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あじさいの咲く庭で4



「そうだ、お前、名前は?俺はトガクだ」


話を振られると同時にトガクがこちらを向いたので、正幸は彼を見つめてしまっていた事が、その瞳に映る事が恥ずかしくなって、咄嗟に姿勢を正し俯いた。


「えっと、正幸です、正しいに幸せって書いて、正幸です」

「正幸か…、お前はきっと等しく幸せを与える存在なんだな」


何が彼をそんな風にさせているのだろう、合った目が微笑まれて、きゅうっと胸が苦しくなる。


ただ、どんよりと暗いだけだった雨粒が、それを受ける紫陽花の葉やその花がきらきらと煌めいて、ふわっと扉を開けるように、空っぽの身体中に駆け巡る。


彼が、この何もない世界から自分を見つけ出してくれた。そんな気がして、そう思ってしまったら、胸の奥が熱くなって、どうしてか涙が込み上げてきそうになる。


「…どうした?よく見たら、随分と顔が赤くないか?」


え、と聞き返そうとした声は、上手く声にならなかった。再びトガクの顔が間近に迫り、この顔の熱さは心拍数のせいだと思っていたが、どうやらそれだけではなかったようだ。あ、と思った時には遅く、くらりと目の前が揺れて、正幸は自分が体調を崩していた事を思い出した。


今まで、この体調不良の事しか頭になかったのに、どうして忘れてしまっていたのか。自分の体が支えきれず、そのまま体が後ろへ倒れそうになるが、床に頭を打つ事は免れた。トガクが咄嗟に腕を伸ばして、その腕で正幸の背中から頭を抱えるように抱き留めてくれたからだ。


「おい、大丈夫かよ、」


自分のとは違う逞しい腕が、それでも優しくこの体を扱って、心配そうに揺れる視線が忙しなく動いている。正幸は、その様子を呆然と見上げていたが、間もなくはっとして、熱い顔を更に熱くさせた。


「す、すみません、」


そう謝って、その腕から慌てて抜け出そうとしたが、体が思うように動いてくれない。


「体、横たえた方がいいか?寝床にいくか?」

「い、いえ、ここで、」


迷惑を掛けている事を謝ろうとして、縁側の床に体を横たえた時、雨の音がしっかりと耳に届いて、正幸は、そうして気づく。


体が言うことを聞かなくなる事は、よくある事だ。なので、そうならない為に、いつも考えて行動していた。それは、子供の頃から気をつけている事だ。

なのに、それをすっかり忘れていた。忘れてしまうほどに、突き動かされていた。


無感動な日々の中、何もないと思っていた自分の中に、苦しいくらいに打ち付ける鼓動のその奥の、その源。

自分にも心があったのか、なんて。自分の心は、ここにあったのか、なんて。


鬱々とした日々は、ぐるりと取り囲まれた雨音の海の底、閉じこもった強固なガラスの箱の中では、重い体は動くことなんてないと思っていたのに。


「え?どうした?痛いのか?苦しいのか?どうしたらいい?人間の病気なんて、俺にはよく分からないんだ」


気づいたら、涙が一つ、また一つと溢れてきて、それを見たトガクは慌てふためき、困惑している。それでも、少しでも正幸の傷を癒そうと、必死に頭を巡らせてくれている。

その優しさに、嬉しくて、胸がつかえて、また涙が溢れてしまう。


「ごめんなさい、トガクさん。僕は、大丈夫ですから、ありがとうございます」

「…そうか?」


そう言いながらも、どこか思案気なトガクの様子に、正幸は突き動かされるように、口を開いた。


「あの、少し休んだら、よくなりますから、だから、その、もう少しだけ、ここにいて貰えませんか…?」


涙を拭って、勇気を出して精一杯の気持ちを伝えれば、トガクはまだ心配そうな表情を浮かべていたが、「そんなんでいいなら」と、頷いてくれた。


「まだ、雨も上がりそうもないしな」


そう言って、隣に腰を落ち着けたトガクに、正幸はほっとした思いで、トガクを見上げた。けれど、空を見上げるトガクの顔を見上げてしまえば、どきどきと胸は落ち着かなくて、でも、そればかりではない。寄り添うように隣にいてくれるトガクに、胸の奥が温かに染まっているのを感じて、きゅっと苦しくなる。


このまま何もない、楽しいも悲しいもない日々が続く、きっと心が突き動かされることなんてないと思っていた、心なんて消えてしまったとすら思っていたのに。


それでも、今はちゃんと感じる事が出来る、心の居場所はここだったんだと。


正幸の無感情な日々を、トガクが価値のあるものに変えてくれたのだ。





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