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無効化令嬢の恋と改革  作者: 鴨治玲


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11.侍女の隠しごと

男爵家の庶子として生まれた私。

幼くして母を亡くし、父に引き取られたものの、そこに私の居場所はなかった。

正妻の目は冷たく、兄姉たちの視線には、いつも「余所者」と書かれていた。

食卓では言葉を交わすこともなく、部屋では物音を立てないように息を潜めていた。

地元の学校に通わせてもらった後、行儀見習いの名の下、オトムスタ領公爵家の侍女として奉公に出されることになった。

家を追い出された―そう言えば聞こえは悪いけれど、私にとっては好都合だった。

あそこにいたくない。

それだけが、私の願いだった。


そして、ステラ様に出会った。


彼女はまだ2歳。言葉もおぼつかず、ふらふらと歩く姿は、まるで風に揺れる花のようだった。

初めて顔を合わせた日、彼女は私の指先に触れると、ぎゅっと握り返してきた。

その小さな手の温もりに、遠い記憶が甦る。

誰かに触れられることが、こんなにも心を揺らすとは思っていなかった。

あの瞬間、私は初めて必要とされていると感じた。

それからの日々、ステラ様は私の後をついて回り、泣けば私の袖を掴み、眠る時は私の膝を枕にした。

ある夜、ステラ様が熱を出して寝込まれた。

看病のために他の侍女が交代を申し出てくれたが、私は首を横に振った。

ステラ様がふっと目を覚ました時、私の顔を見てほっとするようにまた眠りにつく姿に、自身の役割以上の情が胸に沸いた。

ただの侍女ではなく、ステラ様の居場所になりたいと分不相応にも思ってしまったのだ。


それからのステラ様は、妹君が生まれたあたりから少しずつ我儘に、高慢に育っていかれた。

何とか諭そうとしたけれど、侍女である以上、強く言えることはできなかった。

それでも、彼女が泣けば背をさすり、怒ればそっと距離を取り、誰よりも彼女の心の揺れに寄り添おうと努めた。


ステラ様が10歳になったある日、初めての乗馬に挑まれた。

少しづつ慣れてきた次の瞬間、馬が何かに驚いて跳ね、ステラ様の小さな身体が宙を舞った。地面に倒れた彼女は、動かなかった。

幸い、骨折などの大きな怪我はなかったが、頭を強く打ち、しばらく目を覚まさなかった。

「因果応報だ」

使用人の中には、そんな言葉を口にする者もいた。

でも私は、ステラ様がこのまま目覚めなかったら―、そう思った瞬間、今までで一番の恐怖に苛まれた。

だからこそ、目が覚めた時の安堵感は、何ものにも代えがたいものだった。

けれど、目覚めたステラ様は、まるで別人のようだった。

我儘も言わず、高慢な態度も消え、むしろ素直で謙虚で、まるで別の魂が宿ったかのように―。

最初は私も戸惑った。

公爵夫妻も、使用人たちも皆が恐る恐る様子を窺っていた。

けれど、日が経つにつれ、彼女の変化は「異常」ではなく「成長」だと受け止められるようになっていた。

「敬称なんていらないわ。名前で呼んで」

公爵令嬢らしからぬその言葉に、最初は戸惑ったが、やがてそれも彼女の魅力として受け入れられていった。


その矢先のことだった。

私たちは盗賊に襲われた。数少ない護衛がやられ、絶望的な状況だったが、偶然通りかかった冒険者たちによって助け出され、命拾いをした。

その時はまだ、彼らがステラ様の運命を大きく変える存在になるとは、夢にも思っていなかった。


貧民街へ行きたい―。

生まれ変わったかのようなステラ様は、時折、突拍子もないことを口にされる。この時もそうだった。

反対の言葉は彼女の反撃によって封じられてしまったが、きっと旦那様が止めてくださる。

「公爵令嬢が貧民街など」と―。

けれど、執事長を通して返ってきた旦那様の答えは、私の予想を裏切るものだった。

「行かせてもよい」と―。

思わず声をあげそうになった私を執事長が静かに制した。

「何かあった場合は、彼らが責任を持つと。旦那様のご意向だ。我々にそれを覆す権利はない」

その口調は、いつも以上に厳格で揺るぎなかった。

公爵家の決定を、侍女の私情で覆せるものではない。

それはわかっていた。

それでも、ステラ様をあの場所へ行かせることに、私はどうしても不安を拭えなかった。


ステラ様が貧民街へ向かわれた後、ロイ様に呼び止められ、私は屋敷の奥へと足を運んだ。

いつもなら控えの椅子に座るところを、今日はステラ様の定位置である椅子へと促される。

目の前に紅茶が置かれ、ロイ様が微笑む。


「ステラには黙っててほしいが、今後のためにも、あんたには俺たちのことを話しておこうかと思ってね」

向かいに座るレン様が足を組んで、少し尊大な態度をとる。

「あんたから見て、俺らはどう映る?」

「…僭越ながら、レン様は王侯貴族、…王族に連なる方かとお見受けしています」

「勘のいい侍女だ」

彼は唇の片端をあげて笑う。


「その通り。俺はこの国の第三王子、アレン・ヴィレルだ」


その瞬間、私は胸の奥がひやりと冷えるのを感じた。

公爵家の令嬢に仕える侍女として、王子と対面していたとは―。

「この二人は俺の護衛ってとこだな」

レン様が左右に目配せをする。ロイ様とハロルド様が、静かに頷いた。


旦那様が彼らに向ける妙な信頼感。

冒険者とは一線を画す身なりと振る舞い。

なんとなく、ただ者ではないとは思っていた。


けれど―

第三王子とは。

まさか、王位継承権を持つ方だとは、夢にも思っていなかった。


ステラ様は、貴族の中でも特に高位の令嬢。

同じ貴族であれば、彼女にあのような態度はとれない。

ならば、王家の血を引く者―そう考えたことはあった。


「ちなみにステラは、俺のことを何だと思ってる?」

試すような口ぶりだった。

「貴族ではないかと感じているようですが、王子だとは微塵も思っていないかと」

「それならいい」

レン様は、どこか安堵したように目を細めた。


「公爵は俺たちの素性を知っている。だが、ルカに関してはあまりいい顔をしていない。先日話した通り、あいつは本当に平民だ。だから、今日二人で行かせたことは、公爵には黙っていてほしい」

「承知いたしました」

王子の言葉に、侍女ごときが逆らえるはずもない。

「でだ、俺が王子だと知ったらステラは今までの態度を改めてしまうだろ。俺はそうなってほしくない。あいつには今まで通り、対等に話してもらいたいんだ」

「お嬢様にも内密にという事ですね」

「ああ」

少しだけ、呼吸を整えてから口を開いた。

「失礼を承知の上で、お尋ねしてもよろしいですか?」

「答えられることならな」

「ルカ様はこのことを知っていらっしゃるんですか?」

「知っている」

知った上で、あの距離感なのか。

まるで友人のような―いや、もしかしたら本当に友人なのかもしれない。

ルカ様と接している時のレン様の姿は、ロイ様やハロルド様といる時とは、どこか違って見えた。

目の前の王子は、ふっと笑みをこぼす。

「色々、質問したいだろ」

図星をさされた。

「後はロイ、お前に任せる」

レン様は立ち上がり、ハロルド様を伴って部屋を出ていった。


残された紅茶の香りが、少しだけ現実に引き戻してくれる。

私は、深く息を吐いた。

ロイ様はカップを片付けて、温かい紅茶を入れ直してくださる。

「びっくりしたでしょう?」

「はい…」と答えると、「その割には顔に出ないのね」と、くすりと笑われた。

「これからも、今回のようなことがあるかもしれないと思ってね。いっそのこと、あなたに話しちゃった方が色々と都合がいいかなって」

「そうですね。今までのこと、納得がいきました」

頷く私に、ロイ様は「なんでも質問していいわよ」と、穏やかに促してくださる。

少しだけ迷ってから、口を開いた。

「…では、なぜ偽名で冒険者に装っているんですか?ルカ様とのご関係は?ロイ様とハロルド様も貴族でいらっしゃるということですよね?」

あははっと、ロイ様は美しい顔を崩して笑われた。

「焦らなくても、あの子たちが帰ってくるまでに時間はあるわ。まず、私とハロルドは一応貴族でどちらも子爵家の息子。私は魔法師団で、ハロルドは騎士団の一員。二人とも王子の側近を命じられて以来、彼が王宮学院にいた5年間を除いては、ずっと側仕えをしているの」

そう言って、懐から銀色の冒険者カードを取り出す。

「あと、一応ちゃんとした冒険者よ。身分を問わない冒険者は、偽名で登録することもできるの。王子以外は本名だけどね。何で冒険者かって言われると…そうね、王子の社会勉強の一環と思ってくれて構わないわ」

「実際に冒険者としても活動しているんですよね?」

カードはBランクを示すシルバー色。中堅の実力者だ。

「ええ。あなたたちを助けた時も、ギルドの依頼からの帰りだった」

「レ…、アレン王子にとって危険ではないのですか?」

つい、偽名で呼びそうになってしまったが、ロイ様は「今まで通りレンでいいわ」と言ってくださった。

「そのための、ルカよ」

「雇っているのですか?」

首を横に振る。

「彼の好意につけこんだ王子の我儘ってとこかしら。もちろん、冒険で稼いだお金は均等…、ううん、ルカに多く渡そうとしたんだけど、受け取らないのよね。あんまりお金に執着はないみたいで」

孤児院に寄付をしていると言っていたことを思い出す。

「ルカ様は、そんなに信用のおける方なんですか?」

「そうね…」

何かを思い出すように、遠い目をする。

「少なくとも、その辺の貴族よりはずっと信頼ができるわ。ステラが言ったようにね」



―ステラ様には、お伝えしない。

けれど、私だけが知っているこの事実が、彼女の運命をどう変えていくのか。

それは、まだ誰にもわからない。


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