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無効化令嬢の恋と改革  作者: 鴨治玲


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29.-王宮学院編-討論会

授業が半日で終わる午後、学院の講堂にはいつもより熱気が満ちていた。

娯楽の少ない寮生活では、討論会は娯楽であると同時に、学生たちが胸を高鳴らせる舞台となる。

開始十分前にして、席は既に九割方埋まり、ざわめきは波のように広がっていた。

後方には教師たちが腕を組み、冷静な眼差しで生徒たちを見守っている。だがその視線の奥には、議題の行方を見届けようとする緊張が漂っていた。


サラ様と私は、今日まで何度も机を挟んで向かい合い、互いの言葉をぶつけ合ってきた。

「ここはもっと強く言い切って」「その理屈じゃ揺さぶられる」――そんなやり取りを繰り返すうちに、言葉は鋭さを増し、心は少しずつ固く結ばれていった。

だからこそ今、講堂に満ちるざわめきの中で、私たちは互いに目を合わせる。

死角はない――そう信じたい。


だが、相手の席に並ぶ名を聞いたとき、背筋が凍った。

「リー・ロバートソン」―またの名を「観衆の支配者」

冷たい金色の瞳と血の気のない唇は、爬虫類を思わせる。


―彼が味方についた討論で、敗北した者はいない。


観客席のざわめきは、期待と不安をないまぜにしたものだ。

誰もが「今日は何かが起こる」と感じている。


ステージ上には、肯定派と否定派のための席が左右に設けられていた。

私とサラ様は左側へ、ミックとリーは右側へ。互いに視線を交わすが、言葉はない。

中央には私たち以外の生徒会役員たちが立っている。

ジェームズ様は司会者として壇上中央に立ち、トレヴァー様は進行を補佐し、マシューは記録係として机に向かっている。

彼らの存在が、この討論会が単なる娯楽ではなく学院の公式の場であることを示していた。


やがてジェームズ様が一歩前へ進み出る。

「王宮学院の扉は、誰のため開かれているのか―」


彼の声が講堂に響いた瞬間、ざわめきは波を引くように消えた。

壇上中央に立つその姿は、ただの司会者ではなく、この場の秩序そのものを象徴していた。


「本日の議題は、まさにその問いに迫るものだ。『平民の入学を許可すべきか否か』。伝統の重みと、変革の兆し。どちらがこの学院にふさわしいのか。弁士諸君には、言葉の力でその答えを示してもらおう」


観客席の生徒たちは、息を潜めるように耳を傾けていた。

期待に目を輝かせる者もいれば、腕を組んで冷ややかに見守る者もいる


「では―、始めたまえ」


その言葉に促され、サラ様が立ち上がる。

私は震える彼女の手をそっと握り、互いにうなずき合う。

深く息を吸い込んだ彼女の声は、最初こそわずかに揺れていたが、次第に芯を帯びていった。

「王宮学院は、王政を支える者に学びと品位を授ける場です。志ある者に、出自だけで門を閉ざすのは理念に反しています。学院の規範、第二条にはこうあります──『学びや評価は、出自や性別、家格に関係なく公平であるべき』と。王命による選定がある以上、平民が選ばれる可能性もあるはずです」


私は思わず一歩前に出て、言葉を重ねた。

「そうです! 理念を掲げてる以上、出自で切り捨てるのは矛盾です!努力しようとする人が、たまたま平民だっただけ。それを理由に門前払いするなんて――学院の品位に関わります!」

「ステラ…ありがとう。でも、わたし、まだ続けられるから」

「あ、ご、ごめんなさい。でも言いたくて……!」

観客席からは小さな笑い声や囁きが漏れる。緊張の中にも、二人に必死さが伝わっているのだろう。

ジェームズ様をちらりと見ると、彼は唇の端をわずかに上げ、笑いを押し殺しているのが見えた。


ミックが勢いよく立ち上がり、鼻で笑った。

「公平?理想論だ。現実を見ろよ。平民が王政を支える責任を果たせるなんて、どう考えても無理だ」

その言葉に続いて、リーがゆっくりと立ち上がる。冷たい金色の瞳が観客席を横切り、まるで一人ひとりを射抜くように視線を走らせた。

「公平という言葉の使い方を君たちは誤解している。公平とは“与えられた環境の中で同じ扱いを受けること”だ。だが、誰でも入れるようにするのは公平ではなく、ただの平準化だ」


観客席の一部から「確かに…」と低い声が漏れる。

リーはそれを聞き逃さず、さらに畳みかけた。

「志がある?そんなものは誰でも口にできる。だが、志だけで入学を許すなら、学院はすぐに溢れかえる。第三条を読めば明らかだ――王族、貴族、王命による選定。平民は対象外だ。制度を変えるなら、まず“成果を出せるかどうか”を証明しなければならない。証明もないのに制度を動かすのは、危険そのものだ」


彼は一歩前に出て、声を落とし観客に語りかけるように続けた。

「君たちの学費は誰が払っている?君たちの家が誇る血統と財が、この学院を支えているんだ。そこに平民を入れるということは、君たち自身の学びの質を下げる可能性がある。果たして、それを受け入れられるか?」


観客席の空気が揺れた。ざわめきは広がり、腕を組んでいた生徒が眉をひそめ、隣の者に小声で意見を交わす。教師たちの視線も鋭さを増し、場の緊張は一層高まる。


サラ様は落ち着いた声で応じた。

「成果を出せるかどうかが大事だというご意見ですね。でも、それを判断するためには“入学の機会”が必要なのではありませんか?学院は未来を担う者に学識と品位を授ける場です。成果を試す前に、門前で閉め出すのは、機会の平等を否定することになります。」


私は一歩前に出て、声を重ねた。

「実際、地方行政では平民出の役人が成果を上げている例があります。入学の機会を与えることは、決して無謀な賭けではなく、王政全体の裾野を広げる施策です」

観客席から「地方の例か…」とざわめきが起こった。


リーは目を細めて、冷たい光を宿した瞳で観客席を見渡した。

「それは例外だろう。公平とは入学後の扱いの話であって、入学資格とは別だ。制度の枠を勝手に広げれば、秩序は崩れる。一人の平民を入れれば、次は“うちの子も”となる。その結果どうなる?」


彼の声は淡々としていたが、観客席に波紋を広げる。

前列の生徒が互いに顔を見合わせ、後方からは「言われてみれば…」と納得の呟きが聞こえる。

リーはその反応を逃さず、聴衆を味方につけるように論を展開した。


「学院の秩序が崩れれば、君たち自身の学びが損なわれる。第五条―学院の威信と秩序―にも反している。制度は例外を許せば瓦解する。君たちは本当に、自分の未来を危険にさらす覚悟があるのか?」


観客席の空気が一気に傾き、賛同の声がいくつも重なった。

ミックは得意げに、リーの言葉に乗る。

「そうだ!秩序が乱れれば学院の威信が失われる!」


場の空気は否定派に流れかけていた。だが、サラ様はその声に動揺することなく、静かに視線を上げる。

「危険なのは、制度を盾にして、自由な考えを押さえつけることです」


その一言に、観客席のざわめきが一瞬止まった。

彼女は続ける。

「ミック、あなたは以前、私の意見を『低貴の妄言』と呼び、発言を遮りました。それは第四条──思想の自由──に反する行為です。さらに、出自を理由に排除する発言は、第五条で禁じられている“差別的言動”に該当します。 制度を守るために理念を捨てるのは、本末転倒です」

ミックの顔が引きつり、観客席から小さなざわめきが広がる。

リーは慌てて前に出る。

「それは秩序を守るための措置だ。君の言葉は感情論だ。制度は情けで動かすものではない。“かわいそうだから入れてあげよう”というのは制度ではなく感傷だ」


サラ様は一歩も退かず、声を済ませて言い切った。

「私は“かわいそう”なんて一言も言っていません。言っているのは、学院の理念に基づいた話です。志ある者に学べる機会を与えるべきだと。感情ではなく、規範に基づいて話しています。それとも、あなたは学院の規範よりも、自分の印象のほうが正しいと?」


観客席の生徒たちは皆、顔をあげてサラ様を見ていた。

リーの論破術は論点をずらし、印象で支配するものだった。

だが、サラ様はそれを真正面から引き戻す。


「秩序を守るために、差別的な言葉を使うことは、第五条で禁じられています」

サラ様の声は澄み渡り、講堂の隅々まで届いた。

「学院の名誉を傷つけているのは、出自を理由に排除を正当化する、その態度です。」


観客席は一瞬、息を呑んだように静まり返った。

先ほどまで否定派に傾いていた空気が、目に見えぬ力で引き戻されていく。ざわめきは消え、誰もがサラ様の言葉に耳を奪われていた。


ミックは顔を赤らめ、視線を泳がせる。隣に座るリーは何とか反論を探そうとしたが、言葉が出ない。彼の冷たい瞳が伏せられ、観客席を支配していたはずの視線の力が失われていく。


「王政に仕える者は、血筋ではなく志で選ばれるべきです。学院が未来を育てる場所なら、未来を変えようとする者にこそ、門を開くべきではないでしょうか」

その一言が講堂に響いた瞬間、沈黙の中から一人の拍手が生まれた。乾いた音が広がり、次第に波のように重なっていく。観客席の生徒たちは顔をあげ、互いに視線を交わしながら拍手を続けた。


その光景に隣に立つサラ様の目がうるみ始めた。


ミックは顔を紅潮させ、声を荒げた。

「だが平民が入れば秩序が乱れる!礼儀も格式も知らない!王政に使えるには血統が必要だ!」

その叫びは必死さを帯びていたが、もはや観客の心を揺らす力はなかった。

サラ様は静かに首を振り、言い切った。

「秩序を乱すのは出自ではなく、偏見です。礼儀は学べます。格式は育てられます。でも、志は教えられません。持っている者にしか、灯せないのです」


その言葉が講堂に落ちると、場は水を打ったように静まり返った。

誰もがその一言に重みを噛みしめていた。


やがてジェームズ様が壇上に進み出る。

「これ以上の反論はないようだな。討論の結末は、言葉ではなく君たち自身の判断に委ねよう」

彼は右手を掲げ、観客席を見渡す。

「出口に投票箱を設けてある。肯定か否定か、各自が票を投じてくれ。結果は明日、全校に公表する。今日の議論は、その未来を形づくる一歩となるだろう」


その言葉に、生徒たちは静かに立ち上がり、ざわめきを残しながら出口へと流れていった。

拍手の余韻はまだ講堂に漂い、サラ様の瞳には涙が光っていた。


ステージ上に残されたのは生徒会役員と私たち肯定派、そしてミックだけ。

リーは早々に姿を消し、ミックは拳を握りしめたまま動けずにいた。

ジェームズ様が彼の前に立ち、低い声で告げる。

「ミック、君の発言は第五条に抵触する恐れがあることを、全校生徒の前でさらけだした。これが何を意味するか、わかるな」

ミックの肩が震えてた。

「生徒会として、見逃すことはできない」


そう言い残してジェームズ様は壇を降りた。

私たちも続き、最後に講堂に残ったのは、誰一人寄り添う者のいない孤独な影だけだった。


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