38.-王宮学院編-平民の入学
38.-王宮学院編-平民の入学
トレヴァー様が卒業した夏が過ぎ去り、例年よりも涼しい風が、早くも秋を運んできた。
校舎の窓辺には澄んだ光が満ちている。
新入生を迎えたばかりの学院は、晴れやかでありながらも、どこか張り詰めた空気を漂わせている。
真新しい制服に身を包んだ一年生たち。緊張と期待を抱えたその姿の中に、確かな変化があった。
四年前、誰もが不可能だと笑った改革―、平民の入学制度が、ようやく現実となったのだ。
私は資料の束を胸に抱えて、生徒会室の窓から新入生を見下ろす。
「…本当に、ここまで来たんだ」
呟きは小さく、誰に向けたものでもない。
だが、その裏には議員との協議と衝突、一部の貴族生徒たちからの冷たい視線―すべてが折り重なっていた。
やがて今年最初の試験結果が発表される。
生徒会室に向かうと、例年と変わらぬ顔ぶれがすでに揃っていた。
そこに、新たに加わる一年生の少女――マリー・テイト。
彼女は、
平民だった。
その瞬間、扉が静かに開き、彼女が姿を現した。
私は思わず息を呑む。
野に咲く花のように素朴で、凛とした美しさ。
柔らかな栗色の髪が肩にかかり、陽の光を受けて淡く揺れる。瞳は澄んだ湖面のようにまっすぐで飾り気のない表情が、かえって強い意志を感じさせる。
彼女が一歩、生徒会室に足を踏み入れた瞬間―、空気が変わった。
緊張が走り、誰もが視線を向ける。
その視線を受け止めながらも、マリーは怯まず、静かに席につく。
これが、改革の象徴…。
胸の奥でそう呟いた。
制度の重みが、今この少女の姿に凝縮されているように思えた。
本来であれば、補佐役は役員本人が指名するものだ。
だが、平民のマリーにはその権利が認められなかった。
議員と学院との協議の末に定められた条件――、役員が平民の場合、補佐二名は学院側が指名する貴族であること。それが平民入学を許すための妥協点だった。
その補佐に選ばれたのは、侯爵家子息のロバートと伯爵家令嬢のイザベラ。二人の態度は穏やかで、敵意は感じられない。
私は胸の奥で小さく安堵する。
大丈夫。きっと上手くいく。
そう思った矢先―。
生徒会室の扉が、ノックもなく勢いよく開かれた。
「ジョン!」
マリーが立ち上がる。
ずかずかと入ってきた少年は、背が高く、乱れた黒髪に粗野な雰囲気を漂わせている。
彼は、鋭い眉を吊り上げていたが、怒りを押し殺すように声を張り上げた。
「不当です。役員の補佐を貴族に限定する規定そのものが不当です!」
「おい、ジョン!ここは生徒会室だ。関係者以外は入ってはいけない」
ロバートが制止するが、ジョンは振り切り、まっすぐに私を見据えた。
その瞳は驚くほど理知的で、怒りの奥に、揺るぎない信念を宿している。
「分かっている。だが、俺が言わなければ誰が言う?改革と言いながら、結局は平民だから補佐になれないなんて―、そんなのは改革じゃない!ただの見せかけだ!」
その言葉は鋭く、私の胸を射抜いた。
反論しようとしても、言葉が出てこない。
「…利用しているんじゃないですか」
ジョンの声がさらに低く響く。
「平民を成功例として掲げて、自分たちの理想を正当化しているだけだ。違いますか?」
否定は容易い。だが、彼の言葉は的確で、痛烈だった。
私が見てきたのは「制度としての平等」
彼が見ているのは「個人としての尊厳」
目指す場所は同じはずなのに、歩む道は違っていた。
「ジョン!やめて!」
マリーが必死に彼を押し出し、生徒会室の扉を閉める。
「マリー、君だっておかしいと思わないのか!」
閉ざされた扉の向こうから、彼の声が最後に響き、室内は沈黙に包まれた。
「申し訳ありません」
マリーが深く頭を下げる。
「彼、私の幼馴染なんです。補佐になれなかったことをずっと怒っていて…止められなくて、ごめんなさい」
「マリー、あなたは悪くないわ。頭をあげて」
サラ会長がやさしく寄り添う。
「…さて、こうなることも想定の一つだったわね、ステラ」
「…はい。まさか初日からこうなるとは思ってませんでしたが…」
「…だが、彼の行動はまずいな」マシューが低く言う。
「君たち平民の成績や行動は議会に定期的に報告される。そのことは聞いているな?」
マリーが頷く。
「平民の入学はあくまでも試験的だ。この行為が報告されれば、来年度からの入学が取り消される可能性もある。議会の中には、それを望んでいる者もいる」
その言葉に、胸の奥が冷たくなる。
だが、サラ様は毅然と顔をあげた。
「そうはさせないために、私たちがいる。そうでしょ?ステラ」
その瞳は自信に満ち、かつてのように怯えていた彼女はどこにもいない。
私は強く頷く。
「…はい!」
私の声が生徒会室に響いたその後、事態は思いもよらぬ方向へ進んでいった。
ジョンが私を相手に討論会を申し出たのは、数日後のことだった。
私が頭を抱えると、サラ様は楽しげに笑って言った。
「逃げ場のない議論ほど、意味があるわ」
講堂の空気は、張り詰めていた。
またこの場に立つとは思わなかった。
今日はあの時とは違う。私の横には誰もいない。
不安を消すように、胸のブローチと懐中時計を強く握り締め、深く息を吸った。
壇上の左右にジョンと私、真ん中には生徒会の面々、サラ様、マシュー、チャールズが座り、あくまで中立の立場で討論を見守っている。
観客席には一年生から上級生までぎっしりと並び、ざわめきは期待と緊張を混ぜ合わせていた。
ジョンが立ち上がり、声を張る。
「学院は結局、貴族のための場所だ!平民は制度に守られているように見えて、実際には補佐にもなれず、権利も制限されている!これが改革だと言えるのか!」
その言葉に観客席がざわめく。
「そうだ!ジョンの言うとおりだ!」平民の一人だろうか。
だがすぐに「秩序を乱すな!」を貴族の声がかき消した。
多数の貴族生徒たちが眉をひそめ、ジョンに対して否定的な野次を飛ばす。
賛同と拒絶が入り混じり、空気が荒れる。
喉が渇く。一瞬、言葉が遅れた。
それでも私は、一歩前に出た。
「だからこそ、変えるのよ。学院を貴族だけの場所にしないために、私たちは改革を進めている。補佐の制限も、議会との妥協の結果にすぎない。積み重ねが未来を作るの。今は小さな一歩でも、やがて大きな道になる」
ジョンは鋭く反論する。
「夢を叶えた少数で満足ですか?あなたは制度に守られているからそう言えるんです。大多数の平民はまだ閉ざされている!」
胸に突き刺さる言葉。だが、私は退かない。
「少数でも制度を変える力になる。あなたたちがここにいること自体が証明よ。あなたの怒りも、その未来の一部になれるはず」
観客席が再びざわめく。
賛同と反発が交錯し、講堂全体が揺れていた。
壇上の生徒会は沈黙を守る。
サラ様は真剣な眼差しで二人を見つめる。
マシューは観客の反応を観察し、チャールズは冷静に記録を取っていた。
彼らは中立の立場を崩さず、討論そのものを『学院の成果』として見届けている。
やがて、討論は終わりを告げた。
講堂には重い沈黙が落ちる。
だが、その沈黙は拒絶ではなく、考え込む沈黙だった。
誰もが心の奥で、自分の立場と未来を見つめなおしていた。
私は確信した。
ジョンと私は激しく対立した。だが、同じ理想を違う角度から追っている。
その違いこそが、改革をより強く、より広くする力になる。
この討論は一つの火種となり、学院の隅々にまで波紋を広げていくだろう。
そして、積み重ねられた声がやがて制度を揺るがし、未来を形づくる。
この瞬間こそが、改革の正当性を証明する成果なのだ。




