34.-王宮学院編-フレイヤの心配ごと
最近、ステラの笑顔はどこかかげっていた。
提言は王宮に認められ、学院の生徒会の仕事も忙しいけど順調に進んでいる。
外から見れば充実した日々を送っているはずなのに、彼女の瞳は晴れない。
原因を思い当たるとすれば―、
もうすぐ卒業を迎えるジェームズ様のことだろう。
贈り物を考えているようだったが、まだ答えを出せずにいるのかもしれない。
「ステラ、明日お買い物に行かない?」
ふと声をかけると、彼女は小さく瞬きをして私を見た。
王宮学院は外界から閉ざされた空間だが、その内部は王都を縮小したように充実していた。
石畳の通りには、香ばしい煮込みを供する料理屋が並び、休日の昼時には生徒たちの笑い声が窓からこぼれる。
通りの一角には、色とりどりの布を吊るした仕立屋や雑貨商が店を構え、季節ごとの流行を映す品々が並んでいた。
さらに奥へ進めば、香草茶や果実水を供する茶屋があり、木製の看板には白百合や葡萄の意匠が描かれている。そこは生徒たちの憩いの場となり、談笑と香りが通りを満たした。
広場に面した劇場では、月に数回、演劇や音楽会が催される。
舞台の灯りがともる夜には、学院全体がひときわ華やぎ、若き貴族子弟たちの社交の場として彩りを増すのだった。
私はその活気に触れれば、ステラの沈んだ心も少しは軽くなるのではと思った。
彼女はしばらく考えるように視線を落とし―、やがて、気を紛らわせるように微笑んで頷いた。
ステラは私の誘いに乗った。
休日でも学院では制服着用が義務付けられていた。
それでも、石畳の通りを歩けば、仕立屋の窓に吊るされた色鮮やかな布や、雑貨商の棚に並ぶ小物が目を楽しませてくれる。
流行の衣服を眺めたり、互いに似合いそうな品を試着して笑い合ったり――そんなひとときは、勉強や協議の重さを忘れさせてくれた。
ふと、ステラが足を止める。
視線の先には、木製の看板を掲げた金細工工房。
扉を押すと、外の喧騒がすっと遠ざかり、ひんやりとした静けさが肌に触れた。
棚に並ぶ宝飾品はどれも控えめに輝き、金細工の美しい模様が午前の光に繊細な影を落としている。
そんな非日常の静けさに包まれながら、ステラの表情を伺った。
彼女の目線の先、ガラス棚の中央に、一対のカフスボタンがあった。
丸い金台の上に、細やかな放射模様が刻まれ、その中心には琥珀色の宝石がはめ込まれている。
光を受ける角度で、宝石の中の錦糸のような模様がふっと揺れ、まるで陽光が閉じ込められているかのようだった。
「太陽みたい…」
思わず私が呟くと、ステラは小さく頷いた。
棚の向こうから店主が姿を現し、私たちの視線の先に軽く目を細めた。
「こちらは“陽光のカフス”と呼んでおります。金線を何度も叩いて放射を刻み、中央には光を返す琥珀を。若い紳士に人気の意匠です」
光が当たるたび、琥珀は太陽の光を思わせるように煌めく。
華美すぎず、それでいて確かに贈り物らしい特別感があった。
「気に入った?」
問いかけると、ステラは指先を胸元に寄せ、少し戸惑う様に瞬きをした。
「うん。でも…渡してもいいのかな」
「いいと思うよ。ステラのことあんなに面倒見てくれた人よ?」
そう言うと、彼女の頬が淡く赤く染まった。
店主は私たちのやり取りを静かに見守り、柔らかい声で添える。
「贈り物には、渡す方の心が宿ります。きっと先方も喜ばれるでしょう」
ステラはしばし迷う様に視線を落とし、やがて決意を込めて顔をあげた。
「こちらをお願いできますか」
工房の静けさの中で、一つの小さな贈り物が、友人の未来をそっと押し出すように光を放っていた。
「少し休もうか」
昼下がりの陽光に照らされた看板には、白百合を象った意匠が柔らかく揺れていた。
扉を押すと、鈴の音が控え目に響き、ハーブと焼き立てパンの香りがふわりと漂う。
店内は広く、白木のテーブルがゆったりと並び、低い仕切りが隣席との距離を保っている。落ち着いた空気に包まれ、私たちは自然と肩の力を抜いた。
「歩きっぱなしで、さすがにお腹がすいたわね」
ステラが椅子にもたれながら微笑む。
「ええ。ここなら静かに食べられそう」
私もほっと息をついた。
料理を待つ間、とりとめのない話が流れ、やがて香草をまとわせた鶏肉や炭火で焼かれたパイが運ばれてきた。
ステラは香ばしいパイを頬張り、私はリンゴの甘酸っぱさを添えた鶏肉を口に運ぶ。
果実を割った冷たいハーブ水が喉を潤し、涼やかな香りが広がった。
食事を終え食器が下げられた卓上に、ほのかな沈黙が満ちていく。
私はグラスを指でなぞりながら、思い切って口を開いた。
「…なにか、悩んでる?」
ステラはすぐには答えず、視線を落としたまま沈黙する。
周囲のさざめきが遠くに揺れ、彼女の小さな声がようやく届いた。
「…ジェームズ様に告白されて…、プロムにでることになった」
「それって、受けたってこと?」
ステラは首を横に振る。
「告白は断った。でも、最後にプロムを一緒に過ごしたいって言われて…それは断れなかった」
私は少し驚いた。
横から見ていて、ステラもジェームズ様に惹かれているように見えていたから。
「告白、断ったの?」
うつむいた彼女の声はかすれていた。
「…私、最低なの」
「どうして?」
「他に、好きな人がいる。なのに…」
知らなかった。胸の奥に小さな衝撃が走る。
「…でも、ジェームズ様のことも気になる?」
ステラは不安げに微かに頷いた。
「その好きな人って、学院の外の人?」
「うん。でも、婚約とかそういうのはしてない。…できない人」
貴族令嬢の婚約は、本人の好意など二の次。家の意向がすべてで、それを覆すには家を捨てるしかない。
それはステラにはできないことだと、私でも分かった。
私は自分の素直な気持ちを、ステラに伝える。
「…ジェームズ様に惹かれるのは、しょうがないと思う」
その言葉に、ステラは驚いたように顔をあげる。
「だって、顔はいいし、成績も優秀で、頼りがいもある。魔法の腕も抜きんでているし、伯爵家の次男で魔法師団に入団予定。あれだけ女子と遊んでいたのに、今はステラ一筋。近くでずっと支えてくれていたんだよ?…好きにならない方が難しいくらい」
ステラは唇を噛み、視線を揺らした。
「でも私…」
声は震え、罪悪感が胸に絡みついているのが伝わる。
「その好きな人とは、何か約束をしたの?」
「…学院にいる間、結婚しないでってお願いした」
「その人は?」
「私が選ばなくても待つって…そう言ってくれた」
私は息を整え、彼女の瞳を見つめる。
「それなら、ステラは誰を好きになってもいいんじゃない?」
ステラは首を横に振り、両手を膝の上でぎゅっと握りしめた。
「あの人が好きなはずなのに、ジェームズ様のことを考えると、落ち着かなくなる。二人の人が気になっているなんて…私、最低だよ」
声は涙に滲み、肩が小さく震えていた。
「ステラは最低なんかじゃない」
私は強く言葉を重ねる。
「誰よりも真剣に人を思っているから、心が揺れるんだよ。優しいからこそ、二人の気持ちを大切にしようとしてしまう」
ステラに瞳が涙が滲んでいる。
「…こんな気持ちで、プロムに出ていいのかな」
「もちろん。ジェームズ様はステラと過ごしたいって願ったんだもの。ステラが笑ってくれるだけで十分だと思う。…でもね、プロムではちゃんと向き合ってあげて。ステラがどう感じているかを、言葉にして伝えることも大事だと思う」
ステラは少し間を置き、口元を固く結んだ。
「でも…変に期待を持たせるのも失礼じゃない?」
私は頷き、静かに答える。
「そうだね。だからこそ、今の気持ちをそのまま伝えればいいと思う。未来を約束する必要はないし、曖昧な言葉で期待をあおる必要もない。ただ、ジェームズ様と過ごせる時間が嬉しいっていう、ステラの正直な気持ちを伝えるだけで十分だと思う」
「…正直な気持ちを」
「そう。ステラが誠実に向き合えば、相手もきっとわかってくれる。期待を持たせないようにするのも優しさだし、笑顔で一緒に過ごすことも、また優しさなんだよ」
ステラは涙をぬぐい、少しずつ表情を緩めていく。
「…ありがとう。フレイヤ」
その笑顔はまだ儚さを残していたけれど、確かに光を取り戻していた。
私は胸の奥で、静かな安堵を覚えた。




