23.ー王宮学院編ー兄弟の隠しごと
王宮学院の生徒会役員に選ばれることは、領主を継ぐ男子にとって誇り高き栄誉だ。たとえ、補佐役であっても、その肩書は家の名誉に直結する。
勉強は嫌いじゃなかったし、理解も早い方だと自負していた。
だから試験の手応えも十分にあったのだが―
―結果を見た瞬間、胸に走ったのは小さな衝撃だった。
二位 トビアス・スタンリー
その上に刻まれていたのは、従姉妹ステラ・ハワードの名。
まさか、ステラに抜かれるとは。
幼い頃から我儘で高慢だった彼女が、ある日を境に人が変わったようになったのは知っていた。久しぶりに再開した時、あまりの変わりぶりに「頭でも打ったのか」と冗談を言ったら、本当に馬から落ちて頭を打ったらしい。
「打ち所が良かったな」と皮肉を込めて言うと、「本当ね」と笑った彼女には、かつての嫌味な気配が微塵も残っていなかった。
子どもの頃は取り立てて聡明な印象もなかったのに、試験結果を見る限り、本当に打ち所が良かったのだろう。
だが、その「打ち所の良さ」はただの冗談では済まされないのかもしれない。
彼女は以前と違う眼差しで学院を見ていた。
そして、俺が補佐役に指名されたその日から、彼女の変化はさらに鮮明になっていく。
補佐に指名されることは、試験の後にステラとの会話で知らされた。
驚きはなかった。首位となった彼女が誰を選ぶかは、ある程度予想できていたからだ。
ただ、実際にその名を告げられた時、胸の奥に小さな重みが落ちたように感じた。誇らしさよりも、これからの日々に対する静かな不安の方が勝っていた。
ステラの変化は確かに眩しく、彼女の意志は強い。だが、その強さに振り回される未来が容易に想像できたからだ。
学院の一角にあるガゼボへ呼び出されたのは、その直後のことだった。
白い柱に囲まれた半円形の空間には、既にステラとフレイヤが腰かけていた。二人は俺に気付かぬまま談笑しており、まるで別世界にいるような華やかさを漂わせていた。
ステラの侍女が差し出した紅茶の湯気が、冷え始めた空気に溶けていく。テーブルには色とりどりの菓子が並び、学院の令嬢たちが好む優雅なひとときが演出されていた。だが、その心地よさはステラの口から飛び出した一言で一瞬にして崩れる。
「平民を王宮学院に入学させたいの」
思わず息を呑んだ。
理想論を語るのかと思えば、彼女の言葉は意外にも現実的で、制度の仕組みや承認の手続きにまで踏み込んでいた。
フレイヤは既に聞かされていたのか、穏やかな笑みを浮かべて頷いている。
俺は紅茶の温かさを感じながらも、胸の奥に冷たいものが広がっていくのを覚えた。提案を通すには生徒会役員全員の承認が必要だ。
現生徒会長は我が兄、ゲランド。兄弟の中でも特に真面目な兄が、この突飛な案を受け入れるはずがない。
ステラは「迷惑はかけないわ」と軽やかに言い、フレイヤは「補佐なんだから頼っていいのよ」と笑う。
だが、俺の胸には重い予感が沈んでいた。
生徒会が始まる前から、前途多難な気がしてならなかった。
生徒会では、案の定ステラの提案は却下された。会長である兄ゲランドの表情は硬く、他の役員たちも困惑を隠さなかった。だがステラは引き下がらず、理路整然と反論を重ねる。
生徒会室の空気は次第に張り詰め、兄の態度はますます頑なになっていった。
その後、廊下に出たステラは苛立ちを隠さず、俺に向かって「なんであんなに石頭なの⁉」と吐き捨てた。
彼女の怒りを受け止めながらも、俺自身も兄の反応にはどこか不自然さを感じていた。真面目で融通が利かないのはいつものことだが、今回はただの頑固さ以上のものがあるように思えた。
その疑念は夜になっても消えず、就寝前の静かな時間に兄の部屋を訪ねる決心をした。
扉を開けた従僕が下がると、机に向かっていた兄が顔をあげる。
「どうした?」
「…ステラのことで」
ため息をついた兄は手を止め、こちらに向き直る。
「座れよ」
壁際の長椅子に腰を下ろすと、兄は椅子をこちらに寄せてきた。
「平民の入学のことか?」
「うん。…どうしても受け入れられない?」
「ステラの差し金か」
首を横に振る。ここに来たのは俺の意思だ。
兄は再び大きく息を吐き、しばし沈黙した後に低い声で言った。
「…今はだめだ。受け入れることはできない」
「今は?」
頷いた兄は、間をおいてから視線を外し、言葉をつづけた。
「ステラには言うなよ」――そう前置きして、ようやく真意を語り始めた。
「5学年にはワジウラック領主の息子、モハメド・ジェンキンスがいる」
兄の口からその名が出た瞬間、胸の奥がざわついた。ワジウラック領主といえば、貴族議員の中でも選民思想の急先鋒。嫌な予感が背筋を走る。
「奴は父に似て、いや、それ以上かもしれない。ひどい選民思想の持ち主だ」
「…それが問題なの?」
問い返す自分の声は、思った以上に震えていた。
兄は一拍置いてから言った。
「あいつは一年前、平民を殺している」
その言葉に、呼吸が止まった。心臓が跳ね、指先が冷たくなる。
「祝祭のシーズンで、領内の浮浪者と肩がぶつかった。それだけで無礼者と決めつけ、その場で斬り捨てた」
「そんな…なんでそんな奴が平然と学院にいるんだ⁉」
声が荒くなる。怒りと恐怖がまじりあい、喉が焼けるようだった。
兄は静かに続ける。
「父親の力で事件はもみ消された。奴らにとって平民は人ではない。俺たち貴族は民があってこそだというのに」
頭の中でステラの顔が浮かぶ。あの強い瞳、学院を変えようとする意志。だが、その意思がこの男に狙われたら―。
「…でも、それがステラとどう関係する?」
自分でも分かっていた。答えは恐ろしいほど明白だ。
「この事件を知った生徒が奴を告発しようとした。だが奴は生徒を追い詰め、自死寸前まで追い込んだ。命は助かったが、学院を去るしかなかった。表向きは『本人の問題』とされ、モハメドは罰を受けることなく、今も平然とここにいる」
兄の声は淡々としていたが、その奥に沈んだ痛みが滲んでいた。
「俺は……あの時、助けられなかった」
握りしめた拳が震えている。真面目で冷静な兄が、感情をあらわにする姿を初めて見た。
「生徒会役員として、何かできるはずだったのに。奴と父親の影響力の前では、俺の言葉は無力だった」
その悔恨が、兄を頑なにしているのだと悟った。
ステラの提案を拒むのは、ただの石頭ではない。過去に救えなかったものへの痛みと恐れが、兄を縛っている。
胃の奥が重く沈む。学院の空気が急に冷たく感じられた。
「ステラが危険に晒されると…?」
兄は頷いた。
「ああ。もしステラの考えが支持を集めれば、奴は黙っていない。ステラに何をするかわからない」
ステラの笑顔が脳裏にちらつく。ガゼボで紅茶を前に語った夢―平民を学院に迎え入れる未來。あの眩しさが、血に染められるかもしれない。想像しただけで胸が締め付けられた。
「…兄さんが食い止めてくれていたんだね」
声はかすれていた。兄は照れ隠しのように横を向き、「面倒ごとを起こさないためだ」と言った。
「だから、俺たちが卒業するまで、大事にはしたくない。下の学年には奴ほど危険な人間はいないはずだ」
兄の言葉は理屈として正しい。だが、ステラの存在感は理屈を超えていた。学院を変えようとするその意志は、誰にも止められない。
「この話、ステラが聞いたら何をしだすかわからない。あいつの身を守るためにも、絶対に言うなよ」
「わかってる。ありがとう、兄さん」
ステラに代わって礼を言う。だが心の奥では、彼女に真実を隠すことへの罪悪感が膨らんでいた。彼女の強さを知っているからこそ、黙っていることが苦しかった。
「しかし、お前も大変な奴の補佐になったな」
「頭の打ち所が良かったんだか悪かったんだか」
「本当にな」
二人の笑い声が部屋に響いた。
だがその笑いの裏で、ステラの影が強く揺れていた。
彼女の存在は、学院の均衡を揺るがす光そのものだった。




