表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無効化令嬢の恋と改革  作者: 鴨治玲


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/62

16.前世

いつもロイ様の家に行く日は、楽しみで早く起きてしまう。

けれど最近は、ルカ様に避けられているような気がして、布団の中でぐずぐずと時間を引き延ばしてしまう。

目を閉じて見ても、前回の訓練の失敗や自分の失言が頭をよぎるばかりだった。


そんな朝、アンが用意してくれた服をみて、私は思わず眉をひそめた。

黒の長ズボンにサスペンダー。襟元に赤いリボンが付いたフリルシャツ。

乗馬の時以外にズボンをはくことは滅多にない。動きやすくて嫌いではないけれど、今日の予定にはそぐわない気がした。


「どうして今日はこれなの?」

問いかけると、アンは少し間をおいて答えた。

「ロイ様のご指示です」

その言い方に、どこか棘のようなものを感じて、それ以上は聞いてはいけない気がした。


訓練は今日も思うようにいかなかった。

無効化の魔法は、成功と失敗を繰り返している。最近は特に、失敗の方が多い。

ロイ様が静かに問いかける。

「魔法は心理的な影響を受けやすい。何か悩み事でもある?」

言いかけて、飲み込んだ。

ルカ様に避けられているかもしれない―そんな個人的なことを、ロイ様に打ち明けるべきではないと思った。


ロイ様はそれ以上何も言わず、静かに告げた。

「少し早いけど、今日はおしまいにしましょう」


不甲斐ない自分が嫌になる。

どんな心の状態でも、魔法を使えるようにならなければならないのに。


階段へ向かってドアを開けると、そこにルカ様がいた。

思わず息を呑む。胸が跳ねる。

驚きと、再会の喜びが一気に押し寄せてくる。


私の顔を見たルカ様は、ゆっくりと階段を上がってきた。

「なんか、久しぶりだね」

少し照れたような笑顔が、胸の奥を優しく打つ。


後ろにいたアンに、ルカ様が声をかける。

「それじゃ、ステラをお借りしますね」


え、どういうこと?


「ご承知のことと思いますが、くれっぐれもお嬢様にケガを負わせないでくださいね」

アンの言葉に、ルカ様は少したじろぎながらも「わかってます」と答えた。


「じゃ、行こう」

そう言って私の手を取る。

優しく、でも迷いのない力で引っ張っていく。

「え?え?」

戸惑いながら振り返ると、ロイ様がにこやかに手を振っていた。

まるで、すべてを知っていたかのように。


馬に乗って森の中に入っていく頃には、ようやく頭の中が整理されてきた。

どうやらこのお出かけは、アンとルカ様たちとの間で事前に決まっていたらしい。

いきなりのことで驚いたけど、久しぶりにルカ様に会えたこと、そしていつもと変わらない態度で接してくれたことが、何より嬉しかった。


避けられていると思っていたから―。


背の高い草木を抜けると、視界がぱっと開けた。

そこには、青く澄んだ湖が広がっていた。

湖面は陽光を受けてキラキラと輝き、風に揺れてさざ波が立っている。


「きれい…」

思わず漏れた言葉は、胸の奥に焼き付くような感動を伴っていた。


「こんな素敵な場所が近くにあったなんて…」

「知らなかった?」

「はい」


湖から視線を外し、隣に立つルカ様を見上げる。

その横顔は、どこか決意を秘めているように見えた。


「ところで、どうしてここへ?」

少しの沈黙の後、彼は静かに答えた。

「…二人きりで、話がしたかったんだ」


その言葉に、胸が跳ねる。

淡い期待をしてはいけないと思いながらも、心が勝手に浮き立ってしまう。

けれど、次の瞬間―


「ステラ」

真剣な眼差しが私を射抜く。

風が吹き抜け、鼓動と連動するように湖面を揺らす。

髪がなびき、手で押さえたその瞬間、思いがけない言葉が耳を打った。


「君は何者だ?」


意味を測りかねていると、さらに衝撃的な言葉が続く。


「どうして、沖田総司を知っている?」


頭が真っ白になる。

―どうしてルカ様がそのことを?

思考が追い付かず、脳がパニックを起こす。

けれど、ルカ様は容赦なく言葉を重ねる。


「君と初めて出会った日、君は覚えていないかもしれないが、確かに呟いたんだよ。沖田総司の名前を」


記憶に…ない。


あの日、アンが目を覚ましたところまでは、はっきりと覚えている。

でもその後の記憶が、ぽっかりと抜け落ちている。

次に意識が戻った時は、もう自室のベッドの上だった。

ルカ様に抱えられて帰宅したと、後からアンに聞かされた。

きっとその間に、私は無意識のまま、“あの名前”を口にしてしまったのだろう。

推しの名を、寝言で―。


よりによって、それを聞いたのが、

前世が沖田総司だったかもしれないルカ様だったなんて。


「驚いたよ。まさかこの世界でその名前が出てくるなんて思わなかったから」

ルカ様はどこか自嘲的に笑いながら続けた。

「最初はさ、俺と同じ前世の記憶を持ってるのかと思った。新選組の誰かか、八木家の人間か、あるいは長州や敵対する誰かかもしれないって」


けれど―と、彼は私をまっすぐに見つめる。

「君を見ていても、誰にも思えなかった。…君は、いったい何者なんだ?」


鳶色の瞳が揺れている。

疑いと、戸惑いと、ほんの少しの期待が混ざったようなまなざし。


私は、その瞳から目をそらさずに、静かに息を吸った。


「やっぱり…あなたは沖田総司様なんですね」

言葉にした瞬間、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。

それは確信というより、祈りに近かった。

けれど、ルカ様の瞳がわずかに揺れたのを見て、私は確信に変わるのを感じた。


彼は息を呑んだように見えた。

「いつから気づいていた?出会った時から?」

私は首を横に振る。


「気づいたのは最近です。その刀」

視線を彼の佩刀へと向ける。

「大和守安定、ですよね?」

その名を口にした瞬間、ルカ様の目が大きく見開かれた。

その反応が、何よりの答えだった。


「沖田総司の愛刀と言われてましたから。確証はなかったけど、もしかしたらって…」

「なぜこれが安定だとわかった?」

「レン様が、ルカ様は刀に名前を付けているっておっしゃっていたので」

「…あいつ、本当におしゃべりだな」

口調は呆れたようだったが、どこか楽しげでもあった。

その様子に、思わず微笑んでしまう。


けれど、次の瞬間には空気が変わった。


「で?安定まで知っている君は、何者なんだ?」

口角は上がっているが、瞳はするどく、まるで刃のように私を見据えてくる。

その視線に思わず息を詰めそうになる。


けれど―、逃げてはいけない。

私は静かに息を吸い込んだ。


そして、その瞳と正面から対峙した。


今度は―、私の番だ。

私の正体を、話す番だ。


「私は…、沖田様が亡くなってから約160年後の日本で暮らしていた者です」

声が震えないように、ゆっくりと言葉を選ぶ。

「ごく普通の、沖田様とは何の関係もない人間でした。―前世の記憶として、それを持っているだけです」


風が湖面を撫でるように吹き抜ける。

水のさざめきと、遠くで鳴く鳥の声だけが静寂を破っていた。


「…160年後?」

絞り出すような声に、私は静かに頷いた。


「どうしてそんな未来の人間が、俺のことを知っているんだ?」

疑念を含んだ瞳が、私を試すように見つめる。


「新選組の活躍は、小説や映画になって語り継がれていて…あ、この世界には映画はまだありませんよね」

言いながら、わかりやすいたとえを探す。

「えっと…忠臣蔵、ってご存じですか?」

「赤穂浪士の?」

「はい。沖田様が生まれるより前の話ですが、忠臣蔵の様に、新選組も劇や本で語り継がれているんです」


ルカ様は、信じられないような顔で私を見つめる。

「俺たちが……そんな風に?」

「はい。池田屋事件の話が特に有名です」


思わず熱が入ってしまう。

「そういえば池田屋で沖田様が倒れた原因って喀血だったんですか?」

「え、いや…あの頃はまだ。やたら暑くて、途中から意識がもうろうとしてた記憶はあるけど…」

「やっぱり熱中症だったのかも。昔は喀血って言われてましたけど、最近の研究では熱中症説もあって…」

我に返る。

「すみません、つい…」

「いや、…本当に俺たちの話が残っているのか。じゃあ、俺が死んだ原因も?」

「労咳、ですよね」

ルカ様は小さく頷いた。

「本当に…知ってるんだな」

ため息のような声に、少しだけ安堵が混じっていた。


彼の表情に、静かな愉快さが滲んだ。

「勇さんや歳さんにも教えてやりたいな。二人とも絶対喜ぶ。…でも歳さんは、からかうなって怒りそうだ」

そう言って笑ったルカ様の目に、涙が浮かんでいた。

その涙は彼自身も予想していなかったようで、そっと背を向けて座り込む。

私は彼の背中を見つめ、そっと背中合わせに座った。

けれど、互いの背は触れ合っていない。


その距離感が―今の私たちだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ