39.-王宮学院編-転機
討論の余波は学院の隅々にまで広がっていた。
廊下では生徒たちが声を潜め議論を交わし、食堂では「平民の入学は是か非か」と噂が飛び交う。
その空気の中で、思いがけない転機が訪れる。
学院図書館――。
膨大な古文書の分類と、目録の作り直しという、学院の歴史を支える重要な共同作業が必要となったのだ。
それは、平民と貴族が肩を並べる絶好の機会でもあった。
埃をかぶった書棚の前に集まったのは、生徒会をはじめとする有志たち。そこにはマリーとジョン、平民の入学生ポールとベスの姿もあった。
「文句ばかり言っていると思われるのは癪だ。証明してやる」
ジョンが低く言い放つ。
その言葉に私は頷いた。
「あなたの言葉が反抗ではなく未来になるように、私も証明するわ」
一瞬、ジョンの瞳が揺れ、言葉を失った。
作業は始まった。
マリーは算術を活かして目録番号を整理し、ジョンは力強く冊子を運び、的確な指示を出す。
その姿に、私を含め参加した生徒たちは彼を見直していた。
「この分類は不公平です。貴族の家系ばかり強調されている」
ジョンが眉をひそめる。
「だからこそ、平民の視点を加えるの。未来の歴史は私たちの手で作るのよ」
私も譲らず、言葉を返す。
互いの声は時にぶつかり合い、時に重なり合う。
議論は決して止まらなかった。
だが、その衝突こそが新しい目録を形づくっていった。
埃舞う図書館の空気の中で、対立は次第に作業の熱へと変わっていく。
数週間後――。
完成した目録は、 学院の歴史をより公平に示す新しい資料となった。
教師たちが驚き、目を見開くほどの出来栄えだった。
討論で生まれた対立が、成果へと変わった瞬間だった。
***
学院中央の棟、最上階――円卓の間。
重厚な扉を押し開けると、冷たい空気が肌を刺した。
一年前、議員たちとの協議を行った場所に、再び戻ってきたのだ。
今回は成果を報告する為に。だが、お父様の姿は見当たらない。
娘だからと味方することはない人――その不在が、かえって緊張を強めていた。
円卓を囲む議員たちの数は、以前より増えている。
誰が賛同し、誰が否定するのか。
外の冬空よりも冷たく張り詰めた空気が、室内を満たしていた。
サラ様が立ち上がる。
瞬間、鋭い視線が一斉に彼女へ突き刺さる。
だが彼女は怯まず、落ち着いた声で報告を始めた。
「本年度、学院では平民生徒と貴族生徒の間で激しい討論が行われました。
『学院は貴族のための場所だ』という批判に対し、『だからこそ変えるべきだ』という反論が交わされました。
この討論は賛否を呼び、学院全体に波紋を広げました。
ですが、それこそが改革の正当性を示す証拠です。
対立を恐れず議論を交わすこと。――それが制度の成熟を意味します」
議員たちの間にざわめきが走った。
椅子がきしむ音、紙をめくる手の止まる気配、低い唸り声――円卓の空気が一気に揺れ動く。
「討論を成果とするだと?」
「秩序を乱しただけではないのか?」
鋭い声が飛び交い、反対派の議員が机を叩く。
その音が重く響き、室内の緊張をさらに高めた。
マシューが冷静に言葉を重ねる。
「討論は確かに激しかったです。
しかし、その後に共同活動が行われました。学院図書館の古文書整理です。
平民と貴族が肩を並べ、数週間にわたり膨大な資料を分類し、目録を作り直しました。
完成した目録は、学院の歴史をより公平に示す新しい資料となり、教師たちも驚いています」
チャールズが机上に記録を並べる。
「こちらが討論の議事録、共同活動の作業日誌、そして完成した目録です。
すべて学院が確認済みです」
議員の一人が低く唸り、資料に目を落とす。
「対立から協力へ…思想の違いを成果に変えたというのか」
私は胸を張り、最後に言葉を重ねた。
「ジョンと私は激しく対立しました。
ですが、同じ理想を違う角度から追っていると気づいたのです。
討論は火種となり、共同活動はその火を未来へと繋げました。
これこそが改革の正当性を証明する成果です」
報告を終えると、重い沈黙が広がった。
しかしそれはすぐに、ざわめきへと変わる。
議員たちの間で賛否が鋭く分かれたのだ。
「討論など秩序を乱すだけだ!」
反対派の議員が机を叩き、声を張り上げた。
重い木の板が震え、円卓の間に響き渡る。
「いや、秩序を乱したのではない。むしろ、秩序を保ちながら協力へと繋げたではないか!」
別の議員が立ち上がり、資料を掲げる。髪の擦れる音が鋭く空気を裂いた。
「平民を入れること自体が危険だった。学院は貴族のための場だ!」
「だからこそ、彼らの存在が新しい視点をもたらすのだ!」
声が交錯し、議員たちの言葉は火花のようにぶつかり合う。
椅子がきしみ、誰かが深く息を吐く音さえ、緊張を煽った。
反対派は拳を握り締め、賛同派は静かに頷きながらも譲らない。
「討論は混乱を生む!」
「混乱を恐れていては、未来を築けない!」
怒声と反論が重なり、円卓の間は熱を帯びていく。
一部の議員は資料に目を落とし、眉間に皺を寄せる。
別の議員は立ち上がりかけては座り直し、落ち着きを取り戻そうとする。
その光景を見つめながら、私は胸の奥で息を潜めた。
これが改革の現実――賛同と拒絶がぶつかり合い、未来が揺れ動く瞬間。
サラ様が立ち上がる。
「議員の皆様。対立は恐れるべきものではありません。討論と共同活動は、制度が成熟するための証です。改革は一人の夢から始まり、やがて多様な声を抱きしめて進んでいくのです」
その言葉に、声の嵐が途切れる。
反対派の視線は鋭いまま。賛同派の瞳は静かに光る。
均衡は崩れていない。だが、確かに揺れ始めていた。
―その時。
ずっと黙っていたマリーが、ゆっくりと立ち上がった。
小柄な彼女の姿に、議員たちの視線が一斉に集まる。
円卓の間の空気が、張り詰めた弦のように震えた。
「私は…平民として、この学院に入学しました」
最初の言葉は震えていた。だが、その震えは確かな勇気の証だった。
「確かに制限はあります。不公平だと感じることもあります」
彼女の声は次第に強さを帯び、室内の沈黙を切り裂いていく。
「でも、だからこそ証明したいんです。私たちは秩序を乱すためにいるのではありません。共に学び、共に働き、未来を作るためにここにいるんです。討論も、共同活動も、その証です」
議員たちの瞳が揺れる。
反対派の眉間に刻まれた皺が深まり、賛同派に瞳は静かに光を宿す。
彼女は一歩も引かず、まっすぐに円卓を見据えた。
「どうか、私たちを“例外”にしないでください。私一人の夢で終わらせないでください。
積み重ねが未来を作る――その未来を、どうか続けさせてください」
言葉が落ちると、室内は水を打ったように静まり返った。
その沈黙は重く、深く、誰もが考え込む沈黙だった。
議員たちの手が止まり、呼吸さえ控えるように空気が張り詰める。
やがて、議長が低く呟いた。
「この言葉を無視することはできない。討論と共同活動は、確かに成果を示した。改革は継続されるべきだ」
議員たちの間にざわめきが走り、反対派も言葉を失う。
マリーの発言は、議会の均衡を決定的に揺り動かしたのだ。
サラ様が深く一礼する。
「ありがとうございます。改革はまだ始まったばかりです。ですが、この一歩が未来を形づくります」
その言葉に、私は胸の奥で熱を感じた。
ジョンとの対立も、マリーの決意も、すべてがこの瞬間に繋がっている。
議会は改革を継続する。
それは小さな勝利に過ぎない。
だが、確かな未来への扉だった。
***
議会報告を終え、改革継続の決定が下された夜。
生徒会室の鍵を閉めると、重い扉の音が静かな学院に溶けていった。
石畳を歩く足跡だけが響き、冬の気配を含んだ風が木々を揺らす。
ふと視線を向けると、ベンチに腰かけているジョンの姿があった。
彼は空を見上げ、星々の瞬きに何かを重ねるように考え込んでいた。
「…まだ、怒ってる?」
私が声をかけると、ジョンはゆっくりと振り返った。
「怒りは消えない。制度もまだ不公平だ」
その言葉は冷たくも、以前のような鋭さはなかった。
私は彼の隣に座り、夜空を見上げる。
「私だって、全部が正しいとは思ってない。でも、今日の決定は一歩だと思う。あなたの言葉があったらから、議会は考え直した」
ジョンはしばらく黙っていた。
やがて、低く呟く。
「…俺の言葉が未来につながるなら、それでいい。だが、満足はしない」
私は微笑んだ。
「満足しなくていい。あなたが不満を言い続ける限り、改革は止まらない。
私は制度を積み重ねる。あなたは尊厳を訴える。
違う道だけど、同じ場所を目指している」
ジョンは小さく笑った。
「理解し合えるとは思わなかったが…少なくとも、敵じゃないな」
その言葉に、胸の奥が温かくなる。
完全な和解ではない。だが、互いの存在を認め合えた瞬間だった。
夜空には星が瞬き、冷たい風の中に確かな未来の気配が漂っていた。
討論の火種も、共同作業の汗も、議会の緊張も――すべてがこの夜に繋がっている。
改革はまだ始まったばかり。
それでも、確かな未来への扉はすでに開かれていた。




