1.誘拐
その日は王都から帰る途中だった。
父は主に王都で仕事をしている。
時々領地にも帰ってくるが、王都にいることも多く、私は父に会いに行くという名目で王都に遊びに行くことがあった。
当初は母と妹も一緒に来る予定だったが、前日に妹のフィオナが熱を出してしまったため、私一人で行くことになった。
よくあることだったし、以前のステラは父をひとりじめできることを喜んでいた。
私の侍女として付き添ってくれるアンと共に、王都に足を運ぶ。
侍女のアンは、長くてきれいな黒髪を一つに束ねた美しい女性だ。彼女は、以前の不遜なステラでも、今の|私でも、変わらずに態度を一貫していた。
以前のステラは、使用人を見下すこともしばしばで、些細なことで使用人を叱ったり、我儘を言っては困らせていた。その為、ほとんどの侍女は上辺だけで私の相手をしていたが、アンだけは、いつも真摯に向き合ってくれていた。
そんな記憶があったので、私はこの侍女のことが大好きだった。
王都までは馬車でも1日がかりの旅だ。
この世界、旅の途中で盗賊や魔獣といったものに襲われるのも珍しいことではないので、いつも護衛を雇う。
王都には、オトムスタ領公爵の家があり、父はそこから王宮へ仕事に行く。
王都と領地を行き来しており、高位貴族というのは忙しいようだった。
そんな中、父は私と夕食を共にし、話し相手になってくれた。
その夜、なんとなく寂しい気持ちになって、父の寝室に行く。
「お父様、一緒に寝てもいいですか…?」
そう聞くと、ステラは甘えん坊だなと私を抱き上げ、ベッドに寝かせてくれた。
前世の記憶が甦ったとはいえ、ステラとして生きてきた心は、この人を父親として甘えられる存在であることを忘れていない。
翌日は王都の街中をアンとともに散策する。
私のいるオトムスタ領も国の第二の都市と言われるだけあって、賑わいがある方だと思っていたが、やはり王都は別格だった。
異国からくる見たことのないもの、目新しいものに心を弾ませながら通りを歩く。
市場の方では屋台からおいしそうな匂いが漂っていたが、アンから制止され食べることはできなかった。
代わりに入った瀟洒なお店の紅茶とケーキもおいしかったけど、屋台で売っているお肉を串からガブリと行きたかったのが本音だ。
貴族令嬢って、こういうところが不便。
翌朝、父と同時に家を出る。早く帰らないと、暗くなってしまい野党や魔獣に狙われやすくなってしまう。
「ブリジットとフィオナにもよろしく伝えておいてくれ」
父はそう言って王都の方へ馬で向かった。
私は逆方向を向いている馬車に、王都で買った母と妹へのお土産と共に乗り込む。
いつも通りの王都からの帰り道。
護衛もついているし、今まで通り家に帰れると思っていた。
そして、ここが平和な日本ではないことを身をもって知ることとなる。
馬車は山道の終盤にさしかかっていた。この山道を抜けるとまもなく領地の街が見えてくる。
馬車の中でいつの間にか眠っていた私はすぐに異変に気づけなかった。
キンー、と金属がぶつかり合う音と、争うような声に目が覚める。
向かいに座っていた侍女のアンがいつの間にか隣に座って私を守るように抱きしめながら、外の様子を伺っている。
バンッと馬車の扉が開かれると、髭をぼうぼうに生やしたいかつい男が私たちを見て、強引に腕を引っ張り馬車から降ろされた。
「女とガキだ!」
これは、盗賊!?
まだ日のある時間だ。
しかも、街の近くに出てくるなんて。
周囲を見ると血を流して倒れているのは護衛の面々だった。
このままだと殺される。いや、売られるか。
この世界では人身売買が当たり前に行われていると聞いた。
せっかく公爵令嬢になって色々やってみようと思っていた矢先、こんなことになるなんて。
でも、まだ諦めるのは早い。
私はありったけの声を出した。
「助け、んんー!」
助けを呼ぶ声は途中で男の手に塞がれた。
「黙れガキ!」
パンッと頬をはられる。
初めて殴られて、頭が真っ白になった。
両手足を縛られ口をふさがれる。アンも同じような状態になっていた。
そのまま、私は麻袋に入れられ、男に担がれて連れ去られる。
何も見えない。
どうしよう。
このままだと、奴隷か娼館か。
最悪このまま殺される。
何とか逃げるすべを考えなきゃ。
逃げ出そうともがくも、手足はがっちりと紐で縛られて痛くて身動きができない。
そうこうしていると、おろされる気配を感じた。
地面、いや、たぶんだけど床板?
麻袋から外を覗こうとするが、袋の口はしっかりと閉じられている。
私の周りに、物が置かれていく気配がする。さしずめ、私たちの馬車や護衛の装備から奪ったものか。
大したものはなかったはずだが、馬車についている公爵家のエンブレムは金でできているし、アンが持っていたいくらかのお金や、些細なお土産なんかもすでに盗賊たちの手の中だろう。
「頭、女いいですか?」
「早く済ませろよ」
「ヘイ」
汚らしい会話が聞こえた。
考えたくもないおぞましい想像が頭をよぎる。
まさか、アンがそんな目に…?
アンのピンチに袋の中で暴れても、外の世界は遠く、誰の耳にも届かないようだった。
そもそも口が塞がられているからまともに声も出ないし、暴れるといっても両手足が縛られているから身動きできるのはごくわずか。
「おい」
頭と呼ばれる男の声だ。いったん暴れるのをやめて静かにする。
「新しいヤツだ。試しに使ってみろ」
誰に何を使う気?
考えなくてもわかる。
抗議の声をあげても、全く届かない。
どうしてこんなことに…。
今までの行いのツケが回ってきたってことだろうか?
両目から涙があふれて、後悔の嵐が脳内を吹き荒れた。




