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無効化令嬢の恋と改革  作者: 鴨治玲


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33/62

32.第三王子

王宮に戻りたいという申し出は、驚くほどあっさりと受け入れられた。

地位と責任から逃げるように去ったはずなのに、()も周囲も、以前と変わらない態度で迎え入れる。その拍子抜けするほどの平静さに、かえって戸惑いを覚える。

それとも―、最初からこうなることを見越して、王宮を後にすることを認められたのだろうか。


だが、その答えが与えられることは、この先もないに違いない。

与えられた執務室に足を踏み入れると、厚い絨毯が足音を吸い込み、窓から差し込む秋の光が重厚な机の上の書類を白く照らしていた。

その光景を前に、俺は決意を固める。


まず、改革の端緒を開くために、騎士団の平民受け入れを提言する。

それは、自らの護衛を得ると同時に、貴族社会に楔を打ち込む試みでもあった。

だが、会議室に響いたのは即座の反発だった。

「血筋なき者に剣を持たせるのか!」

「騎士団の誇りを汚す気か!」


古参騎士の声は鋭く、場の空気は重く張り詰めた。

だが、ハロルドが立ち上がり、机を叩いて言った。

「戦場で血筋は役に立ちません。必要なのは力と忠誠心です!」


議論は紛糾したが、辺境伯が静かに言葉を添える。

「民の中にも勇気ある者はいる。閉ざすより、試すべきだ」


その後押しに王宮騎士団長も頷き、議論は次第に収束していった。

ロイとハロルドの助言を受けて形にした提言は、ついに支持を得て、議員たちを納得させるだけの力を持つものとなった。


騎士団の平民受け入れが始まってから半年。

ルカは試験で騎士団長に匹敵する力を示し、模擬戦でも古参騎士を圧倒した。

俺の強い推薦もあり、ルカは異例の早さで俺の護衛に任じられた。

改革の象徴として歓迎された一方、反発もまた強く、議員や古参騎士たちの間には不満の声が絶えなかった。


それでも俺の側に立つルカの姿は「制度が変われば未来も変わる」という事実を雄弁に物語っていた。



――そして今。

執務室にはロイとハロルド、新たに俺の護衛となったルカがいた。

重苦しい王宮の空気の中で、この部屋だけは不思議と心が安らぐ。信頼できる三人と共にいることで、ここは俺にとって最も落ち着ける場所となっていた。

ふと視線を向ければ、赤い屋根の家から連れてきた黒猫のジェットが窓辺に腰を下ろし、差し込む陽を受けて尻尾をゆっくり揺らしている。その静かな仕草が、忙しない一日の中で、ひとときの安らぎをもたらしてくれていた。


届けられた書類の束の中に、王宮学院からの提言書が混じっていた。

紙をめくる指先が止まり、署名の下に記された名前を見た瞬間、思わず口の端があがる。

「来たか…」

低く漏らした声に、ルカが近づいて覗き込み、目を輝かせた。


三年前、ステラは言った。

「私、王宮学院に入ったら、平民の入学を認めるよう提言しようと思うんです」


その言葉が、今ここに現実の形を取っている。

叶えさせるために、俺は王宮に戻ったのだ。


胸の奥で燻り続けていたもの――立場と責任から逃げていた自分を、彼女は真正面から見抜くように変わるべき意味を教えてくれた。

彼女と語り合ううちに見えてきた、国の在り方。

かつては「俺が王になったところで、何も変わらない」と思っていた。

だが違った。

「変えたいと思ったら、立場と責任ある自分が変えればいい」

その(ステラの)言葉は、頭を殴られたような衝撃だった。逃げ場はない。

俺自身が変わらなければならないのだ。


そして今、彼女は動き始めた。

その歩みに並びたてる自分でありたい。彼女に見合う存在になりたい。


今はただ、その一心で動いていた。



数日後、提言書は議会へと回された。

重厚な扉が開かれると同時に、ざわめきが波のように広がる。

机に並べられた書類の束、その一枚に記された「平民入学」の文字が、議場の空気を一変させた。


「平民の入学を認めるだと?」

「学院の伝統を壊す気か」

「だが、宰相とオトムスタ公爵、それに殿下も支持しているらしいぞ」


声が次々と飛び交い、議場は熱を帯びていく。

保守派の貴族議員たちは椅子を軋ませながら身を乗り出し、血筋と格式を守るべきだと拳を振り上げる。一方で若い議員や改革派は机を叩き、未来を見据えるべきだと声を張り上げた。


議場の空気は重く、熱気と緊張が入り混じる。

汗を拭う者、書類を握りしめる者、互いに睨み合う者――そのすべてが「国の行方」を賭けた一瞬に集中していた。


王は沈黙を守り、ただ提言書を見つめている。

その沈黙が、議場全体を支配していた。


俺は胸の奥で拳を握る。

ステラが夢見た未来を、ここで潰させるわけにはいかない。


「理想がなくちゃ、現実になりません」――彼女の言葉が脳裏に響く。


議論は一日では終わらなかった。

議員たちの声は枯れ始めてもなお鋭さを失わず、机の上には走り書きの反論や修正案が散乱していた。

徐々に疲労の色が濃くなり、しかし保守派は最後の力を振り絞って伝統を守るべきだと叫び、改革派は「才能ある者を閉めだす方が国を衰退させる」と声を張り上げた。

声が重なり、汗の匂いと紙の擦れる音が混じり合い、議場はまるで戦場の塹壕のようだった。

何日も互いの声がぶつかり合い、議場の空気は淀みながらも熱を失わない。

やがて王が静かに口を開いた。


「提言は、検討に値する」


その一言で、議場の空気が一変する。

完全な承認ではない。だが拒絶でもない。

王は続けて言った。

「まずは試験的に少数の平民を受け入れよう。結果を見て、制度として定着させるか判断する」


議員たちの間にざわめきが走る。

保守派は不満げに唇を噛み、改革派は安堵の息を漏らした。

俺はその場で深く息をついた。


―ステラの夢は、まだ道半ばだ。

だが、確かに扉は開かれた。


執務室に戻り、議会の結果を伝える。

「まずは少数だが、平民を受け入れることになった」

その言葉にルカが小さく息を弾ませ「ステラ、喜ぶだろうな」と呟いた。


胸の奥が熱くなる。

だが同時に、議員たちの反発が頭から離れない。

改革を進めれば、必ず反発が強まる。

俺自身の立場もより重くなるだろう。

それでも――進むしかない。


そう決意した瞬間、扉がノックされる。

ハロルドが開けると、宰相補佐のエドウィン・ウォーレンが入ってきた。

王宮学院の同級生で、生徒会役員であった俺の補佐でもあった。

今は宰相補佐として、昔と同じように俺の補佐をしている。


「さきほどはお疲れさまでした、殿下。お疲れのところ恐縮ですが、こちら、目を通しておいてください」

エドウィンは紙束を机に置いた。


「……これは何だ」

「殿下のご婚約者候補のリストです」


「はぁ!?俺は結婚なんて考えてないぞ」

「考えておられないなら、そろそろお考え下さい。王家には後継ぎが必要ですし、陛下も宰相も、議会もそわそわしております」

「勝手にさせておけ。それに、まだ俺が王になるって決まったわけじゃない」

エドウィンはひとつため息をつき、「殿下以外に誰が務まるんですか」と呆れたように言った。

「王宮に戻ってこられた以上、覚悟は固められたんだと思っていましたが?」

言葉に詰まった俺の様子に、エドウィンは肩をすくめた。

「リストにはオトムスタ公爵令嬢のお名前もありますよ。ご面識もあるそうですし、いっそ、そこで手を打たれては?」


「ふざけるな。ステラの将来をお前が勝手に決めるな」

「ふざけてませんよ。僕ら王侯貴族の婚姻に、個人の感情を持ち込めないことぐらい、殿下もご存じでしょう」


「だとしても、ステラはない。ありえない」

彼女の想い人を知っていながら、自分の婚約者になんてできるわけがない。

「…そうですか。残念ですね」

「残念?」

「殿下と彼女がご成婚くだされば、私が殿下の義兄になれたものですから」

ステラの姉がこいつの妻だったことを思い出す。


「冗談じゃない、絶対に御免だ!」

「絶対に御免、ですか。そこまで全力で拒まれると、逆に興味が湧きますね。いつか“義兄上”と呼ばせてみたいものです」


エドウィンはあっさり笑ってみせ、

「では殿下。ご検討のほど、ほどほどに」

と軽口めいた一礼を残して、紙束を置いたまま部屋を出ていった。



「くそ!」

苛立ちを隠せず、エドウィンが置いていった婚約者リストを乱暴に掴み、ゴミ箱へと突っ込む。紙束が鈍い音を立てて沈む。


「ステラは嫌なの?」


背後からの声に、思わず振り返る。ルカがこちらを見ていた。問いかけは淡々としていたが、その瞳は真剣だった。


「嫌とか、そういう問題じゃねぇよ。ってか、お前は嫌じゃないのか?」

「何が?」

「ステラと俺が結婚したら、だよ」


「嫌じゃないけど」

即答だった。

その答えに、話を聞いていたロイがわずかに眉を動かすのが視界の端に映る。

俺たちはルカもステラのことを想っていると思っていたから――。


「お前…、ステラのこと、どう思っているんだ?」

「誰よりも大事な子だよ。絶対に幸せになってほしいと思ってる。だから―、アレンと結婚してくれたら、俺も安心なんだけど」


その瞳に嘘はなかった。

胸の奥が締め付けられる。


「…ステラの気持ちはどうなる?」

「あの年頃の子の気持ちなんて、すぐに移り変わるよ。もう俺のことなんて忘れて、他に好きな男ができてるんじゃない?」


――そうなのか?

だが、ステラがそう簡単に心変わりするとは思えなかった。


「お前はそれでいいのかよ?」

「ステラが幸せなら、俺の気持ちなんてどうでもいいよ」


ルカは柔らかな笑みを浮かべていた。

その笑みは強がりではなく、静かな覚悟のように見えた。


―二人が幸せになれる未来を、どうすれば描けるのか。

制度の変革と個人の想いが交差する中で、執務室は静かに時間を刻んでいた。


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