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無効化令嬢の恋と改革  作者: 鴨治玲


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30.-王宮学院編-提言

講堂を出た生徒たちは、投票箱に一票を投じながらもまだ議論の余韻に浸っていた。

「やっぱり理念が強いな」「でも秩序はどうなる?」――廊下にはそんな囁きが交錯し、夜の寮に戻ってからも食堂や談話室で議題は繰り返し語られた。


誰もが結果を気にしていた。

肯定派に心を動かされた者もいれば、否定派の警告に揺れる者もいる。

票を投じた後も、心の中で答えを探し続けるように。


サラ様は静かに寮の部屋へ戻った。拍手の余韻がまだ耳に残り、胸の奥で熱を帯びているようだ。

私はその横顔を見ながら、明日を思い、眠れぬ夜を過ごすことになる。


翌日、王宮学院の講堂は再び満席となった。

ざわめきの中に張り詰めた空気が漂い、壇上に立つジェームズ様が結果を告げる瞬間を待っていた。


「投票総数は548。その内12票は無効票と認められた。残る536票のうち―、肯定派は322票。否定派は214票」


数字が告げられた瞬間、講堂は静まり返った。

勝利のはずなのに、胸の奥に冷たい重さが残る。否定の声が決して小さくないことを、数字が突き付けていた。


やがて前列から拍手が起こり、それは波のように広がっていった。肯定派の勝利を告げる音が講堂を満たす一方で、否定派の生徒たちは複雑な表情を浮かべていた。

ジェームズ様は静かに手を挙げ、場を収める。

「この結果は学院の総意だ。理念は勝利したが、秩序を求める声も確かに存在する。だからこそ、この議論を学院に留めるのではなく、王宮へ正式に提言する必要がある」


その言葉に、講堂全体がざわめきに包まれた。

討論は単なる学びではなく、制度改革へと繋がる一歩となったのだ。


ずっと願っていた言葉が、今、会長の口からはっきりと告げられた。

胸の奥で熱が広がり、指先が震える。

その時、壇上のジェームズ様が一瞬だけこちらを見た。

厳しい会長の顔のままなのに、その瞳には確かな誇りが宿っていた。


「やっと…ここまで来たんだ」

心の中でそう呟いたとき、視界が少し滲んだ。未来はまだ不確かで、否定の声も残っている。けれど、王宮へ届くなら、道は必ず開ける。



二日後の生徒会室。


ミックたち三年生の補佐役は、静かに頭を下げると、重い足取りで部屋を後にした。扉が閉まる音とともに、ひとつの区切りが訪れたのだと私は思った。

敗北と規範違反を認め、自ら辞任を選んだ彼らを、会長は何も言わずに受け入れた。

その沈黙が、余計に重く感じられる。


「―続いて、先日の討論会の件だが…」

会長の声が室内に落ちる。

私は思わず椅子から立ち上がり、胸の高鳴りを抑えきれずに声をあげた。

「はい!学院に平民を入学させる提言を王宮へ正式に提出できるんですよね⁉」

ジェームズ様が苦笑しながら頷き、他の役員たちへ目線を送る。皆も静かに頷いたのを見て、私は思わず口元が緩み、両手で小さなガッツポーズを作ってしまう。

するとマシューが茶化すように言った。

「ステラ様は本当に公爵令嬢ですか?」

その一言に、生徒会室は笑いに包まれた。

緊張がほどけ、空気が少しだけ柔らかくなる。


だが、会長の低い声がすぐに場を引き締めた。

「だが、楽観視はできない」

私は背筋を伸ばし、息を呑む。

「学院の約九割の生徒のうち、肯定は六割。残りは否定か中立。学院でこの数字なら、王宮―議員たちの反対はもっと大きくなる可能性がある」

「そうですね。その為には提言書の内容を、より確固たる体裁と説得力を備えたものに整えるべきです」

トレヴァー様が同意すると、ジェームズ様の視線が私に向けられた。

「ステラ、できるな?」

「もちろんです」


その瞬間、胸にずしりと責任の重みが落ちる。

提言書の作成を任されたのだ。


だが、理想と現実の狭間は険しい。

私は何度も書き直しては、トレヴァー様たちから容赦ない指摘を受ける。

机の上には修正だらけの原稿が積み重なり、夜更けまで灯りが消えることはなかった。



放課後、私は提言書の参考になるものを探そうと図書室へ足を運んだ。

扉を開けると、静謐な空気が広がる。

窓から差し込む夕日が本棚の背表紙を淡く照らし、紙の匂いとインクの香りが混じり合っている。歩くたびに床板がわずかに軋み、私の足音だけが響いた。


気になる本が、一番上の棚に見える。

つま先立ちになって手を伸ばすが、指先がほんの少し届かない。

諦めかけた瞬間、後ろからすっと伸びる手が目当ての本を引き抜いた。

振り向くと、そこにはジェームズ様が立っていた。

「これか?」

片手に持った本の上に、さらに積み上げる。

「ありがとうございます」

礼を言うと、彼は私を見つめて微かに笑みを浮かべた。

「提言書、行き詰っているようだな」


図星だ。でも認めたくない。

胸の奥で小さな反発心が芽生える。


そんな私の気持ちを見透かすように、彼はさらに数冊の本を手に取った。

「この辺も参考になるだろう。…提言書、見てやろうか?」

「…お願いします」

私たちは小声で話しながら、人のいない端の席へ移動した。

ジェームズ様に不完全な提言書を渡すと、まるで試験の答案を差し出すような気分になる。

向かい側に腰を下ろし、私は本を開いて待つが、文字が目に入っても内容は頭に入ってこない。

心臓の鼓動ばかりが大きく響いていた。


やがてジェームズ様が顔をあげる。

「…指摘した点は直っているが、まだ説得力が足りないな」

彼の声は柔らかいが、言葉は鋭い。


「例えば、学院に平民を受け入れる意義を述べているが、数字や事例が乏しい。王宮の議員たちは感情よりも根拠を求める。統計や過去の成功例を示すことで、反対派の上げ足を取られにくくなるだろう」


私は唇を噛み、頷く。確かに理念ばかりを並べて、具体性に欠けていた。


「それから文章の構成だ。理想を掲げるだけでは夢物語に見える。まず現状の問題点を明確にし、その上で改善策として提言を置く。段階を踏めば、読む者は納得しやすい」


彼は数枚のページを指で叩きながら続ける。

「最後に、反対意見への対処だ。『平民を入れると秩序が乱れる』という声は必ず出る。その懸念にどう応えるか、先に書いておくべきだ。安全策や規律維持の仕組みを提案すれば、反対派も完全には否定できない。…僕自身、秩序を守ることの重さを痛感している。だからこそ、君の理想を現実にするために、秩序をどう支えるかを示す必要がある」


私は深く息を吸い込んだ。

厳しい指摘なのに、不思議と希望が湧いてくる。

提言書はまだ未完成だが、改善の道筋が見えた気がした。


「ありがとうございます。次はもっと具体的に書いてみます」

「そうだな。君ならできるよ」


その言葉に背中を押されるように、私は再びペンを握った。


数日後、生徒会室の机の上には修正を重ねた原稿が積み重なり、赤字の跡が幾度も走っている。

フレイヤとトビアスは私の仕事を肩代わりし、サラ様には新たな補佐が付いて仕事を手伝ってくれる。

みんなが私を支えてくれていた。

仲間の協力の中で、提言書はようやく完成に近づいていく。


夜の帳が降りる頃、私は仕上げた原稿を、ジェームズ様に差し出す。

「…現状の問題点を冒頭に置き、改善策を段階的に示しました。これなら夢物語に見えないはずです」

何度も指摘を受け、ようやく形になったと思える一文だった。


彼は黙って目を通し、ページをめくる。

その横顔は真剣そのもので、私は息を詰めて待った。

やがて、彼の指が一行に止まる。


「…『学院は血筋ではなく、志を選ぶ場であるべき』か」

彼は小さく呟き、視線を紙から外して私を見た。


「この一文は強いな。理念だけでなく、君自身の信念が伝わってくる。…議員たちも、ここで心を動かされるかもしれない」


頬が熱くなる。

信念を込めた言葉を、彼がそう評価してくれるとは思わなかった。

ジェームズ様は微かに笑みを浮かべ、ペンを置いた。

「厳しく指摘してきたが…君の言葉には、僕も動かされてきた。だからこそ、もっといい形にしたいと思うんだ」


その声音には、提言書への情熱だけでなく、私への信頼が滲んでいた。


「ありがとうございます。必ず仕上げます」

「かんばれよ」


その言葉を胸に刻み、私は静かに頷いた。

未来へ歩みだす覚悟は揺るがない。


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