15.正体
彼女が帰った頃を見計らい、ゆっくりと蔦の這う家へ戻る。
部屋にはいつもの三人が揃っていた。
「ただいま…」
妙な空気に、胸の奥がざわつく。嫌な予感がする。
「お帰り」
レンが向かいの椅子を指さし、無言の合図で座るよう促す。
「猫がお前から餌をもらえなくて悲しんでるぞ」
目の前には、回復の飴が入った缶が置かれていた。
レンが言う“猫”がジェットではなくステラのことだと、すぐに察した。
「あいつは何も言わないけど、態度でバレバレなんだよ。あいつ、お前に何かしたか?」
首を振る。何かされたわけではない。
「なら、なんで避ける」
予感は的中した。
彼女を避けていることに、彼らは気づいていた。
―あの日、帯刀していた刀を見て、彼女は「日本刀」と言った。
この国に、いやこの世界に、そんな言葉はない。
最初に聞いた、前世の名も聞き間違いではなかったのだと、改めて思い直した。
それだけじゃない。
ステラは時折、誰も知らないような言葉をぽつりと口にする。
レンたちが「それって何?」と聞いても、彼女は笑って誤魔化すだけだった。
俺は、その笑顔がずっと気になっていた。
あれは知らないふりをしている顔だ。
レンたちと彼女が国について語り合う姿に、前世の道場の仲間たちが重なって懐かしさを覚えた。
それでも彼女があの中の誰かだとは思えなかった。
明るくて、志があって、自分に懐いてくる姿はかわいかった。
いつしか、妹のように思えていた。
ずっとそう思えたらよかった。
でも―、彼女は自分と同じ前世の記憶がある。
しかも、俺を知っている。
俺のことを知っているのに、何も言ってこない。
善人のふりをして人を騙す者は、世の中にいくらでもいる。
俺はそれを、痛いほど知っている。
彼女もそうなのか。
年相応に泣いたあの顔も、目が合うと照れたように笑うその表情も、演技だったとしたら。
そう考えると、怖くなった。
…いや、考えすぎかもしれない。
あの子がそんなふうに人を騙すとは、どうしても思えない。
でも、もしそうだったら―、そうだったら俺は…。
問いただして誤魔化されたら、きっと俺は彼女に失望する。
今まで通りには接することができない。
それなら、いっそ最初から顔を合わせない方がいい。
そう思って、わざと家をあけるようにしていた。
―あからさまだったかもしれない。
彼女は皆に好かれている。
そんな子が悲しそうにしていたら、いつかこうして問われる日が来ると、予感していた。
口を開こうとした瞬間―、
「ちょっと待て。ルカはステラ嬢を避けてたのか?」
ハロルドの一言に、部屋の空気が一瞬止まる。
「…お前、気づいてなかったの?」
「いや、最近ルカがいないなとは思っていたが…」
ロイが盛大にため息をつく。
「あんたって剣の腕は一流なのに、人間関係は木剣並みよね」
「木剣並みってなんだ!俺は誠実に―」
「誠実に鈍いのよ」
自分だけが気づいていなかったことを知ったハロルドは、むくれたように俺に向き直る。
「ルカ。何があったかは知らんが、小さい子相手に無視は良くない」
「小さい子って…お前、それステラが聞いたら嫌われるぞ」
レンが即座に突っ込む。
「いや、そういう意味じゃなく...!あの、若くて、可憐で、えーと…」
「取繕えば取繕うほど墓穴掘ってるぞ」
「頼む…!ステラ嬢には黙っててくれ…!」
―もうだめだ。我慢できない。
久しぶりに笑いがこみあげてきた。
吹き出した笑いは止まらず、他の二人にも伝染する。
真面目で、まっすぐで、ちょっとズレてるハロルド。
良順先生に言われるまで俺の病に気づかなかった、あの人の姿が重なった。
「俺、ハロルドのそういうところ好きだよ」
「真面目に聞け!」
顔を真っ赤にして怒るハロルドが、余計に笑いを誘う。
「うん、ごめん。無視は良くないよね」
笑いすぎて出た涙を指でぬぐう。
「…あの子が何かをしたわけじゃないんだ。俺自身の問題だから」
「で?これからも避けていくのか?」
レンの厳しい声に、首を横に振る。
このままでいいとは思っていない。
「…ただ、一度彼女と二人だけで話がしたい」
そう言ってロイを見る。
公爵令嬢を平民と二人きりにするなど、侍女が許すはずもない。
前回は公爵の許しがあったからこそ、特例だった。
だけど、こういうことはロイに頼めば、なんとかしてくれる。
「二人きり?」
頷く。
「フェナは?」
監視のフェナカイトは見るだけだから、話を聞かれることはない。
「もちろん、つけてくれて構わない」
ロイは少し思案しつつも、「しょうがないわね」と請け負ってくれた。
※※※
久しぶりに彼女に会う。
そのことに緊張している自分に気づく。
人を斬る時とも、魔獣と対峙する時とも違う、馴染みのない緊張感。
そろそろだろうか。
階段の下から二階を見上げると、ちょうどドアが開く音がした。
下にいる俺の姿を見て、ステラは驚いたように立ち止まる。
階段を上がり、彼女を迎えに行く。
「なんか、久しぶりだね」
「はい…」
後ろにいた侍女に声をかける。
「それじゃ、ステラをお借りしますね」
「ご承知のことと思いますが、くれっぐれもお嬢様にケガを負わせないでくださいね」
その圧は、どんな魔獣の圧よりも強くて怖い。
「わかってます」
そう言って、ステラの手を取って家を出る。
「え?え?」
ステラは何も聞かされていなかったのか、混乱しているようだ。
「そうだ」
立ち止まって、回復の飴を取り出す。
「ステラ、あーん」
彼女はひな鳥のように素直に口を開ける。その姿につい笑みがこぼれる。
口の中に飴を入れてやる。
「よし。じゃあ、行こう」
馬にはあらかじめ鞍をのせて準備してあった。
ステラを抱き上げて乗せる。
「ど、どこへ行かれるんですか?」
まだ状況が飲み込めていない彼女は、不安げだ。
「秘密」
後ろに乗り、彼女が落ちないように馬を走らせる。
前回より安定して乗っている。
「あれから馬には乗った?」
「はい。乗馬の授業を再開して、何とか乗れるようになってきました」
「ステラは呑み込みが早いからね」
「そんなことありません。中々言うこと聞いてくれなくて困ってます」
「頭いいからな、馬は」
他愛のない話をしながら、森の中へ入っていく。
背の高い木がまばらに生えていて、思ったより光が差し込んでいる。
馬は手綱に従い、落ち葉を踏みしめる音を響かせながら進む。
長く育った草を抜けたその先に、ぽっかりと開けた空間があった。
そこには、静かな湖が広がっていた。
草に囲まれた緑と、青く澄んだ湖のコントラストが眩しい。
湖面は陽光を受けて、きらきらと宝石のように輝いている。
「きれい…」
ステラが小さく呟いた。
その声を聞いて、同じように感じてくれたことが嬉しかった。
先に馬を降りてから、ステラを抱えて滑るように地面へ降ろす。
馬の手綱を引いて湖の縁へと導くと、喉が渇いていたのか、馬は勢いよく水を飲み始めた。
陽はやわらかく、春がすぐそこまで来ていることを教えてくれる。
飲み終えた馬を近くの木に繋ぐと、草を食み始めた。
「こんな素敵な場所が近くにあったなんて…」
「知らなかった?」
「はい」
ステラがこちらを振り返る。
「ところで、どうしてここへ?」
風が吹き抜け、彼女の髪が揺れる。
その一瞬の静けさの中で、俺は言葉を選ぶ。
「…二人きりで、話がしたかったんだ」
ステラの瞳がわずかに揺れる。
けれど、逃げるような色はなかった。
「ステラ」
俺は、手の中に握りこんだ指先に力を込める。
「君は―何者だ?」
彼女の目が見開かれる。
「どうして、“沖田総司”を知っている?」
風が止まり、世界が制止したような感覚に包まれる。
ステラは、何も言わず、ただ俺を見つめていた。
その瞳の奥に、驚きと―覚悟のようなものが、確かにあった。




