5.触発されたアマル
生い茂る青葉の森を二頭の馬が駆け抜ける。
ジェインの周りを木漏れ日がキラキラと輝きながら過ぎ去り、静かな森に馬が土を力強く蹴り上げる音が響く。
ジェインは身体を揺らしながら、風が木々の葉を揺らす音を聴き、湿った土の香りを吸い込むと、いつの間にか開放的で明るい気持ちになっていた。
木々の隙間から差し込む光が、前を走るアマルを照らしている。
時折後ろを確認するためにアマルが振り返ると、眩いばかりの輝きにジェインは目を奪われた。
ついに森を抜けると、スクーディア山脈の麓の平原に出る。そこでアマルが馬を止めてジェインを待っていると、すぐにジェインも追いつき馬を止め、息を整える。
アマルがスクーディア山脈に向かって真っ直ぐに指を差して語り始めた。
「あの山を越えれば故郷がある。フルネームはアマル・アレックス・シュヴァルザ。イディオスの首都ライノアで宝石商の息子として生まれた。父と共に俺も宝石商をしている。
他は何を伝えたらいい? ああ、双子の妹アマロ・アレクシスがいる。すでに伝えたが、婚約者もいないし結婚もしていない。両親はともにイディオス人だが、父方の祖母がウェルランド王国出身だ」
「シュヴァルザは知っている。人気の宝石商だ」
シュヴァルザは、ウェルランド王国を除いた各国で販売する大きな宝石商だ。顧客は王侯貴族や富裕層が名を連ね、ウェルランド王国の貴族達も、他国に用事がある際には必ずシュヴァルザの店に立ち寄って宝石を買って帰るほど。シュヴァルザを代表するアレキサンドライトを使ったシュヴァルザコレクションを身に纏えば、社交界ではたちまち話題の人である。
(まだ未開拓だったウェルランド王国に商機を探しに来た際に襲われたのか……?)
アマルがもし資産のない平民であっても、どうにか取り繕って結婚するつもりでいたが、その場合のハードルはもちろん大きく、カルミアの妨害も心配していた。だがこの国の富裕層からも人気の宝石を売る大商人であれば、取り繕う必要はない。
アマルに素晴らしい名があったことにジェインは感謝した。
そして、彼の名に改めて意識を向けたジェインは、左手の中指に視線を落とす。
(宝石商……)
アマルにはめてもらった指輪、アレキサンドライトが青緑から赤へと混ざり合うようにグラデーションして輝く。
(アマル・アレックス……)
「ちゃんと毎日身に着けてくれてるな」
アマルはジェインが指輪をはめているのを見て嬉しそうに笑う。
「毎日私の手元を観察していたのか?」
「ああ。俺の名前を聞いて、その指輪が一層愛おしくなっただろ?」
ジェインは赤くなる頬を隠そうと顔をアマルから背けた。だがアマルにあっさりと気づかれ、顔を覗き込まれる。
「顔が赤くなってないか?」
「疾走して息が上がったからだ」
アマルは疑うような目でニヤニヤと笑った。
そして馬から降りて、木に馬の手綱を結び付けてからジェインのもとまで戻って来た。
馬に乗ったままのジェインに向かい、アマルは両手を差し伸べる。
「ほら、降ろしてやる」
「いや、自分で降りれるし」
「降ろしてもらうのも、中々いいかもしれないぞ?」
「いや、邪魔だから」
ジェインは右足を颯爽と高く上げて馬の後ろ側に大きく回し、身体全体を馬の左側に移動させると、アマルに背中を向けた状態で馬から降りようとする。
だがその最中にアマルがジェインを支えようと腰を掴んでしまい、びっくりしたジェインが馬を驚かせて馬が暴れ出してしまった。
馬の跳ね上がる後ろ脚からジェインを守るために、アマルが咄嗟にジェインを抱きしめて強く引っ張ると、そのまま二人は草の上に倒れ込み、馬は勢いよく遠くに走って行ってしまった。
「「いたたた……」」
ジェインはぶつけて痛むおでこをさすりながら顔をあげると、自分がアマルの上に乗っている事に気づき戸惑った。
アマルも痛そうな顔をしつつ、自分の上に乗るジェインに気づくと、目が合った瞬間に可愛らしい表情で破顔した。
アマルにもこんな表情が出来るのかとジェインが驚いていると、アマルの腕がジェインを強く抱きしめる。
「おっ、おいアマル! この腕をどけろ、こら」
「あはは、嫌だ、離すものか」
「お前のせいで私の馬が逃げただろ! どうやって帰るんだよ!!」
「馬は俺のが残ってるから一緒に乗って帰ればいい」
「手綱は私が持つからなっ」
「手綱は俺に決まってる。お前は俺の腕の中で大人しく包まれて帰ればいい」
アマルはさらに腕に力を入れてきて、ぐるりとジェインを草の上に寝転がすと、今度は反転してアマルがジェインの上に覆いかぶさった。
アマルの絹のような黒髪がヴェールのように垂れさがり、外の世界を隠す。ジェインの視界にはアマルしか入らず、彼の金色の瞳を見つめているうちに、呼吸が乱れだし、胸が熱く高鳴っていることに気づいた。
ジョージに抱いたふわふわとした感情とは全く違い、激流のように流れ込んでくるこの感情にどう対処して良いかわからない。
最初からこの金色の瞳が苦手だった。見つめていると、心臓がおかしくなるからだ。
ジェインは恥ずかしくて目を泳がせてしまった。
アマルはくすりと微笑み、ジェインの頭をくしゃりと撫でた。
そしてそのまま立ち上がり、ジェインに手を差し伸べる。
ジェインはアマルが差し出す手を握って起き上がると、落ち着かない様子で身体の草を払い続けた。
その様子を見てアマルは微笑んでいた。
「イディオスとウェルランドの人間が手を取り語り合えるなんて、平和だな」
「ああ、平和だ」
「大陸が血の海になったという、戦争の歴史が信じられないくらい」
「ウェルランド国王は血の気が盛んで戦争好きが多かったからな。おかげでご先祖様は伯爵になり、王の盾になった」
「戦争で恩恵を受けた側か?」
「逆だ」
ジェインは表情を曇らせた。アマルはこれ以上追求してはいけないと思い、ジェインの肩を叩き、軽く声を掛ける。
「さあ、帰ろう」
「あ、ああ、そうだな」
木に繋いでいた馬をアマルが連れてくると、ジェインを先に馬に乗せ手綱を握らせる。
あんなに手綱の主導権を争ったのに、あっさりと渡されてジェインが拍子抜けしていると、ジェインの後ろに乗ってきたアマルが、ジェインを包むように身体を密着させ、彼女の手綱を掴む手を握った。
「アマル!?」
ジェインの声が思わず上擦ってしまった。
「これなら二人で手綱を握れるな」
アマルはそう言うなり勝手に馬を走らせ始めてしまう。