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無効化令嬢の恋と改革  作者: 鴨治玲


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42.再会

一瞬、

自分の名を呼ぶ声が聞こえた気がして、俺は足を止めた。

振り返り、来た道を引き返したが、そこには誰の姿もない。

音楽と人の気配だけが、遠くで揺れている。


――気のせい、か。


そう思おうとしても、胸の奥がざわついたまま静まらない。

遠い昔から、戦場と警備の現場で培った勘が、静かに警鐘を鳴らしていた。


おかしい。


俺は踵を返し、先ほど通り過ぎた一角へ戻る。

廊下に並ぶ部屋を、ひとつずつ確認していく。


鍵のかかった部屋。

開いているが、使われていない部屋。

配置も状況も、すでに頭に入っている。


――三つ目。


ドアノブを回すと、途中で引っかかる感触があった。

それ以上、開かない。


この部屋は、本来施錠されていないはずだ。


眉をひそめ、耳を澄ます。

くぐもった物音が、扉の向こうから微かに漏れてくる。


こういった部屋が、時折、男女の逢瀬に使われることは知っている。

だが――これは、違う。


空気が張り詰めている。

息遣いが、不自然に荒い。


「…誰かいるのか」


低く声をかけ、反応を待つ。

返事はない。


もう一度、強く叩いた、その時――

中から、押し殺したような女の声が聞こえた。


嫌がる声だ。


思考より先に、身体が動いた。


ドアを思いきり蹴りつけた。


二度目

三度目――


乾いた音とともに、錠が砕け散った。


剣に手をかけ、室内へ踏み込んだ。

薄暗い部屋の奥、開いた窓へ向かって逃げようとする人影が見える。


反射的に追おうと踏み出しかけた――

その刹那、視界の端で床に崩れ落ちる影が揺れた。


女性だ。

胸が冷たく跳ね、追跡の判断が一瞬で切り替わる。


内心で舌打ちをし、俺はすぐさま指笛を鳴らした。

短く、鋭い音。

近くにいるはずのフェナに向けた合図だ。

これを聞けば、ロイもすぐ動く。追跡も任せられる。


俺は踵を返し、倒れた女性の傍へと膝をついた。

「大丈夫ですか!」


声をかけると、彼女はゆっくりと顔をあげた。

その瞬間、視線が合う。


「……ルカ様…?」


呼ばれた名に、思考が一拍遅れる。

――違う。

いや、違わない。


幼い頃の面影を残しながらも、あの頃よりずっと大人びて、ずっと美しい。


けれど。

俺の名を呼ぶその声。

はっきりとした青い瞳。


記憶の奥に封じていたものが、一気に溢れ出す。


「……ステラ」


間違えるはずがなかった。


だが、再会を確かめ合う暇はなかった。

彼女の身体が、突然、小さく震え始める。


「っ……!」

苦しそうに息を吸い、力が抜けたように身体が傾ぐ。

俺は慌てて、その身体を支えた。


――冷たい。


触れた肌が、異様なほど冷え切っている。

考えるより先に、腕が動いていた。


彼女を胸元へ引き寄せ、少しでも体温を伝えようと強く抱きしめる。

「ステラ、しっかりしろ」

呼びかけても、焦点の合わない瞳が揺れる。


ふと、彼女のそばに転がる小瓶が目に入った。

床に散った液体が、微かに甘い匂いを放っている。


……見覚えがある。

数年前から追いかけている、貧民街を中心に蔓延する違法薬物。

人の意識を奪い、判断力を鈍らせ、時に命を奪う――忌まわしい薬。


―これを、飲まされたのか。


喉の奥が焼けるように熱くなる。


「…ステラ!」


声に、いつになく焦りが滲んでいた。

彼女の瞼が、ゆっくりと閉じていく。

呼びかけても、もう反応はない。


「ステラ……!」

名を呼ぶ声が震えた。

腕の中の彼女は、ぐったりと力を失い、呼吸は浅く、瞼は閉じたまま動かない。

胸の奥が、冷たい手で掴まれたように締め付けられる。

呼びかけても、返事はない。

焦点の合わない瞳が揺れたあの瞬間が、脳裏に焼きついて離れない。


「ステラ!」


声が荒くなる。

騎士としての冷静さなど、今はどこにもなかった。


その時――

廊下から複数の足音が重なり合って響いた。


「窓だ、逃走経路を確保しろ!」

怒号とともに騎士たちが駆け込んでくる。

その先頭に、ロイの姿があった。


「ルカ!」


「ロイ!ステラが――!」


言葉にならない焦りが喉を震わせる。

ロイはすぐに膝をつき、ステラの状態を確認した。


脈。

呼吸。

瞳孔。


素早く一通り見終え、彼女の身体を受け取った。

その手つきは迷いがなく、迅速で、正確だった。


ロイは短く息を整えると、掌をステラの胸元へかざし、淡い光を帯びた回復魔法を流し込む。温かな魔力が彼女の身体へ染み込んでいく。


だが、彼に預けても、ステラは目を覚まさない。


胸の奥が、音を立てて崩れていく。

もし、このまま――

最悪の想像が、容赦なく頭を支配する。

喉が詰まり、息がうまく吸えない。


その頬に、鋭い衝撃が走った。

「――ルカ!」


打ちつけられた痛みで、視界が揺れ、意識が引き戻される。

目の前には、険しい表情のアレンが立っていた。


「何があった!説明しろ!」


その声に、ようやく自分が取り乱していたことを自覚する。

今の俺は、ただの男ではない。

王子付きの騎士だ。


守れなかった事実から目を逸らすわけにはいかない。


俺は短く息を整え、自分の見たもの、聞いたもの、感じた異変を、一切の私情を押し殺して報告する。


報告を終えた、その直後――


「ステラ!」

ロイの声が、鋭く空気を裂いた。


「ロイ様……」


か細い声が、確かに聞こえた。


その瞬間、胸の奥で張り詰めていた何かが、音もなくほどけた。

無意識に詰めていた息が、遅れて吐き出される。

――生きている。

その事実だけで、視界が一瞬、揺れた。


「…ステラ」

名を呼ぶ声が、わずかに低く震えた。

自覚するより早く、彼女の瞼がゆっくりと開く。


薄く開いた青い瞳が、ぼんやりと揺れながらこちらを捉えた。


「これ……」


か細い声とともに、彼女の右手がわずかに動く。

指の間から二つの物が、ロイの掌に転がり落ちた。


一つは銀のカフスボタン。

もう一つは、黒く鈍い光を帯びた魔石。


「…あれ…?」

ステラは魔石に見覚えがないのか、焦点の定まらな瞳で魔石を見つめ、不思議そうに首を傾げる。


「このカフスは、お前を襲った者のものか?」

しゃがみ込んだアレンの問いに、彼女は小さく頷いた。

「よくやった」

そう言って、アレンは労わるようにステラの頭に手を置く。


「ハロルド!」

即座に指示が飛ぶ。

「袖からカフスボタンが外れている者を洗い出せ。今すぐだ」

空気が再び張り詰め、騎士たちが一斉に動き出す。

俺も思わず一歩を踏み出そうとした、その時――


「待て、ルカ」


アレンの手が、俺の腕を掴んで引き留めた。


「お前はステラについてろ。俺の部屋に運べ」

「なんでっ…」

言いかけた俺を、アレンは鋭い一瞥で黙らせる。


「頭を冷やせ。今のお前、犯人見つけたらその場で叩き切りそうな顔している」


……図星だった。

胸の奥に、痛いほど正確に突き刺さる。


歯を食いしばり、俺は殿下の命に従ってステラを抱き上げた。

「待っ…」

小さく声をあげたものの力が入らないのか、ステラは抵抗することもなく、俺の腕の中に収まった。


「…重くないですか」

恐る恐るといった声音。

ロイの処置のおかげが、さっきより顔色は幾分ましだ。


「全然。あいかわらず軽いけど。ちゃんと食べてる?」

「食べてます」


短く言い返した後、ステラはふっと小さく笑った。

――昔、同じやり取りをしたことがある。

それを思い出したような、懐かしさを含んだ笑みだった。


その表情が、記憶の中の彼女とも、ついさっきまで苦しんでいた彼女とも違って見えて、俺は一瞬、視線の置き場に困った。

急に、胸の奥が落ち着かなくなる。

ただ運んでいるだけだというのに、距離が近すぎることを、今さらのように意識してしまう。


――まずいな。


そう思いながら、俺は何も言わず、歩調を少しだけ速めた。


舞踏会のために用意された控室は、王族用の静かな一室だった。

扉の前には兵士が二人、無言で立っている。

俺の顔を確認すると、一人がすぐにドアを開けた。


室内に入り、ベッドへと彼女をそっと横たえる。

意識は戻っているものの、まだどこか現実と切り離されたような、ぼんやりとした瞳が天井を見つめていた。


「…ルカ様」

ゆっくりと視線がこちらへ向く。

「ん?」

「騎士団に、…入られたんですね」

「ああ」


短く答えると、彼女は少しだけ目を細めた。


「隊服、似合ってます」

「そう?きっちりしてて、あんまり好きじゃないんだけど」

冗談めかして言うと、ステラは安心したように微笑み、そのままそっと瞼を閉じた。

ほどなくして、規則正しい寝息が聞こえてくる。


寝顔を見つめていると、昔の彼女の顔が重なった。

変わったところも、変わらないところも、全部が胸に迫ってくる。


やわらかな頬に、思わず指先が触れそうになる。


その瞬間―


コン、コン、と控えめなノックの音がして、心臓が跳ねた。


扉を開けると、記憶に残る懐かしい侍女が息を切らせて立っていた。

驚きと安堵が入り混じった表情で、すぐにステラの姿へ視線を向ける。

「ステラ様……!」

声が震えていた。


俺は事情を手短に説明し、ロイから預かっていたポーションを彼女の手に渡す。

「目が覚めたら、これを飲ませてください」

侍女は深く頷き、両手で大切そうにそれを受け取った。

その仕草に、胸の奥の緊張が少しだけほどける。


彼女が室内へ入っていくのを見届け、俺は一歩、距離を取った。

侍女が来たなら、もう大丈夫だ――

そう思いながらも、背後のベッドから視線を離せない自分に気づく。


ステラは静かに眠っていた。

規則正しい寝息が、控室の静けさに溶けていく。


……本当に、無事でよかった。


胸が詰まり、喉の奥が熱くなる。

名を呼べば、また目を覚ましてしまいそうで、声は飲み込んだ。


このまま、ここにいたい。

そう思うのは簡単だった。


だが、それは許されない。

俺は彼女の騎士ではない。

――今の俺は、王宮を守る騎士団の一人だ。


振り返ることなく扉へ向かおうとして、思わず足が止まる。

最後に一度だけ、ベッドに横たわる彼女の姿を確かめた。

その穏やかな寝顔に、胸の奥がじんと熱くなる。


「…すぐ戻るよ」


誰にともなく、そう呟いて、今度こそ部屋を出た。


外に出ると、見張りの兵士が背筋を伸ばす。


「殿下の大事なご友人だ。鼠一匹、通すなよ」

「はっ!」

二人は声を揃えて敬礼した。


扉が閉まる音が、やけに重く響く。

拳を強く握りしめ、俺は踵を返した。


犯人は捕まえられただろうか。

まだ終わっていない。


――今度は、守り切る。


その決意だけを胸に、アレンたちのいる方へ駆け出した。


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