13.恋心
眠れない夜。
私はベッドの上で、胸に芽生えた感情と向き合っていた。
一旦は閉めようとした心の扉は、気づけば開いていた。
もう、認めるしかない。
私は―、ルカ様が好きだ。
けれど、その想いは最初から届かない場所にある。
彼は明らかに私を子ども扱い、下手したら猫扱いしている。
それも当然だ。自分が18歳の頃、小学生を恋愛対象に見ただろうか?
否。
100%無理。
しかも私は公爵令嬢、彼は一介の冒険者。
この国では、結婚は家と家の契約。貴族は家柄を守るため、同等かそれ以上の相手と結ばれるのが常識だ。
身分違いの恋など、夢物語に過ぎない。
姉は王家傍流の血を引く宰相の子息と婚約している。学院を卒業すればすぐに嫁ぐ予定だ。
母に似た姉は、プラチナブロンドの髪に真珠のような肌、優しげな目元と控え目な唇が愛らしい。
性格も穏やかで聡明。幼い頃から縁談が絶えなかった。
妹もまた、姉に似た容姿を持ち、将来は引く手あまただろう。
私はというと―、
勝気そうな顔に、黄色味の強い癖毛のブロンド。姉と似ているのは青い目の色くらい。
かつての私は高慢で我儘。婚約話など一度も来なかったし、「王子以外ふさわしくない」とまで言い放った。
ああ、思い出すだけで穴があったら入りたい。
今の私は、好きでもない相手と結婚するくらいなら独りでいたい。
だから婚約者がいないことは、むしろありがたかった。
―でも、好きな人と結婚できるとも思えない。
駆け落ちなんて現実的じゃない。
それに、ルカ様が私に恋愛感情を抱いていない以上、どうにもならない。
「やっぱり、諦めるしかないか…」
呟いた言葉は、冷えた部屋に吸い込まれていった。
昔から、私は恋を諦めてばかりだった。
好きになっても言い出せなかった。
相手には別の想い人がいたり、そうでなくても、好意を向けて変に思われるのが怖かった。
無駄に高いプライドが、素直になる事を許さなかった。
その余った感情は、やがて『推し』への愛に変わった。
眠れない夜になんとなく見ていた、昔の映画。
時代劇で歴史上の人物を演じる俳優。
演技が良かったのか、顔が好みだったのか、もう覚えていない。
ただ、私はその人物像に惚れ込んだ。
それからというもの、歴史書を読み漁り、関連作品はほぼ観た。墓参りは叶わなかったが、縁の地を訪ね歩いた。
推し活は楽しかった。
完璧で、傷つくこともない。
触れられないからこそ、安心して愛せた。
でも―、ルカ様は違う。
彼は、手が届きそうで、届かない。
笑顔も、声も、すぐそばにあるのに、心には触れられない。
推しは理想だった。
けれど、ルカ様は現実だ。
だからこそ、怖いし、苦しい。
それでも、私は彼を好きになってしまった。
どれだけ自己分析をしても、彼への思いは消えなかった。
※※※
朝になっても眠気は抜けず、ぬくぬくとした布団から出るのがつらい。
けれど、アンの一言で一気に目が覚めた。
「今日は、お買い物に行くのではありませんでしたか?」
―そうだ。今日は祝祭の準備だった。
この国は、日本と似た気候で今は冬。
年越しと年明けを祝う祝祭期間に、貴族も平民も一年の労をねぎらう。
魔除けや幸運をもたらすと言われるヤドリギやヒイラギを飾り、街も家も華やかに彩られる。
領主館でも舞踏会が開かれるため、母と妹と共にドレスや飾りを買いに出かけることになっていた。
曇り空の下、街は祝祭の準備で賑わっていた。
久しぶりの外出に、妹のフィオナははしゃいでいる。
白い毛皮のガウンが、ぬいぐるみのように彼女を引き立てていた。
雑貨店の中は、ヒイラギの緑と赤で華やかに飾られている。
私自身も、祝祭の飾り付けが好きだった。
前世でも、クリスマスには小さなツリーを飾り、かわいいオーナメントを見つけるとつい買ってしまっていた。
店には星や雪だるま、動物を模した飾りが並び、目移りしてしまう。
いくつかを厳選して、買ってもらった。
次はドレスの採寸。店はすぐ近くだ。
フィオナが先を歩いていた時、横から来た人にぶつかって転んだ。
「フィオナ!」
慌ててかけよると、ぶつかった相手が彼女を助け起こしてくれた。
「大丈夫?」
その声に、私は顔をあげる。
―緑の瞳と、目が合った。
「レン様!」
その後ろには、ルカ様、ハロルド様、ロイ様の姿もあった。
レン様は黒いフード付きのケープを羽織り、手にはショートボウ。
冒険者の姿を見るのは初めてで、すぐには気づけなかった。
ロイ様は母に気付くと、フードを取って丁寧に挨拶する。
その間に、レン様はフィオナの頭を撫でていた。
「かわいいな。妹?」
「はい。フィオナ、ご挨拶は?」
人見知りな妹は私の後ろに隠れてしまう。
その様子に、レン様は「似てないな」と笑った。
「皆様、お仕事ですか?」
「この時期は稼ぎ時でね」
レン様が親指で示した先には、冒険者ギルドがあった。
「これなんだと思う?」
彼が掲げた小さな袋。中身は見えない。
「なんですか?」
「…サロアン牛」
耳元でささやかれたその名に、私は思わず目を見開いた。
幻の魔獣。美味と名高く、滅多に手に入らない。
私も食べたことがない。
「いいなー!私も食べてみたいです!」
「悪いな。俺たちの分しかないんだ」
「もう、ただの自慢じゃないですか!」
レン様はいたずらっ子のように笑い、その後ろで、ルカ様も笑っていた。
祝祭期間の間、修練はお休みになったから、しばらく会えないと思っていた。
けれど、こうして偶然に会えた。
それだけで、私の心は春のように温かくなる。
ふと、彼の腰に下げられた剣に目が留まった。
―あれは…。
「ルカ様、それは…日本刀ですか?」
その瞬間、彼の表情がわずかに強張った。
けれど私は、剣に見入っていて気づかなかった。
「これ、ニホントウって言うの?」
レン様の問いに、私ははっとする。
しまった。この世界に“日本”は存在しない。
「東方の剣だと聞いたことはあるが、そうなのか?」
レン様とハロルド様が、ルカ様に視線を向ける。
彼は少し気まずそうに、短く「うん」とだけ答えた。
何かを言いかけた彼の言葉を、母の声が遮る。
「ステラ、行きますよ」
母の声に振り向き、私はあわてて返事をする。
「はい、今行きます!」
「では皆様、失礼いたします」
「おう、またな」
別れの挨拶を交わし、私はフィオナの手を引いて母の元へかけよった。
胸の奥に、ひやりとしたものが残っていた。
―日本刀。
ルカ様の腰にあった、あの拵え。
この世界に“日本”は存在しないはずなのに、なぜ彼はそれを持っていたのだろう。
私の不用意な一言で、彼の表情が曇った。
あの「うん」は、肯定というより、何かを隠すような響きだった。
…余計なことを言ってしまった。
後悔と不安が胸を締めつける。
けれど、振り返る勇気はなかった。
ピンチを切り抜けたような安堵と、彼の視線に気づけなかった悔しさと―
心の中は、祝祭の街の喧騒とは裏腹に、静かに波立っていた。
※※※
その夜、私はまた眠れなかった。
昼間の出来事が、何度も頭の中で再生される。
ルカ様の笑顔。
日本刀を見た時の、あの一瞬の沈黙。
そして、私の不用意な言葉。
怪しまれた?怒った?…嫌われた?
そう思うと、胸が苦しくなる。
けれど、それでも―
彼に会えて、嬉しかった。
ほんの少しでも、彼のことを知れた気がして。
それだけで、胸の奥がふわっと軽くなる。
恋とは、こんなにも切なくて、こんなにも温かいものだったのだと、私はようやく知ったのだった。




