あじさいの咲く庭で6
あの出会いから、二十年だ。それだけ時が過ぎれば、見た目だって変わる。妖と人間では、流れる時間の長さも違う。トガクは歳を重ねても若いまま、自分だけが歳を重ねていく。
「でも、待ってって言ったのは、向こうでしょ?」
暗い顔をした呟きに、こまりは、またそんな情けない顔をする、と言いたげに唇を尖らせたので、正幸は困り顔で眉を下げた。
「彼と僕らでは、生きる時間の長さが違うし、見た目だって、いつまでも綺麗な彼と違って、僕は随分歳を取ってしまったから」
「それさー、お父さんに言ったら怒られるよ。お父さん、正幸くん美人だから変なのに付きまとわれてるんだって、本当に心配してるんだから」
確かに正幸は、綺麗な顔立ちをしている。一般の同年代に比べれば、若いというか、その顔立ちはあまり崩れを知らないように見えた。儚さは憂いに瞳を伏せ、その妙な色っぽさが、時折人を惑わすのかもしれないが、それでも、自身の評価と周りの評価は違うようだ。目の前のこまりと比べる訳ではないが、生まれた時から知っている彼女が、もう立派な女性へと成長しているのだ、自分の年齢を感じずにはいられないのだろう。
「またおかしな事言って…心配なのは体調のことだろ?同い年のオジサン捕まえて、その心配はないだろう」
「いや、もっと自覚した方がいいって!」
「もう、人をからかって」
「だってさ、あの妙な男!この町で見かけてないのって、正幸くんくらいだよ?それってさ、正幸くんにバレないように、つきまとってるからじゃない?正幸くんの事、じっと見てたって町の人達も言ってるんだよ?それってもうストーカーじゃん!確定じゃん!だから、お父さんがボディーガードやってるんだから!」
「それは…」
言いかけて、正幸は思わず口ごもる。近頃、この辺りでは見慣れない不審者の話をよく耳にするのだが、確かに正幸は、その妙な人物を見た事がなかった。
その人物とは、襟足を結んだ黒い髪に、黒いサングラス、派手な柄のシャツに黒いスーツを着ており、見た目だけで言えば、よくあるチンピラのイメージにぴったり当てはまる風貌のようで。そのチンピラ風情は、毎回こそこそと、まるで誰かに追われているように、また誰かを探しているように町を彷徨っているという。そしてその姿は、正幸の向かう先々で見られているというのだが、それなのに、そのあからさますぎる人物を、正幸は見た事がなかった。恐らく、正幸の視界に入らないように行動しているのだろう、だとしたら、その妙な人物は正幸を狙っているのではないか、というのが、こまり達、正幸の周囲にいる人々の言い分だ。
なので、学生時代はラグビーに夢中になっていた一雄が、正幸のボディーガードに名乗りを上げ、正幸が町に出る時は、いつも一雄が着いてきてくれていた。
それでも、正幸にとっては身に覚えのない話、本人は、自分が人目を惹くなんて自覚もないので、そういった皆の優しさには、いつも申し訳ない気持ちになってしまう。
「…そう思ってくれるのは、本当にありがたいんだけど…でも、大丈夫だよ。気持ちだけで。一雄くんだって、忙しいんだし、僕が独占しちゃうのは悪いし」
「…独占されたがってる気もするけどね」
「え?」
「まぁ、今日のところはいいや」
何やら冷めた呟きが聞こえたが、こまりはそれを正幸にちゃんと伝えるつもりはないらしい。それに、正幸に自身の魅力や身の危険を自覚させるのは無理だと悟ったのか、こまりは溜め息を吐くと、仕切り直すように正幸に声を掛けた。
「まぁ、それは置いといてもさ!もうちょっと、待ってみたら?私だって、トガク様に会ってみたいし。それにさ、分からないじゃん。トガク様の気持ち、ちゃんと確かめてないんだしさ」
こまりは、トガクには会った事がないし、妖が見えるかも分からない。それなのに、こんな自分の話を疑わず信じてくれる。
妖に興味を持っているからだとしても、正幸にとっては、なんだかんだ言っても、こんな信憑性のない話を信じてくれる人がいるのは、心強かった。
こんな風に信じてくれるこまりがいたから、自分も、店と、この庭を守ってこれたのかもしれない。
「…そうだね」
そう頷けば、こまりは嬉しそうにガッツポーズをしていて、正幸は思わず頬を緩めていた。
鬱々とした世界に閉じ込もっていた時には、まさかこんな風に誰かとお喋りをして心を緩めているとは思いもしなかった。トガクに出会って、未来を見つめられたから、見守ってくれていた一雄の優しさに気づけたし、こまりにも出会えた。そう思えば、どうしてこの場にトガクが居ないのだろうと、やはり寂しさを感じてしまう正幸だ。
「…あ、お父さんからだ」
そんな話をしていると、こまりのスマホが鳴った。届いたメッセージは、今もレストランで仕事をしている一雄からのSOSだという。予約なしの団体客が来ており、それが予想外の人数で人手が足りないのだという。
「ちょっと、ヘルプに行ってくる」
「それなら僕も、」
「正幸くんは、休むのが仕事でしょ。まぁ、私達に任せといてよ!あ、でも、何かあったら、連絡してよ!ちゃんと玄関の鍵かけとくんだよ!」
こまりは正幸にそう言い残すと、慌ただしくレストランに向かった。
まるでどちらが年上か分からないな、と苦笑いつつ、正幸は重い体をどうにか動かして、言われた通り玄関の鍵を掛けた。そうして居間に戻ってくると、縁側のガラス戸が開いているのに気づき、こちらも戸を閉めるべきかと悩み、まぁ寝るわけじゃないからと、その戸はそのままに、再びソファーに腰を落ち着け、くたりと背もたれに頭を預けた。
縁側の向こうを見やれば、雨はいつの間にか止んでいた。その天気とは裏腹に、正幸の心には暗い影が落ちていくようで、縋るように頭に浮かぶのは、どうしたってトガクと過ごした日々の記憶だった。