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無効化令嬢の恋と改革  作者: 鴨治玲


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44.言えなかった本音

その夜、寮の廊下を進み、ステラの部屋の前で足を止めた。

明日には、私もステラもそれぞれの領地へ帰る。

しばらく会えない――だからこそ、確かめておきたかった。


ノックする指先が、わずかに震える。

胸の奥に、言葉にできないざわめきが渦を巻いていた。

彼女が遠くへ行ってしまう未来だけは、どうしても想像したくなかった。


扉が開き、侍女が通してくれる。

部屋に入った瞬間、私は無意識にステラの顔色を探っていた。


「フレイヤ」

いつもと変わらない私を呼ぶ声。

「……昨夜、倒れたって聞いた。もう、大丈夫なの?」

彼女は明るく笑って「もう平気!」と言う。

けれど、その軽さが逆に不安を煽った。

笑顔の下に、何か隠している影が見える気がして――


すぐには頷けなかった。


「……今日、ここに王家の人が来てたって聞いたわ」

言葉を選びながら、一拍置いて続ける。


「ステラ、本当に何もないの?」

問いかけた瞬間、彼女の睫毛がかすかに揺れた。

言いかけて、飲み込んだ――そんな気配が、痛いほど伝わる。


「……何もなくはないんだけど……」

その言葉の途切れ方に、胸の奥がざわつく。

言えない理由がある――それがはっきり伝わってしまう。


王家の影が、彼女のすぐそばに迫っている。

巻き込まれたら、もう戻れないかもしれない。


私は一度息を吸い、声を震わせないように気をつけながら言った。

「ステラが危ない所に行っているなら……私は知らないままでいられない」


問い詰めたいわけじゃない。

ただ、彼女を失うのが怖かった。


ステラは驚いたように目を瞬かせ、それから視線を逸らさずに私を見た。


「……大丈夫。危ないところには行かないよ。行かないように、ちゃんと気をつける。だから……心配しないで」


曖昧だけど、嘘ではない。

その言い方に、彼女の限界と誠実さが滲んでいた。


私はそれ以上踏み込まず、小さく頷く。

「……ステラが大丈夫って言うなら、それでいいの」

本当は

“よくない”

“守りたい”

そんな言葉が胸の奥で暴れているのに、どれも声にならなかった。


代わりに、少しだけ強い声で言う。

「でも、いつでも連絡してね。何もなくても、連絡してね?」

ステラは笑って頷いた。

「フレイヤの家は王都からも近いでしょ。王都に来た時は、必ず連絡するわ」

その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。

けれど同時に、明日からしばらく会えない現実が、静かに胸を締めつけた。


――本当に、大丈夫なの?

――王家に、連れていかれたりしない?


本当の問いが喉まで上がってきたけれど、結局、飲み込んだ。

「……うん。元気でね、ステラ」

そう言いながらも、心配は消えなかった。

彼女の笑顔が、いつもより少しだけ明るすぎたから。


「フレイヤもね」


その声に送り出されながら、私は扉が閉まる直前まで、彼女の表情を見つめていた。

閉じた扉の向こうに、言えなかった本音が取り残されていく。



******



学院前には、帰郷の馬車がいくつも並んでいた。

事件の余波で騎士団の出入りが許されているせいか、普段より人の気配が多い。

そのざわめきの中で、俺は建物の影から一歩踏み出した。


「ステラ様」


呼ぶと、彼女は少し驚いたように振り返った。

その表情を見て、無事に歩けるほどには回復したのだと分かる。


「ルカ様。どうして……」

問いかける声は、思ったよりも柔らかかった。


「見送りです」

それ以上の理由は言わない。

言えば、余計なものまで滲み出てしまう気がした。


一歩近づくが、それ以上は距離をつめない。

これ以上踏み込めば、騎士としての線を越えてしまう。

そして何より―“ただの俺”が顔にでる。


「お身体はもう平気ですか?」

「はい。おかげさまで」


互いに、丁寧な言葉遣い。

それでいい。そうあるべきだ。

けれど、彼女の声にほんの少しだけ疲れが残っているのを、耳が勝手に拾ってしまう。


馬車の金具が触れ合う音が、沈黙を埋めた。


「領地に、帰られるんですね」


「ええ」


短い答えに、迷いはない。

引き留める理由は――俺にはない。

あってはいけない。


「……守れなくて、申し訳ありません」

謝罪としては、不十分かもしれない。

だが、それ以上を言えば、線を超える。


ステラは首を横に振った。

「違います。守られました。――だから、私は帰れます」


その言葉に、胸の奥で何かが静かにほどけた。

安堵か、後悔か、名づけることはしない。

名づければ、形になってしまう。


言葉が続かないまま、俺は騎士としての礼を取った。

「行ってらっしゃいませ、ステラ様」

昔の呼び方が喉元まで上がってきて、必死に飲み込んだ。

それはもう、俺が口にしていい名ではない。


「行ってきます」

彼女は振り返らずに馬車へ乗り込む。

それでいい。

振り返られたら、きっと表情を保てない。


扉が閉まり、馬車が動き出す。

遠ざかる音を見送りながら、俺はその場を動かなかった。


再び相まみえる時がくるなら。

任務としてでも、偶然としてでもいい。


その時まで、余計な感情は胸の奥に沈めておく。

沈められるうちは――まだ大丈夫だ。



******



馬車の扉が閉まり、ゆっくりと車輪が回り始める。

揺れに身を任せながら、私は背もたれにそっと体を預けた。

外の気配が遠ざかるにつれて、張り詰めていたものが少しずつ解けていく。


……行ってらっしゃい。


ルカ様の声が、まだ耳の奥に残っていた。


あれは、ただの見送りの言葉。

そう分かっているのに、胸の奥に小さな波紋を落としていく。


窓の外を流れていく景色に、視線を落とす。

城壁を抜けると、道が開け、王都の影が、ゆっくりと背後へ遠ざかっていく。


ほんの数日前まで、私はプロムの準備で浮き立っていた。

それが、襲撃、ルカ様との再会、アレン様の言葉、そして――。

たった数日なのに、ずいぶん遠くにきてしまった気がする。


守る、守られる。選ぶ。選ばれる――

そのどれもが重くて、息が詰まりそうだったのに。


たった一言の「行ってらっしゃい」は、私を縛らず、引き留めもせず、ただ背中を押すだけだった。


――それでも。


あの場に立っていた騎士(ルカ様)の姿が、ふと脳裏に浮かぶ。

距離を保ったまま、余計なことを言わず、それでも確かに、そこにいた人。


次に会う時は――

何気ない考えに、私は小さく首を振った。

今は、先のことを考えるべきじゃない。


まずは、父の補佐として領地に立つ。

馬車が進むたび、心は少しずつ前を向く。


胸の奥には、昔とは違う名の呼び方と、交わされなかった言葉の余白が残っていた。

うまく整理できないまま、そっと息を吸う。


「ただいま」


誰に向けたものでもなく、自分自身へと確かに落とした言葉。

馬車は、領地へ向かって走り続けていた。



******



ステラに白い結婚を申し込んだ直後、王宮に戻ると、昼とはうって変わった涼しい風が吹き抜けていた。

先ほどまでの張り詰めた気配が嘘のように、夜の宮殿は静まり返っている。


少し距離を置くように、ハロルドが半歩後ろを歩いていた。

足音を殺す癖は昔から変わらない。

沈黙が長く続き、執務室に入ったところで、彼が意を決したように口を開く。


「……ステラ嬢に、何を言ったんですか?」


問いかけは控えめだったが、探る色が隠しきれていない。

隠す意味もない。

俺は視線を前に向けたまま、淡々と告げた。


「白い結婚を、申し込んだ」


椅子に座ると、机の向こうでハロルドが短いため息を落とした。


「……叩かれても、仕方がありませんね」

苦言というより、事実の確認だった。

俺は唇の端をわずかに歪める。


「他に手があるか?あいつらが――ステラとルカが一緒になる方法が」


問いは、彼に向けたものでもあり、自分自身への投げかけでもあった。

ハロルドはしばらく考え込むように視線を伏せ、それから静かに首を振る。


「申し訳ありませんが、思いつきません。ただ……」


言葉を切り、こちらを見る。


「そんな結婚を、ルカが納得するはずがない。絶対に、です」


分かっていた。

最初から。


ステラも、ルカも、誰一人として救われない策だということくらい。

それでも――。


窓の外で揺れる灯りを見据えながら、胸の奥に沈めていた本音が、静かに形を持つ。


二人を俺の手の届く場所に置いておきたかった。

それだけだ。


その理由を言葉にするつもりはない。

言えば、余計なものまで露わになる。


ハロルドは何も言わず、ただ深く息をついた。

その沈黙が、かえって正確に状況を物語っていた。


俺は机上の書類に視線を落とし、声を低く落とす。

「……あとは、俺がどう収めるかだ」


自分に言い聞かせるように。

感情を押し沈めるために。


夜の宮殿は静かだった。

静かすぎて、胸の奥のざわめきだけが、やけに新鮮だった。


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