出会い
その時――
外の気配が、ふっと変わった気がした。
「なんだ、てめぇは!」
怒鳴り声。
続いて、肉がぶつかるような鈍い音と、男たちの苦鳴。
「がっ」
「うぐっ」
「がはっ」
……何が起きてるの?
袋の中で息を潜めた瞬間、足元――いや、床がぐらりと動いた。
これは――荷馬車だ。
荷馬車が動き出した……!?
このまま、どこかへ連れていかれる!
ヒヒィーンッ!
馬のいななきと共に、馬車が大きく跳ねた。
荷台が揺れ、私は麻袋ごと宙に放り出される。
――落ちる!
覚悟した衝撃は、来なかった。
代わりに、柔らかく、温かい腕に受け止められた。
袋の口が開き、夕暮れ前のオレンジ色の空が広がる。
その手前で、大きな鳶色の瞳が私を覗き込んでいた。
「大丈夫?」
……助けられた?
声が出ない私を、青年はそっと袋から出し、縛られた手足と口をほどいてくれた。
自由になった手で地面を触ると、震えているのが自分でもわかる。
周囲を見渡すと、盗賊たちが全員倒れていた。
まさか……この人が?
背後から声がして振り向くと、緑色の髪の青年が弓を持って駆け寄ってきた。
私を見るなり、目を丸くする。
「人が入ってたのか。よく気づいたな」
「声が聞こえたから」
「痛いところはないかい? お嬢さん」
助かった――
ちゃんと、声が届いた。
その実感が胸に広がり、張りつめていたものが一気にほどけて、涙があふれた。
「どうした? どこか痛むのか?」
首を横に振る。
「……助けてくれて、ありがとう」
二人は顔を見合わせ、ほっとしたように笑った。
――そこで、思い出した。
泣いてる場合じゃない。
アンが……アンが危ない!
「アンは!?」
涙を拭って顔を上げる。
「アンってのは、あそこの人か?」
指さされた先に、倒れているアンの姿があった。その傍らには、赤い髪を後ろで束ねた落ち着いた雰囲気の男性が座っている。
私は駆け寄った。
アンの体にはマントがかけられていたが、ぐったりと力を失って動かない。
「アン! アン、しっかりして!」
手を握ると、驚くほど冷たい。
青白い顔。微動だにしない。
嫌な予感が、背筋を冷たく撫でた。
「やだ……アン! 起きてよ! アン!」
どれだけ呼んでも、返事はない。
「落ち着いて。息はある」
赤髪の男性が静かに言った。
「彼女、持病とかは?」
私は首を振る。
彼は色々試したらしいが、目を覚まさないという。
アンが気を失った理由……
「――何か、飲まされたかも!」
袋の中で聞いた会話を伝える。
「これか?」
青年の一人が、アンのそばに落ちていたガラス瓶を拾い上げた。
「……これ」
三人が顔を見合わせる。
どうやら心当たりがあるらしい。
赤髪の男性が慌てて鞄やローブを探るが、すぐに肩を落とした。
「毒消しのポーションだけが……ない……!」
その言葉で、世界が暗くなった。
「そんな……!」
嫌だ。
こんな形でアンを失うなんて、絶対に嫌だ。
私はアンの手を強く握りしめた。
その瞬間――
光が生まれた。
何、これ?
私が出しているの?
「この光……! お嬢さん、魔法が使えるの?」
「ま、魔法……? 私、使ったことなんて……」
赤髪の男性が、私の肩を掴む。
「大丈夫。そのまま手を握ってて。光を消さないよう、強く願って。できるね?」
わけがわからない。
でも――アンが助かるなら。
私は強く頷き、アンの手をぎゅっと握った。
お願い……
消えないで……
アンを助けて……!
光は少しずつ、アンの全身を包み込んでいく。
「そう。そのまま。頑張って」
肩に置かれた手から、熱い熱が流れ込んでくる。
その熱が光を支えてくれているようだった。
すると、アンの身体から黒い靄のようなものがぽつぽつと浮かび上がり、空気に溶けて消えていく。
それが徐々に薄れ、やがて完全に消えた。
同時に、光もふっと消える。
アンのまぶたが、ゆっくりと開いた。
「アン!」
「……お嬢様……?」
私を見て、確かに反応したアンの声。
その瞳に私が映ったのを確認した瞬間、安心が一気に押し寄せ――
視界が暗くる。
私は、そのまま意識を手放した。
♢
目を覚ますと、見慣れた天井が視界に入った。
ぼんやりと瞬きを繰り返しながら、ここが自分の部屋だとようやく理解する。
ベッドの横には、いつものメイド服姿のアンが座っていた。
私が目を開けたのを確認すると、彼女の顔がぱっと明るくなる。
「お嬢様! 目が覚めましたか」
その声を聞いた瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。
でも同時に、頭の中はまだ靄がかかったようで、どこからが夢で、どこからが現実なのか判断がつかない。
すぐにお医者様が呼ばれ、簡単な診察を受けた。
「どこにも異常はありません。ただ……魔力を使い果たしたようなのですね。しばらくは安静に」
魔力……?
あの光が魔力だったの……?
私の中に魔力があるなんて、初めて知った。
ということは――
あの襲撃も、助けられたのも、全部夢じゃなかったということだ。
助けてくれた人たちは誰だったのか。
アンはどうやって助かったのか。
聞きたいことは山ほどあったけれど、瞼が重くてどうにもならない。
「……ねむ……」
アンが何か言った気がするけれど、私はそのまま深い眠りに落ちた。
はっきりと目を覚ましたのは、三日後だった。
「お嬢様、よかった……!」
アンの声を聞きながら、私は朝食をぺろりと平らげた。
自分でも驚くほどの食欲だった。
「これも……魔力を使い切ったせいなのかしら」
お腹が落ち着いたところで、私はアンにあの日のことを尋ねた。
私たちは盗賊に襲われたが、たまたま近くを通りかかった冒険者の一団に助けられたらしい。
盗賊たちは全員捉えられ、領内の兵士に引き渡されたという。
気を失っていた私と、歩ける状態ではなかったアンは、冒険者たちに家まで送ってもらった。
その報告を受けた父は王都から急ぎ戻り、激怒したらしい。
「捕らえた盗賊は全員死刑にしろ!」
そう命じたものの、余罪が多すぎて調査が必要で、即時執行にはならなかったという。
それでも、死刑は免れないだろうとアンは言った。
アン自身は、気を失っていたため詳しい記憶はないらしい。
犯行は未遂だったとはいえ、あの恐怖は計り知れない。
それでも彼女は、いつも通りの穏やかな表情で私に接してくれていた。
――私は、あの時、何もできなかった。
その悔しさが胸に広がり、思わず俯いた。
すると、アンがそっと私の手に自分の手を重ねてきた。
「お嬢様のおかげで、私は助かったんです」
顔を上げると、アンは静かに微笑んでいた。
「あの時、私の意識は……どこか遠くにありました。寒くて、暗くて……心臓の音が遠のいていくのがわかりました。身体が冷えていく中で、突然、右手から少しずつ……氷が溶けるみたいに温かさが広がっていったんです」
アンの目に涙が浮かぶ。
「目を覚ましたら、私の右手はお嬢様に握られていました。……私はまた、お嬢様に救われたんです」
胸がいっぱいになって、私はアンをぎゅっと抱きしめた。
「アン……よかった……本当に……」
アンの体温が、確かにそこにある。
それだけで涙がこぼれそうになった。
こんなことが、二度と起こさせない。
起こしてはいけない。
――公爵令嬢としての責務を果たす。
その覚悟が、静かに、でも確かに私の中で芽吹いた。




