺はゆっくりと屈んだ。

ランプの光が揺れ、ミックのはれた頬に不規則な影を落とす。

涙と唾液で濡れた口元が、かすかに震えていた。


「……ミック」

呼びかけると、彼はびくりと肩を揺らし、怯えた子供のように顔を背けた。


「お前が使った手口は、学院の知識ではない。あれは――毒薬だ」


その言葉に、ミックの喉がひゅっと鳴った。

反射的に首を振るが、否定の動きは弱々しい。

「……毒じゃない」

かすれた声。

だが、確信の欠片もない。


「“死なない”って……言われたんだ……」

ミックは、焦点の合わない目で、どこか遠くを見ていた。

その視線の先には、恐怖と後悔が絡みついている。


「一時的に苦しむだけで……目を覚ませば、全部終わってるって……」

「誰に言われた」

問いかけると、ミックは唇を噛み、沈黙した。

その沈黙は、嘘をつくための者ではなく、“言えば終わる”と理解している者の沈黙だった。


ハロルドが机の上の証拠品――カフスボタンを指先で押し出す。

金属が石の机に触れ、乾いた音が響いた。


「これは誰から渡された」


ミックの目が、そのカフスに吸い寄せられる。

そして、苦々しく口を歪めた。

「……“借りただけ”だ……俺のじゃない……」


ロイが静かに言葉を継ぐ。

「つまり、「あんたは、“役割”を与えられただけ」


ミックは小さく頷いた。

その動きは、罪を認めるというより、“もう抗えない”と悟ったようだった。


「“王の意志”だって…言われた……」

声が震える。

「王家の紋章を……見せられて……逆らえば……俺も、家族も、どうなるか……」


その言葉に、場の空気が、一段重く沈んだ。

「分かるだろうって」


嘘ではない。

怯え切った目が、それを物語っていた。


……兄じゃない。

それだけは、はっきり分かる。

だが――

胸の奥に、冷たい影が広がる。


「お前は、ステラが“助かる”と信じていたのか」


問いかけるとミックはゆっくりと頷いた。

「……あの女なら、死なないって……」


その言葉に、ロイの指がわずかに震えた。

「――無効化の力を、知っていたのね」

ミックは、何も答えなかった。

だが、その沈黙こそが答えだった。


狙いは、二重。


ステラへの私怨。

そして――彼女の力を知る者による、実験。


ミックは牢へ移された。

扉が閉まり、重い音が響く。


「確定したわね」

ロイが低く言う。

「王家内部。しかも無効化の力を“再現できる”と思っている誰か」


俺は静かに頷いた。

逃げ道はもうない。


この事件はステラ個人を狙った犯罪であり、同時に王家そのものを内側から蝕むものだった。


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