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無効化令嬢の恋と改革  作者: 鴨治玲


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40.-王宮学院編-最後の一年

夏の陽射しがようやく和らぎ、澄んだ風が学院の庭を渡っていく。

赤や金に染まり始めた木々の葉が、まだ緑を残す枝の間で揺れ、季節の移ろいを告げていた。

緊張した面持ちで並ぶ新入生たちの姿を眺めながら、私はふと、卒業を控えたサラ様から託された言葉を思い出す。


「私を変えてくれたのは、ステラ、あなただった。生徒会と学院の未来をあなたに託すわ。これからも試されることは多いと思うけど…あなたなら仲間を信じて乗り越えていける。私はそう信じてる」


胸元にしまった懐中時計にそっと手を重ねる。

―皆が私を信じてくれた。だから私も信じて歩いていく。


その決意を胸に、私は壇上へと歩み出た。

五年生、生徒会長として迎える最後の入学式。


「新入生の皆さん、王宮学院へようこそ」


講堂に響く声は、少し震えながらも確かに届いていた。


「二年前、この学院は小さな一歩を踏み出しました――」

壇上から見渡す講堂には、緊張と期待を抱えた新入生たちの瞳が並んでいる。

私の声は、秋の澄んだ空気に溶け込みながら、確かな響きをもって広がっていった。


身分ではなく、志と努力によって選ばれた者を迎えるという決断。

あの時の議論と不安、そして勇気を思い返す。

昨年、四人の平民出身の生徒が学院に加わり、彼らは特別扱いを求めず、ただ一人の学院生として歩んできた。

その姿は、学院の未来を信じる証となった。

そして今年、また新たな仲間を迎えることができた。

誇りと責任が胸に重なる。


「王宮学院は、王国の未来を担う者が集う場所です。だからこそ、互いの違いから目を逸らすのではなく、それを理解し、学び合う場でなければならないと、私は考えています」


言葉を重ねるごとに、講堂の空気は少しずつ柔らかくなり、緊張していた新入生たちの表情にも光がさす。

最後の一文を告げ、深く一礼した瞬間、拍手が波のように広がった。


五年生。最終学年。

その事実が、胸の奥で静かに重みを持っている。


壇上を降りて式が終わると、ようやく肩の力が抜ける。

「お疲れ、ステラ」

後ろから肩に手を置いたのはフレイヤ。柔らかな笑みと共に労いの声をかけてくれる。

その隣でトビアスが口角を片方だけ上げる。

「ちょっと噛んだだろ」

「バレてた?」

「バレバレ」


三人で歩く廊下には、窓から秋の陽射しが差し込み、床に長い影を落としていた。

こうして肩を並べて歩く日々も、あと一年で終わる。


「…もう一年しか残ってないのね」

ぽつりと呟くと、トビアスがすぐに返してきた。

「一年も、だろ」

フレイヤは少し笑って首を振る。

「感慨深くなるには早いわよ。私たちにはやることがたくさんあるんだから」

「そうだった」


私は微笑んで、二人と並んで教室へと歩み進めた。

秋の始まり、最後の一年が静かに幕を開けていた。



試験が終わり、生徒会室には新しい風が吹き込んでいた。

午後の光が机の上の書類を照らし、緊張と期待が入り混じった空気を柔らかく包み込む。


「姿勢が硬いわね。もっと自然でいいのよ」

声をかけると、目の前の一年生――ケネスが、慌てて背筋を伸ばした。

「は、はい!」


その隣で、二年生のマリーがくすっと笑う。

生徒会に加わってから一年、彼女は役員として着実に役割を果たしてきた。

「ステラ様、最初は誰でも固くなるものです。少し優しくしてあげてください」

「……そうね。ごめんね、つい」


私が微笑むと、ケネスはようやく肩の力を抜き、安堵の色を浮かべた。



――二年前。

平民が王宮学院に入学することを認めさせたあの日から、学院は確かに変わった。

だが摩擦が完全に消えたわけではない。


あれからジョンは何度か貴族に絡まれたが、決して自ら手を挙げることはなかった。

学院での喧嘩は禁じられているため、暴力に訴えた貴族生徒たちには厳しく処罰が下された。

その積み重ねが、今の静けさを保っている。

むしろ、平民と貴族の隔たりを意識せずに接している生徒も少しずつ増え、二度目の議会報告は波乱なく終わり、継続が早々に認められた。


夕暮れの寮へ戻る途中、中庭の端で腕を組み、じっとこちらを見ている少年の姿が目に入った。

ジョンだ。

「会長」

呼び止められ、私は歩み寄る。


「……今年の一年生徒会、貴族ばかりですね」


棘のある言い方。

けれど、以前のような敵意はもうなかった。

「仕方ないわ。試験の結果だもの。それでも、あなたがここにいる。それが答えよ、ジョン」


彼は一瞬だけ目を伏せ、短く息を吐いた。

「……そうですね。俺も、今はここで学べている」

その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。



私は無意識に、胸元のブローチに指を添えた。

学院の外にいる彼の存在は、今も私の心の支えだ。

同時に、制服のポケットには、ジェームズ様から贈られた懐中時計がある。

規則正しく刻まれる針の音が、時折、私の迷いを責めるように響く。


――卒業した後、私は、何を選ぶのだろう。


秋の空は群青に染まり始め、未来への問いが静かに胸に広がっていった。



冬の冷たい風が石造りの廊下を吹き抜け、窓ガラスを震わせる。

国政術科の講義室は、暖炉の魔道具があっても張り詰めた空気に満ちていた。

机を並べた議論の場で、私たちは王国の未来を模擬的に論じていた。


「君の案は理想論だ」

鋭い声が飛ぶ。貴族の男子生徒が机を叩き、冷笑を浮かべる。

「これだから女は現実を知らない。夢物語を並べてどうする」


その言葉に、教室の空気が一瞬凍り付いた。

視線が私に集まる。

胸の奥に痛みが走る。けれど、私は深く息を吸った。


「理想を語ることは、夢物語ではないわ」


男子生徒は鼻で笑った。

「言うは易し、だ。どうやって実現する?」


私は机の上に置いた資料を指で押さえ、視線を逸らさずに答えた。

「財政の再分配と教育制度の拡充。数字はここに示したわ。理想を現実に近づける道筋は、既に存在しているの」


沈黙。

やがて、別の生徒が口を開いた。

「…確かに、数字は無視できない。理想論と言い切るのは早計かもしれない」


その一言が、場の空気を変えた。

議論は再び動き出し、私の案は批判と共に検討の対象となった。


講義が終わり、外に出ると冬の空気が頬を刺した。

吐く息は白く、胸の奥の熱はまだ消えない。

「これだから女は―」

その言葉は私を試す刃だった。


私はブローチに指を添え、心の中で呟いた。

――理想を掲げることを恐れない。仲間を信じ、未来を信じる。

それが、私の学院最後に課された試練なのだ。



春の風が学院の木々を揺らし、庭園の花びらが舞い散る。

冬の厳しい日々を超え、学院は柔らかな色に包まれていた。


私は教室を出て、石畳の道を歩く。

向かう先は魔法科棟。

そこには、五年間、無効化魔法を身につけられるよう支えてくださったダーウィン先生が待っていた。


「こんにちは、ステラ」

先生はいつものように穏やかな笑みを浮かべていた。

最後の授業は、和やかに、けれど少し寂しさを含んで終わった。


「先生…今日で最後のご指導になるんですよね」

「そうね。あなたはもう十分に力を身に着けたわ。…魔法はただの技術ではない。心の在り方を映すものだと、忘れないで」


私は深く息を吸い、あの日々を思い返す。

ジェームズ様とともに無効化の力を試した日々。

魔法学の基礎と応用、何よりも大事な心構え。

瘴気の特定、魔獣の移動や生息地の考察。


「先生がいなければ、私はここまで来られませんでした」

言葉が自然にこぼれる。

「先生の示してくれた道を歩むことで、私は力に頼らず、信じる心を育てることができました」


先生は少し目を細め、窓の外を見た。

「あなたは、もう私の教えを超えているわ。学院を出ても、迷うことはあるでしょう。でも、その時は今日までの自分を思い出しなさい」


私は胸のポケットにしまってある懐中時計に手を添え、静かに頷いた。

「…はい。先生、本当にありがとうございました」


教室を出ると、先生は背を向けて歩き出した。

「行きなさい、ステラ。あなたの道は、もう自分で選ぶものよ」


その背中が遠ざかる。

私は立ち尽くし、目に映る景色を焼き付けた。


――感謝と別れ。

春の光の中で、私は新しい季節へと歩み出す覚悟を固めた。


寮に戻ると、サンディーが小声で笑いながら近づいてきた。

「ねぇ、聞いた?今年のプロムには王子が顔を出すかもしれないって」

私は思わず足を止める。

「アレン王子が?」

「噂よ。でも、もし本当なら最後のプロムは特別になるわね」

「…あなた、いつもどこからそんな噂を仕入れてくるの?」

サンディーは人差し指を唇に立てて「ヒミツ」と、いたずらっぽく笑った。


胸の奥に、別れの寂しさと未来への期待が同時に芽生えていく。

――そして、卒業式が近づいていた。



真夏の日差しが学院の石畳を白く照らし、鐘の音が澄んだ空に響き渡る。

長かったようで、振り返れば驚くほど短い五年間だった。

叶えられた願いも、胸の奥にしまい込んだままの想いもある。

それらすべてを抱えたまま、私は今日、卒業式を迎える。


王宮学院で過ごした日々が、これで終わる。

そう頭では理解しているのに、実感はまだ追いつかない。

式典の厳かな拍手の中で何度も胸が詰まり、視界が滲んだ。


――けれど、今日という日は、別れだけのためにあるわけではない。


卒業式を終え、中庭には別れを惜しむ生徒たちが集まっていた。

その一角で、私と生徒会の仲間たちは互いに顔を見つめ合う。


「これで、本当に終わりなんですね」

チャールズが肩をすくめ、少し照れくさそうに笑った。

「終わりじゃないわ。始まりよ」

私はそう答えると、マシューが真剣な眼差しを向けてきた。

「ステラ様は、これから公爵を目指されるのでしょう。お父上の補佐として国政に携わることになる。学院での経験は必ず、役立ちます」

「ええ。怖さもあるけど、ここで学んだことを信じて進むわ。…マシューはいつも私より先輩みたいだったわね。歳、誤魔化してない?」

「誤魔化してませんよ。ステラ様が幼いんじゃないんですか?」

軽口に、周囲が笑い、緊張が少しほどける。


そんな中、マリーは目を潤ませながら言った。

「ステラ様。あなたがいたから、私はここに立てました。本当にありがとうございました」

私はそっと彼女を抱きしめた。

「マリーだから、ここにいるのよ。大丈夫。あなたはこれからも自分の道を信じて進んでいけるわ」


ケネスがまだ幼さを残す顔で、必死に笑みを作る。

「僕、まだ一年しかいませんけど…ステラ様と一緒に過ごせて、本当に楽しかったです。これからも、ずっと目標にします!」

「ケネス、ステラ様を目標にしたら楽しいだけじゃすまなくなるぞ?」

マシューの言葉にまた笑いが広がり、私の頬には別れの涙がこぼれた。


彼らと別れを告げ、クラスメイトの輪の中にいるフレイヤとトビアスの元へかけよった。


少し赤くなった目元を見たフレイヤは、強がるように言った。

「泣くにはまだ早いわよ。私たちには、最後の舞台が残っているんだから」

トビアスは肩を叩きながら笑う。

「そうだな。泣くのはプロムが終わってからにしろよ」


涙と笑いが入り混じる、最後のひととき。

「そう言えば、プロムはフレイヤと踊るんだろ?」

誰かがトビアスをからかうように声をあげた。

「え、二人は結婚するの?」

茶化す声に、フレイヤは頬を赤らめて「まだ先の話よ」と答え、トビアスは照れて視線を逸らす。

「でも、トビアスは宮廷騎士団でしょ?フレイヤは?」

「私は領地に戻って魔法師になる。一人娘だから、ゆくゆくは…」

フレイヤの視線を受け止めたトビアスは覚悟を決めたように頷く。

「俺がフレイヤの元に嫁ぐ!」

その言葉に、フレイヤは「嫁ぐって…」と真っ赤になり、周囲は笑いに包まれた。


そこへサンディーが駆け寄ってきた。

「ねぇ!プロムにアレン王子がくるって!」

その一言に、場の空気がざわめく。

未来への不安と別れの寂しさの中に、華やかな期待が差し込んだ。


鐘の音が再び鳴り響く。

学院の門を出れば、もう戻ることはない。

けれど、仲間との絆は消えない。


私は深く息を吸い込み、仲間たちに微笑んだ。

「行こう。最後の夜が待っている。プロムでもう一度輝きましょう」


夏の空は眩しく、未来への光と、舞踏会の予感を惜しみなく注いでいた。


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