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無効化令嬢の恋と改革  作者: 鴨治玲


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37.-王宮学院編-それぞれの思い

協議を終え、室内から出た途端、廊下の空気がひんやりと頬を撫でた。

私は深く息をつき、歩みを進める娘の背を見つめる。

重い靴音が響くのを聞きながら、自然と声をかけていた。


「…よくやったな、ステラ」

振り返った娘の瞳には、議場で見せた緊張の影がまだ残っている。

それでも、その奥に確かな光が宿っているのを私は見逃さなかった。


「褒めていただけるとは思いませんでした。議場では随分と手厳しかったですから」

その言葉に、私は腕を組み直し、厳しさを崩さぬまま応じる。

「当然だ。相手が娘であろうと、甘い判断は君のためにならんからな」


だが、声を落として続ける。

「理路整然とした説明だった。反対派の息を止めたのも見事だ。…学院は混乱するだろうが、お前の覚悟が本物なら私は干渉はせんよ」

娘は真っ直ぐに頷き、静かに答える。

「ありがとうございます。…責任を持って、必ず成し遂げます」


その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に熱が広がる。

私は短く頷き、踵を返して歩き出した。

背後に残る娘の気配を感じながら、己の背中がまだ大きく映っていることを願った。



******



不思議と、いつもより胸の奥が自信に満ちていた。

父の背中を見送った余韻を抱えながら、私は生徒会室の扉を開ける。


――空気が変わった。

張り詰めていた緊張がふっと和らぎ、温かな気配が広がる。


「ステラ、本当にお疲れ様。あれだけ議員相手にやり合うなんて、さすがね」

サラ様の声に、思わず笑みがこぼれる。

「サラ様こそ…本当に、かっこよかったです」

互いの言葉に、自然と笑顔が重なる。

その瞬間、緊張の糸が少しずつ解けていくのを感じた。


「ステラ様が淡々と論破する姿には驚きましたよ。成長されましたね」

マシューの言葉は、ただの賛辞ではない。

一年間、私を見てきたからこそ言える重みがあった。

胸の奥が熱くなり、言い返すことができなかった。


「見て見たかったなー、副会長たちの討論会」

チャールズが椅子に腰を落とし、楽し気に笑う。

あの討論会からもう一年近く。

長く感じていた時間も、今ではあっという間に過ぎてしまったように思える。


「ステラ、君が前に立ってくれたおかげで、生徒会、いや学院は次に進める。よく頑張ったな」

トレヴァー様の言葉に、私は少しだけ視線を落として微笑んだ。

「皆が支えてくれたからです。ここからが本番ですよ」


――その言葉に、室内の空気がさらに変わる。

安堵と高揚が入り混じり、未来への期待が膨らんでいく。


困難が待ち受けていることは、誰もが知っている。

それでも、五人の視線は同じ方向を向いていた。



*******


学院を見つめる者は、王宮にもいた。


王宮の第三王子執務室には静かな気配が満ちていた。

窓辺から差し込む昼の光が、机上に置かれた一冊の議事録を柔らかく照らしている。


その表紙を指先でなぞる。

乾いた紙の感触さえ、長く待ち望んだ成果の重みとして胸に沁みる。


「…ついに、通ったんだな」

小さく息をついた声に、机の向かい側で控えていたロイが穏やかに頷く。

「ええ。反対はありましたが、最終的には学院も議会も賛同に回りました。ステラの提示した資料と提案内容が大きかったようです」

ハロルドが腕組をほどきながら、ほっとしたように笑った。

「まったく、あの子は肝が据わってますね。正面から議員相手に論理で押し返すなんて、普通の令嬢じゃできませんよ」


「普通じゃない」

ふっと小さく笑い、視線を議事録に落とす。

本当に、あいつはいつだって“普通”じゃない。


ページをめくるたび、胸の奥がじんと熱を帯びる。

嬉しさと、安堵と、誇らしさと…そこに混ざる、言葉にできない淡い焦がれ。


彼女の筆跡が残る提案書の文体や、議事録に記された発言を追うだけで、まるで彼女がすぐそこにいるように感じられた。


「ステラの夢、ようやく形になったんだね」

側に立つルカが深い感慨を滲ませるように、声を漏らした。

目線だけで、彼を見る。

その瞳に宿る想いの深さは、自分でさえ一歩引かざるを得ないほどだ。

「お前にとっても、これは大きな意味を持つはずだ」

「うん。でも、それより」

ルカはわずかにほほ笑む。

どこか誇らしげに、そしてとても優しい笑みだった。

「あの子が自分の力で道を切り開いたことが、嬉しいんだ」


そんなにも想っているのにどうして―。

突き詰めたい問いは言葉にできず、胸の奥が静かに疼く。


机の脇で丸まっていた黒猫のジェットが、コロンと転がるように近づいてきた。

その頭を軽く撫でて「お前も喜んでるのか?」と聞くと、返事をするように短く鳴いた。

その様子が可笑しく、室内の空気が少しだけ和らいだ。


「殿下、どうなさいます?」

ロイが問いかける。

「学院への報告。殿下自ら向かうこともできますよ?」


視線を窓の外に向ける。

冬を迎えた空は澄み渡り、学院の尖塔が遠く微かに見えている。

今すぐにでも会って、この決定を共に喜びたかった。


だが――今はまだ。


「いや。あいつはこれから忙しくなるだろう。俺が出向いてあいつや学院を混乱させたくない」

「殿下のお気遣い、ですね」

ハロルドが柔らかく笑う。


「そんなんじゃねぇよ」

曖昧に首を振る。


今はまだ、彼女に向ける言葉が見つからない。

議事録のページを閉じて、胸元に抱える。


「そのうち、必ず伝えるよ。あいつが成し遂げたことを誇りに思っているって」


室内の空気が静かに、温かく揺れた。

胸中に満ちる誇らしさと微かな焦がれは、誰にも言わず、そっと胸の奥へしまい込んだ。



******


その未来を想う者は、魔法師団にもいた。



魔法師団の棟に戻る途中、同期の男が息を弾ませて駆け寄ってきた。


「ジェームズ、聞いたか?王宮学院、平民の入学が正式に承認されたそうだ!」


書類の束を抱えたまま、思わず足が止まった。

胸を叩くような鼓動―、半年ぶりに、あの名を思い出した時と同じ反応だった。


「…そうか。ついに…」

彼と別れた後、手にしていた資料を机に置き、深く息を吐く。

視線が自然と窓を向く。学院がある方角。

卒業してから一度も足を運んでいないはずなのに、妙に距離が近く感じられた。


初めてステラが提案を口にした日のことを思い出す。


目を輝かせ、まっすぐに――「王宮学院の入学を、平民にも認めませんか?」と。

本当に実現するなんて、あの頃は夢にも思わなかった。


遅くまで議論して、何度も書き直した提案書。

学院や議員側の反論に備えて、何度も練り直した資料。

彼女は自分を頼ってくれた―。ただの生徒会長としてかもしれない。

それでも、寄り添う横顔を見るたび、どうして期待せずにいられただろう。


告白は断られたが―


プロムの夜の、彼女の瞳の揺れ、赤く染まった頬が忘れられない。

半年なんて、気持ちの整理にはまったく足りなかった。


机の引き出しを開けて、小さな箱を取り出す。

中には、あの日ステラが“お礼に”とくれたカフスボタン。

陽の光に当てると、太陽のように輝きを増す。


「本当に、やったんだな…」


苦笑が漏れた。

努力は報われた。

彼女も、学院も、間違っていなかった。

その事実が誇らしい。

誇らしいのに――、胸の奥がゆっくりと痛む。


自分はその未来にいない。

彼女の心が別のところに向いていることにも、ずっと前から気付いていた。

理解しているのに、それでも手放せないのが、恋というものらしい。


窓辺へ歩み寄り、遠くの空を見上げる。

冬の光が城壁を淡く照らしていた。


ステラ…君はきっと今日も前だけを見ているんだろう。

そう思うと、不思議と胸が温かくなる。

痛みと同じ場所に誇りがある。


届かない思いでも、彼女が進みたい場所へたどり着いたことが嬉しかった。

また会えるかはわからない。

それでも、自分があの夢の一端を支えたことだけは、誇っていいだろう。


「…おめでとう、ステラ」


誰にも聞こえないように、そっと呟いた。

未練でも、諦めでもなく、――彼女の未来を願う、静かな祈りとして。


******


それぞれの立場で抱いた思いは違っていた。

厳格な父の誇り、仲間たちの信頼、王子の焦がれる誇らしさ、ジェームズの痛みを伴う祈り。

しかしそのすべてが、同じ未来へと重なり合い、学院の新たな道を照らしていた。


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