25.-王宮学院編-二つの歩み
学院一のモテ男でもあるジェームズ様と何度も一緒にいる所を見られて、何も起こらないわけがなかった。
彼が私を“ミャー”と呼ぶのは、飼い猫の名をそのままあだ名にしたからだ。
けれど、周囲からすればそれは特別扱いにしか見えなかった。
「ステラ・ハワード、ちょっときなさい」
声をかけてきたのは、最近ジェームズ様の隣によくいる女性。とそのお友達と思しき人たち。
ついに来たかと、溜め息をつきながら彼女たちに従う。
連れていかれた先は、学院の裏手にある大きな温室だった。
ガラス張りの天井から差し込む陽光が、色とりどりの花々を照らしていた。湿った空気に甘い香りが混じり、葉の影が床に揺れる。
美しいはずの空間が、今は逃げ場のない檻のように感じられる。
壁側に立たされると、背後の蔓植物がざわめき、まるで私を絡め取ろうとしているかのようだった。
花の鮮やかさと、女生徒たちの鋭い視線の対比が痛いほどに際立つ。
真ん中に立った派手な顔立ちの女生徒が、私の顔の横に手をついた。ガラス越しの光が彼女の爪に反射し、鋭い刃のように見える。
「どういうつもり?あの方には私がいるのよ?奪い取るつもり?」
艶やかだが棘を含んだ声が私を射抜く。
「そんなつもりはありません」
「はぁ⁉︎あんたがジェームズ様に付きまとってることぐらい、猫でもわかるのよ!」
猫―、ジェームズ様が呼ぶあのあだ名が、皮肉として返ってきた。
言い返したい。むしろ付きまとっているのはジェームズ様の方だと。
けれど、こじれるのは目に見えているので口をつぐむ。
私の顔に「めんどくさい」という思いが出てしまったのか、次の瞬間、頬を叩かれた。
痛みが走り、左頬に触れると指先に血がついた。彼女の爪が皮膚を切ったのだ。
血を見て、一瞬ひるんだように見えたが、それでも彼女は引かない。
「その澄ました顔が気に入らないのよ」
輪の中から罵詈雑言が次々と浴びせられる。
「そもそも平民を王立学院に入れるなんて考える子なんだから、頭がおかしいのよ!」
その言葉に、胸の奥で何かが弾けた。
「何がおかしいんですか?貴族にも関わらずよってたかって下級生ひとりをいたぶる方が、よっぽど頭おかしくありませんこと?」
つい、反論してしまい、女生徒たちの怒りに油を注ぐ。
髪を掴まれ、振り上げられた手が迫る――。
次の瞬間、その手は空中で止められた。
「…何をしている?」
低く冷えた声が、温室に落ちた。
女生徒の振り上げた手は、いつの間にかジェームズ様の手に止められていた。
その握りは鋭く、けれど乱暴ではない。彼女を傷つけるのではなく、ただ動きを封じるための力だった。
「彼女に触れるな。叩くなんて、君のすることじゃない」
怒りを含んだ声なのに、どこか女子を責めすぎない柔らかさがある。
一瞬の沈黙のあと、彼は続けた。
「君は勘違いしている。僕が恋をするのは人間だ。猫は恋の対象じゃない。」
「……猫?」
困惑する女生徒たち。
「そうだ。彼女は猫だ。猫を叩くなんて許されない。猫は撫でるものだろう?」
そう言って、ステラの頭に手を置く。力加減は少し強すぎて髪がぐしゃぐしゃになった。
―助けてもらったはずなのに、猫扱いで全部帳消し。腹立つ。
「その手は傷つけるためじゃない。僕と愛を確かめ合うためにあるんだ」
掴んでいた手を握り、指を絡める。その仕草は優雅で、女生徒の頬は瞬く間に赤く染まる。
「その唇は愛を語るものだ。猫に向けるものではない」
彼が唇に手を寄せると、周囲の少女たちは歓声を上げ、完全に勢いを失った。
「猫だとは知らずに、ごめんあそばせ」
そう言って、女生徒たちは慌てて温室を飛び出していった。
残された空間には、花の香りと湿った空気だけが漂う。
頬の痛みが、さっきの出来事が現実だったと突き付けてくる。
「ステラ!」
横から勢いよくフレイヤが駆け寄ってきた。
「大丈夫?ひどいことされたんじゃない?」
心配そうに覗きこまれて、私は頬に残る痛みを意識する。
ジェームズ様の視線もそこに落ちた。
癒そうと魔力を込めてくれているのがわかる――けれど、光は私に届かない。
私の力が、彼の魔法を拒んでしまうのだ。
悔しそうに唇をかむジェームズ様の横で、フレイヤが頬にそっと手をかざす。
「ルーメン」
短い呪文と共に、柔らかな光が頬を包む。痛みがすっと消えていった。
不思議なことに、フレイヤの回復魔法は受け入れられる。
「よし、これで元通りよ!」
にっこり笑うフレイヤに、私は思わず肩の力を抜いた。
…でも、髪をぐしゃぐしゃにしたままのジェームズ様の手がまだ頭に残っていて、ため息が漏れる。
守られたはずなのに、どうしても腹立たしさが勝ってしまう。
******
木々に緑が生え始める頃、日差しは日に日に温かさを増していた。
花の香りと湿った空気に満ちていた温室の記憶も、季節の移ろいとともに遠ざかっていく。
「ねぇ!知ってる!?」
朝一の教室で、抑えきれない興奮をそのまま声にしたのはサンディー・ポッター。
オレンジ色のショートカットは女子には珍しく、いつも元気いっぱいの彼女によく似合っている。
その声に私はフレイヤとの会話を中断した。
「どうしたの?」
「今年の騎士団試験に、女子と平民が受けられるようになったって!」
その言葉に教室中がどよめいた。
「本当の話?」
「本当よ!来年はベティ先輩も試験を受けるって言ってたわ!」
ベティ・ランプリング先輩―ジェームズ様と並び学院の女子人気を二分する存在。
女子でありながら、騎士科に所属する四年生で、剣術の成績は常にトップ。切れ長の瞳に通った鼻筋、薄い唇は中性的な魅力を湛え、柔らかな物腰と凛々しい姿に憧れる女生徒は少なくない。
彼女の髪形を真似てショートカットにする女子が増えているのも、その証だ。
サンディーもその一人だった。
王宮騎士団が女子と平民を受け入れ始める―。
それは学院に平民を迎え入れたい私の願いにとって、まさに追い風だった。
それにしても、なぜこのタイミングなのだろう。
「ねぇサンディー、騎士団の話を決めたのはどこの貴族議員かわかる?」
「ううん。でも今回のこと、アレン王子が絡んでるって噂よ」
サンディーは内緒話のように、声をひそめた。
アレン王子。第三王子の名を聞くのは久しぶりだった。
病弱と噂される第二王子のユリウス様よりも影が薄く、これまで話題に上ることもほとんどなかった方だ。
どういう風の吹き回しなのか―。
けれど、見知らぬ王子であっても、もし私と同じ志を持っているのなら。
胸の奥に、希望の光がふっと灯る。
今年度は結局、ゲランド様に阻まれて平民の入学を訴えることはできなかった。
来年度こそ、学院を超えて王宮へ、改革のための請願を届けたい。
私はこぶしを握り締め、心の中で高らかに誓った。
―絶対にあげる、と。




